第18話:家の夢
菩提寺が炎に包まれていた同時刻。
カタン、
逢坂家の仏壇の奥で、何かが倒れるような乾いた音がした。
そしてそのすぐ後、閉じた仏壇の隙間から淡い光が漏れ出て、すぐに消えた。
キシ、キシ、……ギシ、ガタ、……
……ギシ、ミシ、……ペキッ、……
その晩の家鳴りは、外にまで響いていた。
しかし、ただ一人の住人である晶は、熟睡していて全く気付かなかった。
晶は夢を見ていた。
それはやけに懐かしく、暖かい気持ちになる夢だった。
そこは自分の家だった。
しかし、見慣れた光景が今とだいぶ違う。柱の色は日に焼ける前の白い肌で、襖も障子も新しい。床板は歪みが一切無く、軋む音さえしない。
古い家が新築だった頃の光景だと、晶は何となく理解していた。
夢だと思うと、全てを受け入れてしまうものだ。
誰も居ない家を晶は興味深く見て回った。今とは違う襖の柄や水疱の入った窓ガラス。傷だらけだった太い柱はピカピカの無垢の白木だ。玄関は今より広く土間は土で固められている。手摺りもない急峻な階段が上階に続いているが、屋根裏のようだ。
開け放たれた庭は今とは全く違う配置に植物が植えられている。中央には池まであって、覗き込むと魚が泳いでいる。
(すげー広い……)
ある筈の塀が無く、今は無人となっている隣の家まで庭が繋がっている。そして別棟のこれまた真新しい建物がある。母屋と離れといった所だろうか。
今となってはただ広いだけの古い家だが、こうして見ると立派な家だったんだなと思いながら居間に行くと、中央にまだ火の入っていない囲炉裏があった。一段下がった場所にある台所には、なんと竈門があった。
そのまま仏間に続く襖、……木の板戸を開ける。途端に爽やかない草の香りが漂ってきた。
(仏壇が無い……)
夢の中で晶はぼんやりと思った。
真新しい家にはまだ弔う人は居ないんだろう。
まだ何も飾られていない床の間を、真っ白な障子から差し込む柔らかい陽光が照らしている。いつも感じていた仏間の重苦しい雰囲気は欠片も無い。ただの明るい和室だ。
まだ誰も住んでいないようなのに、そこかしこに人の息吹を感じる。
それは建てた職人のものか、新しい住人を迎える期待なのか、キラキラと輝いて見える。
晶はごろりと畳に寝転がった。
ぐーっと伸びをして、大の字になる。
夢とはいえ、この家でこんなに落ち着いた気分になったのは初めてかもしれない。
ぽかぽかとした陽光があまりに心地良くて。
晶はゆっくりと瞼を閉じた。
「あーー、良く寝たーー!」
晶はベッドから勢いよく起き上がった。
バチッ!と電源が入ったように目が覚めた。こんな爽快な起床は、それだけで上機嫌になる。
ここしばらく寝付きも目覚めも悪く、寝ても全く疲れが取れた気がしなかった。それが、この快適な朝である。
「おお、天気も良いな」
シャッと開けたカーテンからは厳しい夏の日差しが差し込む。
普段ならげんなりする暑さも、清々しい目覚めのお陰で「水やり多めにしないとな」と前向きになれる。
「ん?」
ベッドサイドのスマホが点滅している。
(小椋?)
昨日、小椋と別れた事を思い出して、一気に憂鬱になる。
お互いにブロックもしなかったし、連絡が来たって不思議は無いけど。……少々気まずいな、と思ってスマホを手に取った。
「……っ! 姉貴っ?」
着信履歴には、姉の名前が表示されていた。時刻は深夜3時過ぎだ。
慌てて掛け直したが、繋がらない。
送ったメッセージを見ると既読になっているが、返信は入っていない。
「でも、良かった……」
へたりとベッドに座り込んで深く息を吐く。
姉に送ったメッセージを見返すと、メチャクチャ焦っていて笑える。姉の無事が分かって、随分と気持ちが軽くなった。
ベッドから立ち上がると、頭の中がやけにスッキリしている。やはり睡眠は大事だなと実感した。
俺は階段を降りて台所へと向かった。水を一杯飲んでから縁側に座り込む。朝の光を浴びた庭木は、いつにも増して生き生きとして見える。
ふと、ノウゼンカズラの鮮やかなオレンジ色が目に入る。いつの間に咲いていたんだろう。毎日水やりしているのに気が付かなかった。
昨晩見た夢の光景を急に思い出した。
庭木の種類も配置も全く違うのに、キラキラした風景はやはり同じ場所だと思った。
「不思議な夢だったなぁ……」
グー、と腹の虫が鳴った。
昨日、ファミレスであんなに食べたのに、とても腹が減っている。
ここのところ食欲が無かったので、朝は抜く事が多かった。けど、今日はしっかり食べられそうだ。
顔を洗って、歯を磨き、ヒゲを剃る。昨日しっかり寝たからか、目の下の隈が薄くなっている気がする。
「ん?」
ウキウキとした気分で冷蔵庫を開けると、思っていたより食材がある。
(あれ? いつ買ったっけ?)
ベーコンと卵、それにカットサラダとプチトマトがあったので、それを取り出した。
食パンも一斤、未開封のものがあった。
「まあ、いいや。食おう食おう」
機嫌良く目玉焼きとベーコンを焼いていく。その間に野菜を盛って食パンを焼く。インスタントコーヒーを淹れたら、立派な朝飯の完成だ。
出来上がった料理を居間の座卓に乗せ、家族が居た頃からの定位置に座る。
たった一人の食卓は、なんだか物悲しく感じた。
コツ、コツ、と指で天板を叩いた。
ここにおいで、と誘うように。
だけど、それに応える者は居ない。
「……そのうち姉貴も帰ってくるだろ」
今はここに居なくても、いつか戻ってくるなら、そんなに寂しくない。
「小椋も……」
未練がましいと首を振り、冷めないうちにと朝飯に手を合わせた。
キシ、
家鳴りが微かな音を立てた。
逢坂家は、晶の父が亡くなってから新聞を止めてしまった。
晶はテレビを見る習慣が無いので、居間にあるテレビのリモコンには薄っすらと埃が掛かっている。
『◯◯県の山間部にある白雲山・徳修寺が昨晩未明に出火し、全焼しました。なお、死傷者は――』
だから、晶がそのニュースを見る事は、結局一度も無かった。




