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曇天の下の旅路 ~ 終着駅は異世界だった ~  作者: 浦賀やまみち


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第05話 もう一つの十五年




「そっか……。高橋くんは成功したんだね」



 部屋に家具は、ベッドとサイドテーブルが二つ。

 ユーマと彼女は、必然的にベッドで隣り合って座った。


 望まれるまま、ユーマはこの世界に来てからの十五年を語った。

 話し終えると、しばしの沈黙の後、彼女はそっと吐息をついた。



「……って、このお店に来ている時点で、当然だよね」



 ユーマは横目で彼女を盗み見る。

 彼女は視線をわずかに上げ、目を細めて中空をぼんやりと見つめていた。



「風早さんは?」



 妙な気まずさを覚え、ユーマはつい場繋ぎに尋ねた。



「それ、聞く? 

 こんな歳で、このお店にいる時点で、分かると思うんだけど?」

「まあ、それは……。」



 振り返ってきたのは、力ない彼女の苦笑だった。


 彼女の言う通りだった。


 ユーマは店長との会話から、彼女の事情を察していた。

 そのせいで、ますます気まずさを覚えた。



「いいよ、お返しに話してあげる」



 とくとく、とグラスを満たす音が響いた。


 そのグラスを渡され、ユーマが受け取る。

 再び、とくとく、と酒が別のグラスに注がれた。


 娼館には酒が付き物だ。


 だが、どの店にも一つだけ鉄則がある。

 嬢は客に勧められない限り、酒を口にしてはならない。


 しかし、ユーマは黙認した。

 酒の力を借りなければ、語るには苦しいのだろうと思ったからだ。



「最初は……。順調だったんだよ」



 彼女の喉が、ゆっくりと三度鳴る。

 口の端から一雫が零れ落ちた。


 かつて、彼女に想いを抱いていた頃にはなかった艶めかしさ。


 漂う香の匂いと酒に含まれた成分が効き出したのか。

 グラスにまだ口をつけていないユーマの喉が、思わずゴクリと音を立てた。



「悟……。

 あっ、覚えているかな。生徒会長の……。

 彼が中心になって、冒険者になったんだ」



 だが、熱しかけた欲は、すぐに冷やされた。


 二枚目で、成績優秀。スポーツも万能。

 皆から好かれ、先生からの信任も厚かった生徒会長。


 その彼が、副会長である彼女と付き合っているという噂があった。



「言葉はどうしたの?」

「あの街に、王都の役人がたまたま来ていてね。通訳をしてくれたの」

「……運が良かったんだね」



 いや、きっと事実だったのだろう。


 彼と彼女は、よく連れ立っていた。

 下校も、いつも一緒だったのだから。


 休日にデートしていたという話。

 公園でキスしていたという話さえ、耳にしていた。



「うん、本当にそう。

 でも、あの時の私たちにモンスター退治ができると思う?」

「思わない」

「だから、人が嫌がる日雇いで何とか食いつないでいたの。

 下水道掃除とか、死体の運搬とか……。まあ、色々と……。」



 誰が見ても、お似合いの二人だった。


 ユーマは彼女に恋心を抱いていたが、それを表に出すことはなかった。

 歯牙にもかけられないと、最初から分かっていたからだ。


 だからユーマにできたことといえば、想像の中の彼女で劣情を慰めることだけだった。



「でも、そこも運の良いところだったね。

 あの街は、割と大きな街だったから、そういう仕事もあったんだ」



 正直、彼女は自分のことなど知らないだろうと、ユーマはずっと思っていた。


 知っていたとしても、AでもBでもない。

 せいぜいクラスメイトFくらいの認識だろうとユーマは考えていた。


 それだけに、先ほどの再会で自分の名前を覚えていたことには驚いた。

 十五年ぶりだったのだから。



「ただ、やっぱり報酬は安かったから……。

 粗末な宿に、貧相な食事。お風呂なんて、夢のまた夢……。」



 しかし、『もしかしたら』などという淡い期待は抱かなかった。


 彼女もまた、美人で成績優秀だった。

 スポーツは得意ではなかったものの、気配りに長けていた。


 おそらく、自分の名前を覚えていたのも、その気配りの賜物なのだろうとユーマは結論づけていた。



「だけどね。辛かったけど、苦しくはなかった。

 少しずつ蓄えができてきて、前に進んでいる気がしたから……。」



 彼女の過去を耳にしながら、ユーマは思った。


 完璧な二人が運にまで恵まれたのだ。

 言葉すら通じない異世界であろうと、上手くやっていけたのではないか、と。


 だが、過去を嬉しそうに語っていた彼女の横顔が、ふと曇った。



「でも、それに耐えられない男の子がいた」


「今にして思えば、罠にハメられたんだろうね。

 駆け出し冒険者に大金を貸して、仲間ごと沈める」


「……っていうのは、商人の高橋くんなら、よく聞く話でしょ?」



 もう、ここまで知れば分かってしまった。


 大志を抱き、田舎から出てきた若者を騙す手口。

 彼女の言う通り、大きな街では春が過ぎた頃によくある話だった。



「最悪なのは……。彼、逃げたんだよ。

 武器や防具を買おうと、私たちが蓄えていた共同の貯金を持ってさ」



 ユーマは思わず、目を手で覆った。

 最悪の上に、さらに最悪を重ねた展開だった。



「もう、私たちに選択肢なんてなかった」


「男の子は鉱山。

 女の子は……。娼婦」


「だけど、悟はそれを良しとしなかった。

 一発逆転を狙い、有志を募って、無茶なモンスター退治に……。」



 ところが、最悪がさらに積み上がった。

 たまらずユーマは目を覆ったまま、天井を仰いだ。


 一番やってはいけないパターンだった。



「でも、やっぱり駄目だった」


「救助のために、またお金がかかって……。」


「帰ってきたのは、右足を失って立つことが出来なくなった悟一人だけ」



 最悪は、まだ終わらなかった。


 だが、ユーマには理解できてしまう。


 会長は、彼女が娼婦になるのを良しとしなかったのだろう。

 彼女は、会長を見捨てられなかったのだろう。


 せめて、有り金を持ち逃げされた時点で、二人で逃げ出しておけばよかったのだ。

 実際、逃げた者は大勢いたに違いない。


 だが、二人にはそれができない性格だった。

 その結果、逃げた者たちの分の借金も背負わされたのだろう。



「……会長は?」



 ユーマはグラスを呷った。

 胸の奥に渦巻く苦さを、どうにかして洗い流そうとした。



「ちゃんと元気でいるよ。私たち、一緒に暮らしているの」



 つい口にしてしまった問いかけに、彼女が微笑む。

 その瞬間、胸の奥の苦さは、さらに増した。



「そう……。」



 この世界は、弱者に厳しい。

 もし厳しさを感じないのだとしたら、その者は富める者だからだ。


 彼女は、会長が右足を失ったと言った。

 この時点で、働き口を見つけるのはほぼ不可能だ。


 つまり、彼女が会長を養っているのだ。

 会長が無茶をしてでも望まなかった、娼婦という仕事で。


 それが十五年。

 心が腐らないとしたら、それは聖人君子に違いない。



「はい、暗い話はおしまい! じゃあ、しよっか!」

「……えっ!?」



 パンッ、と柏手を打つ音。

 彼女はユーマが膝に置いた手にそっと手を重ね、にっこりと笑った。



「え、じゃないよ。ここはそういう場所でしょ?」

「まあ……。」



 ユーマが戸惑いを隠せずにいると、彼女はベッドから立ち上がった。


 そしてユーマの前に立ち、くるりと一周する。

 短いスカートの裾がふわりと広がり、透けた赤の下着がちらりと見えた。



「それに、こんな制服まで用意しちゃって……。

 高橋くん、こういうのが好きなんだ? ふふっ……。」



 駄目押しの一撃。

 彼女はブラウスの第一ボタンを外し、上半身を屈めてユーマの耳元で囁いた。



「うっ………。」



 ユーマは湧き上がる欲望に抗いきれず、視線を下げた。


 赤いブラジャーに包まれた胸の谷間。

 青春時代は想像するしかなかった、確かな現実が、そこにあった。




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