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――第 53 幕 最終両難と確定するノイズ――

 指が、炭化していく。

 ジュッ、ジュッ。

 オレンジ色の粒子が、皮膚を焦がす音。 神経が焼き切れ、痛覚信号がノイズとなって脳髄を駆け巡る。

 目の前。 光の渦の中心。 彼女の輪郭が、激しく明滅している。

 世界が、修正(アップデート)を始めている。

 空の裂け目。 そこから覗く「真空の黒」が、徐々に朝の「灰色」へと塗りつぶされていく。 チュン、チュン。 どこからか聞こえる雀の鳴き声。 日常の音。 それが、この場の異常な空気圧を、物理的に押し潰そうとしている。

「……くっ、ぅ」

 重い。 彼女の手を掴もうとする腕に、数千トンの水圧がかかっているようだ。

 世界の免疫系が、最終通告を突きつけている。

【選択肢 A】 手を離せ。 そうすれば、世界は正常に戻る。 彼女は「転校した」「最初からいなかった」という整合性の取れたデータとして処理され、美しい記憶だけが残る。 傷つかない。汚れない。完璧な閉幕(エンド)

【選択肢 B】 引きずり込め。 だが、それはバグを許容することだ。 彼女は戻る。 しかし、世界はこの異物を決して許さない。 二人は永遠に、社会というシステムから弾き出された異物(エラー)として、軋みを上げて生きることになる。

「……は、は」

 乾いた笑いが漏れた。 迷い? そんなもの、今の私の脳内リソースには存在しない。

 私は、綺麗な標本になりたいわけじゃない。 あの汚い字と、冷たい手と、意味の分からない挙動に、一生振り回されたいという我執(エゴ)しかない。

「こっちだ」

 私は、焼けるような痛みの中に、さらに深く手を突っ込んだ。

 バヂヂヂッ!!

 拒絶反応。 空間が悲鳴を上げ、青白い火花が散る。 鼓膜が破れそうな高周波(モスキート)音。

 構うものか。 私は、そのノイズの奥にある「実体」を、鷲掴みにした。

 ガシッ。

 掴んだ。 手首の感触。

 ヒュッ。 息が止まる。

 冷たい。

 それは、幽霊のような頼りない冷気ではない。 絶対零度の氷塊を素手で握ったような、皮膚が張り付く物理的な冷たさ。

 そして、重い。

 ズシリ。 腕が抜けそうなほどの質量。 これは魂の重さではない。 これから彼女が背負う老い、病、排泄、裏切り、そして死。 生身の人間が持つ、逃れられない「カルマ」の総重量だ。

「……捕まえたッ!」

 私は、全身の筋肉を断裂させる勢いで、その重みをこちら側へ引き寄せた。

 バリバリバリィーンッ!!

 音がした。 ガラスが割れる音ではない。 世界という巨大なサーバーの、基盤(マザーボード)がへし折れる音。

 視界が白く弾ける。 三半規管が狂い、天地が逆転する。

 ドサッ。

 重い衝撃。 砂利の上に、何かが落ちてきた。

 静寂。

 雀の声が消えた。 風の音も、街のノイズも、すべてが遠い。

 私は、肩で息をしながら顔を上げる。

 朝だ。 東の空が、白み始めている。 薄暗い校庭。 ブランコが揺れている。

 そこに、「それ」は座っていた。

 黒髪の少女。 赤い縁の眼鏡。

 彼女は、自分の手を見つめている。 そして、ゆっくりと顔を上げた。

「……あ」

 目が合う。 彼女が微笑む。

 ゾワリ。

 背筋を、無数の虫が這い上がる。

 その笑顔。 どこかが、決定的にズレている。 口角の上がる角度か、瞬きのタイミングか、あるいは肌の質感か。

 解像度(レゾリューション)の不一致。

 背景の校庭の風景に対して、彼女の存在だけが、ほんの僅かにピントが合っていない。 あるいは、画素数が粗い。

 戻ってきた。 だが、元通りではない。 世界にとっての「バグ」として、私という観測者にとってだけの「実在」として、彼女はそこに定着(フィックス)されたのだ。

「……おはようございます。先輩」

 彼女の声。 ノイズは混じっていない。 だが、そのクリアすぎる響きが、逆に周囲の空気から浮いている。

 私は、火傷で爛れた右手を握りしめた。 激痛。 だが、その痛みだけが、この狂った結果を「正解」だと保証してくれている。

「……ああ」

 私は泥だらけの顔で、引きつった笑みを返した。

「おはよう。……最悪の朝だ」

 世界は壊れたまま、再起動した。 私たちはもう、まともな青春には戻れない。 その事実が、骨の髄まで冷え切った体に、奇妙な安堵をもたらしていた。

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