――第 32 幕 変節者のレンズと無色のポートレート――
光の暴力。
五月晴れ。 その言葉の爽やかさとは裏腹に、頭上から降り注ぐ紫外線は、アスファルトを溶かし、網膜を焼くレーザー兵器だ。
大学のオープンテラス。 白いプラスチックのテーブルが、太陽光を乱反射して目を刺す。 周囲には、昼食をとる学生たちの群れ。 彼らの笑い声、食器がぶつかる音、衣擦れの音が、意味を持たない奔流となって鼓膜を圧迫する。
私は、溶けかけたアイスコーヒーのストローを噛んでいた。 味がしない。 舌の上の味蕾が、三ヶ月に及ぶ密室生活――カビとシロップの臭い――によって麻痺している。
「御仁。色が薄うござるな」
不意に。 向かいの席の空間が、ごっそりと切り取られた。
ジン。 彼はそこに座っていた。 いつの間に来たのか。気配がない。 周囲の学生が発散する汗や整髪料の臭いが、彼の半径一メートル以内で完全に濾過され、無臭の真空地帯を作っている。
白シャツ。 直視できないほど白く、糊の効いた襟。 丸眼鏡のレンズが、太陽光を完全に反射し、その奥にあるはずの瞳を隠蔽している。
「……何の話だ」
喉が張り付く。 彼を見ると、無意識に背筋が強張る。 彼だけが、この世界で唯一、私と同じ「あちら側」の住人であり、そして私の敵(観測者)だ。
「現像したのでござるよ。先日の」
ジンが、古びた茶封筒をテーブルに滑らせた。 ザラリ。 乾いた紙の擦れる音が、周囲の喧騒を切り裂いて耳元に届く。
写真。 先日、サークルの新歓イベントで、彼が気まぐれに撮ったものだ。
私は躊躇いながら、封筒に手を伸ばした。 指先が冷たい。 本能が警報を鳴らす。見てはいけない。 だが、右手の筋肉は意思を裏切り、中身を引き出した。
一枚の印画紙。 独特の薬品臭。
そこに写っていたのは、確かに私と、彼女だった。
ヒュッ。
呼吸が止まる。 肺の中の空気が、瞬時に凍結した。
おかしい。 私の記憶データと、目の前の物理的記録が一致しない。
写真の中の私は、満面の笑みを浮かべている。 赤ら顔で、脂ぎり、生命力に溢れた醜悪な笑顔。
だが、隣にいるはずの彼女は。
消失。
いない、のではない。 彼女の輪郭だけが、激しくブレている。 あるいは、そこだけ現像液が定着しなかったかのように、色が抜け落ち、背景の木々が半透明に透けて見える。
幽霊。 いいや、もっと質の悪い「ノイズ」。
「某のレンズは正直でござる」
ジンの声には、感情の色がない。 ただの測定器が数値を読み上げるような、冷徹な響き。
「御仁、其処に『命』はありませぬぞ」
心臓が、肋骨を裏側からハンマーで殴打した。 ドクン。
指摘された。 私が薄々感じていた――いや、見ないようにしていた事実。 私たちがカラオケボックスで育んできたのは「愛」ではない。 私が彼女の生体エネルギーを吸い上げ、自分の物語を維持するための「燃料」にしているだけの、一方的な寄生関係。
写真の中の彼女は、笑っているのか、泣いているのか、判別できない。 ただ、その存在の希薄さだけが、インクの染みとして定着している。
「……手ブレだろ」
写真はテーブルに伏せた。 パチン。 乾いた音が、私の拒絶を代弁する。
「ただの失敗作だ」 「左様でござるか」
ジンは口元だけで笑った。 その笑顔は、左右対称すぎて、人間のものではない。 不気味の谷。
「枯れてしまいますぞ」
彼は立ち上がる。 白いシャツが、微風に煽られてはためく。
「美しい花ほど、摘み取られた後は脆いものでござる」
残された言葉が、呪いのように鼓膜にこびりつく。
ジンが去った後も、テーブルの上の茶封筒はそこに在り続けた。 質量が増している。 中にある「無色の真実」が、重力崩壊を起こし、このテーブルを、ひいてはこの日常を、底なしの穴へと引きずり込もうとしている。
私はアイスコーヒーを啜った。 冷たい泥水のような味がした。 胃の腑で、何かが腐り落ちる音が聞こえた気がした。




