――第 28 幕 脳内の工事現場と捏造された英雄譚――
眼球が、焼ける。
カーテンの隙間から侵入した直射日光が、レーザー光線となって網膜を灼き尽くす。 瞼を閉じても無駄だ。 その白い暴力は、薄い皮膚を貫通し、視神経を逆流して脳髄を直接刺激する。
「う、ぅ……」
呻き声。 自分の声帯が震える振動だけで、頭蓋骨の内側がガンガンと共鳴する。
痛い。 頭の中に、小人が住んでいる。 数千人の小人が、つるはしとハンマーを持って、私の脳みその血管拡張工事を絶賛実施中だ。 ズキン、ズキン、ズキン。 心臓が収縮して血液を送り出すたびに、頭蓋骨の継ぎ目がミシミシと音を立てて開きかける。
呼吸が臭い。 部屋の空気が、胃酸とアルコールと、生乾きの洗濯物の臭いで淀んでいる。 換気扇は止まっている。 冷蔵庫のコンプレッサーだけが、ブーン……という重低音の唸りを上げ、私の三半規管を揺すぶり続ける。
ここは地獄か。 あるいは、四畳半のアパートか。
ピンポーン。
電子音が、鼓膜を突き破った。 インターホン。 世界で最も聞きたくない、他者の来訪を告げる警報。
無視だ。 今の私は、人間としての形状を保っていない。 布団という名の繭の中で溶解した、ただの有機物の汚泥だ。
ドンドンドン!
「生きてるかー! 迎え酒やぞー!」
鉄の扉が物理的に殴打される音。 そして、壁を透過してくる野太い怒号。
早川。 この世で最も「静寂」から遠い男。
ドアノブがガチャガチャと回される。 鍵は開いている。 昨夜、私がどうやって帰宅し、どうやって鍵を開けたのか、その記憶データは完全に消失している。
「お邪魔するでー!」
ドアが開く。 新鮮な酸素と共に、圧倒的な「熱量」が雪崩れ込んできた。
眩しい。 彼自身が発光体であるかのように、部屋の照度が跳ね上がる。
「うわっ、酒臭っ! 醸造所かここは」
早川が鼻をつまむ。 その手には、コンビニの袋と、一升瓶がぶら下がっている。 『土佐鶴』。 透明なガラス瓶の中で揺れる液体が、今の私には猛毒に見える。
「……殺す気か」
喉から絞り出した声は、乾燥した砂の音だ。
「何言うとんねん。昨日の英雄に向かって」
早川がドカッとあぐらをかく。 床板がきしむ。 彼はニヤニヤしながら、コンビニ袋から「しじみの味噌汁」を取り出した。
「英雄……?」
思考回路がショートする。 記憶がない。 昨夜、ヒロインを連れて自転車で走り出した後の記憶が、プツリと切断されている。
「覚えてへんのか。……まあ、無理もないか」
早川がスマホを取り出す。 液晶画面を突きつけられる。
「見ろ。お前の勇姿や」
視線を向ける。 焦点が合わない。 私は目を細め、チカチカする光の粒の中から、画像を認識しようと試みた。
そこには、異様な光景が写っていた。
薄暗い部屋。 テーブルクロス引きの要領で、何かを引っ張っている私。 その顔は、焦点が定まらず、口元がだらしなく緩み、そして見たこともないほど「傲慢」に笑っている。
「私が神だ! とか叫んで、おしぼりを引き抜いとったわ」
早川の解説が、遠いラジオのノイズのように聞こえる。
次の写真。 ブレている。 私と、もう一人。 黒い髪の少女が、私と手を取り合って、何か奇妙なダンスを踊っている。
彼女だ。 間違いなく、彼女だ。 眼鏡がズレている。 普段の「人形」のような無表情は消え失せ、顔をくしゃくしゃにして笑っている。 あるいは、泣いているのか?
「これ……本当に、俺か?」
自分の姿なのに、他人の記録映像を見ているような乖離感。 合成ではないのか。 私がこんな、リミッターの外れた「獣」のような顔をするはずがない。
「紛れもなくお前や。……あの子連れてきた時は、心臓止まるか思たけどな」
早川が『土佐鶴』の栓を抜く。 ポン、という小気味良い音が、私の頭痛を加速させる。
「ま、結果オーライや。あの子も楽しそうやったし」
彼は湯呑みに酒を注ぎ、私に差し出した。 酒の匂い。 揮発したアルコール分子が、鼻の粘膜を焼き、胃の腑を痙攣させる。
「飲め。迎え酒や」
拒否権はない。 このグラスを受け取らなければ、この現実(写真の中の狂気)を受け入れられない気がした。
私は震える手で湯呑みを受け取った。 重い。 液体質量以上の、事実の重み。
彼女を、巻き込んだ。 あちら側の世界から引きずり下ろし、この薄汚れた泥沼(五次会)へ引きずり込んだ。 その証拠が、このスマホの中に「デジタルタトゥー」として刻まれている。
「……もう、飲まない」
口をついて出たのは、守られることのない誓い。 喉の奥で、鉄の味がした。
早川は豪快に笑い、自分の分を煽った。 その喉仏が上下するゴクリという音が、私の罪悪感をカウントするメトロノームのように、部屋に響き渡った。




