――第 24 幕 欠落した時間と鉄の味のスープ――
尻の肉から、急速に体温が奪われていく。
硬く、冷たい感触。 ザラザラとしたコンクリートの粒子が、ズボンの生地越しに皮膚を圧迫している。
瞬きをする。 黒い世界。 視界の端で、水銀灯がチカチカと痙攣するように明滅している。
ここは何処だ。
サークル棟、正面玄関の階段。
……なぜ?
思考が空転する。 直前の記憶データが存在しない。 ブックオフの駐車場。排気ガスの臭い。マユミ先輩のヘルメットの締め付け。 そこまでは鮮明だ。 だが、その後の時間軸が、鋭利な刃物で切断されたように消失している。
断絶。
移動のプロセスがない。 私は瞬間移動したのか、あるいは脳の海馬がアルコールとストレスで一時的に機能不全を起こしたのか。
現状確認。 膝の上に、重い鞄がある。 中には、朝焼いた「黄金の玉子焼き」が入ったタッパー。 もはや開けるまでもない。 鞄の繊維を通して、腐りかけた有機物の冷たさと、重力が凝縮されたような質量が伝わってくる。 死んでいる。
そして、両手。 掌の中に、異物がある。
温かい。 いや、低温火傷しそうなほど熱い。
赤いスチール缶。 「濃厚コーンポタージュ」。 それが二本。
買った覚えはない。 だが、右手の親指と人差し指の指紋の溝には、独特の金属臭がこびりついている。 多数の人間が触れ、手垢と脂にまみれた十円玉の臭い。 鉄錆の味。
無意識の行動。 記憶が飛んでいる間に、私は自販機でこれを買い、ここまで歩いてきたのだ。 二本。 誰のために?
プシュ。
静寂を引き裂いて、プルタブが開く音が響く。 甘ったるい香料の匂いが、鼻腔を暴力的に侵食する。
一口、啜る。 ドロリとした液体が、喉の粘膜に張り付きながら食道へ落ちていく。
甘い。 そして、しょっぱい。
脳裏にフラッシュバックする。 今朝、私が作った玉子焼き。あれもコーン入りだった。 コーン。 黄色い粒。 今日一日、私はこの安っぽい穀物に呪われている。
「……また、コーンか」
誰に聞かせるでもない独白は、白い呼気となって闇に溶けた。
遠くで、野良猫が鳴いた。 ギャア、ギャア。 発情期特有の、赤子の泣き声に似た不快な周波数。
ふと、顔を上げる。
視界の奥。 漆黒の闇に沈んだ校庭の方角。
光が見えた。
弱々しい、蛍のような光点。 自転車のライトだ。 ダイナモが回転する、ウィーンという微かな駆動音が、風に乗って鼓膜を撫でる。
あっちだ。 根拠はない。 だが、胃の腑に落ちたコーンスープの熱が、羅針盤のように私の身体を内側から突き動かす。
私は立ち上がった。 膝の関節が、パキリと乾いた音を立てた。
行かなければならない。 この手に残る鉄の臭いと、甘ったるいスープの味だけを頼りに。




