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――第 12 幕 無限のショッピングモールと時間泥棒――

 自動ドアが開く。 ウィーン、という間の抜けた電子音と共に、暴力的な暖気が顔面に吹き付けた。

 ショッピングモール「フジグラン」。 巨大な直方体の内部は、制御された室温と、過剰な光量で満たされている。

 眩しい。 頭上の蛍光灯の列が、白いレーザーとなって網膜(もうまく)を焼く。 鼻の奥を、甘ったるい芳香剤と、焦げたポップコーンの臭いが刺激する。

「付き合いなさいよ」

 アンナの声。 彼女は私の腕を離したが、その拘束力は消えていない。 彼女の背中から発せられる「拒絶不可能な引力」が、私を磁石のように引き寄せている。

 歩き出す。 コツ、コツ、コツ。 彼女のヒールが、鏡のように磨かれたリノリウムの床を叩く。 その硬質なリズムに合わせて、私のスニーカーがキュッ、キュッ、と情けない摩擦音を立てて追従する。

 1階。婦人服売り場。 2階。雑貨売り場。 3階。また婦人服売り場。

 おかしい。 エスカレーターに乗ったはずだ。上昇したという平衡感覚の記憶はある。 だが、目の前を流れるテナントの景色が、さっき見たものと全く同じ配置でリピートされている。

 既視感。 あるいは、空間のバグ。

「ねえ、どっちがいいと思う?」

 彼女が二枚のニットを体に合わせて振り返る。 赤と、青。 どちらも同じに見える。 私の色覚機能が低下しているのか、それともこの商品自体に差異データが存在しないのか。

「……どっちでも、いいです」 「はあ? 真面目に見てよ」

 彼女の声が、耳の奥で高周波ノイズとなって反響する。 鼓膜(こまく)が物理的に痛い。

 思考が泥のように重い。 早く行かなければならない。カラオケへ。彼女の元へ。 焦燥感が胃の腑で炭酸ガスのように膨れ上がり、食道を圧迫する。

 だが、出口が見つからない。 通路の先は、白い光のハレーションでぼやけている。 この建物には、入口はあっても出口という概念が設計されていないのではないか。

 店内BGM。 安っぽいシンセサイザーでアレンジされたJ-POPが、壊れたレコードのように同じフレーズを繰り返している。 タララ、ラララ。タララ、ラララ。

 時間の感覚が溶ける。 私は腕時計を見た。

 ヒュッ。

 喉の奥で、空気が凍りついた。

 短針の位置。 私の認識では、ここに来てから三十分も経っていないはずだ。 だが、時計の針は、残酷なほどの角度を開いて停止している。

 午後、三時。

 四時間。 四時間もの時間が、ごっそりと消失(ロスト)している。

 キング・クリムゾン。 あるいは、アンナという重力源の近くで発生した「ウラシマ効果」。

「……休憩しましょ」

 抵抗する間もなく、喫茶店の椅子に座らされる。 目の前に置かれたアイスコーヒーのグラス。 表面にびっしりとついた水滴が、重力に従ってツーと垂れ落ち、テーブルに小さな水溜まりを作っている。

「アンタさ」

 アンナがストローを噛む。 プラスチックが潰れるペキッという音が、私の神経を逆撫でする。

「後輩から聞いたわよ。今日、何があるか」

 心臓が肋骨を叩く。 彼女の瞳。 そのレンズの奥には、私の全てを見透かすような冷徹な光が宿っている。

「あの子に会いたいんでしょ?」

 図星。 言葉が出ない。喉の粘膜(ねんまく)が張り付いて、呼吸ができない。

「無駄よ」

 彼女は断言する。 氷がカラン、と音を立てて崩れた。

「アンタみたいなのが関わると、あの子が壊れるの。……自覚ある?」

 正論だ。 彼女の言葉は、鋭利なガラス片となって私の自尊心に突き刺さる。 反論できない。 私が抱えているのは「愛」などという綺麗なものではなく、ただの「執着」という汚れたエゴなのだから。

 視界が歪む。 向かいの席のアンナの顔が、湯気か陽炎のように揺らぎ、輪郭がボケていく。

 頭が痛い。 こめかみの血管が、ドクドクと警報を鳴らしている。

 ここは牢獄だ。 光と匂いと音で構成された、見えない壁の牢獄。

 私はテーブルの下で、親指の爪の付け根を強く押し込んだ。 痛みだけが、この浮遊する現実の中で唯一のアンカーだ。

 帰りたい。 だが、出口はまだ、光の向こう側に隠蔽されている。

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