第4章 4話 最後のチャンス
ダンジョンの入口は、遠目にはただの洞穴のように見えた。
だが、近づくにつれて、空気が変わる。
ひんやりとした冷気が肌を撫で、奥からは微かな魔力の流れを感じ取れる。
その冷たさは、ただの温度ではなく――
長く閉じられた“内部の気配”が外へ漏れ出しているような、妙な感触だった。
「……ここが、ダンジョン」
レンが息を潜めるように呟いた、その時だった。
「ミリ」
入口の脇から、低い声がかかる。
現れたのは、軽装の男。
腰に短剣、背に古びたロープと道具袋。
服のあちこちに、岩粉と血の跡がこびりついている。
いかにも“ダンジョン慣れ”した風体のシェルパだった。
「……ビルトを探しに行くのか?」
ミリは一瞬だけ視線を伏せ、すぐに頷いた。
「うん。そう」
男は短く息を吐く。
「おれたちは今帰ったところだ」
「とりあえず、八層まではくまなく探した」
「いるとすれば……九層より下だ」
「……ありがとう」
「本来の契約は、六層までの案内だったはずだ」
「二日で戻る予定が、もう五日目だぞ」
男は唇を噛む。
「依頼人も戻ってきてないらしい」
「トラブルに巻き込まれた可能性が高い」
視線が、ダンジョンの闇へと向く。
その奥は、光を拒むように暗く、どこまでも続いているように見えた。
「……慎重なやつだ」
「不測の事態に備えてるとは思うが……」
一拍、間を置いて、低く続けた。
「……正直、もう限界に近い」
「これが、最後のチャンスかもしれん」
ミリは、ほんの一瞬だけ目を閉じてから、笑った。
「情報ありがと」
「……無事に見つかるといいな」
男は答えず、無言で手を上げる。
それが、せめてもの祈りのように見えた。
ミリは、一行の方へ振り返る。
「……行こ」
ダンジョンの中は、洞窟に似ていた。
だが、岩肌には不自然なほど整った部分があり、
ところどころ、誰かの手が加えたような通路が続いている。
反響は、ひとつ遅れて返ってくる。
まるで、誰かが一拍遅れでついてくるみたいに。。
「……久しぶりだな」
シャルルが低く呟く。
湿った空気の奥から、かすかな風音が吹き抜ける。
それは、誰かの吐息にも似ていた。
(……誰か、通った跡がある)
レンは、壁際の擦れた跡に気づいた。
だが、血痕はなく、争った形跡もない。
“何も起きていない”のに、“何かがあった気配”だけが残っている。
歩きながら、シャルルがちらりとミリを見る。
「なあ」
「……行方不明のシェルパって」
シャルルが、前を向いたまま、ぽつりと切り出す。
「どんなやつなんだ」
ミリは、少しだけ歩調を緩めてから、口元を歪めた。
「どういうこと?」
「いや……」
「ミリが、やけに必死になって探してるからさ」
ミリは、意味ありげに口元を歪める。
「あら。気になるの?」
「茶化すなよ」
「残念だけど――恋人じゃないよ」
「……兄なの」
「兄……か」
「安心した?」
「……いや、別に」
即答だった。
ミリはくすっと笑う。
「で?」
「シャルルは、どのグリモアが欲しいの?」
一瞬、シャルルは言葉に詰まる。
「……」
歩きながら、少しだけ間が空く。
「……《鋼化》だよ」
「へぇ」
「なんで?」
その瞬間、シャルルは目を前に向ける。
「……おしゃべりは終わりだ」
「来るぞ」
次の瞬間――
岩壁が、ぎしりと動いた。
石に紛れるような影が、ずるりと這い出てくる。
岩を喰らう、トカゲ型の魔物。
「ロックイーターだ」
グレンが一歩前へ出る。
シャルルとグレンが、ほぼ同時に踏み込んだ。
鈍い音。
硬い鱗が砕け、魔物はその場に崩れ落ちる。
「……すごーい」
ミリが素直に声を上げる。
「調子狂うな」
シャルルがぼやいた、その時だった。
背後――
岩陰から、蛇のような魔物が飛びかかる。
だが。
風を切る音。
ミリの投げたナイフが、ぴたりと眉間に突き刺さった。
「ね?」
「大丈夫でしょ?」
シャルルは、頭を掻く。
「……確かに」
「で?」
ミリはにやりと笑う。
「なんで《鋼化》が欲しいの?」
ルゥも、興味津々で身を乗り出す。
「私も気になります!」
「……大した理由じゃねえよ」
「教えてくれないってこと?」
「話す必要がねぇ」
「報酬は“選ばせてあげる”とは言ってないけど?」
「おい、性格悪いぞ」
一拍。
「……アーツだよ」
「アーツ?」
いつの間にか話に参加していたレンが聞き返す。
「じじいが使ってるアーツ」
「それを覚える条件に、《鋼化》が必要なんだ」
ジキルが、少しだけ目を細めて笑う。
ハルが、へぇ、と声を漏らす。
「おじい様と同じ技を使いたいってことね」
ミリが、くすっと笑う。
「かわいいとこ、あるじゃない」
「うるせえ」
ルゥが、ぽつり。
「……シャルルさん、ジキルさんのこと」
「大好きですもんね」
「……殺すぞ」
ルゥはレンの後ろに隠れた。
レンがわざとらしく、ルゥを庇う姿勢を取る。
シャルルの耳は、わずかに赤くなっていた。
水音がして、通路の先が分岐する。
ミリが地図を確かめ、ジキルが顎で方向を示した。
「で、アーツって何なの?」
レンが聞く。
「固有技のことじゃよ」
「スキルとは違うってことですか?」
「そうじゃ」
「スキルを組み合わせて、一つの技として登録しておく」
「登録?」
「自分の聖核に書き込んでもらうんじゃよ」
「へぇー」
「おぬしは見たことなかったかの」
「はい、たぶん」
「わしは三つ登録しておる」
「他のものたちは……」
「一応、私も使えます」
グレンが控えめに言う。
「そうなのか?」
シャルルが驚いた口調で言った。
「ええ、オークの貴族は、継承していくアーツがありまして」
「ああ、そうじゃったの」
「今“使える”のは一つだけです」
「へー」
レンは感心したように言う。
「シャルルはそれで、ジキルさんと同じものをってことね」
「もう、いいだろ」
シャルルは視線を逸らす。
「シャルがわしのスキルを、か」
そう言ってジキルはシャルルの頭に手を優しく乗せる。
「撫でんじゃねぇよ!」
暗い穴の中に、穏やかな空気が一瞬だけ流れた。
ダンジョンの奥。
まだ見ぬ九層の闇へ向けて、一行は歩みを進める。
行方不明のシェルパ――ビルトは、生きているのか。
そして、このダンジョンは、何を飲み込んで待っているのか。
闇は、静かに口を開けていた。




