第4章 3話 報酬のグリモア
酒場の個室。
空になったジョッキがいくつか並び、空気は少しだけ緩んでいた。
「……で、そのダンジョンなんだけどね」
ミリが、机の上に肘をつき、指を組む。
「報酬、正直に言うと――今は、あんまり現金を用意できないんだ」
その言葉に、誰も咎める様子はない。
レンが小さく頷いた。
「それで……?」
「代わりに、私が持ってるグリモアを一つ渡す。どう?」
ジキルの片眉が、わずかに上がる。
「……ほう」
レンは、興味を隠さず身を乗り出した。
「どんなのがあるんですか?」
ミリは指を折りながら、淡々と答える。
「《岩の防壁》」
「《氷槍》」
「《鋼化》」
「……あとは、まあ《石礫》くらいかな」
――その瞬間だった。
椅子が、音を立てて引かれる。
「っ……!」
シャルルが、勢いよく立ち上がっていた。
あまりに唐突で、全員の視線が一斉に集まる。
「……こんなところで……!」
普段の軽口とは違う、落ち着かない様子だった。
ジキルは、シャルルをじっと見つめる。
「……シャル」
呼ばれた本人は、ほんの一瞬だけ逡巡してから、ゆっくりと息を吐いた。
「……じじい。みんな」
居住まいを正し、低い声で続ける。
「すまん」
「……どうしても、欲しいグリモアがある」
一拍。
「だから」
「……この依頼、俺ひとりで行かせてくれないか」
言い終えてから、視線を逸らす。
「おれが個人で欲しいものだ……」
「どうしても手に入れたい」
空気が、わずかに張る。
最初に口を開いたのは、レンだった。
「みんなで行こう」
はっきりした声音。
「は?」
シャルルが理解できていない顔をする。
ハルも、即座に頷く。
「そうよ」
「グリモアは、シャルルにあげればいいだけでしょ?」
シャルルが、目を見開く。
グレンも、静かに続けた。
「……シャルル殿には、いつも世話になっています」
「それくらい、当然かと」
ルゥも、こくりと頷く。
「……シャルルさん、行くときは一緒です」
セリルも、小さく笑って言った。
「私も、そう思います」
シャルルは、言葉を失ったまま、しばらく皆を見回す。
「……お前ら」
ジキルが、喉を鳴らして笑った。
「決まりじゃな」
その一言で、場の空気がほどける。
「……というわけで、ミリ」
「詳しい話を聞かせてくれんかの」
ミリは、一瞬だけ目を丸くしたあと、
どこか安心したように笑った。
「……うん」
「ありがと」
机の上に、簡単な地図を広げる。
「場所は、フェレルから北へ半日ほど」
「中規模クラスのダンジョン」
「……で、問題なのは」
ミリは、指で入口の印を叩いた。
「そこに入った、知り合いのシェルパが――」
「二日、戻ってきてない」
室内の空気が、再び引き締まる。
「探索系の人でね」
「腕は良い」
「……この辺じゃトップクラスの実力」
「……それでも、帰ってこない」
レンが、ゆっくりと息を吸った。
「……つまり」
「うん」
「救出か、最悪――」
ミリは、言葉を濁した。
「中の状況だけでも、知りたい」
シャルルは、拳を軽く握る。
シャルルがぼそっと呟いた言葉は
誰にも聞かれなかったことにされた。
ジキルだけが、その横顔を一瞬だけ見て――
何も言わず、視線を外した。
*
酒場を出ると、フェレルの通りは昼下がりのざわめきに包まれていた。
人の流れは途切れず、遠くでは鍛冶屋の金槌の音が響いている。
「じゃ、話はまとまったね」
ミリはそう言って、軽く手を叩いた。
「私も、ちょっと準備してくる」
「あなたたちも、装備の確認しておきなよ」
そう言い残し、踵を返そうとする。
その背に、レンが声をかけた。
「……ミリさん?」
「なに?」
「私も、って……」
「まさか、一緒に来るつもりじゃ……」
ミリは、きょとんとした顔で振り返る。
「もちろん」
「一緒に行くわよ」
一瞬、沈黙が落ちた。
次の瞬間、シャルルが深く溜め息をつく。
「……おいおい」
「危険だぞ」
「だから、あなたたちに頼んだんでしょ?」
ミリは、当然のことのように言う。
「いや、そうだけどよ」
シャルルは頭をかく。
「正直、俺たちだけで行っても――」
「ほら、報酬も安いし」
ミリが、ぴたりと被せる。
シャルルが、言葉に詰まる。
「……頼んでおいて」
「自分は後ろで待ってる、ってのも」
「正直、性に合わないんだよね」
ミリは、そう言って肩をすくめた。
「いやでもな」
シャルルは食い下がる。
「ダンジョンは遊びじゃねえ」
ミリは、じっとシャルルを見上げる。
「……もしかして」
「私の見た目が幼いから、子ども扱いしてる?」
「そんなことは――」
言いかけて、シャルルは言葉を切った。
「……ない」
「ふーん」
ミリは、どこか試すような目で続ける。
「これでも、大人よ」
「自分の身くらいは、守れる」
その言葉に、シャルルはわずかに視線を逸らした。
ジキルが、ふっと笑いながら言う。
「……まぁ、口だけではなさそうじゃな」
「わしの見立てでは、少なくとも」
「そこらの駆け出し冒険者よりは、よほど腕がある」
ミリは、にっと笑った。
「でしょ?」
グレンが、静かに口を開く。
「……危険なのは、事実です」
「それでも、同行を望まれるのであれば」
「私たちは、守ります」
セリルも、小さく頷いた。
「一緒に行った方が……」
「状況を判断しやすいと思います」
レンは、ミリをまっすぐ見て言う。
「無理はしないでください」
「危ないときは、ちゃんと下がる約束で」
「はいはい」
ミリは、軽く手を振った。
「善処するわ」
シャルルは、最後まで渋い顔をしていたが――
やがて、諦めたように息を吐いた。
「……わかったよ」
「ただし」
「無茶したら、即引きずって帰るからな」
「ふふ、優しいわね」
ミリは、シャルルに向かって笑顔で返した。
*
準備を整え、
一行は街門へと向かう。
フェレルの賑わいを背に、
次第に人の姿はまばらになり、
街道は森の影へと飲み込まれていく。
遠くに、低い丘の連なり。
しばらくすると、急に人だかりが見えた。
露店商や、装備を整えた冒険者。
一種のバザーのようにも見える。
「結構、人が多いんですね」
レンが言う。
「入り口付近は、弱い敵が湧きやすい」
「駆け出しには格好の修行場じゃ」
「まあ、ダンジョンが“そうしてる“らしいけどな」
シャルルがそう言った。
人だかりを抜けてすぐに、
ぽっかりと口を開けた影があった。
「あれが……」
レンが、思わず息を呑む。
「そう、ダンジョンの入口だよ」
ミリが、低く言う。
ただの洞穴のようにしか見えない。
だが、その奥から流れ出る冷たい空気は、
明らかに“普通の穴”ではなかった。
「これが、生き物……?」
レンが、目を丸くする。
シャルルは、剣の柄に手をかける。
「……さて」
「遊びじゃねえぞ」
ジキルが、低く頷いた。
「気を抜くな」
「中に入ったら――」
「もう、外と同じ理屈では動けん」
グレンは、一歩前に出る。
「……行きましょう」
闇を抱えた入口へ、
一行は、静かに足を運んだ。




