第3章 26話 ――守れたもの
グレンは、剣を支えに――
ゆっくりと、立ち上がった。
血が、鎧の内側を伝う。
視界が、じわりと滲む。
それでも、
目は、オウルから逸らさない。
一歩。
また一歩。
重い足取りで、間合いを詰める。
オウルは、その動きを見て、
わずかに眉をひそめた。
「……まだ、来るか」
距離が、縮まる。
刃の届く間合い。
その瞬間――
グレンが、喉の奥から叫びを絞り出した。
「――グォォォォォッ!!」
地下空洞が、震える。
獣の咆哮。
空気を裂く、圧のある声。
オウルの瞳が、見開かれた。
「……ビーストハウル――」
「まだ、使えたのかっ……!」
一瞬。
ほんの、一瞬だけ。
オウルの身体が、反射で硬直する。
“あの技が来る”という思い込み。
――だが。
グレンは、使っていない。
咆哮は、ただの“声”だ。
次の瞬間。
剣が、唸りを上げた。
不意打ち。
獣の叫びに意識を奪われた、刹那の一撃。
「――っ!!」
オウルの肩口が裂け、
鮮血が、闇に散る。
「……騙された、か」
低く吐き捨てる声。
だが、その口元には、歪んだ笑みが浮かんでいた。
グレンは、静かに返す。
「……化け物らしいだろう」
その言葉に、
オウルは、喉の奥で笑った。
「はは……」
「確かに」
「もう、万策尽きたようですね」
「――《暗幕》」
次の瞬間――
オウルの足元から、影が広がった。
闇が、膜のように膨れ上がる。
光を呑み込み、
空間そのものを覆い隠す。
「終わらせましょう」
視界が、奪われる。
上下も、距離も、輪郭も、消える。
ただ、濃い闇だけが、世界を塗り潰した。
同時に――
オウルは、目を閉じた。
闇の中で、
音だけが、世界のすべてになる。
「……《盗み聞き》」
鎧の擦れる音。
呼吸の乱れ。
床を踏む、わずかな振動。
それらが、
くっきりと、オウルの意識に浮かび上がる。
次の瞬間。
刃が、闇を裂いた。
「――っ!!」
肩。
脇腹。
腿。
見えない方向から、
一方的に、攻撃が降り注ぐ。
グレンは、防ぐことしかできない。
受ける。
耐える。
弾く。
鎧が、悲鳴を上げる。
内側で、肉が軋む。
だが――
倒れない。
何度、斬られても。
何度、蹴り飛ばされても。
グレンは、
膝をつきながらも、
剣を、手放さなかった。
やがて――
闇が、ゆっくりと晴れていく。
《暗幕》が、解けた。
視界が戻った瞬間、
オウルは、思わず声を漏らす。
「……なぜ、折れない」
血を流し、
満身創痍のまま立つ“化け物”。
グレンは、ゆっくりと顔を上げた。
「……化け物のことを」
「正義のヒーローと、呼んでくれる人がいる」
息は荒い。
「私のことを……」
「信じてくれる人たちがいる」
それでも、声は、折れていなかった。
「倒れる……わけが」
「ないだろう……!」
オウルは、鼻で笑う。
「ヒーローには、なれん」
「このまま、化け物として死ね」
だが――
グレンの目は、死んでいなかった。
闇の中でも、
何かを掴もうとする、獣の目。
オウルは、わずかに目を細める。
「……その顔」
「何か、奥の手がある顔だな」
再び、影が広がる。
「だが――」
「終わりだ」
「――《暗幕》」
世界が、再び、闇に沈もうとした、
その瞬間だった。
闇の中を裂いて、
熱が、一直線に走る。
「――《火球》!!」
爆ぜる炎。
闇を焼き裂く、橙の閃光。
「――っ!?」
オウルが、反射的に身を翻す。
焼け焦げた外套。
肩口から、煙が上がる。
オウルは、振り返った。
闇の縁。
階段の奥。
そこに立っていたのは――
息を切らし、
それでも、杖を構える少女。
「……遅くなりました」
セリルだった。
炎の残光の中で、
グレンと、視線が合う。
「わざわざ、戻られるとは」
「殺しはしませんが」
「――《暗幕》」
周りが闇に沈む。
「とりあえず、眠っておきなさい」
オウルはまっすぐにセリルに向かう。
だが、
セリルには当たらない。
「闇が私に効くわけがないでしょう」
闇の中で梟が鳴く。
「……どこまで、見えている……!」
「――ただ、あちらの化け物には――」
「アレさえ倒したら……!」
オウルはグレンの方に振り返る。
「……もう一つ忘れていませんか」
セリルの手に黒い球。
“スキルを奪う闇”が、オウルに触れる。
「しまっ……!!」
闇が晴れる。
光が戻るのと同時に、グレンはもう詰めていた。
「スキル」
「《起死回生》――」
「待っ――」
オウルの顔が歪む。
「終わりだ。オウル――」




