第3章 18話 穏やかな昼の光の下で
昼の光が、孤児院の庭をやわらかく照らしていた。
子どもたちは、何も知らない顔で走り回っている。
昨日と同じ、平和な風景。
――だが、その門の前に立つ男たちは、昨日と同じ顔ではなかった。
重たい門が開く。
身なりの整った外套。
穏やかな笑み。
箱に詰められた支援物資。
「お約束どおり、参りました」
中央の男が、丁寧に頭を下げる。
「“善意の支援”を、改めてお届けに」
シスターが一歩前に出ようとした、その前に――
グレンが、静かに一歩、前へ出た。
鎧の重みを感じさせない動き。
だが、そこに込められた意思は、明確だった。
「この孤児院は――」
低く、よく通る声。
「施しと引き換えに、人を売る場所ではありません」
庭の空気が、ぴんと張りつめる。
子どもたちの笑い声が、ほんの少し遠のいた気がした。
男の笑みが、わずかに止まる。
「……ずいぶん、きつい言い方をなさる」
穏やかな声色のまま、男は言った。
「我々は“取引”などしていませんよ」
「困っている場所に、手を差し伸べているだけです」
グレンは、視線を逸らさない。
「施しに“条件”がついた時点で」
「それはもう、善意ではありません」
「取引です」
一瞬の沈黙。
庭の端で、ユーノが転んで泣きそうになり、
別の子が慌てて手を引いて立たせる。
あまりにも、日常的な光景。
その横で、
“取引の話”が進んでいることが、ひどく歪だった。
男は、ゆっくりと息を吐いた。
笑みは崩さない。
だが、その目から“柔らかさ”が、ほんのわずかに抜け落ちる。
後ろの男たちの視線が、
セリルへと集まる。
値踏みするような、いやらしい目線。
「我々は、誰も傷つけるつもりはありません」
男は、なおも“善意の顔”を崩さずに続ける。
「あなたの“力”を」
「街のために、役立てたいだけです」
セリルの指が、無意識に布を掴む。
呪われた目を覆う布が、きゅっと歪む。
視線が、
庭で遊ぶ子どもたちへ、
一瞬だけ、滑る。
――脅しは、言葉にされない。
だが、十分すぎるほど、伝わった。
*
フェレル街はずれ。
高い塀に囲まれた、あの建物の中。
シャルルは、屋根の縁に伏せていた。
夜色の外套に溶け込み、
気配は、ほとんど“存在しない”に等しい。
その背後を、
水の精霊ティーユが、音もなく漂っている。
淡い水膜が、シャルルの輪郭を包み、
影と同化させていた。
『……すごく嫌な感じがする』
ティーユの声が、シャルルの耳元だけに届く。
「だろうな」
シャルルは、息だけで返す。
「証拠を探そう」
瓦の隙間から、
中庭を見下ろす。
見張りの配置。
巡回の間隔。
交代の癖。
(……昨日より減ってる)
(孤児院に人を割いたな)
今が、隙だった。
シャルルは、音もなく屋根を滑り、
回廊の影へ落ちる。
足音は、しない。
息遣いすら、溶ける。
裏口の扉。
鍵は、かかっているが――
古い型だ。
細い針金が、指の間で一瞬、踊る。
かちり、と小さな音。
扉が、わずかに開いた。
内部は、
“商会の屋敷”を装った内装だった。
廊下の奥の部屋には、
箱、帳簿、封蝋された袋。
シャルルは、手早く帳簿を開く。
物資の流れ。
金の動き。
特に怪しいところはない。
(はずれか?)
『あそこ……』
ティーユが指を差す。
シャルルはその方向を見るも、変わったところがない。
「あそこに何がある?」
『多分スキルが使われてる』
「なんだって?」
『多分、認識阻害のスキル』
「解けるか?」
『難しい』
『シリィちゃんならできるかも』
「……シリィ頼めるか?」
シャルルが何もない場所に向かって言う。
すると、《盗み聞き》のスキルで会話を聞いていたシリィが、ポンと姿を現す。
『仕方ないわね』
『はい、交代』
そういうと、ティーユが姿を消した。
『あぁ、あそこね』
『良く気付いたわね、あの子』
シリィはそう言うと、集中し始めた。
『……一時的に、解いただけよ』
『5分だけね』
『それ以上になると、元にもどせなくなっちゃうから』
「分かった」
奥の壁。
何もないと思っていた場所が、
しばらくすると、不自然な窪みを認知できるようになった。
隠し扉。
中から出てきたのは――
孤児院の名前が書かれた、複数の書付。
その横には、
変わった紋様の印。
蛇のような生き物が、魔石に絡まっている。
「……これはシャガルの紋章か?」
シャルルは、証拠になりうる書類を抜き取り、
印章を、布に写し取る。
(これ以上はなさそうだな)
その時だった。
廊下の向こうで、足音。
(……来た)
シャルルは、息を殺し、
影の中へ溶ける。
男が二人、通り過ぎる。
「……今日で、あの女が落ちればいいが」
「無理なら?」
「“保護”を強めるだけだろ」
「孤児院ごと、な」
言葉は、軽い。
だが、意味は重かった。
シャルルは、歯を噛みしめながら、
再び屋根へと戻った。
*
一方、孤児院の裏手。
レンとハルは、塀の外側で待機していた。
子どもたちの気配から、少し距離を取った位置。
「……来る」
レンが、低く言う。
影が、三つ。
裏道から、
建物の様子を探るように現れた。
昨日の男たちとは違う。
外套の下に、軽装。
視線の動きが、明らかに“仕事慣れ”している。
(……別動隊だ)
ハルは、すっと前に出る。
だが、武器は抜かない。
「ここ、立ち入り禁止ですよ」
穏やかな声。
だが、退く気はない。
男の一人が、口の端を歪める。
「……通り道だろ?」
「通り道なら、別の道がある」
レンが、一歩前に出る。
空気が、ぴんと張る。
男の一人が、わざとらしく肩をすくめた。
「……ちょっと様子を見に来ただけだ」
「様子?」
ハルの声が、冷える。
「孤児院の?」
男たちは、答えない。
だが――
“答えない”ことが、答えだった。
レンは、剣の柄に手をかける。
抜かない。
だが、抜ける距離。
「……子どもに、手ぇ出すなよ」
低い声。
脅しではない。
“警告”だった。
一瞬の睨み合い。
男の一人が、舌打ちする。
「……今日は、いい」
「まだ、動くなと言われてるしな」
そう言い残し、
影は、裏道へ消えた。
ハルは、ゆっくりと息を吐く。
「……牽制だね」
「うん」
レンは、視線を戻さない。
「様子見だ」
「向こうも、まだ決めきれてない」
だが――
決める時は、近い。
*
屋根の上。
シャルルは、すでに戻り道に入っていた。
証拠は、懐にある。
印影も、帳簿の写しも。
(……あとは、ジキルに繋げるだけだ)
シリィが、そっと囁く。
『……先に戻るわよ』
「すぐ追い付く」
シャルルは、小さく笑った。
孤児院の庭。
穏やかな昼の光の下で――
それぞれの“刃”が、
まだ見えない場所で、静かに振り上げられていた。




