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世界樹の下でまた会おう  作者: 文鳥
第三章 化け物とヒーロー
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第3章 17話 静かな夜に牙を研ぐ

 夜が、静かに街を包んでいた。

 孤児院の灯りは、いつもより早く落とされている。

 子どもたちは既に眠り、

 庭には、人の気配がない。


 だが――

 “静かなだけ”で、安心できる夜ではなかった。


 レンとハルは、建物の影に身を潜めていた。

 壁際の物陰。

 外から見れば、ただの暗がりだ。

 レンは、剣の柄に手を置いたまま、視線を巡らせる。


「……静かすぎるな」

「うん」


 ハルは小さく頷いた。


「何も起きてない夜ほど、怖い」


 孤児院の窓の一つに、淡い明かりが残っている。

 そこには、シスターとセリルがいる。

 セリルは、窓辺に立ち、

 呪われた目の布に指を添えていた。


(……明日か)


 分かっている。

 だが、“分かっているから平気”にはならない。


 グレンは、建物の裏手から庭へと回り、

 静かに見回りを続けていた。


 そのとき――

 物陰から、ひょこっと顔を出す影があった。


「あ……」


 ユーノだった。

 その後ろに、年の近い子どもが二人。


「……よるのおさんぽ?」


 眠そうな目をこすりながら、

 兜の男を見上げる。


「あ、よろいのおじちゃんだ」

 別の子が、小さく声を上げる。


 グレンは、すぐに膝をついた。

 できるだけ、目線を低くする。


「……また、会いましたね」


 ゆっくりと、ユーノの頭に手を置く。

 大きな手。

 だが、触れ方は、ひどく優しい。


「夜は、冷えます」

「風邪をひきますよ?」


「さむいよ」

 別の子が、小さくくしゃみをする。


「……中へ戻りなさい」

「シスターが、心配します」


「うん……」

 ユーノは、少し名残惜しそうにしながらも、

 振り返って言った。


「……またね」


「はい」


「……おやすみなさい」


 ユーノは、そう言って、

 もう一度だけグレンを見上げる。


 グレンは、

 その小さな背中が建物に消えるまで、

 黙って見送った。


 兜の奥で、

 ほんのわずかに息を吐く。


(……必ず、守る)


 それは誓いだった。

 誰に向けたものでもない、


 自分自身への誓いだった。

 

  シャルルとルゥ、シリィはフェレルに辿り着いた。

 夜の街は、別の顔を持つ。

 人の流れが途切れ、

 灯りが減り、

 影だけが濃くなる。


 シャルルは、建物の高い塀の上にいた。

 夜色の外套に身を包み、

 完全に“輪郭”を消している。


「聞こえてるか?」

 シャルルの言葉に、少し離れた場所にいるルゥは手を挙げて反応する。

 

 ルゥの《盗み聞き》が繋がっていた。


「上出来だ」

 シャルルは小さく息を吐く。


 塀の向こう側。

 庭には、昼間と同じように見張りが立っている。


 だが――

 配置が、増えている。



(……やっぱりな)


 男たちは、昼よりも緊張した様子で巡回している。

 武器の位置。

 目線の動き。

 隠し通路らしき場所。


(ここは“商会の屋敷”じゃねぇ)


 シャルルは、影を縫うように塀を越えた。

 足音は、ない。

 存在感も、ない。

 中庭の回廊を抜け、

 建物の裏口へ。


 扉の隙間から、声が漏れていた。

「……例の“目”の女は、明日でいい」

「抵抗するなら?」

「……」


 シャルルは、ゆっくりと息を整えた。


 ギルドの灯りは、まだ消えていなかった。

 遅い時間だが、

 緊急対応の窓口だけは開いている。


 ジキルは、カウンターに肘をつき、

 リディを見下ろしていた。


「……相談じゃ」

「裏の話になる」


 リディは、一瞬だけ周囲を見回し、

 声を落とす。


「また厄介ごと?」


「まぁ、そうじゃな」

 ジキルは、低く笑った。


「フェレルの街はずれの建物」

「最近、妙に人の出入りが増えている」


「シャガルの可能性が高い」


 リディの目が、鋭くなる。


「……証拠があれば、動ける」

「でも、“噂”だけじゃ、踏み込めない」


「分かっておる」

 ジキルは頷いた。


「明日、動く」

「……明日?」


「“善意の訪問”があるらしい」

 ジキルは、口の端を歪める。


「……胸糞の悪い話じゃ」


 リディは、短く息を吐いた。

「証拠が出たら――」

「すぐに部隊を出す」


「それでいい?」


「当然じゃ」

 ジキルの目は、笑っていなかった。


「分かった」

「人を集めておくわ」


「頼む」


「……またお金がかかるわね」


 シャルルは、塀の影から一度だけ身を引いていた。


 そのまま、来た道を戻り、

 待機していたルゥの前に立つ。


 いつもの軽口を叩く余裕はなかった。


「……明日の昼、中まで潜る」


「今は、人が多いが」

「孤児院に行く連中が減る分」

「手薄にはなるだろう」



 ルゥは、ごくりと喉を鳴らす。

「……大丈夫?」


「ああ」

 シャルルは、壁の向こうを一度だけ振り返る。


 ルゥは、少しだけ迷ってから、胸元に手を当てた。


「……ティーユ、呼ぶね」

 小さく息を吸い、

 精霊召喚の詠唱が、囁き声で紡がれる。

 空気が、わずかに湿る。

 水の気配が、淡く集まり――

 透き通るような精霊の姿が、現れた。


『……呼んだ?』

 ティーユは、眠そうに瞬きをする。


「シャルルさんを……」

「手伝ってほしくて」


 ルゥの声は、少し震えていた。


 シャルルは、眉をひそめる。

「……二体同時か」

「お前、無理してねぇか?」


 ルゥは、ぎゅっと拳を握る。

「……大丈夫」

「ちゃんと、頑張れるよ」


 ティーユが、ふわりとシャルルの肩の後ろへ回る。

『姿を消すくらいなら……できるよ』


『水の精霊は姿を消すのが得意なのよ』

 なぜか、シリィが胸を張る。


『私の気配遮断と合わせたら』

『怖いもんなしね』


「さすがだな」

 シャルルは、軽く笑って答えた。


「とりあえず、待つか」

 ルゥは、シャルルを見上げる。


「……絶対、戻ってきてね」


「当たり前だろ」


 夜が明け、

 孤児院に朝のざわめきが戻った。

 子どもたちは、何も知らない顔で走り回り、

 昨日と同じように、笑って、転んで、叱られている。


 その光景は――

 あまりにも、平和だった。


 だが、

 レンの胸の奥では、

 昨日の男の声が、まだ消えていなかった。


(……“明日、また来る”)


 庭の端。

 建物の影。

 通りへ続く門の近く。

 誰に見せるでもない、

 “配置”が、すでに出来上がっていた。


 グレンは、いつものように兜を被り、

 門の内側で静かに立っている。


 セリルは、シスターのそばで、

 子どもたちの相手をしていた。


 太陽が、空の高い位置へ昇る。


 時間が、

 “約束の刻”へと、静かに近づいていく。

 誰も声には出さない。


 だが――

 全員が、同じことを思っていた。


 今日、動く。

 もう一度、

 “善意の顔”で来るなら――


 その裏側を、引きずり出す。


 穏やかな昼の光の下で、

 見えない戦いの、

 幕が上がろうとしていた。

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