第3章 4話 生き延びるための線引き
セルトゥールの門をくぐる頃には、光が街路の石畳をまっすぐ照らしていた。
屋台からは焼きパンの甘い匂いが流れ、荷車の車輪が乾いた音を立てていく。
――荷物がない。
それだけで、歩幅がほんの少し大きくなる。
背中に食い込んでいたはずの重さが消え、呼吸が浅くならない。
「便利すぎて怖いな」
シャルルが肩を回しながら言った。
「慣れた頃に、やらかしそうだ」
「慎重に使いましょう」
グレンがいつも通りの調子で返す。
「道具は、使い方の問題です」
「正論すぎて腹立つ」
「誉め言葉ですか?」
「違う」
ルゥはそのやり取りを聞きながら、前を歩くレンの背中を見上げていた。
昨日よりも剣が落ち着いて見える。持ち手が合っているのだろう。
本人はまだ慣れない顔をしているのに、動きだけが少しずつ“冒険者”になっていく。
ジキルが声をかける。
「今日は、やることが多い」
ルゥはこくりと頷き、尻尾を軽く揺らした。
怖い、という顔はしない。
ただ、その足取りだけが、ほんの少しだけ硬かった。
冒険者ギルドの扉を押すと、ひんやりした空気と、人の声が押し寄せてきた。
掲示板の前では依頼書が指先でめくられ、酒場側では朝から杯の音がする。
それでも受付周りだけは妙に整っていて、木製の長いカウンターの向こうで職員たちが淡々と手続きを進めている。
「仕事の受注かい?」
受付にいた中年の女性が顔を下にむけたまま聞く。
ジキルが前に出る。
「新規登録と、依頼じゃな」
「ああ、ジキルじゃないか」
女性――リディが一行を見回し、すぐに理解したように頷いた。
「ほう、レンとハルかい」
「ちょっとは良い顔になったじゃないか」
「昇格依頼だったね」
「話は聞いてるよ」
「と、新規……って、今日の“新規”は誰だい?」
そこで、リディの視線がルゥに止まる。
ルゥは一瞬、背筋が伸びた。
そのまま一歩前へ出る――が、足が止まる。
ほんの一拍、呼吸が遅れる。
レンは横目でそれを見て、何も言わなかった。
代わりに、ハルが後ろからそっと背中を押すように立ち位置を整える。
ルゥは、もう一歩だけ進んだ。
「……ルゥです」
「冒険者登録を、お願いします」
「了解」
リディはあっさり頷き、机の上に紙を広げた。
「名前と種族、希望の役割」
「ルゥ」
「ケットシー」
「……支援、です」
「支援ね」
ペン先がすらすらと走る。
「じゃあ、簡易測定。手を貸しな」
カウンターの下から、賢者の石板が出された。
白い石の表面は滑らかで、触れれば冷たい。
「手を置いて、魔力を流す。少しでいい」
ルゥは手を置いた。
……一瞬、迷う。
それから、指先に力を入れて、ほんの少しだけ魔力を流した。
石板の表面に淡い光が走り、文字が浮かび上がる。
リディの目が、ほんの僅かだけ細くなった。
けれど、それは驚きというより、“確認”に近い。
「契約……芸術……」
ぽつりと呟き、文字をなぞる。
「なるほどね」
ルゥの肩が、わずかに上下する。
「問題ない」
ジキルが静かに言う。
「わかってるよ」
リディは鼻で笑った。
「この手の子を、あんたが連れてくる時点で“事情”はだいたい察する」
さらさらと書き込み、紙を整える。
「初期登録、Fランク」
「プレートはこれ。落とすなよ」
小さな金属のプレートが、カウンターを滑ってルゥの前に来た。
ルゥは両手で受け取って、しばらく見つめる。
特別な音はしない。
体が光ったりもしない。
それでも、ルゥはその場で少しだけ固まった。
何かが変わるのを待っているようにも見えた。
「一応規則だからね」
と、前置きをして、
リディは新人冒険者向けの説明をする。
「……終わり?」
小さな声。
「終わりだ」
リディは即答した。
ルゥは一度、きょろきょろと周囲を見回した。
何かが変わるのを、探しているようにも見えた。
だが、何も起きない。
ギルドの喧騒も、床の冷たさも、空気の匂いも、さっきまでと同じだ。
それでも――
ルゥは、ぎゅっと両手でプレートを握った。
小さな肩が、わずかに上下する。
逃げ出す様子はない。
足も、後ろに引かれていない。
レンは、その様子を横目で見て、何も言わなかった。
代わりに、ハルが柔らかく声をかける。
「おめでとう」
ルゥは、少し遅れて頷いた。
「……うん」
その返事は小さかったが、はっきりしていた。
「で」
リディがペンを置き、次の紙に手を伸ばす。
「……レンとハルは、昇格の相談だろ?」
レンが頷く。
「FからEへ」
「昇格条件は満たしていると言われました」
「ソロでEランク依頼を一件ずつ、ですよね」
「そうさね」
「依頼は――」
「これじゃ」
「こっちもな」
依頼書を見て、リディが片眉を上げる。
「……自分たちで選んできたのかい」
「当然じゃろ」
ジキルは穏やかに言う。
「実力も、性格も分からん依頼を、他人に選ばせる気はない」
「立派な保護者だな」
「こんなんは自分で選ばせんだよ」
リディは鼻で笑いながら、依頼書に目を通す。
どれもEランク。
数は少なく、条件は明確。
だが、油断すれば怪我では済まない――そんな内容だった。
「……妥当だね」
リディはそう言って、二枚にサインする。
「昇格依頼として、受理する」
「とりあえず、レンは一人でやってみな」
リディは言う。
「ハルは、そうさね」
リディは見回して一人一人の顔を確認する。
「ルゥと組ませる」
ジキルが口を挟んだ。
「嬢ちゃんは支援じゃないのかい」
「いや、精霊がおる」
「ほう」
「それじゃ、それでやってみな」
レンは、その様子を見ながら首を傾げた。
「……あの」
「一つ、聞いてもいいですか」
「なにさ」
「Eランクの昇格依頼って、ソロですよね」
「二人で受けるんですか?」
「そうだよ」
「支援だけで討伐は厳しいだろ」
レンは、依頼書を見つめたまま黙り込んだ。
「えっと……」
「ソロ依頼ってのは、責任者が一人の依頼だよ」
未だに釈然としない顔のレンに、リディが続ける。
「パーティでの受注は、依頼達成と失敗の結果をパーティで共有する」
「ソロは一人で背負う」
「それくらいの差だね」
言葉よりも先に、考えが胸の奥で形を作っていく。
「うーん」
「何というか」
言葉を選びながら続ける。
「極端な話、周りに全部任せても、依頼自体は達成できるんじゃないかって」
シャルルが一瞬、口角を上げた。
「いいとこ突くな」
リディは、ペンを置いてレンを見る。
「結論から言うよ」
「問題ない」
レンが目を瞬く。
「……え?」
「そもそもね」
リディは椅子にもたれ、指を組んだ。
「“一人で全部やれ”なんて依頼、ギルドは出してない」
「周りを頼るのも能力のうち」
「武器を作ってもらう」
「薬や道具を買う」
「ポーターを雇う」
「自分に足りない部分を、誰かに補ってもらうこと」
「冒険者に必要な能力さ」
レンは、ゆっくりと息を吸った。
「じゃあ……」
「ただし」
リディは、そこで言葉を切る。
「周りの力“だけ”で昇格すると」
「あとで一番困るのは、あんた自身だ」
静かな声だった。
「Eランクとして扱われる場所に放り込まれて」
「その実力がなかったら、どうなる?」
レンは答えられなかった。
「ギルドが示してるのは、基準だよ」
「“これくらいの依頼を、一人で受けられる”っていう目安」
「達成の仕方までは、縛らない」
シャルルが腕を組んで言う。
「要は」
「自分が納得できるやり方で、依頼を終えろって話だな」
「そういうこと」
リディは頷いた。
「ギルドとして見るのは」
「ソロで受注して、達成した」
「その実績だけ」
レンは、しばらく黙っていた。
やがて、依頼書に目を落とす。
「……ランクって」
「もっと、厳格なものだと思ってました」
リディは、少しだけ笑った。
「本音を言えばね」
「ランクなんて、自己申告でいい」
一瞬、場が静まる。
「でもそれだと」
「死にたがりが、自分を過信して前に出る」
「だから制度にして、線を引いてるだけ」
「生き延びるための、目安だよ」
「それ以上でも以下でもない」
レンは、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。
「……分かりました」
「自分で、納得できるやり方でやります」
「それでいい」
「まあ、そもそも、どれだけ“一人でやったか“なんて」
「ギルドでは分かりようがないからね」
グレンが一歩下がった位置から言う。
「では、準備を整えましょう」
「必要な消耗品を買い足し、区域の地形を確認してから向かうべきです」
「……グレンは正論ばっかりだな」
シャルルがぼやく。
「誉め言葉でしょうか?」
「……そうだよ」
ギルドの扉が、またひとつ、重い音を立てて閉じた。




