第3章 2話 備えるということ
レンは、ふと空気の質が変わったのを感じた。
肌に触れる風が、わずかに逆流したような感覚。
「……あ」
声に出すより早く、目の前に小さな光が弾ける。
『ちょっと、勝手に話を進めないでよ』
現れたのは、宙に浮かぶ小さな少女――シリィだった。
腕を組み、不機嫌そうに唇を尖らせながら、透き通る羽根を揺らしている。
「……シリィ?」
「相変わらず、いきなり出てくる……」
ルゥが驚きと安堵の入り混じった声を出す。
その反応を見て、シリィはふん、と鼻を鳴らした。
『話は聞いてたわよ。こいつらと一緒に行くって』
ちらりとレンを見る。
『ルゥを、ずいぶん危なっかしい旅に連れていくみたいだけど』
「いや、えっと……」
レンが言葉を探していると、シリィはふっと息を吐いた。
『まあいいわ』
そのままルゥの前に移動し、腰に手を当てる。
『ルゥは私が守るから』
宣言のようなその言葉に、ルゥは一瞬目を丸くし――
すぐに、嬉しそうに頷いた。
「うん!」
「……頼もしいな」
シャルルが軽く口笛を吹く。
「まぁ、この前ゴブリンの穴で消えかかってたけどな――」
次の瞬間。
『……吹き飛ばすわよ』
低く、冷えた声。
シャルルは即座に両手を上げた。
「はい降参」
そのやり取りに、場の空気がわずかに緩む。
シリィは一度シャルルを睨みつけてから、レンへと向き直った。
『報告があるわ』
レンは自然と背筋を伸ばす。
『まず、《妖精の倉庫》』
『話はつけてきたから、いつでも契約できる』
「もう……?」
『ええ』
シリィは当然のように言う。
『精霊界の倉庫を人間に貸して、管理も妖精が行うスキルよ』
『通常はね、“影響のない範囲”の魔力を支払う』
「影響のない、範囲?」
『自然回復分を、定期的に、ってこと』
レンの胸元――聖核のある位置を一瞥する。
『今のあなたの魔力量なら……まあ、五メートル立方体くらいね』
「結構あるな……」
『余ってはいるからね』
シリィは指を立てて続ける。
『水の精霊の体は問題なし』
『それから……』
一瞬、言葉を選ぶように間を置く。
『ティーユが、お礼をしたいって』
『近いうちに姿を現すそうよ」
「……ティーユが」
レンは小さく息を呑んだ。
『まあそれはもうちょっと後ね』
『とりあえず』
『倉庫の契約をするなら』
シリィはギルドの外を指す。
『一度、街の外に出るわよ』
*
街を出て少し歩いた開けた場所で、シリィはふっと姿を消した。
「あれ?」
レンがそう言った直後、空気が揺れた。
シリィが戻ってきた――それも、数体の小さな精霊を伴って。
それぞれが異なる色の光を放ち、レンの周囲をくるくると飛び回る。
短い口頭での確認と、契約条件、魔力の扱い方。
いずれも、儀式めいた厳粛さはない。
むしろ、説明を受けながら手順を確認する――
そんな実務的なやり取りに近かった。
それでも、精霊たちが集まるにつれて、周囲の空気は確かに澄んでいく。
色とりどりの小さな光が、レンの周囲をゆっくりと巡る。
触れれば消えてしまいそうなほど淡いのに、不思議と不安はなかった。
(……思ったより、普通だな)
レンはそう感じていた。
胸の奥――聖核が、わずかに温度を持つ。
だが、痛みも、圧迫感もない。
魔力が減る感覚も、特にはない。
ただ、流れが繋がった。
それだけの感触だった。
レンは胸に手を当て、静かに言う。
「《精霊契約》」
言葉に応じて、魔力がふっとほどける。
精霊たちの光がそれを受け取り、くるりと一周してから、散った。
重くなったわけでも、軽くなったわけでもない。
魔力の残量も、感覚としてはほぼ同じ。
レンは首を傾げる。
『……はい、終わり』
シリィが、あっさりと言った。
『ほら、そんな顔しない。最初はそんなものよ』
「……正直、何が変わったのか分からない」
『分からなくていいわ』
シリィは肩をすくめる。
『倉庫を使おうとすると――』
『さっきいた、あの子たちが来るの』
「来る……?」
『ええ』
当然のように頷く。
『物を預けたい時も、取り出したい時も』
『倉庫に繋げると、あの妖精たちが現れて、受け取ってくれる』
『管理も運搬も、全部あの子たちの仕事』
『分からないことがあったら、あの子たちに聞きなさい』
「上限を超えたら?」
『そりゃ断られるわよ』
シリィは即答した。
『まあ、あなたが成長してて、もうちょっと魔力が増えてたら』
『向こうから教えてくれるから』
『まあ、今は何も入っていないし』
『いきなり困ることはないわ』
『慣れていきなさい』
そう言って、シリィはふっと宙で一回転した。
『じゃ、報告は以上』
そう言ってシリィはまた消えていった。
「じゃあ、次は」
シャルルが手を叩いた。
「昇格だな」
「Eランク昇格の依頼を受けるなら、装備を整えないとな」
「武器と防具?」
「そう」
シャルルはにやっと笑う。
「街で一番金が溶ける場所だ」
レンは苦笑しながら頷いた。
*
武器と防具の店は、ギルドから少し離れた通りにあった。
分厚い木の扉に、傷だらけの金属製の看板。剣と盾が交差した意匠が刻まれている。
「ここだ」
シャルルが先に扉を押し開けた。
中に足を踏み入れた瞬間、鼻をつくのは鉄と油の匂い。
壁には剣、斧、槍。天井からは鎖で吊るされた防具。
床には打ち直し途中なのか、刃を外された武器が無造作に並んでいた。
「……すごい」
レンが小さく声を漏らす。
「慣れるとそうでもないぞ」
シャルルは平然とした様子で言う。
「ここは実用品が多い。見た目より、ちゃんと使える」
カウンターの奥で、金属を打つ音が止まった。
「いらっしゃ……おや」
現れたのは、がっしりとした体格の中年の男だった。
無精ひげに、年季の入った革の前掛け。
以前、聞いたドワーフという人種だろうか。
「シャルルじゃねえか」
「久しぶりだな」
「おう、グレンもいるな」
「どうも」
「知り合いなのか?」
シャルルが驚いたように聞く。
「ここで装備をお願いしているもので」
「まあ、ここしか無いからな」
「余計なお世話だ」
軽口を叩き合う二人を横目に、レンは棚に並ぶ剣に視線を移した。
形は似ていても、重さ、バランス、刃の質が微妙に違う。
一本一本に、用途と癖があるのが分かる。
「新顔か?」
店主の視線がレンに向いた。
「そうだ」
「こいつと、あっちの女の装備を新調したい」
シャルルがハルの方を向いて言う。
「……ほう」
店主は一瞬だけ目を細めたが、それ以上は何も言わなかった。
「Eランク昇格向けてな」
「そうか」
「命を預ける道具だ。見た目で選ぶなよ」
レンは頷き、一振りの剣を手に取った。
今まで使っていたものより、少し重い。
だが、握った瞬間に違和感が少なかった。
「……これ」
「悪くねえ」
店主が言う。
「刃は薄く、重さもある」
「一品ものの自信作だぜ?」
「あんた向きだな」
レンの手が止まる。
「……分かるんですか?」
「ある程度はな」
肩をすくめる。
「全部は分からんが、向いてる向いてないくらいは分かる」
少しだけ、胸の奥が引き締まった。
「防具はどうする?」
シャルルが聞く。
「軽さで選ぶならこれだな」
レンの今の装備を見て、店主は後ろを振り返る。
棚から引き出されたのは、補強された革鎧だった。
金属は最小限。動きやすさを優先している。
胸の部分に小さな魔石が埋め込まれていた。
「……どうだ?」
「うーん、今のよりは重いかな」
「慣れろ」
シャルルは即答した。
ハルが、そのやり取りをじっと見ていた。
「……私は」
小さな声。
「今のローブに似たやつが良いな」
「じゃあ、これだな」
店主は真っ白なローブを取り出す。
「薄く、ミスリルを編み込んでる」
「ほう」
シャルルが食いつく。
「うすーく」
「じゃあ、ほとんど入ってねぇんじゃねえの」
「まあ、お守り代わりだ」
店主は笑いながらそう言う。
「ただ、性能は保証するぜ」
「杖は……そうだな」
店主はハルの杖を手に取る。
「今のやつを強化するか」
店主の言葉にハルは頷いた。
「ルゥは」
ハルの言葉に、武器を見ていたルゥが振り返る。
「ルゥのもいるよね」
一瞬、店の空気が静まる。
店主はルゥを見下ろし、少し考え込むように顎を撫でた。
「ケットシーなら」
「ええのがある」
棚の下から、小さなロッドとローブを取り出す。
グレンとシャルルが驚く。
「これはなかなか」
「以前、Aランクのやつらの装備を作ってな」
「余りの素材で作ったやつだ」
「後衛用だが、まあ高性能だ」
ルゥは、恐る恐るそれを受け取り、ジキルの顔を見る。
ジキルは深く頷いた。
「……ありがとう」
「今は性能の半分も使えんかもしれんが」
「まぁがんばれよ」
店主の言葉にルゥは強く頷いた。
「他のやつらは、今のやつをメンテナンスでええな」
グレン、シャルル、ジキルが頷く。
「よし」
「決まりだな」
シャルルが頷き、店主が値段を告げる。
小金貨と銀貨が数枚、カウンターの上で音を立てた。
「……相変わらず高いな」
「命よりは安い」
店主の言葉に、誰も反論しなかった。
「一日で仕上げる」
「早いですね」
「まあ、作るわけじゃないからな」
店主が鼻の下を指で擦る。
「また明日、この時間に来い」
採寸を終えて店を出る。
他にも必要なものを途中で買い、宿に戻る。
通りの先に、冒険者ギルドの旗が揺れていた。




