第3章 1話 小さな一歩
翌朝、レンたちはフェレルの街を後にした。
朝靄の残る門を抜け、高速馬車へと乗り込む。目的地は一度、セルトゥールへ戻ることだった。
馬車が街道に乗り、速度を上げ始めた頃。
「あっ……見て。あれ」
窓際に座っていたハルが、外を指差す。
視線の先には、隊列を整えた騎兵たちの姿があった。統一された鎧、翻る旗。
「……あの紋章」
グレンが目を細める。
「バロンの騎兵隊ですね」
その言葉に、馬車の中がわずかにざわついた。
ジキルとシャルルも外を見やり、無言のまま視線を交わす。
ジキルの視線には、警戒と、拭いきれない違和感が滲んでいた。
やがて騎兵隊の姿は遠ざかり、馬車は再び静けさを取り戻す。
だが、誰もが心のどこかで、嫌な予感を抱いたままだった。
*
セルトゥールに到着すると、一行はそのまま冒険者ギルドへ向かった。
「……あ、いた!」
扉を開けた瞬間、聞き慣れた声が響く。
「ナナ! フーリー!」
ルゥがぱっと表情を明るくし、駆け寄っていく。
「おかえり。ルゥ」
「いい子にしてた?」
「うん!」
「聞いて聞いて! フェレルでね――」
嬉しそうに身振り手振りで語るルゥに、ナナは苦笑しながら相槌を打ち、
フーリーも「ほうほう」と興味深そうに混ざる。
まるで親子のようで、姉妹のようでもある光景を、レンたちは少し距離を置いて見守っていた。
「……なんか、いいな」
ハルが小さく呟く。
やがて話が落ち着いたところで、レンは受付に向かう。
「リディさんは?」
レンの質問に受付の若い女性は明るく答える。
「リディさんは何か呼ばれたみたいで」
「今日はいませんよ!」
「ご用でした?」
「いや、レベルアップしてきたことを報告しようかなと」
「そうなんですね!おめでとうございます」
笑顔で言い、続けてハルとレンを見た。
「もしよかったら、冒険者ランクも上げてみては?」
「ランク、ですか?」
「ええ、レンさんたちはFでしたよね?」
「この前に達成した依頼で、昇格する条件は十分なので……」
「Eランクの依頼を、ソロで一件ずつ達成すれば良いですよ!」
その言葉に、ジキルとシャルルが頷く。
「まあ、やってみたらええ」
「別に失敗しても特に問題ないしな」
レンとハルは顔を見合わせ、前向きに検討する。
その時だった。
ルゥが、何か言いたそうに口を開きかけて、閉じた。
「……?」
レンはその様子に気付き、声をかける。
「どうかした?」
「……ううん。何でもない」
ルゥはそれ以上何も言わず、曖昧に笑ってみせた。
ナナの袖に指先をかけ、軽く引く。
引き止めるでも、甘えるでもない、どこか遠慮が混じった仕草だった。
フーリーは少し後ろでルゥの、その様子を見ていた。
ギルドの中では、依頼の内容を巡る声や、杯を置く音が絶え間なく響いている。
シャルルが、ハルとレンのためにEランクの依頼書をいくつか持ってくる。
ジキルもその束に目を落とした。
「この依頼がちょうど良いな」
そう言って、シャルルがハルとレンを呼ぶ。
その時。
フーリーがゆっくりと動き、ジキルたちの正面に立った。
ざわついていたギルドの音が、少しだけ遠のいたように感じられる。
フーリーは一度、深く息を吸った。
「……あのさ」
視線を落とし、指先を軽く擦る。
癖のような仕草だった。
「……ルゥを、一緒に連れて行ってくれないか」
突然の言葉に、ナナが目を見開き、ルゥは言葉を失ったまま固まる。
ジキルも無言でフーリーを見返す。
だがフーリーは、その視線から逃げるように、少しだけ目を伏せた。
「おれたち兄弟はさ」
「親を失ってから、三人で力を合わせて生きてきた」
ふっと、口の端を歪める。
「最初は、ルゥの手が小さくてさ」
「迷子にならないように、街を歩くときは、ずっと握ってた」
その手を、今は握りしめている。
「この街での生活も、もう長い」
「街の中なら……安全で、ちゃんと暮らしていける」
一度、言葉を切った。
「でもな」
「一歩外に出たら、世界は全然違う」
「前に……ゴブリンに攫われた時みたいに」
喉が鳴る。
声を出すまでに、わずかな間があった。
「……俺一人じゃ、守りきれない」
拳を握る。
爪が食い込むほど、強く。
ルゥの肩が、かすかに震えた。
「ルゥはさ」
「小さいころから、精霊と契約してる」
「精霊契約って、ケットシーでも珍しいんだぜ?」
顔を上げる。
今度は、真っ直ぐにルゥを見た。
「多分、ルゥは特別なんだ」
「精霊に認められたってのは……きっと意味がある」
視線を外し、ギルドの入り口を見る。
人の行き交う、その向こう。
「何より……」
「ルゥには、もっと広い世界を見てほしい」
小さく、息を吐く。
「この街しか知らないなんて」
「そんなの、もったいないだろ?」
フーリーは一歩下がり、
そして、深く頭を下げた。
「……だから」
「どうか、お願いします」
沈黙が落ちた。
ギルドの中は相変わらず賑やかなはずなのに、
この一角だけ、音が吸い取られたように静かだった。
ジキルは腕を組んだまま、しばらく目を閉じていた。
深く、ゆっくりと息を吐く。
「……ルゥ」
低く、よく通る声だった。
「おぬしは、どうしたい?」
問いかけは、優しくもあり、逃げ道のないものでもあった。
ルゥは一瞬、言葉を失う。
ナナを見る。
フーリーを見る。
二人とも、何も言わない。
ただ、待っていた。
ルゥは胸の前で、小さく手を握る。
指先が、わずかに震えている。
「私は……」
声が掠れた。
一度、唇を噛む。
「私は……冒険者になりたい」
言い切るまでに、少し時間がかかった。
それでも、目は逸らさなかった。
「みんなと一緒に、世界を回りたい」
喉の奥が詰まる感覚に、息を整える。
「ナナも、フーリーも……大好き」
「離れるのは……正直、すごく怖い」
肩が、小さくすくむ。
それでも。
「でも……行きたい……!」
今度は、はっきりとした声だった。
「この街の外を、見てみたい」
「知らない世界を、知りたい」
ジキルは、じっとルゥを見つめていた。
その視線は、試すものではなく、量るものだった。
「……わしらはな」
「もう、お前たちを仲間だと思っておる」
一拍置く。
「それは、フーリーやナナに対しても、同じじゃ」
そして、静かに言葉を重ねる。
「ルゥよ」
「この先は、非常に危険なんじゃ」
「魔物だけではない」
「悪魔と、対峙する可能性もある」
重い現実を、誤魔化さずに突きつける。
「無責任に、簡単に、はいとは言えん」
ルゥは、小さく息を吸った。
そして、ジキルをまっすぐに見返す。
「強くなる」
迷いのない、短い言葉。
「絶対に、強くなって」
「みんなのこと、守れるようになるから……!」
その言葉に、ナナがゆっくりと口を開いた。
「……本当に」
ルゥを見つめたまま、微笑む。
「知らない間に、大きくなってたんだね」
声が、少しだけ揺れる。
「ずっと、まだ子供だって思ってた」
「守らなきゃって……自分が、頑張らなきゃって」
一歩、ルゥに近づく。
「でも、ルゥは……」
「私なんかより、ずっと強い」
そう言って、そっとルゥの頭に手を置いた。
すぐに離す。
一息ついて。
「……うん」
覚悟を決めたように、ナナは顔を上げた。
そして、深く頭を下げる。
「私からも、お願いします」
再び、静寂。
その中で、レンが静かに言った。
「ルゥ」
目線を合わせる。
「一緒に、強くなろうか」
ルゥの目に、涙が滲む。
それを零さないように、何度も頷いた。
ジキルは目を閉じ、深く息を吐いた。
そして、ゆっくりと頷く。
「……条件がある」
「危険だと判断したら」
「即座に、この街へ戻す」
一瞬の沈黙のあと。
「……はい!」
ルゥは、声を張り上げた。
「よろしくお願いします!」
フーリーとナナの顔を見て、
それから、全員を見渡す。
力強く、何度も頷いた。
次の瞬間、周囲から安堵と喜びの声が上がる。
グレンは目頭を押さえ、レンはルゥと拳で軽くタッチをした。
そして、空気を和らげるように、ハルが肩をすくめた。
「いやー、女の子が増えて嬉しいな」
一同が見る。
「男ばっかだったから、正直もう限界だったんだよ」
笑いが起こり、重かった空気は、少しだけ軽くなった。




