第2章 24話 確かな一歩
重い扉が背後で閉じると、張り詰めていた空気がゆっくりと緩んだ。
外の光が、やけに明るく感じられる。
「……終わった」
レンが息を吐く。
「うん」
ハルも短く頷いた。
声は落ち着いているが、肩の力が抜けたのが分かる。
区画を出たところで、控えていた係の者が一歩前に出た。
案内の騎士とは違い、どこか事務的な雰囲気の女性だ。
「お疲れさまでした」
淡々と続ける。
「写しは、どうされますか」
「写し?」
レンが聞き返す。
「はい」
係は机の上に、二種類の羊皮紙のようなものを示した。
「こちらはステータスのみ」
「こちらはステータスとスキルの両方を写せるものです」
レンは一瞬迷った。
賢者の石板を持っているため、なくても困らない。
だが――
「記念だと思って買っときな」
シャルルが、いつもの調子で言う。
「こういうの、後から欲しくなる」
「今回、スキル構成は変えていないから」
ハルが少し嬉しそうに言う。
「ステータスだけ買っとこうか」
「値段は?」
レンが尋ねる。
「お二人分で、一銀です」
「……思ったより高くない」
レンが思わず言うと、
「利用された方のみの価格ですので」
係の者は、事務的に一言添えた。
ジキルが銀貨を係員に手渡すと、
しばらくして二枚の羊皮紙が差し出された。
「写しは未表示状態です」
「最初にご本人が魔力を通すことで内容が定着します」
「一度表示された後は、普通の羊皮紙と同じですので」
「破損や紛失にご注意ください」
「……なるほど」
レンは小さく頷いた。
手渡された羊皮紙のようなものは、今はまだ何も書かれていない。
ただの、少し上質な皮紙だ。
「じゃあ、触れてみて」
ハルに促され、レンは指先をそっと置く。
意識を集中し、ほんのわずか、魔力を流した。
――じわり、と。
羊皮紙の表面が温度を帯び、
何もなかったはずの場所に、文字が“浮き上がる”。
最初は薄く、次第に輪郭を持ち、
やがて完全に定着する。
「……出た」
レンが息を呑む。
そこに記されていたのは、自分自身の現在地だった。
________________________________________
【レン】
耐久E
魔力量E
自動修復E
魔力回復E
攻撃E+
防御E+
俊敏E+
スタミナD+
魔力E
魔力耐性E+
________________________________________
「……上がってる」
レンは小さく呟いた。
派手ではない。
だが、確実に“底”が持ち上げられている。
生き残るための、身体の地盤そのものが。
隣でハルも、自分の写しを確認していた。
________________________________________
【ハル】
耐久D+
魔力量C
自動修復D+
魔力回復C
攻撃F
防御D+
俊敏E
スタミナE
魔力C
魔力耐性C+++
________________________________________
「ハル、見ていいか?」
シャルルが聞く。
「いいよ」
ハルの返事を聞き、肩越しにステータスを覗いた。
他の者も視線をハルの羊皮紙に落とす。
「……高いな」
思わず、そう漏れる。
「Fランクって、初回登録だから」
「ピンキリだけどさ」
シャルルが言う。
「うん」
レンは頷いた。
「それでも、これは……」
基準として考えれば、明らかに上。
少なくとも、Fの範疇には収まっていない。
「ステータスだけ見たら」
シャルルが続ける。
「もうDランク相当はあるな」
「え、そうなの?」
ハルが少し驚いたように聞き返す。
レンは、そこでふと、思い出す。
冒険者ギルドのカウンター。
簡易鑑定の結果を覗き込んだ、職員、リディの表情。
――女性の眉が、わずかに動いた。
――「ほう、優秀だね」
当時は、深く考えなかった。
社交辞令かもしれない、とも思った。
けれど今、こうして数値を見ていると――
あの一言は、事実だったのだと分かる。
「前にも言われてたよ」
レンは、羊皮紙から目を離さずに言った。
「リディさんに」
「……?」
ハルが首を傾げる。
「簡易鑑定のとき」
「“優秀だね”って」
「えー」
ハルは少し困ったように笑った。
「覚えてないな」
「ハルはすごいな」
「そうかな」
ハルは少し照れたように言う。
「私からすると」
「レンの方がすごいけどね」
思いがけない言葉に、レンは一瞬言葉を失った。
「……え?」
「だってさ」
ハルは羊皮紙を畳みながら、どこか当然のように言う。
「レン、戦いが当たり前じゃない世界から来たんでしょ」
レンの肩が、わずかに揺れた。
「こっちに来てから、そんなに時間経ってないのに」
「もう、普通に一緒に前に立って、同じように戦ってる」
事実を並べただけの声だった。
持ち上げるでも、慰めるでもない。
「それって、結構すごいと思うよ」
ハルはそう締めくくる。
「……」
レンは、何も言えなかった。
自分では、必死に追いつこうとしているだけだと思っていた。
だが、そう見えていたのだとしたら――
「……え?」
少し遅れて、戸惑った声が上がる。
ルゥだった。
「レンさん……転移者、だったんですか?」
驚きで、目を丸くしている。
完全に初耳だった、という顔だ。
「あ……」
「言ってなかったっけ」
レンは言葉に詰まる。
そこで、ルゥははっとしたように息を呑んだ。
「あ!……だから、なんですね」
「?」
「前に……」
ルゥは少し視線を彷徨わせてから、言う。
「頭を撫でられたとき……」
レンはあからさまに動揺する。
「昔、猫を飼ってて」
「みたいなこと言ってましたもんね」
「ずっと意味が分からなかったんです」
「やっと繋がりました」
「ああー……」
「その件は」
「ごめん……ね?」
「ふふふ」
「また撫でてくれても良いんですよ?」
ルゥはいたずらっぽく笑う。
「あ、いや、もう……しないから!」
「あれ?でも……」
「へ?」
「馬車の中で撫でてくれませんでした?」
記憶が蘇る。
「起きてたの?!」
「あ、いや、違うんだっ」
「無意識で……!」
グレンが肩を揺らして笑う。
ハルは、目を細めてこちらを見ていた。
「ごめんって!」
「ハルもそんな目で見ない!」
ルゥとハルが満足したように笑う。
シャルルはこちらに指を差しながらケタケタ笑っている。
そのやり取りを、少し離れたところで見ていたジキルが、
「いい空気じゃな」
と、ぼそりと呟いた。
穏やかな空気の中、神殿を後にする。
レンは羊皮紙を丁寧に仕舞い、顔を上げる。
「次は……」
一瞬だけ考えてから、言う。
「また、歩くところからかな」
派手な達成感はない。
けれど、確かな一歩。
賢者の石の区画を離れ、
一行は、再びフェレルの明るい街へと足を向けた。
(第二章 歩き出す者たち 完)




