その14
ふんふんと、大きな黄色い竜が私を前後左右から嗅ぎまわっている。
う、動けない。
初めて見る小動物に興味津々なお子ちゃまが半分、餌を吟味する獣が半分って感じだ。どっちにしてもよろしくない。とてもよろしくない。おもちゃ感覚でぶん回されたら死ぬし、食われても死ぬ。
逃げなきゃまずいってのは、もうほんと十分わかってるんだけど、今身動きしようものなら頭からぱくっといかれてもおかしくない。というか、この瞬間にも片腕が味見に持ってかれそうだ。誰か助けろ。
いや、味見くらいなら、誰も助けてくれないかもしれない。腕一本なくなったところで、お人形をするには問題ないとか言って。
内心ひーひー叫びながら、硬直すること約一分。
吟味が終わったのか、竜の頭部が正面に戻ってくる。目が合った。
「ねえ、おまえ、うまい?」
な、なにがだ。まさか肉の味を聞かれてるのか。
その時、めずらしく、とてもめずらしく、私の頭は冴えわたった。雷が走ったみたいだった。
この竜は子供だ。人間を見るのも嗅ぐのも初めてどころか、そもそも人間という生き物がいるということも今まで知らなかったのかもしれない。
ということは、「人間は食べ物」という認識が、まだあやふやなのかもしれない!
「まずい! すごくまずい! もうほんとまずいから! だってほら、今まで見たことないでしょ? 誰も食べてるとこ、見たことないでしょ? まずいからだよ! まずいから、誰も食べないの!」
竜という種族にとって、人間が美味しいか不味いかは知らないけど、知りたくもないけど、少なくともこの竜に「マズイ」と覚えさせることはできる。今ならできる。というか今しかできない。あわよくば、ぜひとも、他の竜にもこの知識を広めてほしい。切実に。
命の危機に陥ると、頭がよく回り体もよく動くようになるという、あれだ。多分、これがまさにその状態だ。
―――――このやりとりがなんと実を結び、竜が食糧として人間を襲うことがなくなったために、一部始終を見ていた誰か(匿名)が書き残した手記から、後に「魔王リーの数少ない業績(ただしそれがいいか悪いかは種族による)」と笑われるようになることを、現時点では知る由もない。
「そっかー、まずいのかー。じゃあいいや。」
ぷいっと竜がそっぽをむく。
勝った。私は勝ち取った。間違いなく、今までで一番難しくて厳しくて冷や汗流して頭をふりしぼった戦いだった。誰か褒めて。
「黄色いの。お主、竜の仔じゃな。名はなんという。他の竜に言われて、この城へ来たのか?」
私の孤独な戦いを一体どういう風に見ていたのか、長老がのんびりと声をかけてきた。
緊張感が、ぐずぐずと溶けていく。振り向くに振り向けなかったけど、後ろのヒトたちも気を張ってたんだと、そこでようやく気がついた。
でも、人を「陛下」と呼んで勝手に都合のいいお人形にしておきながら、一切助けてくれなかったどこかの誰かのことは、死ぬまで忘れないでおこうと思う。
「ボク? ホアンってみんな言うよ。ここに来たのはねー、なんか、お城がいつもとちがうかんじだったから、見にきた。」
「ということは、竜が気まぐれを起こして使いを寄越したわけではなく、単なる野次馬ですのね。気をもんで、なんだか損をした気分ですわ。」
ジジがため息をついた。
なるほど、例え子供でも、ジジみたいに強い魔力を持ってても、やっぱり竜は扱いが難しいんだな。一つ勉強になった。
「ねー、それで、ここでなにがあったの?」
ねーねー、とホアンが大きな鼻でつついてくる。
犬や猫ならくすぐったくてかわいいけど、竜にそれをやられると、体当たりされてるみたいだ。コケそうになって、あわててふんばった。
「新しい王様が生まれたんですよ」
お子さまにわかりやすいようにと考えたのか、色々省略した説明だ。ユージンの割に、棘もない。ただし、省略しすぎて、まるで赤ん坊でも生まれたみたいに聞こえる。
「おーさま? それ、おいしい?」
え、命の危機再び?
「あなたの目の前にいらっしゃるでしょう。その人が、魔王様です。」
生まれたてのヒヨコみたいにまっすぐに顔をのぞきこまれる。
「まおーさま、まずい?」
思いっきり首を縦に振った。とりあえずユージンは後で一回蹴っ飛ばす。なにがなんでも蹴っ飛ばす。
「まずいの、やっ」
だだっこみたいに頭を振って、ホアンがぐりっと体の向きを変えた。なぜか元の場所に丸くなる。いまさらだけど、親はどうしてるんだろ。帰らなくていいのかな。
他のヒトたちの方を振り返ってみると、シバが「気にするな」というみたいに首を振った。いいのか。
「とにかく、陛下にはこの城でどーんと構えていただいて、細かいことは我々で処理するというのを基本方針としたいと思います。よろしいですね。それでは、具体的な話に移りたいと思います。」
強引にまとめたユージンに、ジジを黙らせるかのように皆が拍手した。家庭の問題は家庭でどうにかしていただくのが正しいと思うので、私も拍手しておいた。「ここで王様が拍手するのは変だろう」と天馬に突っ込まれた。そういうものなのか。
さっき、ユージンの「魔界の未来」って気恥ずかしい言葉に、夢と理想をつめこんだ説得に、誰も茶々をいれなかった。ジジが私情でわめいたくらいだ。
つまり、ここに集まってるのは、そういうヒト達ってことだ。しかも、行動力とか権力とか持ってる。もし私が何か手伝おうとしても、足手まといになりそうだ。
…これ傍から見てたらさ、ひどい光景だよね。あらゆる権力とお金が集まるはずの王様から、全部取り上げますって話を、本人に何の断りもなく、本人の目の前で初対面のヒト達が話し合ってる訳でしょ。
しかも、うっかり命の危機にさらされても、守りもしない。普通はこういうのって何て言うんだっけ。革命? クーデター? どっちでも言いたいことは伝わるはずだ。
さて。
そこで私は、大事なことに気がついた。
「ねえ」
皆の視線が集中する。
「私は、明日から何すればいいの?」
一般常識の教師をつけるって話は聞いたけど、その後は? 故郷の王様って普段何してたっけ?
ユージンが初めて微笑んだ。………不吉だ。すごく不吉だ。
「陛下には、ぴったりのお仕事がございます。」
くわっとホアンがあくびした。




