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師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
肉食獣の遠吠え
48/64

43血と業

 ミックが現場に到着した時、彼はまだ誰とも交戦していなかった。隠形がうまくいっていたのだ。屋根の上に腹這いになって様子を伺う。

 赤い炎が踊る広場では、強力な吸魔の結界が展開されていた。<吸魔>空間の中には、一体の化け物とそれに相対する勇者の獣がいる。

 ミックはその獣に見覚えがあった。


 薄く魔獣の血を引く<吸魔>の一族の中でも、頭領の家系は特に力が強かった。古の魔の血を引いている為か、頑強な肉体と魔力に対する高い適合性を持っていた。力が強く、足が早い。ミックは子供の頃から、ごく自然に恵まれた才能を行使していたのだ。

 ただ、いいことばかりでもない。

 原初の魔に近いということは、それだけ純粋な人間から外れているということでもある。

 骨格からして、里の仲間たちと微妙に違いがあるのだ。猫のように湾曲した背骨は、ミックの身長が健康に伸びるのを阻害したし、鋭すぎる犬歯は、外科手術で無理やり削り整形された。亜人であることを隠す為である。

 そして欠点の中でも最悪のものが、<吸魔>という秘伝の術式に対する相性の悪さだった。

 エーテル欠乏症は、エーテルを普段多く消費する人間に特に効果が大きい。魔術師はその最たるものだ。この術式があればこそ、一族は魔術師殺しの異名を得るに至ったのだ。里で育った人間ならば、例外なく成人直前に習得のための厳しい修行が課せられた。<吸魔>を使えれば、一人前。使えなければ死。そうやって脅されて育った。


 <吸魔>は使うだけならば、そう難しい術式ではない。一端の魔術師であれば、一週間もあれば習得できるだろう。<吸魔>会得の困難は、使うために術師の適性が要求されることにある。

 すなわち、エーテル欠乏症への高い耐性。低濃度のエーテル下でも常のパフォーマンスを発揮できるだけの鍛錬を積まねば、<吸魔>を戦闘に用いることはできない。自らを傷つける制御できない力を、人は武器とは呼ばない。

 頭領の一族は魔の血が強く、より幻想に近い。<吸魔>に対する適性は里の人間の中で一番低いのだ。

 ミックや妹、彼の父もその例に漏れなかった。

 ミックは詳しい先祖の事情は知らないから、里のシンボルとも言える<吸魔>を使いにくい家がどうして里長になれたのか、疑問を抱いたことがある。

 普通、こういうのは実力主義だろう。格闘魔術なんでもありの実戦ならば、ミックは負ける気はなかったが、<吸魔>への耐性だけはどうも仲間たちに勝てる気がしなかった。一番劣っているといってもいい。

 父――ゼンは言っていた。

 ――力がないからこそ、後ろから全体を見つめ、的確な指示を出すことが出来るのだ。頭領になることは、自分以外の人間の命を預かること。この事を理解できた時、お前は跡取りに相応しい人間になれる。


 ただのはぐらかしなのか、ミックを勇気付けようとしたのか。

 

 父の言葉を反芻しながら、広場の死闘を見つめる。

 四足の獣。あれが父だ。彼の背中に庇われる位置には、四人の里人と負傷した女性が一人いた。彼らはただ守られているだけではない。<吸魔>の力圏に化け物を収め、弱体化を図っている。一番<吸魔>が不得手なゼンが前衛を務めているのはある意味、合理的だ。

 そこまではまだいい。ミックが遭遇することを覚悟していた相手だ。

 大賢者が愛した国に仇なすというのなら、暴力による排除も辞さない。もう既に七人は殺している。後戻りなど、出来ようはずもない。


 暗闇に蠢く化け物は薄桃色――つまり肉の色をしていた。

 人の形を粘土で捏ね上げたようなフォルム。荒野を冒険し、多くの幻想種や魔獣を知るミックでさえも、見たことのない生物である。化け物としか言いようがない。

 獣が吠え、化け物に飛びかかった。

 化け物は見た目は恐ろしいが、動きは緩慢だった。避けることもできず、噛み付かれる。

 獣の牙は肉色の流動体を食いちぎり、即座に吐き捨てていた。


「グルルル……」


 獣の低い声は間違いなく父のものだ。ミックやその父は原始の幻想に近い性質を持っている。亜人に稀に見られるこの性質を、先祖返りと呼ぶ。強力な魔力や、人外の怪力など、普通の個体よりも生物的に優れた力を持っているのだ。

 しかし<吸魔>の一族に流れる魔獣の血は限りなく薄く、ミックたちは先祖返りの力を限定的にしか行使することができなかった。

 ――それが獣化。

 半人半獣となり、人外の身体能力を手に入れる……。長時間の獣化は思考の混濁、意志薄弱などの後遺症を残すこともある危険な能力だ。

 ゼンはその獣化で得たスピードでもってして、化け物を翻弄していた。


「後ろの彼らにトドメを刺さなくていいのかい?操られているよ?暗殺者なのに随分と甘いことだ」


 化け物の体表がゴボゴボと沸騰したように膨張し、音を発した。注意深く耳を傾ければ、その音が規則性を持ち、しかも知性の響きを持っていることを感じ取れただろう。

 化け物が知性を持つ生命なのだと、初めから認識できている人ならば、聞き取れたように。


「グルゥ……」


「切り捨てるなら、切り捨てる。助けたいなら、助ける。その割り切りさえ出来てないなんて、なんてお粗末な。己の心の赴くままに行動することも出来ないのかい?」


 父の様子を注視していたミックは、ここにきて化け物とゼンが対話していることに気が付いた。

 それに気が付くと、化け物が人の言葉を操っていることも理解できた。


「それとも<吸魔>とやらがそんなに大切かい?」


 化け物の形がより人形に近付いた。体表を覆う人皮。裸の少年を模した肉塊は、口の部分を開閉させて言葉を続けた。


「あぁ、ほら。もうこんなに形を取り戻した。僕が制御できる魔力量もだんだん増加してる。<吸魔>が破られるのも、もうじきだよ。だったらいっそ、仲間を見捨てて特攻を掛けてみるのも一興じゃない?君の牙は通ってるんだから、さ」


 俊敏なる獣の牙。しかし今度はかわされた。挑発に乗せられて、ただ身体能力に任せてフェイントもなしで突っ込んだのだから当たり前だ。化け物の手刀が獣の首を強打し、弾き飛ばす。

 なんとか受け身をとれたゼンの傷は浅かったが、隠しようもない憔悴が彼の肩を激しく上下させていた。


 知らずミックは、父を応援してしまっていた。

 もともとミックがここにやって来たのは、父や里の仲間たちの暗躍を阻止するためだった。とはいえ抜け忍として追われる身であるミックが、彼らと平和的話し合いが出来るはずもない。

 自然と両者の間の意思疎通は暴力だけになってしまった。記者として言葉の力を信じるミックとしては、忸怩たる思いだった。

 心がどうあれ、暗殺師として育て上げられたミックの身体は、半ば自動的に動く。襲われれば反撃するし、平和的話法が通じないとなれば、武器を振るうことに忌避はない。そこに情が介在する余地はなく、機械のように反射的に自己の保全を優先させる。

 終わってから気付くのだ。あぁ、この死体は子供の頃、井戸水を運んでくれた隣家の大黒柱だったな、と。


 今は違う。戦わざるを得ないのではなく、望んで戦いと虐殺を選んだのだ。もしかすると、ゼンを殺すことになるかもしれない。そういう覚悟を持ってミックはここにいる。

 それなのにミックの目線は、器用に立ち回るゼンの攻防を追っているのだ。まるで不肖の息子が、伝授されなかった父の技の全てを継承しようとしているかのように。


「魔力を食いちぎる牙か、面白いね。荒野の魔獣の中にはそんな特異な能力もあるとは聞いたことが、あるけれど」


 肉塊の人影は笑う。ゼンは爪牙を巧みに操り、肉塊の一部を抉り取った。


「まさか自分の体で味わうことになるとはね。参った参った」


 肉塊の腕が迎撃のために振り上げられ、ゼンの突撃のタイミングに合わせて振り下ろされる。咄嗟に飛びのいたゼンは回避に成功するが、無茶な動きは負担が大きい。息が上がっていた。


「親父……時間が……」


 思わずミックは呟いていた。ゼンは常時獣化を発動している。制限時間はとっくに越えているのに、ゼンは獣化をやめる気がないようだ。

 熱戦のあまり時間を忘却しているということはないだろう。化け物とゼンの戦いは散発的な衝突が繰り返されているのだが、その衝突の全てがゼンから仕掛けたものだ。つまり、戦いの始まりを決めるのも、終わらせるのもゼンの一存というわけだ。これが主導権を握っていると言わずして、なんと言おう。


「死ぬ気、なのか……」


 獣化を長時間適用していれば、どうなるか。

 自我を喰われて獣と成り果てるのだ。

 人の言葉が通じず、ただ災厄をもたらすだけの、魔獣に還るのだ。

 それを知らないゼンではない。

 知らないはずがないのだ。


「ウグルルル……」


 ゼンの一撃を難なくいなした化け物は、勝利に繋がらない破れかぶれの突進を嗤った。もう、完全に見切られている。遊ばれている。


「それはもう見飽きたな。礼儀と一緒に知性までも失った?だとしたら興醒めだよ。技術というものは人が使うからこそのものだ。僕は禽獣の生態を興味深く思ったとしても、それに敬意を抱くことはないよ。制御出来ない技ならば、人が扱う意味がない」


 化け物が言い終える。

 同時に<吸魔>が消えた。この場全体を覆っていた結界にも似た低濃度エーテル空間が消失。周辺から膨大なエーテルが流れ込み、瞬く間にエーテル濃度は正常値に戻ってしまった。

 もうこの場で魔術を使うことへの支障は一切ない。


 化け物が人間へと戻った。まるで先程までの醜悪な姿は、悪い夢だったかのよう。ハッとするくらい眉目秀麗な少年だった。


 この時、ミックは自分の与えられた任務を完璧に忘れ果てていた。覗き見するうちに、心が戦場へのめり込んでしまっていた。

 この恐ろしくも、幻想的な戦場に魅入られていた。


 少年の背後にかつてない巨大な魔力が渦巻く。不定形の肉塊が、細く細く伸びて行き、糸のように整形されていく。そこまで薄く伸びると、おぞましさとは無縁で、むしろ神々しさや美しささえ感じられる不思議な液体だった。

 翼だ。糸は宙空に幾何学模様を描き上げ、形成された巨大な翼を少年の背に接続した。眩い光と、赤い噴水が、少年の周りを彩り、染め上げた。

 夜属性のミックにはわかった。あの翼が、アーティファクトに匹敵する大魔力を内包していることに。そこから少年の操る無数の術式に魔力という燃料が注ぎ込まれて行く。

 <吸魔>が途絶えた直後だというのに、瞬く間に形成された少年が纏う魔力の鎧の強大さは、幻想種にさえ匹敵する。


 ミックは遅まきながら悟る。あの化け物は本物の化け物だ。化け物じみたあの肉塊でさえ、吸魔によって最大限弱体化した姿に過ぎないのだと。

 

「ありがとう、アノーラ。お陰で窮屈さから解放されたよ。理性を保つのに苦労した」


「もったいないお言葉です。対応が遅れました。お許しください、団長」


 ゼンが唸り声と共に振り返った。背中に庇っていたはずの里人は、一人を除き、口から泡を吹いて倒れていた。

 直立する暗殺者の瞳は虚ろで、茫洋としている。彼の背中には負傷した女性の姿があった。背負われながらも、彼女はしてやったり、と不敵に笑う。


「倒れている人たちは?」


「魔術で失神させました。悪夢にうなされていることでしょう。ご希望とあればトドメを刺しますが」


「やめやめ!なんでそうすぐ物騒な方面に持って行きたがるかなー」


 人類が手にしたことのない膨大な魔力を背景にしつつ、少年は平然と女性と会話していた。

 父は――獣は完全に蚊帳の外である。理性をなくして暴走状態になれば、並の魔獣だって凌駕する天災と化すというのに。全く彼らの意識にのぼっていない。

 ゼンが人間として戦っていれば、あるいは軽視されているのを好機と捉え、潜伏することに専念したかもしれない。しかし、彼は既に精神の半分以上を獣に譲り渡していた。

 無視されていることに苛立った獣は吠えた。ただの示威行為ではない。殺意と暴力を伴った叫びだ。

 少年を庇うために、アノーラを背負った里人が立ち塞がった。人質の壁。相変わらずその瞳は、ほうけているかのように焦点があっていない。

 獣の爪牙はそれだけで戦闘を諦めてしまった。父にはまだわずかながら理性が残っているのだ、とミックは状況も考えず安堵していた。なぜ喜んでいるのか。自分自身の感情の意味も知らぬまま。


「……彼は?」


「自我を一時的に弱らせています。命令すればなんでも聞きますよ」


「そうか。――君!聞いたかい?まだこの人間は生きている。人としての理性が残っているならば、人としての力を振るいたまえよ。獣の勇などもう見飽きたから」


 ミックは何故か少年の言葉に共感を覚えていた。もっと父の技が見たい。

 客観的に見て、少年に怒りを覚えてもいいはずだろう。里人は精神魔術によって操り人形にされ、しかも人質にされている。メイドの女性を密着して背負うという役得では打ち消せないほどに悲惨な扱いだ。

 けれどミックの中には彼への怒りはほとんどなかった。怒りを抱くには相手が強大過ぎたというのもあるかもしれない。

 災害で仲間を喪っても、海や山に怒りを抱けないのと似ている。圧倒的な脅威を前に、人は諦めるしかない。

 彼の心を占めていたのは、偵察任務のことでも、化け物のことでもなかった。ただ、ゼンの技の全てを見たい。それだけだった。


「……どうやら、獣に成り果てたみたいだね。いやはや、あっけない幕切れだ」


 少年の纏う魔力と、多数の術式が一斉に励起した。巨大な翼から供給される魔力を湯水のように消費しながら、少年は魔術を行使する。


「流砂の地獄だ。人としての知識があれば、あるいは逃れられるかもね」


 少年が大地に手をつけた。地面を伝って膨大な魔力がここら一帯を覆い尽くした。変質する。

 硬い地盤が、岩石が、脆く、脆く、崩れて行く。そうして生まれるのは砂だ。本来数万年というスパンをかけて風化するはずの現象を、ただの一瞬で引き起こす。その大魔術はまるで時を操っているかのようだった。

 変質した大地は色さえも変わる。ミックはこの地形をしっていた。

 砂漠という砂の海である。緑も育たぬ不毛の土地。大賢者と共に冒険していた頃も、危険地帯として足を踏み入れないようにしていた難しい地形である。

 その砂漠が、突然現出した。膨大な砂が、頑強な地盤に置き換わり、流れ始める。

 ゼンは慣れない砂に足を取られ、思うように動けないでいる。もがけばもがくほど、流砂からは逃れられない。彼の身体はずぶずぶと砂の海に沈み込んで行く。

 ゼンは砂の海を見たこともないのだ。しかも獣の頭で考える力を失い、パニックに陥っている。

 ミックは思わず叫びたくなった。獣の身体はむしろこの場所に向いている、と。

 ミックの今いる小屋も地盤がやられたせいか、徐々に沈み込んでいる。早晩この足場は使えなくなるだろう。


 もがき沈むゼンを見て、少年が失望と共に吐き捨てる。


「なんだ、その程度なんだ。その程度で、僕たちの命を狙ったんだね。許しがたいや。僕のことはともかく、愛しい子供たちまでに手を上げたのは、本当に許しがたいよ」


 少年の掌には、鉄の槍がどこからともなく現れていた。柄さえも金属光沢を煌めかせる以下にも重そうな武器を、少年は軽々持ち上げ、そして投擲した。

 初速は驚くほどにノロノロとしていた。多分、一歩分も飛ばないのではないかと思わせる弱々しさ。少年がいくら魔術で筋力を増強したとしても、槍投げは腕の力だけで行うものではない。全身の力を余すことなく槍に伝えて、初めて威力を保ったまま遠方に飛ばすことができるのだ。

 少年の小さい体と槍のサイズはあっていない。これでは力を過不足なく槍に伝達することは不可能だ。加えて柄さえも鉄製の槍は軽々飛翔する重量ではない。この武器が投げ槍として機能する道理などなかったのだ。


「貫け」


 直感だ。ミックは己の勘を信じ、身体が動くに任せた。

 道理と常識で考えれば、あのひょろひょろ槍が飛ぶはずはない。しかしあれだけの膨大な魔力を操る超越者が、そんなつまらない終わりを認めるだろうか。

 ミックは脚だけを獣化させ、一時的に瞬発力を爆発的に高めた。たわめた筋肉にエネルギーが凝縮され、ただ一瞬で放出される。

 瞬間、ミックは疾風となった。


 握りしめた拳が、獣の腹を抉るように殴り飛ばす。

 十分な速度が乗せられた一撃は、獣の認識はおろか、飛来する鉄槍にさえも先んじていた。

 もつれ合うようにミックとゼンは投擲された槍の射線から逃れていた。槍は少年の手を離れてから魔術の風によって急加速していたらしい。砂の海に突き立った槍は勢いのまま地中に飲み込まれて行った。


「ふむ。転移……ではなく、隠形か。なかなかの手練れのようだ」


 少年は槍が外れたことを残念がるでもなく、むしろミックの登場を面白そうに見守っていた。少年に絶対服従のアノーラは、その判断に従いミックを攻撃はしなかった。


 獣を吹き飛ばすことで、流砂の危険地帯からは逃れた。ミックは衝動的な行動が成功したことに安堵しつつ、武器を構えた。獣の理性は消えかけている。戦闘は免れないだろう。


「グウゥ」


 獣が身震いをして毛先の砂を払った。パニックは収まったらしく、四肢で軽く砂を噛んでいる。もともと体重が軽く、四足で身体を支える獣は、砂漠で脚を取られにくい形態なのだ。ミックは冒険者時代にそのことを知っていた。

 ミックは崩壊した家屋の一部を足場にしていた。いざとなれば脚を獣化させて砂地の活動もできる。流砂は今も流れ続けているが、とりあえずは心配なさそうだ。


「やぁ!初めまして。僕は東方朔。第二魔術師団の団長をしている。影から現れて、獣に奇襲を仕掛けた君は、僕たちの味方なのか、敵なのか」


 東方朔と名乗る少年が気さくに話しかけてきた。その名前は知っている。第二魔術師団の団長。

 ようやくミックは自らに与えられた大切な任務を思い出した。

 偵察の任。レヴィから本営にいるはずの人間について教えてもらっていたのだ。団長の東方朔と副団長のアノーラ、そして駆動車という大絡繰の操者であるアンシャリーアである。

 東方朔は見掛けと実年齢の一致しない一種の怪物だと聞いていたが……。


「本物の化け物とは聞いてないッスよ」


「ははぁ。迷っているのかい?僕とその獣、どちらが人間で、どちらが人に仇なす魔獣であるのか。それなら迷うまでもない。人は理性と言葉を持つ。姿形がどうあろうも関係ない。意思疎通ができないのなら、そいつは人間じゃないってことだ」


 東方朔は糾弾するかのように人差し指を立てて、獣を指した。

 鋭い指摘を受けても、言葉を介さぬ獣はただ唸りを返しただけだった。ミックと東方朔のどちらを先に狙うべきか、逡巡しているようにも見える。


「……拙者はヘイルダム殿とカリオストロ殿に命じられて偵察に来たッス。山からここの炎が見えたッスからね」


「そうか、ご苦労。アルトタスが持ち場を勝手に離れた?いや、やはり予想通りドラゴンの存在は嘘っぱちだったってことか……。僕を誘き出すために、わざわざそんなことをしなくても、呼んでくれればこっちから出向くのになぁ」


 多分、東方朔を呼び付けて暗殺できるような強者ならば、こんな手段は選ばなかっただろう。ミックは何処か世間から乖離した感性を持つ東方朔を、呆れとともに見ていた。


「で?続きは?」


「続き……ッスか?」


「君がここにいる理由と、君の正体だよ。しらばっくれないでね?極めて高水準の隠形と一瞬の加速。そんな有能な兵士がいたら覚えているはずだし」


 なんとなく流せるかと思ったが、東方朔もそれほど呆けてはいないらしい。返答に窮する。真実を話してもいいのかもしれない。しかし、今回の暗殺計画の実行犯はミックの家族や里の人間である。同類と見なされても仕方なく、切り捨てられても文句は言えない。


「ガウガウッ!!」


 もちろん、忘れてはいない。飛びかかってきた獣の鼻を叩いて、牙の向きを変更。足場が悪い状況では、飛びかかるゼンの一撃も精彩を欠いていた。


 その一撃が踏み出すきっかけになった。


「拙者はゼン・ジャガー・タスケの長男のミック・ジャガー・タスケ。帝国の為に戦いを止めにやってきたッス」


 言い切り、空中に飛び上がった。先程までミックが立っていた空間に、鋭い爪牙が通り抜けて行く。すれ違いざま、背中を蹴りつけてやる。体勢が悪いせいで、大したダメージにはならないが、挑発には十分すぎるくらいだった。

 怒った獣は、ミックをターゲットに決めたらしい。獣は威嚇のために牙を剥く。


 短刀を構えた。今日三本目。毒は塗っていない。無銘だ。獣の毛皮を貫くためには、最善の角度を精密になぞるしかないだろう。

 ミックは己の身分を隠さず暴露した。東方朔は最初あっけに取られていたようだが、何かツボにはまったのか笑い始めていた。


「ははは、君がそこのゼンの子供だって?はーん、骨肉の争いねぇ……。悲劇、実に悲劇。だけど僕は部外者だ。決着がつくのを待つしかないね」


「団長。団長は卑劣な襲撃を受けた当事者です。彼らを罰する資格は十分あるかと」


「いやいや、身贔屓はいけないよ?僕はこの<蟻地獄>と<飛槍>を最後のつもりで放ったんだ。反撃はひと段落ついたというべきじゃないのかな」


 東方朔は噛んで含めるように部下を説得した。不承不承の体ながら、アノーラは構えを解いた。


「親と子供の殺し合いを観劇したいだなんて……団長、趣味が悪いですよ?」


「……いや、君に趣味の悪さは言われたくないけど」


 東方朔は足元で泡を吹いて気絶している暗殺者たちを見ながら言った。よほど悪い夢を見ているのだろう。時折四肢が痙攣し、まるで神経毒をあおったようにも見える。

 襲ってきたのは向こうなのだが、反撃にしてはなんとも惨い仕打ちであった。


 その一幕を視界の隅で捉えながら、ミックはゼンの攻撃を耐え凌いでいた。

 獣の攻撃は速く、しかしそれゆえに読みやすかった。

 違う。こんなことがしたかったわけではない。

 短刀で獣の喉を狙う。飛びかかりに合わせて姿勢を沈め、丁度真上にきたタイミングで全身を使って短刀を押し込んで行く。

 皮の鎧は貫いて。グイグイと奥に刺さって行く短刀。

 血が噴出するよりも疾く、刺し貫く。

 今だ。

 あまり得意でない<吸魔>術式を発動する。急激なエーテル濃度の低下。辛い。息をするのも億劫だ。けれど一番辛いのは半分獣になりかけているゼンの方だろう。

 古の魔力宿る血を残らず絞り出すつもりで、短刀を抉りこんだ。

 獣が苦悶の叫びとともに、どうっ、と砂地に落下する。受身も取れないほど弱っているらしい。


 これでうまく行かなければ……。

 僅かな望みはここで潰える。

 ミックはボロボロに刃こぼれした短刀を放り投げ、新しいものを取り出した。本日四本目。

 足場を探してもがく獣をじっと観察する。

 そのうち砂上で暴れることが無為と気付いた獣が動くことをやめた。水晶のように透き通った瞳でミックの目を覗き込んでくる。

 そこには失われたはずの知性が戻っていた。


「……愚息、か」


「久し振りッスね。頭に上った血は抜けたッスか?」


「ふん、減らず口を」


 ミックの口角は知らないうちに持ち上がり、笑みを浮かべていた。

 獣の身体から体毛が抜けていき、骨格も変化していく。変身が終わると、獣は人間のゼンの姿へと戻っていた。


「相変わらず、容赦がないな。お前に大勢の部下が殺された」


「殺しにくる方が悪いんスよ。野垂れ死の覚悟なんて成人の儀でとっくに決めてるはずッス」


「そうだな。一番悪いのは、お前ほどの手練れを相手に中途半端な腕の人間を送った俺だろうしな」


 自嘲したゼンは大きな血の塊を口から吐いた。内臓が傷ついているのか、寝ているだけでも苦しそうだ。


「帝国での活動を停止して欲しいッス。これは交渉じゃなく、最低限の要求ッスよ?」


「帝国、帝国ねぇ……。国を持たない我らの中から、国を戦いの理由にする変わり者が現れるとはな」


「恩返しッスよ。帝国の人に昔世話になった。その恩を返すだけッス」


「恩を返すために、里人を殺し、仇を作るか。つくづく不器用なやつだ」


 ゼンの手のひらはボロボロだった。うつ伏せに倒れるゼンは、起き上がるために、肘を支えにして必死に身体を起こす。

 ミックはそれを妨害するつもりはなかった。


「変わって……ねぇな」


「帝国軍に喧嘩を売って……。里を滅ぼすつもりだったんスか!?」


「っ!そう……かもな。あの時、俺は確かに里人が死ぬことを覚悟してこの仕事を受けた。――一応、任務を完遂すれば、もみ消してくれる予定になってたんだぜ?まぁ、結果はこのざまだが」


 自嘲の笑いは余りにも乾き過ぎていて、ミックは笑えなかった。乾き切った敏感部分に不用意に触れれば、ゼンを取り返しがつかないほどに傷付けてしまうと危惧したからだ。


「あんたも死ぬつもりだったんスか?」


「最初からそのつもりだったわけじゃねーさ。皆で生き残るつもりだった。勝てば全てを得られる予定だったんだ。つまり、負けたときは全てを失うということなんだろうな」


「どうしてそんな投機的な仕事を受けたんスか!?こんなに大勢を巻き込んで、死なせて!挙句の果てに仲間まで失い、最後に自分の命まで……!それら全てと引き換えにして手に入れた金や名誉に何の価値があるんスか!?」


「……金や名誉の価値か……。知らねーよ、そんなもん」


 ミックには父のその無責任さが癪に障った。


「目ぇ覚ませェッッ!!」


 上半身を起こしかけていたゼンの顔を思い切り殴り付けた。加減をしない一撃は、ミックの拳を痛めるほどだった。ゼンの身体がふわりと浮き上がり、真横に落ちるかのように吹き飛んだ。廃材に衝突して勢いを殺されるまでゼンの老体は飛ばされた。


「はぁ、はぁ」


 ミックは爛々と光る眼で闇の向こう側に消えたゼンを睨み付けた。

 手応えはあった。しかし、殴られる寸前、ゼンは部分的に”獣化”を行っていた。外見に変化がないことから、脳や内臓を保護するために体内のみを柔軟な組織に変質させたと思われる。お互いに手の内はよく知っている相手同士。隠し事はできないのだ。


 ゼンはまだ生きていた。闇の中からにゅっと獣の爪を伸ばし、必殺の斬撃を放つ。実子相手に容赦のない。予期していたミックは大きく後ろに下がることで回避する。しかしその代償として、貴重な足場を奪われてしまう。

 下から見上げるミックは、部分的に”獣化”を行うことで、身体の欠損を補うゼンの凶悪な笑みを見つけた。


「甘いな。毒を塗っていなかったのか。あの毒ならば一族の者にも効くというのに」


「……こっちはあり合わせでやってるんスよ。準備万端でやってきたあんたらと比べて欲しくないッス」


「なんだ、口喧嘩がしたいのか?」


「冗談っ!」


 そこから先はもうミックにも予想がつかなかった。ゼンはここに来てさらに動きにキレがある。人間の身でありながら”獣化”状態にも匹敵するような急加速と急停止の繰り返し。あるいは肉体を強化する地属性の肉弾戦特化魔術師であれば、これぐらいの機動力は持つのかもしれない。しかし、ミックの知る限りでは父も自分も夜の属性。感知に優れた属性は直感的回避技能を高めはするが、根本的な移動速度にはなんら寄与しない。

 目にも止まらない斬撃は、勘で避けるしかない。不正確で曖昧な予測では、華麗に回避とはいかないものだ。致命傷を避けながら、腕を盾にして必死にゼンの動きに食らいついて行く。

 ミックも昔のミックではない。里にいた頃は、頭領であるゼンにはまったく歯が立たなかった。いつも道場に転がされ、いじめ抜かれていた。

 だが、今は違う。古い友人のために、帝国を守る。その意思が心の奥底にはある。その情熱が身体を温めてくれる。ともすればくじけそうになる心を励ましてくれる。

 父に刃向かうという精神的障壁さえ突破すれば、身体能力では互角かやや有利。いつしかミックの腕に新しい傷が刻まれることは無くなっていた。

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