42反攻
ナタリアが倒れた。瞳孔は開きっぱなしで、その瞳に知性は感じられない。
<吸魔>を受けたこともそうだが、こうも立て続けに意識を失うことは、青少年の発育に健全な影響を及ぼすとは考えられない。
事態は非常に悪い。
「その娘に。何を、したのですか?返答を」
レヴィは既に武器を構えている。隊長に遅れて部下たちも。
「……信じてもらえるかはわかりませんがねぇ。なにも。何もしてませんよぅ。貴女が想像するようなことは、ねぇ」
「私の想像できないことをやった、と」
「悪意に満ちた偏見はやめてくださいよ。今は彼女の具合を確かめるのが先決でしょう?」
なおも噛みつかんとしていたレヴィは、唇を噛んだ。本当に彼の仕業でないとすれば、ナタリアの看護は最優先。急務である。やむなく紅雀隊から医療の心得のある部下を選び、ナタリアの元へ行かせた。
道化師はそれを邪魔するでもなく、視線はレヴィの構える無骨な剣へと向けられていた。
「呼吸は安定しています。外傷も見当たらない。体内の魔力不順でもない。ただ意識を失っています。毒ではないと思います。精神的なショックか、精神に作用する洗脳術式か。とにかく気付けの処置を施します」
ナタリアを診断した者の見たてを聞いて、レヴィはより一層剣を握る拳に力を込めた。
「他人に精神的な作用を及ぼすことができるのは、日属性の術式でしたね……っ!」
「確かに私は日属性と地属性のデュエルです。けれどそれだけで疑われるのは心外ですねぇ」
「言い逃れか」
「いえいえ、第二魔術師団の精神干渉担当は私ではないということです。私は彼女のように、繊細な洗脳術式は扱えません。むしろ火力に傾倒した資質なもので」
道化師は嘘を言っているようには見えない。しかし彼の本心を見通すには、それこそ精神に作用する術式を持ってこなければならないだろう。
レヴィは手にした剣を振り抜くか否か迷ってしまった。明らかな敵意や害意を持つ敵対者を切り払うことは得意だが、のらりくらりと巧妙に意図を隠す技巧派の相手をするのは嫌いだ。
その上道化師には、弁説だけでなく確たる戦闘能力がある。レヴィが正面から全力で攻めかかったとしても、勝率は五分というところだろう。
うっかりや、勘違いで敵対していい相手ではないのだ。
緊迫した睨み合いは、意外とすぐに収まった。
ナタリアが目を覚ましたのだ。
「ぐっ、二人とも、落ち着くのじゃ。ここがどこかわかっておるのか?ミックの報告を待つために潜伏しておるのじゃぞ?隠密の待機中に、仲間同士で戦端を開くなど正気の沙汰ではないぞ!」
目覚めるなり、仲裁に入った幼い娘に毒気を抜かれたレヴィと道化師は、どちらともなく構えを解いた。意識を失っていたと感じさせないくらい状況把握が早い。狸寝入りを疑ってしまうくらいだが、彼女にそうする理由は見当たらない。
「ナタリア、大丈夫なのですか?突然意識を失ったりして。そこの男に何かされたのではないですか?」
「そんなことはないよ。多分、気疲れが出たのじゃろう。<吸魔>なる術式の影響が残っていたのやも知れぬ」
それを言われてはレヴィには否定は出来ない。何しろ<吸魔>は魔術ギルドに登録されていない術式であり、その効果や副作用も未知数だ。帝国でも有数の実力者だと自負するレヴィでさえも、術中にはまってしまったのだ。過小評価できる術式ではない。
「それにしても心配です。帝都に戻ったら、医務官に見てもらうといいでしょう」
心底ナタリアを慮るような道化師の声色には、嘘は見当たらない。ナタリアは兵士の手を借りてゆっくり立ち上がった。
医務官といえば、本営にいるはずの団長代理の女がいた。戦場にメイド服でやってくる酔狂な軍人だが、彼女もデュエルには違いない。軍医としての腕前も相当なものではないだろうか。
レヴィがそのことを道化師に言うと、
「軍医のアノーラのことですか。もちろん腕前は確かですよ。彼女も頼まれれば嫌はないでしょう。ただ問題が一つ」
「問題?失礼ですが、人格的なことですか?それなら納得ですが」
ちょっと嫌味を込めて言ってやる。喧嘩馬鹿のバーニアもそうだが、第二魔術師団の団員は変わり者ばかりだ。
「いえいえ、違いますよ。実は件の精神干渉系の術者が彼女なのです。一番得意な魔術は、<精神同調>。術者と対象の感情と意識のベクトルを無理やり一致させる術式です」
「……」
言うまでもなく、一番ナタリアに会わせたくない相手だ。レヴィは第二魔術師団のあんまりな個性に、呆れてため息をつくことしかできなかった。
『……道化師の言ってたことは一旦忘れようぜ。俺たちはまだ、危険地帯の中にいるんだ。様子を見に行った記者も帰ってこねーしよ』
ナタリアは目立たぬように頷いた。忌み子などと言われたのは初めてだが、いい意味ではないことだけは分かる。
努めてその思考から目を逸らしつつ、ミックの消えて行った篝火の方向を見やる。ミックの脚は速い。とっくに戻っておかしくない時間なのに、戻る気配はまるでない。
まさかやられてしまったのか。本営で敵の待ち伏せがある可能性を考慮した上で、彼一人を偵察に出したのだから、織り込み済みの結果ではある。しかし――
「あやつ、まさか一人で戦うつもりではなかろうな……」
ミックと暗殺者たちの間には因縁がある。そのことは知っていた。返り血を浴び続けながらも、ミックは知り合いを月下に打ち倒し続けていたのだ。
「……彼は出会った当初から、彼らとの決着を一人で着けたいと何度も主張していました。まさかこの局面で、短絡的になるとは考えにくいですが、動機はありますね」
ナタリアのつぶやきをレヴィが拾う。ミックに偵察を許可したのは彼女だ。不安を押し殺し、レヴィは闇の向こうを見つめていた。
「さっきは言わなかったことがあるんじゃがな。ミックに関することじゃ」
答えはない。それが話を促す合図と認識し、続ける。
「暗闇の中じゃ。確かなことは言えぬが、暗殺者たちと対等以上に渡り合っていた奴は、ただの人間ではなかった。言葉通りの意味で、な。亜人の、それも獣人のような特徴を持っておった。木々の間をましらのように飛び回り、爪牙によって喉笛を噛み引きちぎる。戦っている最中の姿はまるっきり獣じゃった。”獣化”と言われておったな。……あれが本性だとすれば、飄々として理性的な記者の姿は彼の真の姿を隠すものではなかろうか……?」
魔獣の血を引く獣人。
本質的なところでは魔獣も幻想種の一部であり、獣人も亜人も違うところはない。ただ、気まぐれに人間を助けることもある幻想種と違って、人間に災厄しかもたらさない魔獣は忌み嫌われている。人間と交配する事例が稀。従って獣人の個体数は少ない。
数学者デュアルソロスのように、帝国民として認められている人物は極めて稀であり、多くは辺境で細細と集落を形成している。
ミックがその一員だというのなら、隠れ里で裏稼業に従事していた過去にも頷ける。
「……そうですか。あの者が人後に落ちない武芸者であることは知っていましたが、奥の手もあったようですね。しかしだとすればまずい。私が彼を一人で送り出したのは、彼を信頼したというより、彼の合理性を信用したからなのです。彼一人では戦力不足で敵とまともに戦えない。それでは彼の目的を達することはできない。――我々の戦力があてにされているという前提が覆った以上、もう彼がどう行動するのか、わかりません」
ともすれば判断ミスを認めた形になるのだが、レヴィは些かの躊躇もなかった。個人としての技量によって、他の人よりも多くの責任を背負ってきた彼女は、責任逃れのための巧妙な弁論とは無縁の存在だった。
「見捨てますかねぇ。もとよりどこからともなく、湧いてきたような男です。書類上存在しない援兵を気にしても仕方ないでしょう。偵察が戻ってこないのなら、より強力な偵察を送るか、そもそも攻め込むことを断念するかどちらかでしょう」
より強力な偵察。
道化師は自ら偵察に志願した。確かにミック以上の実力者といえば、彼かレヴィしかいない。選択肢は恐ろしく少ないのだ。彼の私情混じりの提案は、合理性の鎧を纏い他の案を押し退けていた。
「一応魔法陣の備えもあります。魔法陣の魔力が枯れる前に動かないともったいないですよぉ」
魔法陣には時間制限がある。
あるいはこの展開を見越していて、魔法陣の作成に加わったのだろうか。
「いざとなれば、魔法陣の魔力を使って逃げに入ります。それも無理な時は、信号を打ち上げますので。逃げてください」
自己犠牲、とは少し違う。彼は冷静を装っていたが、その裏側には強い感情が渦巻いている。彼ら第二魔術師団が慕う団長が、あそこにいる。団員があそこにいる。仲間の安否を気遣う気持ちは、いくら憎い道化師のものとはいえ、誰も否定できなかった。
第二魔術師団に敵意を持つ紅雀隊も、今だけは道化師に同情している。
そんな中でレヴィは最終判断を下す。
「カリオストロ。あなたに先駆けを任じます。本営に突入後、状況を確認。即座に離脱なさい。その際要救助者がいても、確認までにとどめなさい。誰かを助けるために貴方が犠牲になることなど認めません」
「あれ?なんだか随分好意的ではありませんか?」
「馬鹿を言わないで。私は私の命令で、部下を失いたくないだけです」
レヴィがピシャリと道化師のお巫山戯を叩ききった。
「<吸魔>のおおよその範囲はわかっています。範囲外になるように、本隊はカリオストロに追随。伏兵を排除しながら前進します。散兵で動くように。<吸魔>の弱点の一つはアウトレンジからの魔術攻撃です。あれに既に発動した術式を消し去る力はない」
虎口に飛び込もうというのだ。それにしてはレヴィには悲愴感はなく、むしろどこか楽しそうな節があった。表情は固いのだが、目が笑っているのだ。
レヴィの命令で配置につく紅雀隊。その騒ぎに紛れて、ナタリアは耳打ちした。
「何か勝算でもあるのか?嬉しそうじゃが」
「ん?あぁ、やっぱり私に指揮官はむいてませんね。自分の手で直接仕事ができると思った途端に、小さな悩みが全部吹っ飛んでしまいました。預かった命を無駄に散らせないように、少しでも状況をよくするために、そんな判断は疲れてしまいます。その気疲れが身体を動かすと紛れるんですよ」
確かに頭と身体は連動している。身体を運動させることで、頭がすっきりすることもあるだろう。
運動。確かに運動には違いないのだが……。
「……言っておきますが、油断ではありませんよ?貴女のことはきっと守り切ってみせます。今は生き残れば勝ちみたいなものです。私の側を離れないように」
剣を腰に一本。懐に短刀を三本。背中にジャベリンを二本。大槍を一本。
ナタリアを安心させるように微笑んだレヴィは、兜の覆いを落とし、その笑顔を隠してしまった。
翻り、戦神の如く勇壮に槍を掲げたレヴィは、戦意の高まりによって渦巻く魔力でバタバタと髪をはためかせて叫んだ。
「帝国の誇りにかけて、暗殺者風情相手に死ぬことは許さん。最期の最期まで命を諦めるな。隣に立つ同胞が救ってくれると信じるのだ」
夜闇に紛れての急襲だ。鬨の声はなかったが、得体の知れない迫力をナタリアは感じていた。
頼もしい。味方がこれだけいることが。レヴィが隣に居てくれることが。
みんながいれば、負けることなんてないと信じられる。
道化師に囁かれた毒はもう忘れてしまった。今ならあれは戯言だったと信じられる。
『さて、一種の催眠状態の中で俺くらいは冷静でいないとなー』
闇を切り裂くようにして、紅雀隊は本営へと飛び込んで行った。
道化師は誰とも交戦していないらしい。
予想された本営付近での伏兵や迎撃はなかった。人数と勢いに恐れをなしたわけでもあるまいに。
妨害工作の類さえなく、一行は本営の中心地にたどり着いてしまった。
赤々と燃え続ける炎の正体を知る。
燃料となる手頃な木が乱雑に積み重なり、炎を高く吹き上げている。そのような豪勢な焚き火は失火などではなく、意図的なもの。不自然に強い火勢は、 燃料になんらかの処置が加えられた証だった。
火の粉が宙に踊り、眩しく跳ねる。
そこで二匹の半人半獣が互いを傷つけあいながら、死闘を演じていた。




