↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
肉食獣の遠吠え
PR
46/64

41遺志を継ぐ同志


「これは多分、恩返しのようなものッス」


 初めにそう前置きして、ミックは手短に心境を語った。

 なにせ時間がない。述懐を聞き終えたレヴィは彼の同行を認め、一行は全員で下山を始めた。

 暗闇には日属性の光球がただよい、夜道を照らしていた。

 登ってきた道を辿り、本営を目指す。ドラゴン撃破の策を練ったのは禁軍の将軍補佐のクラックスという男だ。思い返せば、包囲殲滅作戦を主張したのも彼だった。きっと強力無比なデュアルたちの戦力をせめても分散させようという狙いがあったに違いない。この距離では<念話>も到底届かない。予め決めていた連絡手段は狼煙だが、取り決めた本人が裏切り者である以上、非常時の連絡手段が機能するはずがなかった。

 

『通信の電波でも飛ばせれば一発なものを。いや、基地局がないとどのみち役には立たねーか』


 ”声”も情報が不足していることを嘆いていた。

 夜の帳はナタリアたちを分断し、相互の通信を遮断するカーテンだ。他の分隊の様子が分からず、いら立ちと不安が胸の底にわだかまっている。軽口でも叩いてストレスを解消できればいいのだが、見えない敵を警戒したまま冗談を言えるような豪の者はここにはいない。常であれば道化師は軽口を叩いて、真剣な者の神経を逆なでするのが大の得意なのだが、今回に限っては彼も言葉少なだ。東方朔の身を案じているのだろうか。

 短い時間だがナタリアも彼らと言葉をかわし、寝食を共にした。第二魔術師団は一介の幼女に心配されるほど安い組織ではないが、心配だ。敵同然の間柄ではあるが、心配なものは心配なのだ。

 しかしこればかりは考えても仕方のないこと。

 むしろナタリアの意識は先前のミックの告白を思い返していた。彼の気持ちを理解できないとあっては、ナタリアという存在の根底が揺らぎかねないからだ。






「ファーレーンさんは拙者の命の恩人なんスよ。荒野の冒険者だった彼が帝国の要職に迎え入れられたと聞いた時は驚くと同時に、嬉しかったんスよ。世界がやっと爺さんの偉大さを認めたのかって。実際のところ、帝国でどんな扱いを受けていたかまでは知らないッスけど、でも爺さんが認められたことが我が事のように嬉しかった。そんな爺さんが守りたかった国を、拙者も守ってみたくなったんスよ。爺さんと同じことをすれば、せめて彼に近づけるかと思って」


 大賢者ファーレーン。彼は大賢者として帝国に迎えられる前は、辺境の荒野を放浪していたらしい。以前、大賢者のエピソードを語る対価として教えてもらった師父様の過去。

 放浪者時代のファーレーンを知るものは少ない。なにしろ人が住めぬほど魔にあふれているから辺境なのだ。彼の姿を見た人の数がそもそも少ない。

 そしてミックはそんな彼を知る数少ない人物の一人だったのだ。

 大賢者の知人。そう、知人。かつてミックは師父様に命を救われたことがある。彼が大賢者の供をしていたというのは、その縁だ。

 その時の恩を返すためにも、ミックは各地で情報収集に明け暮れ、大賢者の目となり耳となったのだ。

 どこかで聞いた話だ。

 

 命を救われたのは、ミックだけではない。ナタリアだって救われた。師父様のきまぐれのような院への訪問がなければ、ナタリアの人生は全く違うものになっていただろう。泥水の中から、掬い上げられた。その感謝を忘れたことはない。

 

 ミックも同類なのだ。救われ、そして大賢者の生き様に感銘を受け、心酔した。

 彼の為に何かできる事はないだろうか。

 ナタリアとミックの心はそこで合流する。ゆえに同志。

 ミックの遠慮がちな言葉は、明らかに紅雀隊の耳目を気にしたものだった。大賢者の死は一般には秘匿された情報だ。ここにいる者はほとんどが事情に通じた者たちだが、紅雀隊の一部は大賢者の死を知らされていない。護衛の任務を解かれたことや、上層部の混迷から事情を推測している者もいるかもしれない。けれど、公的に発表されたわけでもない大賢者の死を語るのは幽議会の決定に背くことになる。

 

 ミックは幽議会の方針など知るはずもないのだが、数少ない手がかりからおおよその背景を察しているらしい。

 大賢者への敬愛の念に満ちていながら、まるで故人が生きているかのような口ぶりだった。

 そして大賢者を敬愛するのは、何もミックやナタリアだけではない。死の直前まで寝所を守り続けた紅雀隊隊長(レヴィ)も同志の一人だった。

 ミックの告白をキッカケにして、三人の間に共感めいた感覚が生まれたのはナタリアの勘違いではないだろう。

 ミックの語ることが嘘だったとしても、彼の敬愛の念は本物だ。

 少なくともナタリアはそう確信したし、レヴィも同様だった。

 

 衛兵の拘束から脱走したことや、外患誘致の疑惑は一先ず横に置いて、彼の同行を許可したのはそれ以外に理由が考えられない。

 

 先頭集団を走るレヴィの後ろ姿を見つめながら、ナタリアはその確信を強めていた。

 レヴィの隣には同速で走るミックの姿がある。月下に垣間見た獣の脚ではなく、ただの人間の脚で悠々とレヴィに付いて行っている。身体能力が高いこともそうだが、単純に山歩きに慣れているのだろう。大賢者の供として放浪していた頃の副産物かもしれない。

 田舎とはいえ、平坦な開拓村出身のレヴィよりも、よほど山歩きがうまいのだ。

 走る上で邪魔だと判断する枝の数が必要最低限を越えないから、切り開く動きも少なく、結果的に速度をまったく落とさずに山道を駆け下りていける。<循環盾>で身体を繭のように覆った上で体重を乗せた突進で、強引に道を切り開くレヴィとは対称的な走法だった。


「勘違いしないことです。私たちは貴方を信用したわけではありません。不確定要素を野放しにしておくくらいなら目の届くところで監視していた方がまだましだと判断したまでです」


 一瞬視界が開けて、周囲を見渡すためにレヴィは立ち止まった。その際にミックに向かって言葉を投げつけるように強い口調で叫んだ。


「わかってるッスよ。事が終わればこの国を出て行くッス。もう迷惑はかけない。これは最後の奉公なんスよ」


「はぁ……。そもそも、一体どうやって抜けだしたのですか?施錠された部屋に入れられていたはずですが。――まさか、守兵を襲ったのですか?」


「いやいや、そんな事してないッスよ!!本当ッス!!あれは本当に鍵を開けて脱出させてもらっただけッス。自慢じゃありませんが、隠形にはちょっと自信があるッス。衛兵の監視をごまかすくらいはわけないッスよ」


 彼らは再び走りだす。ミックとレヴィの走りについていけているのは、道化師くらいなものだった。ナタリアや多くの紅雀隊は息を切らしながら、斜面を降りていくのが精一杯。

 ミックたちが立ち止まった間に追い付くことが出来たが、休む間もなく二人は駈け出した。げんなりしながらも、気勢を吐いたばかりの紅雀隊は弱音を漏らすことも出来ない。汗を流して隊列を乱さぬように、走り続けるしか無い。


「……要注意人物を勾留するための設備ですよ?錠前だって並みの物ではありません。地属性の変性も受けにくい特殊素材が使われているのです。道具も魔術も使わずに錠を破ったとでも言うつもりですか?」


「鍵は開くためにあるもんッス。開け閉めするために作られた機構を開けないはずがないッス。それに道具なら使ったッスよ?記者の嗜みとして錠前破りの道具は携帯してるんス」


「それもおかしい。貴方を拘束した際に持ち物検査を行いました。不審物は無かったはずです。加えて所持品は全て預かりました。検査の眼を逃れて隠し持っていたのですか?」


「……取材道具に偽装してるんスよ。ほら、あの時。お弟子さんとの取材で、道具一式を一時的に返してくれたじゃないッスか?あの時にちょっと、ね」


 手癖の悪さを告白するミックはきまり悪げだ。


「……なんという――見逃した私の油断が原因ということですか」


「まぁ、そうッスね」


「そこは義理でも否定なさい!一番の原因はあなたでしょうに」


 レヴィは怒っていたが、ミックは軽口で答えてみせる。この非常時に、呑気な。苛立ちを感じると同時に、頼もしさも感じる。レヴィやミックのように、圧倒的劣勢でも揺るがない精神性というものは、集団の大黒柱になりえる。

 ミックのそれは、果たして頼もしさの発露なのかそれとも――


 ナタリアたちは懸命に走った。其の間、襲撃を受けることはなく、山頂からドラゴンの咆哮が響くということもなかった。

 もう少しで麓にたどり着けるというところで、火が見えた。遠方、方角からして本営の場所に違いない。篝火というには大きすぎる炎を見て、ミックが叫んだ。


「あれを見るッス。普通の明かりじゃあ、ないッス」


「……そう、ですねぇ。パパが暗殺者如きに後れを取るとは思いませんが」


 心なしか道化師の言葉には自信が感じられなかった。常に飄々としている彼にしては珍しいことだ。


「第二魔術師団の団長、ですか。ただの子供ではないのですね」


 レヴィが呟く。彼女は成り行きでここまでやってきた。東方朔の実力を直接目にしたわけではない。現在の総指揮を行っているのは副団長のアノーラであるから、そもそも知り合う機会がなかった。


「パパは偉大なる魔術師です。我々の中でも群を抜いて強いお方だ。けれども、見ての通り身体は小さい。普通の暗殺者などものの数ではないでしょうが、<吸魔>を凌げるかどうかは……」


 道化師自身が味わった<吸魔>の恐ろしさ。東方朔を案ずる彼の相貌には、何故か昏い歓びにも似た奇妙な笑顔が張り付いていた。

 何気無くその表情を目撃してしまったナタリアは戦慄する。この得体のしれなさ、これこそが道化師の本領なのだ。一体何を考えているのか、どのような未来を望んでいるのか。意図の読めない恐ろしさ。

 ナタリアの視線に気が付いた道化師は、陽性の笑顔の仮面を被ってナタリアに笑いかけてきた。


「安心してください。何が起こっていたとしても、貴女は必ず守ってみせますよ。それが私の任務です」


 言ってくれたのがレヴィか、”声”であるならば素直に感動できたのに。

 ナタリアは頬を引きつらせて、辛うじて笑顔で応えた。

 こちらの緊張は手に取るように分かっているだろうに、道化師はそれを指摘することはなかった。代わりにこの集団の頭であるレヴィに呼び掛ける。


「あの炎。どうやら、暗殺者どもの襲撃は本営にも等しくあった、と考えるべきです。既に撃退しているのならば、万々歳ですがねぇ。それ以外の状況ももちろん考えられる」


「確かに炎の様子が不自然です……つまり、拮抗して今も交戦中なのか、それとも……」


 レヴィは言葉を濁した。道化師に面と向かって、最悪のケースを具体的な言葉にすることを避けたのだ。弱気というよりも、罪悪感がレヴィの口を縛ったのだ。レヴィの中で第二魔術師団という将来の敵の戦力が減じたことを喜ぶ気持ちが、ほんの少しあったから。

 しかし道化師は気遣い無用とばかりに、冷静に予想を述べていく。


「本営が既に壊滅している可能性も十分あり得ます。あの術式を食らえば、魔術や魔法が使えなくなるのみならず、体調に変調をきたします。無防備に昏倒したところを襲われたとしたら、賊の数は少しも削れておらず、万全な状態の暗殺者と戦う羽目になるでしょう。待ち伏せなんて食らってしまえば、救援にやってきたこちらが逆にやられる、なんてことにもなりかねません」


 ナタリアとミックというイレギュラーがいたからこそ、暗殺者の急襲を退けることができた。しかし他の分隊にはそのような天佑はなかった。最悪の予想が現実ではないという保障はないのだ。


「その場合、逃げることも視野に入れなければなりませんねぇ。賊どもを皆殺してやりたいのはやまやまですが、相手の企みも見抜けず、返り討ちなんてことは絶対に認められない」


 一刻も早く安全を確保したいナタリアとしては、逃げてくれるのは都合がいい。ただ帝都までは簡単に歩いて帰れる距離ではない。道中の魔獣のことまで考えて、安全な帰路というならば、アンシャリーアの駆動車に優るものはないのだ。


「判断を下すには情報が不足しています。斥候を出します」


「じゃ、拙者が行くッス。隠密は得意ッス」


 ミックを信じきれないレヴィは簡単には頷けない。しかし結局消去法で彼以外の選択肢がないことに気づく。本営の襲撃が例の暗殺者たちの手によるものならば、本営周辺のエーテルが枯渇している可能性がある。平凡な魔術師では死にに行かせるようなものなのだ。


「……くれぐれも、独断専行を慎むよう。貴方が軍令の外側にいることは理解していますが、今だけは私の指示に従ってもらいます。いいですね?」


「分かってるッスよ」


 そういい残し、闇夜に浮かぶ灯火に向かってミックは駆け出して行った。


 

 

 

 

 状況が明らかになり次第、行動は開始される。緊迫した空気が辺りに漂っていた。

 そんな中でナタリアは保険となるべき魔具を作成していた。

 魔法陣である。魔力を保持する魔法陣は、吸魔に対する有効打になりうる。持続時間が短いのが欠点なのだが、ナタリアの懐には腐り清水があった。魔術の触媒であるこの魔法水は、魔力に対して非常に高い親和性を持つ。

 元々は魔力を利用した回路作成の一助になりはしないか、と独自に考えて購入した品だ。もしかしたら、何かの役に立つかもしれない。

 草原を払って平地を作り、ちょこんと腰を下ろした。実験室ほどの設備は望めないから、有るもので我慢するしかない。

 懐から紙と作業用の小刀を取り出す。

 葉の広いものを二三見繕って、小刀で刈り取った。

 葉っぱの器の中に注意深く腐り清水を垂らしていく。一滴、二滴。

 ナタリアの実験を見ていた道化師がこちらにやってきた。


「その魔力水は、もしかして腐り清水ですか?」


 ナタリアが精密作業をしていると理解しているのか、気に障らない程度のささやき声だった。

 あまり人に見られたくないものだが、緊急事態だ。仕方ない。

 黙ってコクリと頷いた。


「ふむ。そういえば魔法陣を使ってみたいと先程言ってましたねぇ。腐り清水を血液に混ぜると固まるのが遅くなるという話は聞いたことがありますがね。それを試してみるつもりですか?」


 なんだそれは。初耳だ。動揺を押し隠し、ナタリアは再びコクリ。

 何かしら効果があって欲しい。あるだろうという予想だけで、腐り清水を使ってみたのだが、彼のような魔術の大家にとっては、魔法陣と腐り清水の組み合わせは常識だったらしい。

 あるいは師父様だってきっとご存知だったろう。あと少し、共に生きられたら、伝えられていた知識の一つだったのかもしれない。

 込み上げかけた思いをため息にかえて吐き出すことで、涙を堪えた。


「ふぅ……。あぁ、彼奴等の小賢しい術を破ってやりたくてな」


「ふむ。確かに一時間も保てば、一戦闘行為には十分事足りるでしょうねぇ。しかし準備が大変だ。労力に見合った効果とは言い難い……が、この局面に限ればうまい一手です」


 道化師に褒められたところで、嬉しくもなんともない。嬉しくはないが、自信はついた。少なくとも思い付きで始めた魔法陣が、無為に終わることはなさそうだ。

 道化師はさりげなく、作業の様子を見ているようだ。見られて気分の良いものではないが、この際彼に教えを乞うのもいいかもしれない。そうだ、それがいい。第二魔術師団には散々迷惑をかけられたのだから、少しくらい得をしたっていいではないか。


 小さな器の内側で、血液と魔法水が混ざり合い、薄紅色の液体となって渦巻いていた。粘性を減じた血液はさらさらと水のように滑らかだ。

 精神を集中する。耳に届く虫のさざめきが遠く離れていく。土の暖かさと柔らかさも、もう感じられない。

 木板に魔法陣を描く。基本は環。針と糸を使って正円を描き出して大枠を決めてしまえば、あとは細かい描き込みだけだ。時間はなかったが、ナタリアの筆運びは片時も止まることはなく、短時間で一つ魔法陣を完成させてしまった。


「随分手際がいいですねぇ」


「師父様に仕込まれたからの」


 普通魔術を覚えるのは身体が成長してからである。身体がある程度大きくなければ、鍛錬としての魔術行使のための魔力の抽出さえ苦労するからだ。

 ナタリアの場合、その特異な体質のせいで体内の相反する属性の魔力が反発を起こす前に、迅速に魔力を制御する術を知る必要があった。体の小さい子供が大魔術を行使するためには、魔法陣を使わざるをえない。

 必要にかられて、ナタリアは何枚もの魔法陣を作ってきたのだ。作業に慣れているのは当然のことだった。


 そして魔法陣に慣れているナタリアは魔法陣の異変にも気づいていた。

 人体を模した血の循環が驚くほどにスムーズだ。このような劣悪な作業環境での制作だというのに、今まで描いたどの魔法陣よりも上等だ。ちょっとありえないくらいに。


「これが、魔法陣ですか。なるほど、これならばあの妖術の影響を無視して魔術を行使できるかもしれませんねぇ。……よろしければ、私にも一筆試させてもらえませんかね。材料が余っていれば、でいいのです」


 道化師はいたく感心していた。魔法陣自体は見慣れないようだが、この魔法陣が強い魔力を秘めていることは見通したのだ。

 腐り清水は一瓶分ある。この規模の魔法陣を描くのならば、二十回分はあるだろう。どうせミックが偵察から戻ってくるまでの手慰み。ナタリアは道化師に席を譲った。

 彼の実力を間近で観察するいい機会だ。

 道化師は自らの唇から一筋の血を流し、腐り清水と混合させ魔法陣の作成に着手した。

 予想していたほどには、道化師の筆運びはうまくなかった。一定の細さの線を長く伸ばすのが難しいのか、悪戦苦闘している。小さな頃から精緻な地図の模写に親しんでいたナタリアからすれば、呆れるほどにたどたどしい。

 ナタリアの倍以上の時間をかけて、道化師はようやく魔法陣をかき上げた。

 乱雑で歪な円には、しかし術者の馬力というか元々の魔力が凄まじいせいで、ナタリアの作よりも貫禄のある仕上がりとなった。荒々しい筆使いで、なんというか風格がある。

 性能でも作業効率でもミスの少なさでも、全てにおいてナタリアが勝っているはずなのだが、何故か負けた気がする。


「あー、なかなか難しい。見ている分には簡単に出来そうに思えたんですがねぇ。術式のようにうまくはいかないようです。……はい、返しますよ」


 自分の魔法陣と、道化師の作った魔法陣を見比べていたナタリアは、余所見したまま曖昧に頷いた。腐り清水の瓶が手渡される――そう思った時だった。


「おっと、失礼」


 瓶の蓋がしっかり閉まっていなかったのか、傾いた瓶の口から貴重な腐り清水が僅かにこぼれてしまった。

 こぼれた液体は、ちょうど瓶を受け取ろうと手を延ばしていたナタリアの右手に降りかかる。

 上の空だったのが、悪かった。手を引っ込める暇もない。ナタリアの手に、お湯を浴びせかけられたような熱さがやってくる。


「あ、熱っ!うわっ、なんじゃ!?」


『んな!ま、まずい!』


 ナタリアの肌に触れた腐り清水は、当然の反応を示しただけだ。

 魔力への親和性の高いこの液体は、触れた人間の属性の影響を受ける。

 夜の属性ならば、液体からは熱を奪い。

 日の属性ならば、水泡を生じる。

 地の属性ならば、透明の液体に色を与え。

 空の属性ならば、停滞した液体に流れを生む。


 世にも珍しい四重属性をその身に宿すナタリアが触れた腐り清水は、それら全ての反応を示す。


「……色、変わりましたねぇ」


 道化師が口角を釣り上げた。地面に吸い込まれ、あっという間に消えていく腐り清水は、薄い小水のような黄色に染まっていた。


「やはり、お仲間でしたか。二重属性の呪われた忌み子。忌み子の周りには災厄が降りかかる……大賢者を喪ったのは辛かったでしょうに、一人でよくここまで頑張りましたね。えらい。これからは私たちが貴女に居場所を与えてあげます。――差し当たり、暗殺者の魔の手から貴女を守ります。くれぐれも一人にならないよう」


 バレた。バレてしまった。

 二重属性、デュアル。第二魔術師団がそのような特異体質の者ばかりが集められていることは知っていた。

 道化師が以前より見せていた謎の親しみの理由は、多分これだ。仲間意識、同族意識。なにしろデュアルは社会的マイノリティだ。勝手に共感を持たれていたのかもしれない。

 今は非常時。道化師は今すぐどうこうする気はないだろうが、それが将来も続く保証はない。


『誤魔化せるか?』


 無理だろう。改めて調べられれば、ナタリアの体質のことが明らかになるだけだ。これは疑いを持たれた時点で暴露してしまうという、薄氷の上の秘め事だった。何時迄も隠し通せるものではなかったのだ。


『ちっ。だがまだ望みはある。四重属性ってのは世界にまたといない貴重なサンプルかもしれん。だが、デュアルならばそうでもない。ここにいるだけでもデュアルは六人。国家単位でみればまだまだ例のある方だ。それは奴らを見ていれば分かる。自由奔放で、とても軍部に飼い慣らされる連中じゃねー。ようはサンプルだと思われなければいい。連中の真似をすれば、少しは破局を先延ばしにできるかもしれねー』


 ナタリアも一体これから何が起こるのか、皆目見当がつかない。いや、見えているのに、見ない振りをしているだけなのか。”声”の語った恐ろしい話は脳裏にこびり付いたまま。

 どうしようもなく、油断していた。

 失態、失態、失態。

 

 ぐるぐると嫌な妄想が脳内を駆け巡る。師父様の言いつけに背いてしまった。あぁ、これからどうすれば、何をすればいいのか。

 一生隠し通せる類の秘密ではない。<循環盾>を公開して、空属性の術式だと宣言すれば、誰かが疑いを持ったろう。夜属性の術者が、空の術式を開発できるものなのか?と。いろいろ言い逃れはできるし、抜け道もあるのだが、結局疑われた時点で秘密は守れなくなるのだ。暴露されるのは、ある意味で仕方のないことだった。

 とにかく相手が悪い。師父様は軍に近づくな、と言っていた。属性のことを公言しないように、とも言っていた。

 タイミングも悪い。幽議会が終了してから、師父様の没と同時に広まるのなら仕方が無い。むしろ大賢者の後継者としてこれ以上ない箔が付く。けれど中間発表さえ終えていない状況で、よりにもよって……。


 ナタリアの顔色が変わったことを見抜いた道化師が屈み込み、ナタリアの小さな肩を慰めるように叩いた。


「大きすぎる力は、静かな湖面にも波をもたらす。貴女の力は貴女一人が責任を負うには大き過ぎるものです。大賢者の死を責任に思う必要はありません。誰のせいでもない、彼は病気だったのですから。貴女は何も悪くない」


 足場が消えたかと思った。底の見えない無明の闇に転落していくような。

 立っていられなくなったナタリアは、膝から崩れ落ちた。精神的ショックが心の処理能力を超過したのだ。


 ナタリアは糸が切れたように倒れてしまった。周囲で見ていた兵士たちは、道化師が何かしたのかと、色めき立つ。レヴィが抜刀する。

 それらの騒動をナタリアが知覚することはできなかった。”声”さえも届かない。”声”は状況の推移を見守る以外に他の方法を知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。