40豹の暗殺者
ナタリアが目覚めた時、辺りには大勢の殺気立った気配があった。
うつ伏せで倒れている自分を自覚する。血と泥が混ざって顎が汚れている。多分擦り傷だろうが、じくじくと痛む。
微かな痛みを無視して、ナタリアは気取られないように静かに上体を起こした。
身体が重い。目がくらくらする。
とにかく状況を把握しなくては。
『奴ら本性を現しやがった。毒か何かでこっちの兵隊は全滅だ。レヴィも抵抗していたが、今は意識を失っている。こっち側の人間でまともに動ける人間は一人も居ねぇ』
”声”の状況説明を聞きながら、ナタリアは失神するまでの状況を思い出していた。
――突然、わけのわからぬまま、絶大な苦痛がナタリアを襲ったのだ。立っていられないほど、意識を保てないほどの機能不全。そしてそれはナタリアだけでなく、他の紅雀隊をも襲ったらしい。
毒を盛られた記憶はない。そこまで気を許しては居ない。
しかし犯人だけは分かっている。黒塗りの短刀で道化師とレヴィを殺そうとしている憎むべき裏切り者達。暗殺者たちは地中から湧き出たのでも、天空から降ってきたのでもない。彼らは背後から現れた。彼らは護衛と称し、同行していた禁軍兵士たちだ。
裏切りには少しばかり慣れたと思っていた。だが、まったくそんなことは無かった。
むしろ余計にショックに感じたかもしれない。
『どうする?逃げるのなら、なんとか俺が時間を稼いでみてもいいが……』
”声”の叡智は頼りになる。しかし”声”は実体を持たない。彼が足止めするというのならば、周囲の物を振動させるあの現象を再び起こすつもりだろう。チンピラ相手ならともかく、冷たい目をした軍人相手に子供だましが通用するとは到底思えなかった。
夜山に人声はよく響く。
「よくも里の仲間を殺ってくれたな!貴様の命を奪ったところで、失われた命が還ってくるものではない。だがせめて、貴様の首級を仲間の墓前に捧げてやらねば気が済まん!」
そこに込められた怒りと怨嗟。負の感情。
暗殺者が短刀を振りかぶった。その軌道は間違いなくレヴィの首を落とそうとするものだった。
危ない!と叫んだところで意味は無い。レヴィは意識不明であり、ナタリアが幾ら叫んだところで何の役にも立たない。
とにかく、なんとかしなくては。しかし、どうやって。
「お主の……お主の力で……!!」
”声”だ。彼ならば擬似的に時間を停滞させたような空間を造ることが出来るはずだ。本能的に頼ってはならないと感じていた力に手をかける。これは非常事態だ。仕方のないことだ。そう自分に言い聞かせて。
『待て!援軍が来たぞ』
”声”の叫びとほぼ同時に。
振り下ろされた短刀は跳ね飛ばされ、暗殺者の一人が膝を折りその場に昏倒した。寸前で潰えた斬撃。寸前で助かったレヴィには傷ひとつ無い。
暗闇に溶け込む黒い装束。音もなく忍び寄り、暗殺者を屠ったのだろう。その人影は倒れた暗殺者に見向きもせず、次の得物に飛びかかった。
不意打ち。またも一人の暗殺者が地に伏す。二人の犠牲者を出して、ようやく彼らも乱入者の存在と脅威を認識する。ナタリアにとっては予想外の援軍になる。
「何者だ!くそっ、警戒しろ!こいつ、魔術なしのくせに結構動けるぞ!さっさとターゲットを始末して、態勢を整えろ」
暗殺者たちは固まって、闇夜に目を凝らした。狩る側の人間が、一転。狩られる側に回ったのだ。気が動転しているのは隠しようがなかった。
もはやナタリアを見ている者は誰も居ない。注意が逸れている。好機を逃さず、そっと身体を木の影に隠す。
『魔術は使うなよ。多分、使えないはずだぜ』
足音を夜の術式で掻き消そうと思っていたが、”声”の言葉に考え直す。
確かに魔術は機能不全を起こすだろう。
この空間は奇妙なほどにエーテルが薄い。一時的にこのような異界が形成されることはままあるだろう。しかしその変化は永続するものではない。
そう。継続的にエーテルが枯渇するというのがまずあり得ない。狙ってこの状況を呼び寄せる方法など思いつきもしないが、暗殺者たちにとって有利な現象がこうも都合よく発生するはずがない。これは彼らの仕掛けであり、彼らにとっての絶対的に有利なフィールドということだろう。
考えてみれば、毒を盛られてやられたというより、レヴィ達の身体の不調はエーテルの欠乏によるものなのかもしれない。見に覚えのない服毒疑惑よりも、こちらの可能性のほうが高いだろう。
樹の幹に身体を隠し、頭だけをのぞかせる。狼狽し、羊のように集団で固まる暗殺者たち。彼らに対する恐怖心は薄れていた。
原因不明のだるさはいつの間にか和らいでいた。身体が慣れてきただけかもしれないが、走るくらいなら出来そうだ。痛みももう感じられない。
『逃げるにしても、土地勘の無い山道だ。単独で逃げ切れると思わない方がいい。なんとか紅雀隊の連中を叩き起こせればいいんだが……』
「作戦開始の狼煙は既に打ち上げられた後じゃ。……今からこの山はドラゴンの狩場になるじゃろう。戦力となる道化師とレヴィが居ないのでは、この場所もドラゴンに蹂躙されるのではないか?」
『そう、だな。くそっ。だとすればあいつらはどうするつもりなんだ?ドラゴンの事を忘れている訳ではあるまいし。逃げ切ってみせる自身が奴らにあるということか?それにしては、あいつらに焦りが見えねぇ』
暗殺者たちの行動原理を”声”が推測している間に、ナタリアは小石を集めた。
魔術が使えなくとも、頭を働かせる事はできる。暗殺者たちは黒装束の乱入者に気を取られている。自由に動けるのは今しかない。
『毒が撒かれている?いや、こんな開けた野外で毒ガスだなんて、効果は薄いだろう。飲食物に何か混ぜられた?いや、そんな不審な動きは無かった』
「エーテルが無いのじゃ。今、この場はエーテルの濃度が極めて希薄になっておる。ここまでのエーテル不足は大魔術を発動した直後の一時的な状態でしかありえないはずなのじゃが、どうしたことかエーテルの欠乏がこの場では永続しておる。こんな奇妙な場では普通の人間ならば参ってしまってもおかしくないじゃろう。問題はどうやってこんな摩訶不思議な現象が引き起こされているのか、ということじゃが……」
『エーテルの欠乏だ?それでレヴィたちが失神してるってことか。ならその原因を取り除かないことには、ちょっとゆすり起こしたくらいじゃあ、目覚めはしない……』
キン、と場違いな金属音が山中に響いた。
黒衣の乱入者の短刀と、暗殺者の短刀が打ち合わされたのだ。
乱入者のアドバンテージは素早い身のこなしよりもむしろ、奇襲が成功したことにあった。既にその存在を掴まれ、防御陣形まで作られてしまっては、彼も攻めあぐねているようだ。時間が経つにつれて、暗殺者たちの動揺も収まっていく。彼らも闇夜に生きる稼業の人間だ。幾ら黒装束を着ていたとしても、慣れてしまえば彼らの目で捉えることは容易いこと。
金属音が連続した。それは乱入者の攻撃が暗殺者を傷つけることができなくなったことを意味している。
「ふんっ。不意こそ打たれたものの、冷静に立ち返ってみれば見覚えのある太刀筋。その戦闘術は我らの里のものではないか!抜け忍か?いや、貴様は……」
「元後継者のミックか!?」
「こんな山中にまで我々の邪魔をしに来おったか!!幾ら頭領の息子とはいえ、勘当された者に容赦はせんぞ!!よくも我らの前に姿を見せられたものだな!!」
ミック。まさか彼が。彼は帝都で拘束されていたのではなかったか。
思わぬ知人の名前にナタリアは不意を打たれた。
しかし答える声は彼のもので、
「できるならば。血を流さずに、解決できればそれに越したことはないと、思ってるんスけどね。おやっさんもこの山から手を引いてくれる気はないッスか?」
「馬鹿を言え。この任務は頭領が久しぶりに受けた大口の依頼だ。一族郎党、六十余名がかりの大仕事だ。裏切り者一人の戯れ言で、今更引き返せるものかよ」
黒衣の乱入者はミックだった。それだけでもナタリアにとっては大きな驚きだった。記者である青年は魔術すら使わずに、人間離れした機動力を発揮している。その上、彼は暗殺者とも深い知り合いのようだ。頭が混乱してきた。
「貴様こそ、お父上に会っていけ。お前が里を出奔して、烈火の如くお怒りだったのだぞ。貴様の首は己の手で叩き落としたい、と常々仰っていた」
「冗談きついッス。拙者に死にに行け!と?」
「なぁに、親子が会うのに特別な理由は必要あるまい」
親しげに、刺々しく。会話しつつも、凶刃は閃く。一進一退。いや、数で負けているにもかかわらず、なんとか勝負に持ち込めているミックの技量の方が上なのだろう。
ミックの連撃に暗殺者たちは防戦一方だ。
「こ、このままでは<吸魔>が持ちません!どうせ奴には<吸魔>が効かないのです!解除して、奴の排除に専念するしかありませんよっ!」
「やむをえん。”獣化”したぼっちゃん相手に我らだけでは手が余る。さっさとターゲットにとどめを刺せ!その後、ミック・ジャガー・タスケの排除に全力を尽くせッ!やつはもはや里の人間ではない!敵だッ!!」
「「はッ!!」」
『ヤバイ!レヴィたちはまだ目を覚まさないぞ!』
膠着状態を嫌った暗殺者たちは、強引に任務を完遂させるつもりらしい。彼らの標的がナタリアでは無かったことを喜ぶ暇もなかった。道化師だけならともかく、彼らはレヴィをも標的としている。見過ごすわけには行かない。
思い切り遠くへ、小石を投げ飛ばした。あさっての方向に飛んでいった小石は、暗殺者たちに命中することはなかった。
しかし――
藪に落っこちた石は、がさりと葉音を立てていた。戦闘中とはいえ、基本的に静寂が支配する夜の山である。その音を聞き逃した暗殺者は一人もいなかった。
彼らの意識がそちらに向かう。拮抗状態。ミックにとってはそれだけの隙が与えられれば十分だった。
獣のような叫び声を上げて、ミックが跳びかかり、一人の暗殺者打ち倒した。喉に噛み付いたミックは、喉の皮膚を食い破り、一瞬にして相手を絶命させた。
残りは二人。三人で陣形を組むことによって今までの膠着状態が維持されていたのだ。暗殺者たちにとって、この脱落は手痛い損害だろう。
「なんだ今の物音は!?ミック!貴様の小細工か!?」
「天の助けッスよ。おやっさん、降伏してください。おやっさんまで手に掛けたくないんスよ」
「あ!!あの妙な子供がいない!!」
気づかれた。ナタリアは慌てて身を隠すが遅かった。目ざとい暗殺者の一人に見つかってしまい、手に持った小石も見られてしまった。
「舐めたマネしやがるッ……!」
「待て!ぼっちゃんを止めるのが先だ!」
ミックの短刀を辛うじて防いだ暗殺者のリーダーが叫んだ。ナタリアの隠れている木の下に駆け寄ろうとしていた暗殺者は地団駄を踏む。
「なんだってあんな子供が<吸魔>の中で動けるんだ!?畜生、気をつけるべき相手は魔人だけじゃなかったのかよ!!」
<吸魔>。それがエーテルを奪う秘術の名前。エーテルが無ければ魔力は生成できず、必然的に魔法や魔術も使うことは出来ず、吸収されてしまう。なるほど、原理はわからずとも魔術師にとって致命となる術式なことは分かる。
ナタリアが体験したように、たとえ魔術を使わずとも、エーテルが無くなれば日常の動作にさえ支障をきたすようになる。
”声”にエーテルの存在しない世界を聞いたことがあるナタリアは、エーテルが失われた場所を正しく想像できていた。想定はしっかり出来ていたのに、今回後れを取ってしまったのは、想定よりも苦痛が遥かに強かったからだ。エーテルを使わないことに慣れさえすれば、この程度の負荷はどうということはない。
彼らにとって絶対有利な空間で、まさか頭数にすら入れていなかった子供に足を救われるとは思っていなかったのだろう。その侮りが命取りだ。
「殺ったッス!!」
裂帛の気合と共に木の上からミックが飛びかかった。体重と勢いの両方が存分に乗った斬撃をしのげる暗殺者がいようはずがない。頭部を叩き潰された暗殺者の末路は、即死以外にあり得ない。人間離れした身のこなしを見せるミックは、度重なる人斬りによって使い物にならなくなった短刀を放り捨てた。
残りは一人。指揮する部下もいなくなったリーダーは、乾いた笑いを漏らした。
「ははっ。ぼっちゃん、容赦ありませんなぁ……」
「二度は言わないッス。この案件から手を引く気がないというのなら、拙者はその全てを打ち払う所存。恩義の為、今ひとたび帝国の刃とならん」
その時雲の合間から月光が降り注いだ。僅かばかり明るさが山に注がれ、暗くて見えなかったミックの姿が顕になる。歪に曲がった両脚と、鋭く尖った長い爪。獣のような体毛が生えたその姿は亜人にしか見えなかった。尖った犬歯には哀れな犠牲者の血液でてらてらと光っていた。
人間とは異なる位置にある膝関節が、大きく撓む。人間離れした跳躍はあの脚のバネが生み出していたに違いない。
ゴム毬のようにぽーん、と跳んだミックは武器を持たない両腕でリーダーに殴りかかった。鋭い爪と短刀が交錯し、全力で押し合う。
その均衡は一秒も保たなかった。短刀が耐えられなかったのではない。獣の膂力に対して、暗殺者の握力が不足しすぎていたのだ。弾き飛ばされた短刀は闇の中に消えていく。夜が明けるまで探しまわっても見つけることは出来ないだろう。
「ふん……。最期に、聞いても?」
「……何ッスか?」
「頭領の――お父上のことはどう思ってるんで?」
「……何も言わずに居なくなったこと、悪いと思ってるッス。でも、考えを曲げる気はないッス。実の父よりも、大切な親父を知ったんスから」
リーダーの首が刎ね飛ばされた。
宙を舞うその顔は、泣いたような笑ったような、えも言われぬ表情だった。
暗殺者が全滅したことで、<吸魔>なる魔術は完全消失したと言っていい。夜の感知で、周囲のエーテル濃度が正常値に戻っていることを確認した。
<超感覚><循環盾>など、必要と思われる常在型の術式を次々に展開する。まだ安全な場所に着いたわけではない。
『狼人間……』
「ミック・ジャガー・タスケ……じゃな?」
奇妙に捻れた脚は段々と人の形を取り戻していく。気が付いた時にはミックの異形は蜃気楼のように消え去っていた。
人の形を取り戻したミックは、降りしきる血の雨の中で、瞳を閉じていた。長い爪は縮んで人の指に戻ったが、赤黒い返り血だけは消えることはなかった。
「その声はお弟子さんッスね」
郷愁さえ感じられる後ろ姿。振り返らず、ミックは言い当ててみせた。
やはり彼はあのミック・ジャガー・タスケに違いないらしい。
「その姿……いや、そんなことはどうでもよい。何故ここに居る?いや、それも些細なことか。ともかく――今は一刻も早く避難せねばならん。山中でドラゴンを見たか?運が悪ければもうじきこの場所にドラゴンがやってくるじゃろう。迎え撃つ予定だったのじゃが、この有り様では不可能じゃ。なんとか怪我人を逃さねば」
「なるほど、そんなことになってたんスか。もちろん、協力するッスよ。ただ、多分怪我人はすぐに目を覚ますと思うッス。エーテルが足りなくて気絶したのなら、エーテルが供給されれば当然目は覚めるッス。<吸魔>を受けて生き残った事例は数少ないから確実なことは言えないッスけどね。少なくとも里の子供はエーテルの無い空間に慣れるために荒行をしていたッス。荒行で死者が出た話はあんまり聞いたことがないッスからね」
機械のように感情のない声でミックはとうとうと述べた。
『……ふむ。里の仲間というやつだ。同郷の人間だったらしいな。それを五人も殺したんだ。やつがショックを受けても無理は無い』
「そ、そうか……っ!」
口を抑える。今までは離れていて臭いに気が付かなかったが、血と臓物の生臭い悪臭が辺りに漂っていた。凄惨な鉄の香りに、ナタリアはくらくらしてしまった。背後の幹に背中を預けて、なんとかその場に倒れないようにする。
何度も言葉をかわしたことのある知人が、ここまで残酷だったなんて。
正当防衛だ。その行為を批難するほど恩知らずではなかったが、この光景は生理的に受け付けない。
眼を閉ざしても臭いは鼻を刺激する。この匂いの一つ一つがさっきまdふぇ動いていた人間だったなんて、信じられない。現実と脳の理解が錯誤を起こし、不快なノイズで思考を埋め尽くす。
本当に。さっさと避難してしまいたい。
「そういえばさっきの物音助かったッス。あれで注意を引いてくれなければ、拙者も無傷とはいかなかったッス」
「あ、あぁ。いや大したことでもない。こちらとしても彼らの好き勝手にさせるわけにはいかなかったからのぅ」
「いやいや、<吸魔>の影響下で動けただけでも凄いことッスよ。この光景を里に引きこもって世界の変化を見ようともしない頑固者に見せつけてやりたい位ッス。所詮<吸魔>なんてただの一つの術式。一族の宿命だとか、魔術師殺しの業だとか、馬鹿馬鹿しい。こんな子供があっさりと破るような宿業があってたまるものか」
吐き捨てるように言ったミックの言葉には彼の本音が含まれていたのだろう。鬱屈したものを吐き出したミックからは、まだ微妙に残っていた剣呑な気配が霧散した。
ミックの予測は当たっていた。エーテルの濃度が通常基準まで戻ったせいか、倒れていた魔術師たちが次々に息を吹き返していた。まだ満足に動ける様子ではないが、誰も死ななかったのは素直に喜ばしい。
濃厚すぎる血の匂いにむせ返る者も居る。それでも起き上がった豪の者の中には、レヴィと道化師の姿があった。
「ふふふ。どうやら借りを作ってしまったようですね。そこの御方。謹んで礼を申し上げますよ」
血に染まり、暗殺者たちの死体に囲まれたミックを、味方と判断した道化師。彼らしくもない、殊勝な態度だった。
「あぁ、いや、礼を言われるほどのことはしてないッス。それよりも!ドラゴンがやってくるんでしょ!早く担架でもなんでも、皆を避難させるッスよ!」
「不届き者は禁軍兵士に化けていました、五人全員が、です。そして人員配置を決めたのはあの将軍補佐の男――クラックス。彼がこの襲撃に一枚噛んでいることはほぼ確実です。その推論を前提とすれば、今回の事件の裏側が見えてきます――まったく、探偵でもないのに小難しい謎解きは性分ではありませんよ。私はもっぱら暗躍する側だと言うのに」
道化師は自嘲した。
暗躍する黒幕は、自分からそうと名乗ったりはしないと思うのだが……。
「そもそもドラゴンの話自体が眉唾です。最古の幻想の実在を確認したのは、彼の部下しか居ない。たまたま帝都で太陽竜の縁者という竜人の事件が起こったため、あり得ない話ではない、とパパに報告はしましたがね。そういう余計なノイズを取り払ってみれば、希少種であるドラゴンがぽんぽん湧いてくるのがおかしいのです。なんだ、この苦境は私のせい、自業自得ですか」
『そういうもんか?』
「いや、どうじゃろうな。確かなところはわしにはわからぬ。わからぬが……帝国の脅威となる魔獣を討伐している第二魔術師団の者の言ならば、信じる価値はあるじゃろうがな」
「ドラゴンの存在自体が、誤報。いや、撒き餌だったということでしょうかねぇ。いやはや、一杯食わされました。これは早くパパのところに戻ったほうが良さそうです。この襲撃が他の方面でも行われている可能性は高い」
「――ならば。あの村の様子はどういうことです?崩れかけた家、荒らされた畑。人の気配のない廃墟。ドラゴンと言わずともここ最近、なんらかの暴力があの村を襲ったことは動かしようのない事実」
レヴィが立ち上がった。<吸魔>の中で抗戦した彼女は、ナタリアよりも重傷で、疲労の色が強かった。
「だからまあ、そういうことなのでしょう。因果応報ですよ」
道化師が見つめたのは、ミックによってバラバラに粉砕された暗殺者たちの惨たらしい遺体だ。短刀で心臓を一突きにされたものなどは、まだ大人しい方で、中には怪力で叩き潰された遺体もある。骨格はひしゃげ、臓物が散乱した惨状は軍人であっても目を覆いたくなる。
「ここにドラゴンは来ないでしょう。だとすれば、ここに残る意味はもはや皆無。血の匂いを嗅ぎつけた本物の獣が来ないとも限りませんからねぇ。私はパパの下に戻ります。皆さんはどうしますか?私には指揮権がないので、どうぞご自由に」
ここにいる紅雀隊はレヴィの私兵扱いである。道化師は自分の持ち場以外に責任は何もなく、身軽だった。
倒れている間に付いた服の汚れを払ってから、一人立ち去ろうとする。
返答を求めておきながら、答えを待つ気はまったくない。存在をないがしろにされたような気がして、紅雀隊は鼻白んだ。
「お待ちください。別行動はいたずらに戦力を落とすことになります。不慮の事態だからこそ、冷静に対応すべきでは?」
なんだかんだで、道化師はこの集団の中では最強格。強さだけで人の生き死にが決まるわけではないが、紅雀隊の兵士たちよりは戦力面で余程信頼できるのは事実。レヴィは彼の戦力を惜しんだ。
「しかしねぇ。私はそれでも構いませんが、そちらはどうです?背後から刺された後でも、私を信用できますか?身内だけで固まって、せめても安心したいのではないのですか?」
道化師が指差したのは、紅雀隊だった。レヴィが振り返るとバツの悪そうな顔で、彼らは視線を逸らした。
「御覧なさい。嫌がっている者に無理やり強制することはありません。ここで別れましょう」
道化師と打ち解けたと思っていたのはナタリアだけ、ということだった。
紅雀隊の面々からすれば、道化師の印象が悪いのは当たり前。そもそもこの場所にやってきたのだって、レヴィの命令に従っただけだ。訓練の名目で、第二魔術師団との交戦もあり得る、と覚悟を決めてやってきたのだ。可能性だけの話ではない。実際にバーニアと交戦している。何の因果か、ドラゴンを相手にすると突然言われて困惑したはずだ。それでも不平不満を言わなかったのは、ひとえに隊長であるレヴィを信じたからなのだ。
同じく暗殺者たちに煮え湯を飲まされた――被害者意識の共感だけで和解に至るには、道化師の普段の素行は悪すぎた。
そしてそのことを道化師自身も理解していた。
物別れに終わってしまうのか、そう誰もが思った時だった。
「隊長……。俺は命令に従いますよ。ここで逃げ出しちゃあ、何の為にここまで来たか分からない。俺たちは気絶する為に、こんな田舎に歩いて来たわけじゃないんでしょう?」
紅雀隊の一人――白皙の青年が声を上げた。
「道化師は気に入らないけど、舐められたままはもっと気に入らないです」
それが端緒だった。怒りに燃える戦士たちは、道化師への悪感情を一時的に封じ込めてしまうことにしたらしい。
つい先前まで意識不明だった者たちは意気軒昂。
「行きましょう、隊長!」
レヴィの周りに集まってくる兵士たち。道化師はそれを見て呆れたように首を振った。
「まあそれならそれでも良いでしょう。もともと私の任務は九歳さんの護衛ですからねぇ。考えてみれば、持ち場を勝手に離れるわけにはいきません」
一斉に視線がナタリアに集まった。好奇の目、信頼の目、侮りの目。全てを跳ね返し、ナタリアは堂々と立っていた。
「分かりました。ではこれより本営に帰還します。麓に連絡員を一人置いていく以外は常に全員で行動します。遅れないように」
「そういうことなら拙者も付いて行って構わないッスか?どうやら里の者の本命はここ以外にあるみたいッスから。頭領の姿がなかったッスからね」
さも当然という顔をしてミックは同行を申し出た。
レヴィは渋い顔。
「……今は時間が無いので深く追求しませんが、どうしてあなたがここに居るのです?帝都で保護されているはずの貴方がどうやってここまで?助けてもらった事は感謝していますが、正直に言えば貴方の事は信用できませんね」
「鍵開けの技能くらいは持ってるッスよ?記者の嗜みッス。衛兵の皆さんに迷惑を掛けたことは申し訳ないと思ってるッス。でも、以前言ったッスよね。身内の恥は身内で雪ぐって。身内が帝国にとっての害悪になっている現状を変えたいんスよ」
レヴィは暗殺者たちとミックが身内だと聞かされても、驚いた様子はなかった。ミックと暗殺者たちの戦いを陰から目撃していたナタリアも、やりとりの内容からそのことをなんとなく察していた。驚いたのは紅雀隊の隊員ばかりのようだ。
「身内?まさか禁軍に化けていたのは……」
「拙者の故郷の者たちッス。後ろ暗い傭兵業をして代々生き残ってきた薄汚い血ッスよ。大したこともない術式を有難がって、秘密主義で陰気な一族ッス」
彼の嘲りは彼自身に流れる血さえ範囲に含んでいる。
見知った者たちに自ら手を下したミックの背負った業を思い、一同は沈黙した。
山は静かだった。ドラゴンが暴れているとしたら、こうも静穏を保ったままというのは不自然にすぎる。やはり、ドラゴンの存在そのものが第二魔術師団をおびき寄せるための罠だったというのだろうか。
レヴィの様子をうかがう。道化師が指揮権を放棄した以上、全てを決める権利はレヴィにある。レヴィは道化師の扱いよりも、むしろミックの処遇に苦慮しているように見えた。
「……貴方が故郷の里と反目しているという話は真実でしょう。そこは信じます。ですがだとしても、貴方を連れて行くわけにはいきません。貴方の私怨による私刑を認めてしまっては我々の沽券に関わります」
「ちょっと、それは無いッスよ!今は非常事態でしょ!なんでそう頭が固いんスか。戦力が足りないんッスよ!?軍人さんを疑うわけじゃないッスけど、あんたたちの一体何人が<吸魔>を知ってるんスか!?対策はあるんスか?<吸魔>の中で動けるんスか!?」
レヴィの厳しい言葉に、ミックが食って掛かった。彼の言い分ももっともで、<吸魔>という術式の存在すら今日知ったような面々は、その力を前になすすべなく倒れている。 ミックは対策を持っているらしく、あの気怠い空間の中でも、普段以上の実力を発揮していた。暗殺者たちの全員が<吸魔>なる技を習得しているとすれば、紅雀隊だけでは苦戦は免れない。ミックは貴重な戦力に違いなかった。
「……妙な小細工をされる前に始末すればいい話です。それに不要な交戦は避けるつもりです」
レヴィは苦しげに声を絞り出した。為す術もなく昏倒した部下たちとは異なり、レヴィはある程度<吸魔>に抵抗してみせた。いや、だからこそ余計に、だろうか。
瞬く間に意識を刈り取られた者たちとは異なる印象を<吸魔>に対して持っていた。つまり、一朝一夕に打破できるような容易い術ではないということ。小細工などと軽視できるほどつまらない仕掛けではないということ。
レヴィの煩悶を少しでも解消したくて。ナタリアはとっさに声を上げた。
「わしに考えがある。うまくすれば、<吸魔>とやらの効力を弱めることができるじゃろう」
誰もがこの場で発言するとは思わなかった子供の言葉。驚きと不審の目が再び集まる。特に<吸魔>の専門家であるミックはかなり驚いていた。
「だがどちらにせよ、急いだ方がよいのではないか?こちらは奇襲をされた側なのじゃ。運良く退けられたとはいえ、後手に回っておる。問答に時間は割けぬ」
正直に言えば、ナタリアは逃げ出したかった。少しでも安全な場所へ移動したかった。それが最善。
けれど最悪なのは、仲間割れで貴重な時間を浪費すること。ここに集まった者たちは互いに強い絆で結ばれた同志などではない。相互不信による空中分裂は十分に考えられることだった。
「ナタリア……」
「エーテルが無くては、体内で魔力を精製することも出来ぬ。そもそもの材料が不足しておるのじゃからな。だから、敵に遭遇する前に予めありったけの魔力を蓄えておくのじゃ」
腹案と説明してみせると、露骨にミックが安堵していた。やはり子供の浅慮か、という侮りが微かに垣間見えた。
「確かにその方法なら<吸魔>の中でも魔術を使えると思うッス。でも、魔力の貯蔵って言ってもせいぜい魔術一発分ッス。<吸魔>には身体が重くなる作用もあるッスから、たった一度の魔術じゃ、どうしようもないッスよ」
ちょっとした思いつきだけで打ち破れるほど<吸魔>は甘い術式ではない。そう言いたげなミックはナタリアの策の欠点を頼まずとも指摘してくれる。
「魔法陣を使うのはどうじゃ?」
「魔法陣?それって何ッスか?」
ミックは首を傾げた。魔法陣は魔術行使においてあくまで脇役。生活の為だけに魔術を扱う人種のミックが知らないくとも無理はない。魔術の深奥を探求しようとする根っからの魔術研究者でもなければ、興味のない技法だ。加えて女子供のための補助術ともなれば、詳しい効力を知悉する人間など軍の中にも数えるほどしか居なかった。
「魔法陣、なるほど、面白いかもしれませんねぇ。あれならば外部に魔力を蓄えておくことが出来ます。<吸魔>を使われる前に施術さえできれば、おそらく有効でしょう。……惜しむらくは、魔法陣の持続時間が短すぎることですが。あれを実用化させるのは無理でしょうねぇ。こちらから仕掛ける戦いならともかく、遭遇戦では事実上使用禁止ですから」
二重属性として、市井の魔術師とは隔絶した知識を保有する道化師が、ミックの代わりに分析してくれた。予想通りだが、魔法陣だけで全てが解決するような甘い話ではなかった。
魔法陣は<吸魔>の防御膜を打ち破る可能性を秘めている。しかし、いかんせん実戦的ではない。その評価は覆ることがなかった。そう簡単に実戦向けに流用できるのであれば、世間の関心がこれほど低いということはありえないだろう。
「へぇー。勉強になるッス。でも今は役に立たないみたいッスね。拙者は<吸魔>の里で育ちました。耐性はあるッス。<吸魔>使い相手なら、この場にいる誰よりも戦える自信があるッス。独断はしないと誓いますから、連れて行ってください」
ナタリアの提案が毒にも薬にもならない物と判断したミックは、再び自分の売り込みにかかった。リーダーであるレヴィは渋い顔のまま。彼女にとってはミックは、犯罪者とまではいかずとも、信用ならない人物。何より、事情が事情とはいえ、同郷の人間を殺傷せしめてしまうような殺人者はレヴィの嫌いな人間の一人だ。レヴィは合理性で親しい人間をいざとなれば殺してしまえるような、理性的な人間が何より嫌いだ。それは鏡を見ている時のような、もやもやとした不快感。
もめている時間はないというのに。
レヴィは頑なで、ミックは執拗だった。
「ふたりとも、落ち着くのじゃ。レヴィ、貴女が命じなければここにいる誰一人動けぬ。言い争っている場合ではなかろう。そしてミック殿。そのように強引では、たとえ善意の助太刀でも素直に受け取ることが出来ぬ。今はなによりも冷静になることが必要じゃろう?」
ナタリアの精一杯のとりなしの効果はあった。人里離れた森の中。敵が何処に居るかもわからない状況で言い争う愚を幼い子供に指摘されて、ふたりとも恥ずかしくなったのだ。
和解とまでは行かずとも、レヴィを落ち着かせることは出来た。ナタリアは改めてミックに向かいあった。
「それで――帝国の刃になるとは、どういうことじゃ?お主は帝国の民ではなかろう。お主の動機が見えてこぬ。わしらから見れば、お主は私怨で凶刃を振るう悪漢に見えてしまうのじゃ。そうではないと言うのならば、お主の嘘偽りなき本音を聞きたい」
この中で獣じみた動きのミックの戦いぶりを観察していたのはナタリアだけだ。レヴィや道化師たちは、意識を失っていた。情況証拠で事情を推察しているだけにすぎない。
帝国の刃。確かに彼はそういった。見得の要素も含まれていただろうが、はったりや取り繕いで出てくるような言葉ではない。
同じ里の出身、因縁のある相手にならばわざわざ国家の名前を持ち出さずとも、もっとふさわしい言葉が幾らでもあるだろう。彼の背景はだいたいわかる。けれど、彼の為した言動の中でその言葉だけが浮いているのだ。
ナタリアはその言葉の真意を知りたかった。
予想していなかった所をつかれて、ミックは呆気にとられた。
しかし沈默していた時間は長くはなかった。悠長に議論や雑談している場合ではない、というのは彼自身がこの中で誰よりも一番理解していることだったから。
「――あれは、興奮してたから咄嗟に出た言葉ッス。拙者は同郷の者に遺恨はないッス。そりゃあ、向こうはこっちをよく思っていないと思うッス。向かってくる追手を追い払うのはともかく、今日ここまで積極的に動いた理由、それは――」
ミック自身も自分の心に確信が持てていないのか、告白するという段階になっても彼の口ぶりはどこか手探りの部分があった。
しかし、言いよどむことはなかった。むしろ心境をさらけ出すうちに、気持ちを舌に乗せて吐き出すたびに、勢いを増して。
ミックは己がここにいる動機を語り始めた。




