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師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
肉食獣の遠吠え
38/64

33第二魔術師団の魔の手

 ギルドの中から出てくる”声”を出迎えようと、ナタリアは腰を上げた。

 ちょいちょい、と手を振って”声”を呼び寄せる。しかし”声”はそれに応じるどころか、硬直してしまった。


『!』


 声にならずとも、その動揺は何かを伝播してナタリアの精神を揺さぶる。

 慌ててナタリアも<超感覚>のレベルを上昇。警戒態勢に入る。

 見つけた。

 ああ、彼らのせいか。

 見つけた。男女の二人組。

 市井にまったく溶け込めていない異質なる魔人たち。

 それは通りをのんびり歩く道化師とアンシャリーアのペアだった。どうしてこんな場所に彼らがいるのか。疑問に思う前に、ナタリアの眼前には”声”よりも早く駆け寄って来た銀髪が、扇のように広がっていた。


「ナタリアちゃんだったよね、こんにちは!」


 なんの心構えも出来ておらず、ナタリアが拒絶の心の障壁を展開する前に、懐に飛び込まれてしまった。

 笑みを浮かべるアンシャリーアは両手で包み込むようにナタリアの手を取っている。手が早い。

 これでは逃げられない。

 まごまごしている内に道化師までやってきた。


「奇遇ですね。ナタリアさん。ギルドに用事でも?誰か居たようですが」


 ビクリとナタリアの肩が震えた。道化師の口調はあくまで世間話のようにしか聞こえない。”声”のいる辺りを不思議そうに見ているが、不審には思っていないようだ。なのに責められているように感じるのは何故だろう。その原因はナタリアの心のなかにあったのだろうか。


「ねぇねぇ、一緒に行こうよ!私たち、これからピクニックに出掛けるの!楽しいよ!?」


 ブンブンとナタリアの手を振るアンシャリーア。力の入らないナタリアの身体はされるがままだ。

 ”声”は二人を警戒しながらもナタリアの傍に戻ってくる。


『ん?あいつらの意思は統一されてないのか?』


 ”声”の疑問に満ちた呟きを受けて、ようやく再起動する。不意を突かれたのはナタリアも”声”も同じだが、リカバリーは”声”の方が早かった。訳の分からない緊急事態あっても、少しでも状況を打開する策を見出そうとしてくれているのだ。

 俯いていた顔を上げると、口論をする二人がそこにはいる。

 

「……まさか、彼女を連れて行くつもりですか?」


 驚きと怒り。そして僅かな焦燥を滲ませた道化師の言葉の必死さは、お気楽なアンシャリーアの調子とは百八十度違う。


「えぇー!いいじゃん、きっと楽しいよ?」


「しかしですね……」


「なぁに?口答え?」


「明らかに問題ですよ、それは。考え直してはくれませんか」


 キラキラ笑う銀少女は、道化師の煮え切らない態度に業を煮やしたらしい。

 それは思い通りにならないことに癇癪を起こす我儘な子供のようでいて、何処かが決定的に異なっていた。


「うーん、ちょっと裏行こっか?あ、ナタリアちゃんはここで待っていてね。私がいない間に何処かに行ったりしないでね?絶対約束だよ!?ほら、指きりげんまん――」


 掴んだ手をうまく組み替えたアンシャリーアは、物騒な歌を口ずさみながらナタリアに約束をさせる。流されるままナタリアは彼女の言葉を聞いている。


「ナタリアちゃんは絶対にそんなことしない、って信じてるけど。もし約束を破ったら……。なぁんて、うそうそ。なんにもしないよ?だってナタリアちゃんは私との約束をないがしろにしたりしないでしょ?」


 アンシャリーアに不気味さを感じたのは、この時が初めてだったかもしれない。やはり魔人は魔人なのだと。どれだけ普通に見えたとしても、アンシャリーアも彼ら一味の人間なのだ。

 銀髪の少女の微笑みには暗く淀んだ感情が染み込んでいた。腐臭さえ漂うような圧倒的に濃密な密度。彼女の言葉には魂が宿っているとしかいいようがない。耳元で脅迫を囁かれたナタリアの足はがくがくと震えだし、立っているのがやっとの有り様だった。

 極度の緊張感。

 そして恐ろしいのはそれだけの粘着質の感情の塊をぶつけておいて、その主犯であるアンシャリーアはケロリとしていることだ。美しい相貌を欠片もゆがませる事はなく。身を翻し、道化師の胸ぐらを掴む。大人と子供の体格差。ただ掴むだけでも容易なことではない。

 しかし彼女の蛮行はそこで終わらず、恐ろしいばかりの怪力で、自分より大きい道化師をずるずると引きずって行く。

 体勢を崩した道化師。まるで飼いならされた犬猫のように従順な彼は無抵抗に物陰に引き摺り込まれていた。

 アンシャリーアはナタリアのことは既に眼中に無い。

 今なら逃げられるかもしれない。握られていた両の手はまだ仄かに温かい。その温かさが見えざる抑止力となってナタリアの足を縛る。さきほど浴びせられた恐怖がナタリアの足腰を弱らせている。

 その無様に見かねたのか、

 

『あいつらの様子を見てくる。少しでも判断材料を増やしてくる』


 ”声”が去っていく気配が感じられた。彼の偵察がさとられることはないだろう。

 彼に働かせている間、何もできないことをもどかしく思いながら、ナタリアは結局何処にも逃げ出さなかった。

 

 

 

 

 

 ”声”が物陰をのぞき込むと、予想通りの光景が広がっていた。

 年端もいかない銀髪の美少女と、困り顔の道化師。体格では劣るはずのアンシャリーアはドスの利いた低い声で道化師の耳元で囁く。


「あんた、どういうつもりなわけ?若造のくせに私の邪魔をするつもりなの?」


 ぐいぐい道化師の身体を壁に押し付けながら、高圧的に言う少女。

 

「……決してそのようなことは」


「私も最近知ったんだけどさ。あんた前から知ってたんじゃないの?あの子が大賢者ファーレーンの一番弟子だったってことに。……これは推測になるけれど。大賢者に執心しているパパのことだから、あんたにそれなりの密命を預けていたんじゃない?そうだとすれば、これは命令無視よね」


「……憶測で物を言うのは感心しませんねぇ。近い命令は確かに承っております。しかしパパのご意思をあなたに話す義務はありませんね」


「いけ好かないクソガキね。末っ子なら末っ子らしく、兄姉の命令を聞きなさいよ。……あんた、前から気色悪いと思ってたんだよね……」


 顎を持ち上げる形で、道化師の両頬に爪を突き立てたアンシャリーアは獰猛な笑みを見せた。道化師は無抵抗だ。このままの無抵抗主義を道化師が続ければ、彼の顔には二つの風穴が開くだろう。


「と、に、か、く。あの子は連れて行くわ。文句はないわね?聞けば護衛に炎剣が付いているらしいじゃないの。一人きりの今は絶好の好機だわ。……まさか情が移った、なんて馬鹿な話はないでしょうね?」


「しかしこれから竜退治が行われるというのに、あのような子供を連れて行くのは足手まといだと思うのです」


 頬を圧迫されているから、もごもごとしか道化師は喋れない。

 それが面白かったのか、銀少女は小馬鹿にした笑みを浮かべる。


「そうかぁ、あんたは知らなくても仕方ないわね。十年前の竜退治に参加していなかったんだから。完勝よ。当時五人で討伐隊を組んだけれど、被害らしきものはバーニアがかすり傷を負ったくらい。私の砲撃でドラゴンの肉は原型を留めないくらいにズタボロよ。さすがに太陽竜が出てきたら楽な戦いにはならないでしょうけど。まあそんなことはあり得ないし。言ったでしょ?今回の竜退治はピクニックのようなものなのよ。もっと堂々と構えてなさいよ。大の男が情けない」


 そう言って銀少女は道化師の股間を下から蹴りあげた。加減はしたのだろう。仮にも仲間だ。彼女の、見た目に合わない怪力があれば、一撃で道化師を死傷させることも容易いだろうから。

 しかし手加減があったとはいえ、その痛みは想像を絶する痛みだ。出歯亀していた”声”でさえ、思わず目を背けてしまう。


「ぁ……っっっ!」


 声にならない悲鳴が、道化師の喉から漏れる。しかしその僅かな風音でさえ、アンシャリーアの柔らかそうな手で口ごと封じ込められている。

 アンシャリーアはサディスティックなニヤニヤ笑いを顔に貼り付けている。


「ま、この程度で苦しがっているようじゃ、レッサードラゴンごときにビビるのも頷けるわね。仕方ない。あの子の御守りをしていなさいよ。譲歩してあげる。今回のは見学でいいわ」


 どこまでも傲慢な少女の言葉に、いつもへらへらしている道化師も流石に激怒するかと思われた。少なくとも”声”が道化師の立場なら怒る。


「兄様姉様たちの勝利を祈っております……」


 鈍痛が残っているのか、息も絶え絶えの道化師は絞り出すように言った。彼が理不尽な暴力に憤る気配はない。


「ばっかじゃないのっ?勝負じゃないんだから、勝ち負けなんてあるわけない。いつもの魔獣退治と変わらない作業よ。準備さえすれば、ドラゴン退治だってただの作業よ」


 顎を掴まれたまま、道化師は激しく前後に揺さぶられた。白目を剥くのも時間の問題かと思われた。それくらい道化師は弱って見えたのだ。


「あの子は”ファクトリー”まで連れ帰るわ。ないとは思うけれど、もし炎剣が邪魔してきたら、あんた相手しなさいよ?私あんな筋肉女の相手できないから」


 顎を抑えられている道化師は、辛うじてコクコクと首を振ってなんとか了解の意を示す。

 思い通りになったというのに、不機嫌なアンシャリーアは壁に叩きつけるようにして道化師を解放した。

 アンシャリーアの暴虐の一部始終を見ていた”声”は我に返った。

 何をしに出歯亀にやってきたのか。少しでも少女の為になれば、と斥候にきたのではないか。

 油を売っている暇はない。急がなければ彼らはナタリアの所に向かってしまうだろう。

 その一瞬の判断が実を結んだ。”声”はとんぼ返りする。”声”がナタリアの下に戻った時、まだ彼らは戻っていなかった。身体の震えを抑えこんで健気に立つ少女を見て”声”は口早にまくしたてた。






 道化師とアンシャリーアの二人がいなくなって、それを追い掛けて”声”も消えた。

 ナタリアは一人路傍で立ち尽くす。

 道行く人はナタリアに視線を寄越すものもいるが、大半がこちらを気にもしていない。

 人通りは多くないが、もしかすると紛れて逃げ出すことが出来るかもしれない。ギルドはすぐ近くだし、あそこならそこそこの戦力がある。彼らにナタリアを守る理由がないのが玉に瑕だが。

 銀少女の脅しは恐ろしかった。脚を縛り心を縛り、押し込み強盗に迫られたあの恐怖を彷彿とさせる。

 逃げる選択肢がないわけではない。しかし住所から勤務先と居場所を知られている相手にいかほどの抵抗ができようか。

 大賢者の言い付けは「軍に必要以上に接近しないように」であり、間違っても命懸けで軍に抵抗せよ、というものではない。彼らのような魔人に目をつけられてしまった以上、逃走などすればやぶ蛇になる。


 ”声”を待つ。それを拠り所にして、どうにかナタリアは心中の平穏を手に入れていた。

 残ると決めると、混乱していた脳内が綺麗に整頓された気がする。道行く人々を一人ひとり眺める余裕さえできる。

 だから気づけた。流れていく人の川を渓流下りのようにすり抜ける子供がいた。

 それはナタリアの友人とも言える数少ない帝都の住人だ。宿屋の一人息子、ダリウス少年である。小さな身体を活かして通りを駆けていた少年はナタリアに気付くと、はたと立ち止まった。通りの真ん中で動きを止めたものだから、すぐに後ろから大人に追突される。


「うわっ、邪魔だぞおい」


「ご、ごめんなさい!」


 怒鳴り声から逃げるようにしてダリウスはナタリアの側までやってきた。大声で怒られて肝が縮んだのか、顔色が悪い。


「あっ、あはは。こんにちは、また会えたね」


「家の手伝いか?精が出るのぅ」


 ダリウスが両手に抱えている包みを見てナタリアが言う。

 ダリウスはナタリアの視線から荷物を隠すように小脇に抱え直した。


「まあそんなところ。魔術師様はもしかしてギルドに用事なの?」


「帰り道じゃがな」


 ナタリアはどうやって彼を追い払ったものか考えていた。ここでグズグズしていれば、アンシャリーアと道化師が戻ってくるだろう。帝国を守る軍人である彼らが民間人の子供に手出しをするとも思えないが、やはり魔人は常識で図りきれないところがある。もしものことがあった時、ナタリアはダリウスの両親に合わせる顔がない。


「急いでいるのではないのか?お使いの途中じゃろ?なんならまた今度遊んでやるから」


「う、うん!行きたい!」


 しまった。気を引くことには成功したが、かえって会話が長引きそうな気配だ。


「今日は無理じゃ。これでも多忙の身でなぁ。そら、さよならじゃ」


 ダリウスの両肩を掴もうとした。背が足りず、届かない。背伸びしてリトライ。彼の肩を掴んで回れ右させる。むき出しの背中を軽く叩いて別れの合図とする。

 困惑気味のダリウスは立ち去るか立ち去るまいか逡巡していた。

 

 道化師たちがこの場を去ってから、しばらく経っている。彼らが何をしているかは知らないが、いつ戻ってきてもおかしくはないのだ。

 押す手に込めた力を強める。ダリウスの気弱な抵抗は今にも崩れようとしていた。

 押し問答は長くは続かなかった。

 道化師たちよりも先に偵察に出向いた”声”が帰還したからである。

 血相を変えて戻ってきた”声”を見た時は何事かと思った。


「お、おい。どうし――」


『説明している時間はない!とにかくレヴィに知らせろっ!!』


 あまりにも切羽詰まった叫びに、ナタリアも問い返す愚は犯さなかった。

 しかし知らせるとは。考える暇を与えられず、難題を突き付けられた。

 咄嗟の判断でできることは思えない。今のナタリアはレヴィの居場所を知らない。しかもレヴィもナタリアが魔術ギルド前にいることを知らないのだ。思いつきで軽々しく行動したのが仇となったか。

 《念話》は所詮不可視の糸で結ばれる糸電話。この状況では役立たずだ。《電信》の魔術を使えばさらに遠方の相手にメッセージを送ることもできるが、ナタリアが開発中の《電信》は、相手方にも受信機能を要求する。つまり、夜属性の人間にしか合図を送れない。しかも夜の術者とて、常時受信できる状態であるはずがない。専用の受信術式を使用している間でなくては合図に気づけない。これも今の状況ではなんの役にも立たない。

 

 焦りは頭脳を曇らせる。

 

 もう一刻の猶予もない。ダリウス少年の肩を再び掴み、今度はさっきとは逆にこちらを振り向かせる。

 ダリウスはナタリアを不審がるような目で見ていた。


「つ、疲れているんだよ、きっと。寝た方がいいと思う」


 目に見えない”声”とやり取りしていたナタリアを可哀想な目で見るダリウス。誤解だが、誤解を解く暇はない。

 彼は一応レヴィの顔を知っている。巻き込むことはやりたくなかったが、彼に伝言を頼むしかない。


「伝言を頼みたい。いつぞやの女騎士に伝えてくれぬか――」


『まずい!来た!!』


 ナタリアの状況、ここの場所、第二魔術師団の機密情報、構成員。つたけるべきことは多過ぎて、しかもダリウスを過剰に巻き込まないためには与える情報を吟味する必要がある。


「くっ、すまぬっ!一瞬でいい。頭を空っぽにして受け入れてくれ!!」


 日属性の術式を展開。転写の光がダリウスの目に飛び込んだ。

 一瞬で多くの視覚情報を伝達できるこの術式。成功のためには対象が光を受け入れる必要がある。

 咄嗟の判断でその選択ができる人は多くない。いざという時は反射的に自己保存を選ぶのが動物の性だからだ。

 

 光から目を守るためにダリウスは目を閉じてしまった。失敗だ。

 

 ダメだ。道化師たちがやってくる。

 何か言い訳を考える方向にシフトするべきか。いや、まだだ。

 

 躊躇はあった。しかし差し迫った危機への焦燥がナタリアを突き動かしていた。

 ダリウスの顔を抱き寄せて唇を触れさせた。酸っぱい、汗の味がした。驚きのあまりダリウスの瞼は大きく見開かれる。その虚に乗じて、幻像を焼き付かせる光がダリウスの目に飛び込んだ。

 説明する余裕はなかった。レヴィにだけ伝わるような隠語を用いた手紙の映像をそのままダリウスの頭に流し込んだ。人目につかない路地裏にダリウスを突き飛ばす。

 くるりと即座に振り返り、道化師たちを待ち受ける。

 果たして危機一髪だった。


「ごめんねー!待たせたよね。さぁ、行こっ」


 影から姿を現したアンシャリーアが、純真そうな笑顔を満面に浮かべ駆け寄ってくる。脅迫のことなどまるで忘れてしまったかのようないつも通りの態度に、安堵する。ダリウスのことには気づいていない。

 

 優しくて無垢なる笑顔。本当はその裏側に魔人の相貌を隠しているのだと、知ってしまったけれど。今は仮面を被った彼女。

 油断とかではなく、単純に。怖いよりも優しい方がいい。たとえそれが偽りの優しさであったとしても。

 アンシャリーアは似合わない腕捲りしていて、スカートの裾も邪魔にならないように固く結んであった。それは荒事に備えてのものなのか。


 ナタリアは抵抗しなかった。

 抱きつく銀少女の細腕を拘束具に錯覚する。強制はなかった。しかし自由意思もまた存在しなかった。

 手を固く繋がれたまま連行されるナタリアの耳元で”声”が彼らの密談の概要を教えてくれた。

 魔人たちに対しては殊勝に従うふりをしながら、心中では事態の把握に努める。”声”は他の誰にも聞こえないのだから、ナタリアが動揺を表に出さなければ露見する心配はないのだ。

 ドラゴン狩というとんでもない話を聞いた時だけは、さすがに動揺を抑えるのに苦労した。

 ナタリアはエンダ・フッフールという竜人を一人知っている。

 彼女自身は平々凡々な娘であり、大器の片鱗なんてまったく見えなかった。それなのに、周囲の大人たちはてんやわんや。ナタリアだって逸脱した子供だという自覚はあるが、竜人への大人の対応はそれに輪をかけて異常だ。

 彼女自身が平凡なのならば、大人たちが彼女を通して見た可能性は、すなわちドラゴンの血に対するものに他ならない。

 貴人の血縁であれば、その力とは後ろ盾の力になる。

 ならば、竜の血脈のもつ力とは。

 

 たった一滴。ドラゴンから気まぐれのように零れ落ちた竜の血を巡って、多くの人間がその人生を歪められた。影響力という一点ならば師父様にも匹敵するかもしれない。

 その大元。ドラゴンを、最古の幻想を狩る?

 控えめに言って、頭がおかしいとしか思えない。月を弓矢で射落とそうとするようなものだ。明らかに誰が見ても無謀なのに。

 それでも状況は”声”の証言を裏付ける。隣を歩く道化師の腰の高さはちょうどナタリアの目線の高さだ。


「ピクニックといえば気楽なものじゃが、お主たちの服はどうにも物々しいではないか。これから一仕事あるのではないか?わしは邪魔になるじゃろうに」


 道化師の腰元を見ると服を押し上げる明らかな膨らみがある。武器かもしれない。

 ”声”の情報を元にして、注意深く言葉を選んだ。しかし道化師の返事はなく、代わりに、


「んーん、そんなことないよ。ほんとにただのピクニック。ただ野生動物が出るかもしれないから、そこのアルトタス君が護衛についてくれるって!安心だね!」


「……」


 道化師の沈黙は珍しい。

 年端もいかない少女にボコボコにされている道化師を想像できず、ナタリアは”声”の話を半信半疑だった。竜退治と同じくらいには信じがたい話だった。しかし道化師の沈黙はなによりも”声”の偵察結果を肯定している。

 この集団の中で圧倒的上位者として振る舞うアンシャリーアへの怖れは肥大していくが、ここで会話を途切れさせるのはダメだ、と理性が叫んでいた。


「アルトタス……。お主の本名か?」


「えぇ、まぁ。あまり広めないで下さいね。本名が知れると折角つくったイメージが壊れるかもしれないので」


 力なく笑う道化師はまるで別人だ。額に浮かぶ脂汗。心なしか顔色も青い。


「さぁ行こうっ!街の外れに車を待たせてるから。前みたいに街中まで乗り入れられればよかったんだけどね」


 どうやら彼らは例の馬のいない馬車、駆動車を用意しているらしい。


 人通りはどんどん少なくなる。ダリウスがメッセージを正しく伝えてくれればいいのだが。今のナタリアにとっての積極的希望はレヴィしかいない。消極的希望は、彼らがナタリアを害するつもりはないという嬉しい誤算。

 

「あ、そうだ。アルトタス君。ネズミの始末は任せるよ」


「……すぐに済ませてきましょう」


 何気ないアンシャリーアの頼み。道化師は何かを食いしばるような、胃の底から絞り出したような声でそれに答えた。

 明らかに尋常ではない。一行から離れて行こうとする道化師を目で追うナタリアだったが、アンシャリーアが強く手を引っ張り、強制的に視線を固定される。


「ほらほら。男のことは放っておいて!」


 ぐいぐいと引かれる手。

 一軒の家に着いてナタリアの手を引くアンシャリーアが立ち止まった。もう片方の手で裏庭を指さしている。


「ほら、あそこに」


 前に見たことのある巨大な駆動車が家の影に駐車されていた。鉄板によって表面加工されたそのフォルムはまさしく金属の馬車。異彩を放つのは脚部の機構。分厚い木の板を何枚を糸で繋げたすだれを前後輪に巻き付けたような無限軌道。”声”によると悪路走破に特化した移動機構であり、効率だけなら普通の車輪にも劣るという。


 泥と細かな傷によって金属装甲表面の光沢は失われているものの、明らかに自然ではあり得ない人工物の香りは、彼らの技術力の高さを証明していた。

 車体後方にはこれまた金属製の直方体が連結されている。こちらは馬車のキャリッジを改造した貨物車のようだ。四輪がしっかりと脚部にある。

 アンシャリーアはナタリアの手を一度も離すこと無く、座席にナタリアを押し込んだ。


「そんなに速くするつもりはないけど、走行中に降りるのはやめてね。危ないよ?」


 内側から内装を見ると、やはりこの車は木製だというのがわかる。金属部分はほとんど見当たらず、ささくれのある素朴な木材が四方を覆っている。

 座面にはクッションが敷き詰められており、ナタリアの尻はその上に置かれている。少々くたびれたクッションは快適とは言い難い。天井が低いせいもあるだろう。子供のナタリアだからこそしっくりくる広さだが、道化師のような体格の大人が乗り込んでいれば、息苦しいどころの話ではない。

 アンシャリーアはその狭い室内に入るつもりはないようだ。

 ナタリアが席についたのを見届けると、扉を閉ざしてしまった。

 窓のない扉が閉まると、室内は薄暗くなった。僅かに覗き窓から差し込む光だけが、外界の様子を伝えてくれる。


『こういう時こそ出番だな』


 扉が閉まる一瞬前に外に飛び出した”声”は、ナタリアと離れ駆動車の外側に取り付いた。別に隠れる意味はないのだが、様々な機能が搭載された起動車には物陰も多い。風圧や衝撃の影響を受けない”声”にとって、適当にしがみ付いておくくらいのことは朝飯前なのだろう。


「おーい!聞こえるかなー!もし聞こえていたら、そこの鐘を叩いてよ。一回ならイエス。二回叩けばノーだからねっ!!」


 狭い空間で突如としてアンシャリーアの声が反響する。どこから聞こえているかは分からないが、脳内に響く念話とは別のロジックでアンシャリーアの言葉は届いていた。

 ぐるりと見渡すと、狭いだけに目的のものをすぐに見つけることができた。金属製のおもちゃのような鐘が壁に固定されていた。その横には小槌が吊り下げられている。これで叩けばいいのか。

 固定の金具を外して、小槌で軽く鐘を鳴らす。もちろん一度だけだ。説明を聞いた上で二度叩く奴がいれば、それは結構意地の悪い奴だろう。


「これで良いのじゃろうか……」


「はいはーい!ちゃんと聞こえてるよん」


 またもやナタリア一人の空間に銀少女の美声が響く。今回はなんとか音の出処を探ることができた。

 鐘のすぐ近くから飛び出た漏斗のような形状の管。それは管楽器に似ていた。


「まさか、この管が外まで続いておるのか!」


「正確には外じゃあなくて、機関室に直通なんだけどね」


 原理はわかった。ナタリアは伝声の仕組みに特別詳しいわけではないが、異界を知る”声”や専門家のコンラと過ごした日々がある。アンシャリーアの声はこの管の中を跳ね回りながら、減衰することなくここまで届くのだ。


「む?しかしこちらの声も聞こえているようじゃと、この鐘を使う必要はないような」


 素朴な疑問だったが、そう間違ったことは言っていない。アンシャリーアの声がその疑問に答えた。


「今はまだそう思うかもしれないけど、ね。走り出したらすぐにそんなこと言っていられなくなるよ」


 程なくして車体が微振動を始めた。

 振動によって固定を元に戻していなかった鐘がけたたましく鳴り響く。慌ててナタリアは両手で鐘を押さえ付けた。


『おいおい。一体どうなってやがる……』


 外から様子を見ている”声”は、ただただ驚愕していた。彼の知識をもってしても、このような奇怪な馬車は珍しいのだろうか。

 シューシューと、水が蒸発するような音が四方八方から聞こえてくる。<超感覚>を使うまでもない。むしろうるさいくらい。鋭敏な感覚は時に己を蝕む毒になる。たまらずナタリアは夜の術式を解除していた。


 振動、騒音。その上にこの狭苦しい車内。もしかして拷問を受けているのか。これからこの不快なものはより一層強くなるのではないか。終着点がわからないから、徐々に大きくなる振動はナタリアにとって恐怖でしかない。

 やはり、彼らにナタリアへの害意がないなんて、楽観にもほどがあった。

 高まる振動音がこのままであれば、遠からずナタリアは錯乱していたかもしれない。姿は見えなくても。鉄板を挟んで向こう側でも。すぐ近くにいるはずの”声”に助けをもとていたかもしれない。

 ガタン、重いものか落ちる音がして、ナタリアの身体は座席に押し付けられた。いや、この車が動き出したのだ。喧しい音は間断なくナタリアの鼓膜を震わせるが、速度は速くはない。

 いつもナタリアが乗車している定期便の馬車の速度と同じくらい。もちろん、それだけの速度を、牽引する存在なしに実現していることは信じがたい奇跡なのだが。






 密室に閉じ込められ、情報を制限されていたナタリアと違い、外から見ていた”声”は、この奇跡の駆動車を余すことなく視界に収めていた。

 初めて見たとき、彼はこれを戦車と勘違いした。チャリオットではなく、タンク。どう考えても出番を間違えている。

 天に伸び上がった四本の砲塔。なるほど、確かに戦車の主砲にも見えないことはない。しかし、今。エンジンの稼働した駆動車を見た”声”は以前とは違う印象を抱いた。


『排気口、いや蒸気か?』


 ぶるぶる振動する駆動車は、その振動に合わせて、四本の排気筒から盛んに白い蒸気を吹き上げている。

 その仕組みを知りたくて、”声”はアンシャリーアが乗り込んだ機関室に取り付く。

 車体上部の一室は狭小空間が備え付けられており、子供しか乗り込めないものと思われた。幾つもの計器とレバー、それに何の用途に使うかも分からないパイプが無数に張り巡らされている。四方八方に伸びるパイプは、車体の各部へと繋がっている。

 それぞれのパーツは素材こそ均一だが、その出来はバラバラだ。太く邪魔っけなパイプがあるかと思えば、今にも折れそうなパイプがある。それは意図された差異には思えず、ただあり合わせで組み上げられたのではないか、と”声”は思った。


 滑らかな光沢を持つ種々の金属管。時折高温の上記を吹き出す排気筒。

 明らかに技術レベルが隔絶している。

 貨物室を覗き込むと、布で隠された積荷や食料品のエリアとは別に、黒い石が集められた箱が何個もあった。

 箱の中にぎゅうぎゅうに詰められた黒石は時折ゴトゴト動く。まるで底に鼠でも潜り込んでいるようである。


『石炭、か?これが動力源』


 しげしげと黒石を見つめる”声”。もはや驚きの連続で素直に驚く気にもならない。

 動き出した駆動車の速度は、とてもとても、”声”の知る車には比ぶるべくもない。魔術師が空を飛び、大地をバイクよりも素早く走るこの世界で一体何の意義があるのだろうか。しかしトレーラーのように大質量の貨物を運搬するその馬力は並大抵ではない。

 無限軌道が草木や石を踏み砕き、爆音を断続的に響かせる。

 道の整備状況が悪いのを構わずに起動車はぐんぐん進んでいく。

 帝都からは四方に大動脈ともいえる街道が伸びている。そこを通らない流用はたやすく想像できる。鉄の竜だとさえ畏怖されたらしい駆動車。一般人も利用する公の道を使うわけにはいかないのだろう。


 ふと”声”が後方の街並みを振り返った。城壁を持たない帝都の街区は無秩序に広がっている。平原に溢れる虫の巣のように見える無秩序な家々。そこを駆ける男が一人。

 こちらに向かって全速で走る道化師は、魔術で脚力を強化しているらしい。一歩のストライドは常人の二倍はあった。それでも駆動車との距離はなかなか縮まらない。

 じわじわじわじわと、牛歩の歩みで彼我の距離は圧縮される。

 アンシャリーアは彼のことに気付いているのだろうか。いや、彼女のことだから、わかっていて意地悪しているのかも。


 荷台の端に片手を引っ掛けた道化師は、腕力で上に飛び上がった。転がるようにして荷台に落ちた道化師は、食料品の果実をクッションにして、どうやら無事のようだ。真っ赤な果汁が身体中に付着して、かなり悲惨なことにはなっていたが。


「ひ、酷いですねぇ……。置いていくなんて」


 道化師の息は荒い。いや、むしろそれだけで済んでいることに魔術の神秘がある。

 疲労のあまりに荷台に座り込んだ彼は、息を整えながら割と真剣な様子で恨み言。

 ガタガタ揺れる荷台の上では彼の愚痴も誰に届くということはない。


「いや、まぁあの自己中心的な方に謝罪を頂けるとは期待していませんがねぇ」


 積荷の樽の一つに体重を預けた道化師は天を仰ぎながら嘆息する。

 その表情はあんまりにも無防備で。仕方ないといえば仕方ない。今彼の頭上に広がるのは薄闇の滲む黄昏の空。一番星がぼんやりと天上で輝いている。四角い枠に切り取られた美しい自然を見て、心安らがない者がいるだろうか。まして他者の視線を感じない場所で。

 道化師の大切な時間に土足で踏み入ったような気がして、”声”は一人気まずさを感じた。


「借りは返すぜ。お前は聞こえないだろうがな」


 アンシャリーアとのやり取りを聞いていた”声”は道化師がナタリアの味方をしてくれたことを知っていた。たとえ消極的だったとしても、実を結ばなかったとしても、別の思惑があったとしても。ささやかな恩返しだ。

 ”声”は道化師から視線を切って、目的地と思われる駆動車の進行方向の夕闇に目を凝らした。


 おぼろげな輪郭、針のように細い塔があった。


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