34芸術的な塔
「今夜はここで夜営よー。さぁさ、出ていらっしゃい。虫が入らないように屋根壁も用意してあるから」
かなりの制動距離を使って駆動車は停車した。機関室からアンシャリーアがひらりと飛び降りる。駆動車の最上部の機関室から地面までの高さは、ゆうに大人二人分はあるというのに。
高い身体能力を遺憾なく発揮したアンシャリーアは、狭い機関室に押し込められて強張った身体をほぐしている。
「あ、開け方わかんないか。ほらほら、あんた開けてやってよ。荷台にいるんでしょう?」
メガホンの形にした手を口に添えたアンシャリーアは、地上からはかなり上方の荷台に呼び掛けた。
「人を置き去りにしておきながら、よくそんな事が言えますねぇ。人使い荒すぎるでしょう」
「それはあんたの自業自得。いい運動になったんじゃない?」
荷台の縁は積荷が転落しないようにせり上がっている。そこを乗り越えた道化師は疲れた顔で地表に着地した。
「運転手に負担をかけるわけには行きませんね。休んでいてください。飯の用意は私がやりましょう」
「あっそ、じゃお願い。二階は私がもらうから、あの子は三階に案内してあげて」
上下関係がはっきりしているのだろう。ひらひら片手を振って、アンシャリーアは塔の方へ歩き去った。
大地から針のように突き出した塔。高さは帝都の観光名所の鉄塔の半分はあるだろうか。暗闇に浮かぶそのシルエットはシンプルでありながら、製作者の意匠が凝らされていて、芸術的審美眼を刺激される。
「我ながら、惚れ惚れする出来ですねぇ……」
嘆息した道化師は気分を切り替えて、ナタリアの入っている部屋の扉に手をかけた。
完全に日は沈んでいた。
窓から差し込む月明かりだけがナタリアのいる空間を幻想色に染め上げていた。
駆動車が停車したのはナタリアも知っていた。伝声管から、降りるよ、とアンシャリーアの声呼びかけが届き、車体の振動も止まったからだ。
鉄の扉を開こうと頑張ってみたものの、見た目通りの重さであり、ナタリアの細腕ではいささか以上に力不足だった。地属性の強化術式が扱えれば筋力も上がるのに、と嘆く。
程なくして、重い扉がゆっくり開いた。外も暗かったが、狭い部屋の中よりはましだ。
仄かな発光魔術が足元を照らしている。
扉を開いてくれた道化師は戯けているのか、恭しく膝立ちになってナタリアをエスコートした。彼に手を預けるのには若干の覚悟が必要だ。
降り立った場所はだだっ広い平原だった。空の月と星々がキラキラ光るばかりで、目に付くものは……
「蟻塚……?」
「いいえ、違いますよ。私が建てた今晩の仮宿です。この芸術がわからないなんて自称九歳さんもまだまだですねぇ」
地面から突き出した針のような土の塔。近寄って見ると、それは確かに人工物であり、中にスペースがあることがわかる。
主たる構成成分はそこらの土でできているようだが、硬度が段違いだ。軽くナタリアが叩いてもビクともしない。日干しレンガよりも硬く圧縮された土壁は、仮宿としては十分が過ぎる。
駆動車に積んであった灯火が備え付けられ、塔の内部が揺れる光に照らされる。アンシャリーアは暗闇の中にさっさと引っ込んでしまったから、ナタリアの視界にいるのは忙しく積荷を下ろしている道化師だけだ。手元だけを最低限の光球で照らし、作業に没頭している。
火を用意。明かりを灯す。資材運搬。食材と調理器具の準備。料理。夜営の用意。発光魔術の制御。どうみても一人の仕事量ではない。一心不乱に仕事に取り組む道化師はひたむきで、常の軽薄な調子はまったくなかった。むしろ勤勉だと言っていい。
その働く姿に心を動かされた。
ナタリアはせめて軽作業だけでも、と手伝うことにした。
「これを調理場まで運べばよいのか?」
「ええ、そこの隅になります。すみませんね、気を遣わせて」
誘拐同然で連れ去られたというのに。ナタリアは道化師の為に出来ることはないか、真剣に考えていた。
『ストックホルム症候群って、この目で見たのは初めてだぜ』
”声”は不機嫌だったが、ナタリアに反抗をそそのかしたりはしなかった。
明確な助けを期待できない状況を”声”もよく理解していたからだ。
しばらくして食事の用意ができた。
大鍋には四、五人分のスープが湯気をあげている。水道が設置されていたのが、これほど早く料理を作れた要因だ。人家の一つも見当たらない平原で井戸さえないのに、不思議なことだ。
塔の内壁には意図的に掘り込まれた窪みがいくつもあった。闇を和らげる仄かな明かりがあって、初めてわかったことである。窪みの間隔は一定で、丁度手足を引っ掛けやすい形になっている。先程から姿の見えないアンシャリーアの行き先はまさか――
「アンシャリーア!食事の用意が出来ましたよ!ナタリアさんが手伝ってくれたから、思ったより早くできました」
室内の明かりは携帯サイズの燭台が四つと道化師の日属性の魔術光。光は弱くないが、自然の闇は都市の闇とは次元が違う暗さなのだ。総合すると、部屋はまだまだ薄暗かった。
薄闇の中、超感覚の目で頭上を見上げる。するすると猿のように身軽なアンシャリーアが、窪みを利用して降りて来るではないか。小さな鬼火を従えた少女は、片時も躊躇せず手足を動かす。
発光魔術があるとはいえ、夜闇の中で、よくそんな危ない真似が出来るものだ。
ある程度の高さまで降りてきたアンシャリーアは、パッと手を離し地面に綺麗に着地した。着地の寸前、彼女の足元から吹き上げる風が吹いた。それがクッションとなり、着地の衝撃を和らげたのだ。
空属性の適性持ちのナタリアもよくやる軟着陸の技法である。風を操り、光を灯すということは、アンシャリーアは空と日の二重属性なのだろうか。
「冷めないうちに食べましょうか。あ、無限軌道の履き替えだけはちゃんとしておきなさいよ、アルトタス」
手足の土汚れと埃を払いながら銀少女が言う。首を軽く振って、髪を広げ風通しをよくしている少女は道化師と目を合わすことさえなかった。
懇ろな労いまでは期待していなかったとしても、まさか更に扱き使われるとまでは予想していなかった道化師の顔は引きつっていた。
「履き替え?」
「……道無き道を進むものですから。石や段差、とかく損耗が早いのですよ。精密部品の車輪がそんなに頻繁に壊れては面倒なので、車輪に保護板を履かせているんです。前に言いましたよねぇ、車両整備も私がやっていると。一回走行する度に、保護板を張り替えるのが私の仕事なのです」
ナタリアに説明しながらも、手を休めない道化師はまさに勤勉という言葉を体現している。内心はともかく、表面上彼の働きを否定する者はいないだろう。
彼はアンシャリーアにスープの鉢を渡した後、片付けに手を付ける。それさえも手早く終えた彼は、自分の食事はまだなのに、無明の闇が支配する塔の外に出て行った。
「……なにもわざわざ夜中に作業する必要はないのではないか?早朝出発前に作業した方が効率も上がるじゃろうに」
ナタリアがアンシャリーアを複雑な目で見つめる。彼女はパンをスープに浸して、むしゃむしゃとかぶりついている。立ちながらがっつくものだから、びちゃびちゃとスープが跳ねてこぼれている。
顔立ちは絶世の美少女と認められるのに、食事の作法はまったく心得ていないらしい。まるで山賊だ。
「むしゃ、履き替えは大切だからね。保護板を切らしたら私の傑作は一歩も動けなくなるわ。ごくん、作品が失われるだけならまだしも、私は輜重部長なんだから、みんなの胃袋を預かってるの。作戦行動中は絶対に脱落は許されない。保護板のメンテは優先事項なの」
口の端から食べカスと唾液を飛ばしながらアンシャリーアは胸を張った。ナタリアの言葉など無視されるかと思ったが、蔑ろにはされていない。気軽に暴力を行使する少女相手に油断は出来ないが、どうやらナタリアは客人待遇というやつらしい。
アンシャリーアは長々とした説明が終わると小首を傾げた。
「ちょっとナタリアちゃんにはむずかしすぎたかな?ごめんね」
『嫌な目をしやがる。こっちを測っているのか?』
謝罪の言葉には、申し訳ないという色は一切含まれていなかった。
「……靴を履かせるのが大切だとしても、わざわざ暗い中やる意味はあるまい」
「そういう意見もあるかもね。なんだ、意外と分かってるんじゃん。本当に九歳なのか、怪しいものね」
アンシャリーアが鎌首をもたげた小蛇のようににじり寄ってきた。ナタリアはスープを口に運ぶのも忘れ、息を止める。
この流れもアンシャリーアの想定の内だろう。初めから。蜘蛛の巣に絡め取られた羽虫のように、どうにもならない状況だったのかもしれない。
互いの距離が狭まると、花の香りが微かに香った。石鹸の匂いが銀髪から漂う。以前試供品をもらっている。あれと同じ匂いだ。
薄暗くて気がつかなかったが、彼女の髪はしっとりと濡れている気がする。まるで風呂上がりのようなアンシャリーア。今の今まで旅の空だったのに、いつ入浴するタイミングがあったろうか。
「水浴びでもしたのか?」
アンシャリーアは怪訝そうに顔をしかめた。脈絡のない話題で、ナタリアが追求逃れをしていると思ったのだ。
しかし同時に彼女の気分は良かった。長時間の運転で身体の疲労は鉛のように沈殿している。沈んで固まってしまった疲労を溶かすには、入浴が一番だ。身体が温まると、心まで温かくなる。彼女は今、リラックスしていた。
「まーね。ほんとなら野営でこんな贅沢は出来ないんだけど。この塔をアルトタスが造った時、地下を掘り下げたら、そこから湧き水が出てね。水には苦労しないの、この拠点」
『へぇ、芸術性で爆発しそうなデザインの塔だが、案外設備もいいのか。風呂だなんて帝城でしか見なかったぞ』
「なるほど、今まで暗闇で何をしているのかと思ったが、旅の埃を落としておったのか」
「良ければ入る?沸かしなおしてあげようか?」
「悪いな、催促したようになった」
「いいよいいよ。ナタリアちゃんの都合も聞かずに突然お邪魔した私たちも悪いもんね。替えの服とか、無いでしょ?貸してあげるよ」
少なくともこの場でナタリアを問い詰める気はなくなったらしい。急に親切心を発揮したアンシャリーア。
地下に設えられた蒸風呂の入り方をナタリアにレクチャーしてくれる。
「せっかくだし、あったかい内に食べなよ。――で、虫が入り込まないように入り口は二階にあるの。そこからは階段があるから楽に降りられるよ。草で編んだ籠で蓋をしているから、そこを開けたら風呂場だから。替えの服は積荷の中に幾つか入ってるから、食べ終わったら、アルトタスに取りにやらせればいいよ」
とことん扱き使われる道化師に涙を禁じ得ない。
以前会った時は、二人の仲はそれほど険悪には見えなかった。道化師がたしなめて、それをアンシャリーアが柳に風と受け流す。表面上は諍いもなかったのに。一体何があったのか。直情的なアンシャリーアのことだから、案外つまらない理由かもしれないが。後で時間があれば”声”と相談してみよう。
「しかし、そうか。二階に登るにはこの垂直な壁を登らねばならぬのか」
「取っ掛かりはあるでしょう?ナタリアちゃんなら、これくらいよゆーだと思うけど」
彼女が何を知っていると言うのか。垂直な壁登りなどまったく経験が無い。体力的にも技術的にも困難という他ない。唯一の好条件は、壁の窪みの間隔が狭いことだ。ナタリアと似たような体格のアンシャリーアが使っていた手掛かりである。子供の身体でもつたっていけるような配慮のなされた壁だった。
二階に登るだけだから、落ちても怪我はないだろうが、怖いものは怖い。
鉄塔の事故が原因でナタリアは高所からの落下に対して、トラウマと言わないまでも、苦手意識が出来ていた。
「属性はなんなの?大賢者の弟子だったのなら、当然魔術は使えるでしょう?」
アンシャリーアが一歩近付く。他人に属性を尋ねるのはかなりの失礼にあたる。それに大概の場合は親しい間柄であれば、聞く迄もなく察することができる。そういう意味でアンシャリーアの質問は、無知を装った大胆な切り込みだった。
もうナタリアだって気がついている。アンシャリーアは見かけ通りの年齢ではないということに。
幻想種であれば外観年齢はあてにならないし、亜人の一部も同様だ。アンシャリーアの持つプレッシャーはとてもただの少女が持ち得るものではなく、ただびとではありえない。まさしく魔人という名が相応しい。
魔人はじっとナタリアの瞳を覗き、答えを待つつもりのようだ。
下手なごまかしや嘘は逆効果になりかねない。
「……夜」
「そっか。だったら自分の身体制御に意識をやるといいよ。壁は力で登るわけじゃないからね。地属性の筋力強化はいらないよ。かく言う私も空の風の補助くらいしか使ってないし。腕の力で登るんじゃなくて、体重移動で身体を持ち上げるの。夜属性なんだから、物覚えはいい方でしょ?頑張りなさい。光を貸してあげるからさ」
白い光球が寄り添うようにナタリアの側に飛んできた。それはアンシャリーアが日の魔術によって生み出した光源の一つ。眩しくないように光る角度や光量は調整されている。
ナタリアの手元だけを器用に照らす光。その光はナタリアを急かすように壁際に追いやった。
観念して壁の取っ掛かりに手を差し込んだ。別に照明を出すくらいならば、ナタリアも日属性の魔術を使うことが出来る。しかし夜の属性だと公言した手前、うかつな行動はできない。
与えられた光球に不満があるわけでもなし。黙って上を目指すことにする。
手元は見やすく、しかもアンシャリーアのアドバイスは的確なものだった。ナタリアが目指すべき道筋を下から矢継ぎ早に教えてくれるのだ。
「そこ!右上ね。体重移動右足で、左手はそこの突起を掴めばいいわ。右手を動かした後、左足に体重を乗せて」
指示を出す速さはかなりのものだったが、脳の並列処理能力にも優れる夜属性の魔術師ならば無理のない範囲だった。
二度三度と手足を動かすと、もう二階の手すりに手がとどくところまで上り詰めた。ちらと上方の闇を見透かすと、更なる上階がありそうだ。外観から察するに内部の階層は四階ぐらいはあるだろう。視線を元に戻し、二階の床に飛び乗る。圧搾土のスラブ床は頑強であり、体重の軽いナタリアが飛び跳ねてもまったく問題はないらしい。
アンシャリーアの言ったとおりの場所に階下へと繋がる階段があった。長い階段は一階を突き抜けて、そのまま地下まで通じている。
暗闇に躊躇しそうになるが、光球が先導し、階段の照らし上げた。これなら大丈夫。
降りて行くに従って、空気の湿り気がましてきた。じっとりと肌にまとわり付く熱気。気にせず歩を進める。
地下一階。狭い空間の地面にはナタリアの顔ほどもある大葉が何枚も編まれた籠が伏せて置いてある。熱気と湿気はそこから湧いてくるようだ。
暗闇で蒸気を吹かせるそれ。地獄の釜の蓋のようにも見えて。
手で開くことを諦めて、風を操作して手を触れずに伏せられた籠を開いた。
むわっ、とした蒸気がたちまち巻き上がる。目をしばたかせ体が慣れるのを待つ。じっとりと服を濡らすのは、果たして汗か湯煙か。脱衣所で上衣を脱ぎ捨てたナタリアは、恐る恐る地獄の釜を覗き込んだ。予想に反して穴倉の中には初めから光があった。そこは地下二階。自然光が入るはずもなく、そもそも今は夜だ。壁面が仄かに発光しているらしい。
その燐光を頼りに中へと踏み入る。ここの階段だけは石造りのものではあり、足の裏からは冷たさと水気を感じる。
空の見えない地下だというのに、肺に入る空気は新鮮そのもの。換気設備があるのだ。
浴場の中心にはチロチロ燃える火と、一抱えほどもある巨石群がどっかりと腰を落ち着けている。熱された石の上には天井から時折滴る水滴が。落ちた瞬間、水滴は瞬時に蒸発し、目に見えなくなる。
ムンムンとした熱気。あんまり長くは耐えられないと分かっているのに、いつまでも入っていたいような気持ちもする。身体が温められ、強張りは解される。ナタリアの頬は自然と緩んでいた。ここが敵地であることさえ、しばし忘れる。いっそ肌着も脱ぎ去りたいぐらいだ。
木製の椅子を部屋の隅に見つけて、そこに腰を下ろす。寝転べるくらいに大きい椅子は、まったく柔らかくはなかったが、その硬さがかえってナタリアに己の身体の骨と肉を強烈に意識させた。
「ほぅ……」
ため息のように零れた吐息の代わりに、湿った熱空気を肺に吸い込む。むせ返りそうになる。だが、それが奇妙なほど心地よい。
休んでいられたのは短い時間だけだった。体温の上昇は意外に早く、ナタリアの身体はそろそろ警鐘を鳴らしていた。名残惜しいがここまでだろう。
手ぬぐいで全身の垢と埃を落とし、さっぱりとした心持ちで浴場を出た。
脱衣所にはいつの間にか着替えが用意されていた。ナタリアの趣味とはずれた服だが、贅沢は言っていられない。サイズも合っていないのだが、ゆったりとしたデザインだから、多少誤魔化しは効く。
ナタリアは土階段を登り、二階に戻る。
「はぁい、どうだった?結構いいお風呂でしょう?喉乾いたと思うから、水用意しておいたよ」
コップを手渡してくれたのは、ラフな格好のアンシャリーアだった。受け取るは受け取ったが、一服もられていそうな気がして、口をつけるのは躊躇われる。
『いや、大丈夫だ。さっきからずっと見張っていたが、不審な行動は見られなかった。風呂の温度調節と換気をしていただけだ』
唐突な”声”。そういえば、今までどこに居たのか。いつの間にか居なくなり、いつの間にか帰ってきた。
「ありがたい。感謝する」
”声”の言葉により、躊躇う気持ちは消えていた。ゴクゴクと水を、喉に流し込んでいく。変な味も匂いもない。強いて言えば、火照ったからだに冷たい飲み物は効果抜群だと思ったくらいだ。
汗によって減ってしまった体内の水分が、喉から戻る。潤いが喉から全身に行き渡る快感は何物にも代え難いものだった。
『火おこしの日属性に、換気の空属性か。便利なもんだな。風呂まで作れてしまうとは。いや、蒸気機関を再現しているくらいだから、それくらいは出来てしかるべき、か』
そよ風がナタリアの喉や手足、服の隙間から流れ込んできた。生地と肌の間の空気が冷やされ、拭き残した水滴がそよ風と共に消えていく。
風を起こしているのはアンシャリーアだった。エーテルが消費されているが、魔術とも言えないレベルの魔法だ。高位の魔術師と見えるアンシャリーアにとって、苦労というほどのことは無いだろう。
しかしその心遣いは感じられる。
「下の階にアルトタスが居るからね。あんまり薄着で降りて行ったらダメだよ。寝室は三階にあるから早めに休むといいよ」
どうやらナタリアの入浴中に戸外で作業中の道化師が帰ってきたようだ。まだ夕食も食べていないのだろうか。少し心配だ。
一応アンシャリーアに言われた三階とやらを確認してみる。これまた壁の窪みに手足を引っ掛け登って行くしかないらしい。何故これほど難儀な設計にしたのか。問い詰めたいくらいだ。
壁登りもこれで二度目。要領は掴んでいた。アンシャリーアに見守られつつ、三階に無事に到着する。
代わり映えしない部屋は、明かりが無いため、窓の月明かりくらいしか頼りが無い。しかもその窓も最小限の大きさに抑えられていて、差し込む光は極小だ。自分で日属性魔術が使えたらどれだけ便利なことだろう。
手探りで寝床を見つけ、横になる。見張りはいない。二階にはアンシャリーア、一階には道化師と逃げ道を塞いでいるからか、彼らはナタリアに一定の自由を与えてくれた。
ここまで来て、逃げるつもりは無いが不安はたやすく消えるものではない。レヴィが居てくれた最近は感じたことのない不安感だ。
”声”が埋めてくれるのは心の寂しさだけ。身体の不安を除けるのは、生命力溢れるレヴィだけだった。
これからどこに向かうのだろう。
ファクトリー?龍退治?
言葉ばかりが上滑りして、具体的なことはなに一つわからない。第二魔術師団は何を考えているのか。アンシャリーアの真意は。
あの道化師が味方に見えるくらいのタイトな状況だ。ただたんに流され続けているだけではダメだと自覚していたものの、何をすればいいか。何が出来るのかがまったく見当もつかない。
第二魔術師団と和すればいいか、対すればいいのか。そんな基本方針にすら、今のナタリアは迷っている。
下で銀少女たちが聞き耳を立てているであろう状況では、”声”とおおっぴらに相談することも出来はしない。
レヴィにメッセージは届いただろうか。届いたとして、ここの場所が分かるのだろうか。
そして、そもそも。彼女がアンシャリーアや道化師と対面した時、一体何が起こるのか。
避けきれない破局。流されるままの自分への不甲斐なさ。
この日、ナタリアの眠りは酷く浅かった。




