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師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
肉食獣の遠吠え
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33/64

28亜人の事情

順序が前後しました。EXを一つ手前に投稿しましたので、ご注意ください。

 こうして帝都の連続爆破事件は幕を下ろした。太陽の使徒はその構成員の多くを失い、瓦解した。テロリスト集団として指名手配された彼らに帝都の居場所はない。

 衛兵隊の必死の捜索により、誘拐されていた日属性の娘たちは別のアジトに幽閉されていたのが見つかった。心身を衰弱していた彼女たちの誰一人命に別条がなかったのは、せめてもの救いだ。

 レヴィが懸念していた荒野の太陽竜の関与もいまのところはない。依然予断を許さぬ状況ではあるが、上十二衛の街区隊への介入行為は一先ず終了した。

 道化師はその際の動きに乗じて姿をくらませていた。彼の功績は殉職した兵士たちに捧げられた。遺族への手当てに予算が回されることだろう。


 式典は一日だけ延期された。

 武器庫焼失なんて不祥事で式典を中止するのはメンツが許さなかったのだが、太陽の使徒を捕縛する大捕物なら話は別だ。なにより上十二衛のトップの中隊長自らが率先して後処理をしていたのだ。呑気に式典を実行することが出来るわけがない。


 その延期された式典ももうじき終わろうとしている。

 ナタリアはレヴィの後ろでじっと待機している。視線の先には将来への希望溢れる青年たちの姿があった。

 別段面白い見世物ではないのだから、ナタリアの退屈に彷徨う視線は、自然とトマスの顔を探していた。

 いた。レヴィになす術なく敗北したことが尾を引いているのか、喜びを全開にする仲間たちと違って、目には険がある。腕を注視すると、美麗な籠手の隙間から包帯が僅かに姿を覗かせていた。

 トマスの動きはよく見るとぎこちなく、痛みがまだ引いていないことがわかる。治癒術は使ったのだろうか。

 彼の一挙手一投足を観察して時間を潰していると、どうやら式典は終わったようだ。

 中隊長が閉幕の挨拶をしている。

 中央の席にいるのは新入隊でその両側にずらりと上十二衛が並んでいる。末席の紅雀隊は、その中でも一番角の奥まったところにいる。中隊長の言葉はここまで大勢が集まっている空間だと若干聞き取りにくい。魔術を使えば余すことなく演説の仔細を知ることも出来るだろうが……。

 やる気は起きなかった。


 トマスたち新入隊が退出していく。これから彼らの配属が発表される。各隊に均等な人数が割りあてられるのだ。

 近年増設されたばかりの八隊は格では四隊に劣る。願うならば、より上位の部隊へ。そういう期待と不安を胸に青年たちは発表を待つのだ。

 会場から青年たちが姿を消して、各隊も順次退出していく。

 知らない顔ばかりだが、昨日の騒動で知った顔も見受けられる。

 麒麟隊の隊長や青龍隊の隊長などが、それだ。黄色の隊長の目元には明らかな疲れが見える。武器庫の火事の後片付けが深夜まであったのだろう。しかもアンシャリーアが持ち込んだ巨大な放水機構も現場には放置されていた。あの後、アンシャリーアや道化師が回収に戻ったと言う話は聞かないから、おそらく放置されていたのだろう。導水管を片付けるのは一日がかりだと言っていた。もしかすると、今も放置されたままなのかもしれない。同情する。

 最後に退出したレヴィ率いる紅雀隊は、新入隊員の待つ広場に移動した。

 残っていたのは二人の青年だった。彼ら以外は別の隊に配属されて出て行ったのだ。最下層の紅雀隊に配属されたということは、彼らにとってはハズレをつかまされている気分だろう。一人などはあからさまな落胆顔だ。しかしもう一人は違った。敵意に満ちた動物的な双眸と、覇気にみちた面構え。

 何か嫌な予感があったのだ。トマス・カーライル。

 昨日レヴィに突っかかり、あえなく返り討ちにあった青年が紅雀隊には配属された。和解は成ったはずだが、未だ彼の目にはギラギラしたものがあった。それは直接にナタリアへ向けられた感情ではないのだが、強い感情は周囲を不安にさせる。

 レヴィの顔色を窺うと、毛程も気にしていないようだ。


「ようこそ、紅雀隊へ。小隊長のヘイルダムです。二人とも歓迎します」


 奇しくもトマスと再会したのだ。何か言うかと思ったが、レヴィは彼を特別扱いしないつもりのようだ。

 毒気を抜かれたように、トマスは間抜けに口を開けた。まさか使うつもりでなかったにせよ、彼の右手はさりげなく柄の近くを彷徨っていたから、ナタリアも緊張が解けて安堵した。

 トマスの入隊は何事もなく受け入れられた。あの決闘騒ぎは一般の紅雀隊は存在さえ知らないのだから。

 新入隊二人が自己紹介をして、今日の行事は仕舞いだ。この後いろいろあるのかもしれないが、少なくともナタリアに関係のあるものはない。


 まだ日は高い。式典が終わるまでと先延ばしにしていたことや、様々な雑事を片付けけよう。

 さしあたって優先度の高いのは拗れた人間関係の修復だろう。

 ミックの取材は流れてしまったから、また改めて予定を取り付けなければならない。レヴィを通せば簡単に連絡できるだろうか。

 より深刻なのは亜人の数学者デュアルソロスのことだ。取り越し苦労の可能性もあるが、彼が帝国軍と接触を持っていたことはこの眼で確認した。その事情を知らないまま、彼と付き合うことは出来ない。今は軍に籍を持つナタリアだが、それは暫定的なものだ。

 貴族派、皇族派、軍部の微妙な力関係のにらみ合いの上に積み上げられた砂上の楼閣。

 研究所の施設を好きに利用するというメリットだけを享受するためには、これくらいの橋は渡らなければならない。


 仮に本格的に軍に入隊するとすれば、まず間違いなく身体測定が行われるだろう。魔術の資質についても微に入り細にわたって検査が行われる。そこで四重属性のことが暴露されることは避けねばならない。

 

 もしデュアルソロスがナタリアの内情を探るために送り込まれた軍の諜報員だった場合は最悪だ。”声”の知識によって得られた新術式の素案を彼には渡している。数学の問題と言って渡したので、彼は魔術の術式だとは知らないかもしれないが聡いものが見れば気付いてしまうだろう。軍にその情報がそのまま流れていくことは、出来るならば避けたい。

 

「まずはデュアルソロス殿のところに行かねばならぬな」

 

 ”声”の意見も聞いてみる。

 

『行くならば案外アポイントメントを取らず不意打ち気味に訪問するのがいいかもしんねーな。しかし押しかけてどうするつもりだ?あなた軍のスパイですか、って真正面から聞くのか?』


「む、そう言われればそうじゃな。正直に答えてくれるかどうかは難しい所じゃ」


『定番なのは偽の情報をわざとリークして、その反応を逆利用するってのがあるが』


 もし”声”の案を実行するとすれば、今しかない。疑念を抱いたことを相手に伝えれば当然向こうも警戒するだろうし、策が成功するとすれば相手に何も気づかれていない今この瞬間以外はない。


「もっと穏便な案として、俺があいつの家に張り付くというのもあるな。数日観察すれば何か見えてくるものがあるかもしれねーし、もしかしたらまた例の密会を目撃できるかもしらん。リスクも極小だ。消極策にしてはリターンも見込める」


 優しい亜人を疑うのは心苦しかった。

 苦慮の末、とにかく一度彼の住居を訪れることにした。仮に彼が軍属だしても、それが即ナタリアとの敵対を意味するわけではない。襲われたりするようなことはないはずだ。

 彼の住居はナタリアの下宿するオデオンの店舗の近所にある一軒の集合住宅だ。一度オデオンの店に帰宅してから、改めてデュアルソロスの住居へ向かう。

 薄暗い路地の先に見える立方体の群れ。石造りの基礎に木材の骨組み。極めて繊細なバランスで成り立つその住戸は、巨人が住まうにはあまりにも不適切な場所だった。

 頼りない主柱に手をかけて、ナタリアは玄関から中に入っていく。デュアルソロスは在宅だろうか。<超感覚>では人の気配が感じられる。呼吸音が大きいことから、中にいる者は立派な体格の持ち主だろう。亜人であるデュアルソロスの可能性は高い。

 ノックをすると、やはりデュアルソロスの声が返ってきた。


「はぁい。どうぞ、開いてるだ」


 以前訪れた時もそうだったが、この玄関は彼の体格に合っていない。狭い室内で四苦八苦している彼の姿を幻視する。ナタリアが扉を押し開けると、人間用の小さな机に広げた木板に向かい合う彼の姿があった。彼の意外につぶらな瞳がナタリアの小さな姿を捉える。

 

「ああ、嬢ちゃん。例の件だか?すごく興味深い問題だっただ。いったい何処であんな問題を見つけたんだ?碩学院でだって、あそこまでドラスティックな数字の捉え方は初耳だぁ」


 デュアルソロスは顔の筋肉をゆるめた。どうやら笑っているようだ。

 心なしか声にも喜色が滲んでいる気がする。こんな彼を疑わなければならないのが少し悲しい。


「む、まあ奇縁があってな。わしには理解できんかったが、デュアルソロス殿の役にお気に召したのなら嬉しい。お礼というわけではないが、昼時じゃ。店のパンを幾つか貰ってきた。差し入れじゃと」


 オデオンの店のパンが入った袋を掲げてみせた。

 それを見たデュアルソロスは顔をほころばせて、


「せっかくだ。昼休憩にするべ。水とおかずを取ってくるだ」


 そう言って巨体をそろそろ動かして奥の部屋に引っ込んでいった。


 机の上には彼の読んでいた書類が残されている。さり気なく近づいてそれを盗み見る。<超感覚>の視覚強化は、何も遠くを見るだけのものではない。

 視覚を強化するということは視神経の刺激による電気信号の情報解析力を強化するということでもある。人間の眼が本来持っている分解能が高性能になるわけではない。神経刺激を映像に処理する際の工程を最適化、あるいは本来であれば捨てられる任意の刺激を拾い上げて解析しているのだ。一瞬チラリと視線を動かしただけで、本来ノイズとして捨て去られていたはずの映像を脳裏に再生することができる。一瞬の光景が目に焼き付けられるということだ。夜の術者の不気味なまでの勘の良さはこういうことに起因している。彼らは一瞬の光景や感情を切り取り、じっくりと閲覧できる高性能なカメラを所有している。精神的とはいえ、時を止めているようなものだ。微妙な判断が要求される状況で、夜の属性は他の属性よりも優位に立っているといえる。

 ナタリアは一瞬だけ視線を走らせただけで、デュアルソロスの書類をあらかた目に焼き付けていた。

 書類だけでなく、部屋の至る所に視線を走らせる。壁、床、天井、机、椅子、敷物、埃、汚れ。あらゆるものを精査して、証拠を探す。けれど外から見ても、ナタリアが探偵のようなことをしているようには見えないのだ。自然体で立っているようにしか見えない。

 チェストの脇の隙間に押し込まれていた木彫の人形が意識に留まった。

 引き出しからはみ出している羊皮紙に踊るインクの蛇。

 摩擦でつるつるになった天井板。

 

 膨大な情報を本来人間は受け取っている。ただその大半は無駄な情報だ。情報は選別を繰り返さなければ、情報として価値を持つことなど無い。その無意識の選別に意識を介入できるのが夜の属性だ。

 無意味な生活痕と、有意義な軍の臭いを嗅ぎ分ける。それだけに意識を集中させる。

 

 だがデュアルソロスの背信の証拠は見つからなかった。

 室内を調べたと言っても透視ができるわけではないから、隠された物は見つけることが出来ない。まだ、なんとも言えない。

 戻ってきたデュアルソロスの大きな掌には人間用のサイズの小さな盆が乗っていた。

 机の上の書類をどけて、食卓の準備をする。

 二人分の食事。意外なことにデュアルソロスの食事量は、子供のナタリアより少し多いくらいだった。そんなに小食でどうやってこの巨体を維持できているのだろう。

 コップに注がれた水で、冷えかけていたパンを無理やり喉に流し込む。

 彼を疑わなければならない状況のせいだろうか。常と比して、あまり美味しく感じられない。無味乾燥でパサパサの食感しかない。

 デュアルソロスは乾燥果実の欠片をぽりぽり齧りながら、


「美味しいパンをいっつもありがとう、とオデオンさんに伝えといてくんろ」


 コクリ、と頷く。彼と美味しいパンを共有できないのが悲しかった。

 食卓に供された皿も減ってきた頃、来客があった。


「先生!ちょっと早く来ちゃいました」


 ノックなしで堂々入って来たのは、ナタリアも知っている塾生だった。名前は知らない。初めてデュアルソロスの数学塾を訪れた時に顔だけは見ている。こざっぱりした格好の青年は、室内のナタリアを見つけて目を丸くした。


「あ。あの時の女の子だ」


「お客さんが来てるだ。奥で自習していてくれ」


「折角早めに来て質問しようと思ってたのに……。ねえ、食事一緒にさせてもらっても構いませんか?僕も間食のために少し持って来てるから」


 青年はカバンの隙間から果物を見せながらオデオンに頼み込む。

 ちょっと図々しい青年だが、この空間に微妙な居心地の悪さを感じていたナタリアは、別にいいかと思った。その旨を伝えようと、オデオンの腕を叩く。


「わしが連絡もせずにやってきたのが悪いのじゃ。わしに気兼ねなどいらんぞ?」


「やった!君、話が分かるねぇ。先生、この子もこう言っていることですし」


 耳聡く聞きつけた青年は、我が意を得たりと声を大きくした。


「質問したいことがあるんですよ。あいつら先生のことをよく思ってないから、一緒の時は聞きづらくて……」


 いそいそと机の端の席に座った青年は、少し恨みがましく愚痴った。

 これほど塾生に慕われているデュアルソロスがナタリアを騙しているはずがない。


「あいつらとは、他の塾生のことか?しかし、嫌々ながらでも生徒を集められると言うのは凄いことじゃな。教え方がうまいのじゃろうな」


 ナタリアの言葉を聞いて、一瞬あっけに取られたように固まった青年は、次の瞬間大口を開けて笑い出した。


「先生の教え方がうまい?ははは、全然そんなことないよ。だって猪頭族の声はくぐもっているし、人間には聞き取り辛いでしょ。しかも先生の絵と文字の才能は壊滅的だから、読み取るのに苦労するよ」


『遠慮がないというか、不躾なやつだな』


 デュアルソロスは恥ずかしそうに俯いている。怒っているわけではなく、純粋に己の未熟を恥じているように見える。


「ははぁ、申し訳ないだ。碩学院の研究室ではみんな普通に読めてたから……」


「専門知識を持った学者同士だったら、だいたいの意思疎通はできるからねぇ」


 青年には悪気はないようだ。もしかすると彼らの間で交わされている恒例の冗句なのかもしれない。先生と生徒の垣根を低くするため、とか色々理由は考えられる。

 あまり気分はよくなかったが、昨日今日知り合ったようなナタリアが物申すのは違うだろう。


「まあ亜人の中にはコミュニケーションの難しい種族がいるのも確かじゃ。そんな中で教鞭を執るだけの識見を積まれたデュアルソロス殿は見事なもの」


「だよねえ。亜人の学者って、最初聞いた時は何の冗談かと思ったもん。そうだ、君知ってる?先生の名前の由来」


 青年は多弁だった。早くもナタリアは彼の相席を許可したことを後悔し始めていた。


「猪頭族の名前は発音し辛いから。碩学院時代にもらった二つ名みたいなものなんだって。常人の二倍の脳を持っているって意味らしいよ」


 デュアルソロスは無言で首肯してから杯を煽った。

 たっぷりの水分で喉を潤してから、答える。


「評価してもらえるのは嬉しいけんど、身の丈にあってない称号だ」


「王国碩学院の先端算術の権威には相応しいですよ。王国のことを過小評価する風潮がありますが、とんでもないと思います。伝統的な魔術的血筋が弱い分、奴ら向学心が旺盛ですから。羽ばたかずに飛翔し続けられる鳥はいません。我々も慢心せず、切磋琢磨しなければ」


 熱く語る青年の眼は輝いていた。悪い人間ではないのだろう。極めて陽性の人間だ。だが反りが合わないとナタリアは思った。

 既に机の上の料理はなくなっていた。青年の持ち込んだ果実は思ったよりも美味しくなかった。結局その殆どが彼自身の胃袋に収められた。


「実は僕、碩学院に行ったことあるんだよね。といっても見学だけど。父上に連れられて敵情視察でね。実際見たらちょっと感動しちゃったよ。見栄えは全然綺麗じゃないんだ。あちらこちらに無秩序に荒屋が建てられていてまるでスラムみたいだった。でもそこにいる人たちは帝国人とは全然違う。理由はわからないけど、熱があるんだ。活気っていうのかな。誰も彼もがやる気に満ち溢れていて、今にも物凄い何かが始まろうとしているような予感がする。祭の前夜みたいにね」


 彼が情熱的に語る碩学院は誇張されたものかもしれない。けれど人一人、しかも敵国人を熱狂させる何かは存在するのだろう。

 ふとデュアルソロスの顔色を窺うと、満更でもないのか頬の赤みを杯で隠していた。

 王国贔屓の青年は演説を終えて満足そうに笑った。


 机の上を片付けて、そろそろ暇しようと腰を浮かす。デュアルソロスへの疑いは晴れたわけではなかったが、話すことで気分は晴れた。

 来る前より少しだけ軽くなった心。  

 午後からは数学塾があるそうで、見送れないことをデュアルソロスはしきりに謝る。人間用の玄関を使えない彼にそこまでさせるのは酷だ。適当に断って玄関の外に出た。

 ナタリアは屋外に出たが、”声”はまだ室内に残っていた。






 ナタリアがいなくなってしばらくして、青年がデュアルソロスに話し掛けた。


「ところで先生。質問の件なんですけど」


 巨人が出入りするための大穴からの晴天に目を細めていたデュアルソロスは、振り返り嘆息した。


「弾道計算の変数式のことなんですが。新しい記号が次々に出てきましたよね。実家の算術書を調べてみても、文字で表している物ばかりでした。とうして分かりやすい文字ではなく、あのような気味悪い記号を造ったのでしょうか?」


「ん……。筆記の時間を短縮できるし、なにより分かってしまえば、式を理解する時間が短縮できるだ。文字でいちいち変数、二乗変数、三乗変数、四乗変数と造っていくよりも、汎用性を高めて読解に煩わされず済むか、ら」


「んー。果たしてそううまく行くものですかねー。てっきり先生が書き文字苦手ゆえの横着かと思いましたよ。王国の碩学院では多くの亜人が出入りしているから、使いやすいんですかね。識字率の高い帝国では無用の気遣いですけど」


 どうやら彼自身の知る記述方式と大きく異なる方式をとるデュアルソロスへの不満だったようだ。

 関係ないと”声”は思い、奥の部屋を物色しようとした。

 しかし何気無く目をやった青年の持つ書類に描かれた絵図に愕然とする。


 それは極めて初歩的な物理の問題だった。しかし重力の原理や法則さえ解明されていない世界においては、これは先端学問である。

 描かれていたのは、大砲とその砲弾の着弾地点の計算方法だった。

 演算のみで正確 なものを目指すならば、実は流体力学、熱力学の知識や、極めて精密広範な大気状態の観測装置が必要となる。ここで問題とされていたのは、そういった厄介な分野をオミットした簡易な計算式だったが、そもそもそういう問題ではない。

 何故ここにそんなものがあるのか。

 少なくとも”声”の知る限りにおいて、大砲のような火器は普及している兵器とは言い難い。魔術で同等以上の現象が起こせるのだから、遠距離を物理的に攻撃する手段が発達しなかったのは仕方ない。

 しかし”声”は知っている。大砲や銃といった個人の力量に左右されずに一定以上の火力が見込める兵器が戦場に登場すると、どの戦場の様相もその兵器によって塗り替えられて行く。

 鉄と銃によってアメリカやオーストラリアを侵略した欧州の例を挙げるまでもない。

 戦術や武練の意義は薄まり、勝敗を決めるのは投入出来る火力量。必然的により多くの火力を前線に送り込むために輸送、製造、研究、ありとあらゆる分野が国家の矜恃に賭けて総力を結集する。

 それは総力戦に至る破滅的な道程でもあった。


 それは”声”が引き起こそうと目論んでいた未来の姿だった。

 少女の味方となり、世界の敵となる。数代進んだ技術を供給するというのは、そういうことだ。

 原始的な部族抗争が主体で、個人の武技を競っていたインディアンは始めから馬に乗り、銃器を振り回していたわけではない。欧州からの入植者から手に入れた銃器を取り込めた部族が勢力を伸長し、敵対者を駆逐していったのだ。

 ”声”はまだ直接的には兵器の開発に関わる技術をこの世界に伝えてはいない。それは良心によって行動を統御していたのではない。単純にこの世界の魔術が便利で汎用性も高かったから、他の科学技術開発に注力するよりも魔術を改善したほうが成果が望めたというだけの話だ。

 いずれ、銃器のような劇的な軍事技術をこの世界に持ち込むつもりだったのだ。無責任に、なんのしっぺ返しも受けない傍観者のような立場から。


 複雑な想いが去来した。

 錯綜する感情の波をあえて、封をしてこころの深い所に沈める。悩むことはいつでもできる。いま出来ることをしよう、と”声”は気分を切り替えてその書類を観察した。


 問題には砲弾が描く放物線と、その求め方が書かれていた。書かれているものだけでは、誤差が酷く、とても実用域にはないだろうがそんなことは些細なことだった。


「それにしても先生も板挟みな立場ですよねぇ。猪頭族と帝国軍が戦っているというのは。王国みたいに異種族同士でも節度を持って交流していければいいんですけど」


「……それについては何も言えないだ。ただ、双方に被害者が少ないことを祈るだけだ」


「それで帝国軍のための兵器研究って、ねぇ?違う境遇で生まれていたら、先生の才能はどれほど花開いていたことか」


「……」


 青年に悪意はない。しかし彼はぐいぐい人のデリケートな部分に踏み込んで行く。デュアルソロスは無表情になっていた。この話題をこれ以上続けたくないであろうことは、”声”にさえ分かるというのに。

 しかし今だけは彼に感謝していた。”声”の言葉はデュアルソロスには伝わらない。聞きたいことも聴けない身分だが、青年がそれを代行してくれる。


「でもまあきっと大丈夫ですよ。帝国軍では大筒の利用価値を威嚇ぐらいにしか考えていません。連弩の方がまだ役に立ちますもん。蛮族相手にわざわざ移動の面倒な秘密兵器を連れて行くとは思えません。僕たちだって、王国の大筒隊に対抗するための知識を身に付けることが第一の任務ですから。帝国の中で大筒が使われることはないですよ、きっと」


「……どちらにせよ、軍との契約を破るつもりはないだ」


「うん、僕も先生から教われなくなると寂しいですから」


 デュアルソロスの暗い表情から推察するに、彼の軍との関係は確かに存在するらしい。それが望まないものである可能性は高い。

 ”声”は急いで外の路地の影で待っていたナタリアの下に戻り、デュアルソロスのことを伝えた。

 この事態を予期していたためか、ナタリアに動揺は見られなかった。


『で、どうする?あいつが軍と関係しているのは確かだが、ガキを狙った監視者というわけではなさそうだ。どうにも別件……しかもかなりヤバイ技術供与に関わってる節がある』


「ガキではない!……しかし、そうか……」


『騙された、と怒るか?』


「そんな恩知らずな真似はできぬよ。望まぬ秘密を胸に抱いているのはわしも同じことじゃ。隠していたことは責められぬ。それに軍関係者というのならば、レヴィだって同じこと。問題の本質はそんな場所にはない」


『ほぅ……』


「やはり、一度面と向かって話す。大きな危険はないはずじゃ」


 瞳に理知の光を灯し、啖呵を切ったナタリア。”声”にはそれが頼もしく見えた。彼女は弱かった。しかしいつまでも、弱いままではない。


『あの男がいるタイミングは不味いんじゃねーか?聞いた感じだと、あいつ軍人か貴族の家系だぞ。ナチュラルに人を見下すし』


 一応懸念を表明しておく。彼に邪気は見られなかった。しかし人間、いつ豹変するか知れたものではない。部外者の介入を減らすことで情報漏洩の対策とするべきだろう。


「そこは臨機応変に切り出そう」


 かといってあの青年が完全な邪魔者かというと、そうでもないのが悩ましい。裏事情を知っているらしい彼が居なければ、デュアルソロスは口を割らないかもしれない。

 所詮ナタリア一人の追及では、近所で懇意の子供の戯言と、いくらでもはぐらかす余地がある。これではデュアルソロスの触れがたい事情に、ずけずけ踏み込むのは難しい。

 大人の証人として、常ならばレヴィがナタリアの側にいてくれる。しかし今は居ない。あの青年をうまく利用出来るのならば、レヴィの休みを待つ必要はない。


 ”声”は出直した方がいいと思った。別に時間制限があるわけではない。万全の体勢を整えて、またやり直せばいい。焦る必要はどこにもないのだ。

 しかしナタリアは決断していた。で、あるならば”声”に出来ることはない。

 諫言、忠言、助言、申告。そんなことしか今の”声”にはできないのだから。


 結論を言えば。最も恐れていたデュアルソロスの背信はなかった。

 彼の立場と運命の重さにショックを受けはしたものの、ナタリア側の情報が軍に流れているということもなかった。

 ナタリアの勇気は幸運に暖かく祝福された。


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