EX肉食獣の暗躍
時はを大きく遡る。これはナタリアが魔導研究所に配属された頃の話。
幽議会の参加者の一人が登場人物だ。
「――と、いう訳で、あの娘を抱き込むのは、憎き道化師めの妨害を受け失敗に終わりました。面目次第も御座いません」
顔を青くした武官が深々と頭を垂れた。言い訳のできない位の完膚なきまでの敗北。
打ちのめされた大の大人は、泣くのをこらえる子供のように歯を食いしばっていた。
子供ではない。無力感よりも、胸に抱いた誇りが内側から自分を傷つけている。自分で自分を許せないのだ。
「ああ、いいよ。確かにこの状況で彼女に大っぴらに接触するのは不味い。現状は僕達が一歩先んじているのに、焦って馬脚を露わす事もない。身柄を確保するという一事で我慢すべきだという天のお告げだろうね。むしろ先行して、追われる立場の僕たちは、逆転の一手を摘むために、警戒をしなくちゃ。道化が彼女と何を話していたかまでは?」
「分かりません。ですが、娘も道化師に気を許してはいないように見えました。少なくとも両者の間に明確な共同戦線が生まれたとは考え辛いかと」
報告を聞き終えて、武官を下がらせる。
彼はクラックスの部下だが、腹心ではない。というよりもクラックスは他人を心から信用したことなどない。それは彼の猜疑心が人並み以上だという意味ではなく、彼が進めている防疫計画の詳細を周囲に秘密にしているからだった。
クラックスは与えられた個室に一人、書類と向き合う。背もたれの豪華な椅子に深く背を沈める。非常に柔らかい魔獣の毛をふんだんに使用した高級品である。その魔獣、フェザーシープは乱獲され今では絶滅している。故に骨董品であるこの椅子は、大金を積んでも二度と手に入らないだろうから、クラックスは大事に大事にメンテを欠かさない。月一で地属性の職人を呼ぶのだから、その本気度が窺えようものだ。
「さて、分からなくなってきた。折角シルバーバレットをコツコツ準備してきたのに、また事態が動くのか。まさか此方の動きを察知したわけでもあるまいに。あーあ。大将に報告するのは、また延期だなぁ……」
虚空を見つめながら、思っていることをそのまま口に出す。こうすると思考が整理されて、問題解決の糸口が見つかったり、難問が単純化されたりするのだ。もちろん、盗み聞きする不逞の輩の探知は欠かせない。
彼の家に代々伝わる<並行思考>術式は<超感覚>との相性も良く、やろうと思えば屋上の風音から、床下の鼠の足音だって拾うことができるのだ。
軍部で少女の身柄を預かる前に、彼女の身元調査を指示したのはクラックスだ。
結果はあまり芳しいものではなかった。天涯孤独の大賢者の弟子は、どのような手練手管を用いて大賢者に取り行ったのか、皆目見当がつかなかったのだ。
交友関係なし。親族なし。
誰かに師事していたという話も聞かず、彼女が帝城に入るまでの足取りは全く掴むことが出来なかった。
不甲斐ない。
まず無いとは思うが、仮に彼女が敵国のスパイであったらどうするのか。
東方朔の縁者でないとどうして言える?
「――東方朔。帝国は僕たちの物だ。人でありながら人をやめた者。それははじめから人でない亜人よりなお、罪深い」
敵意を言葉に出す。そうすると、あの絶対的な強敵である魔人でも倒せそうに思えてくるから不思議だ。
魔人、東方朔。帝国軍独立第二魔術師団長。
百年を越える年月を生きる不死の魔人である。
歴史を紐解けば、帝国建国の黎明期から存在を確認されているというから驚きだ。
確かに荒野の幻想種の中には竜種など、人類よりも寿命の長い種族も散見される。千年という途方もない年月を生きた吸血鬼もいるらしい。
けれど、彼はそれらとは違う。
魔人は化け物よりもよほど化け物なのだ。
彼は正真正銘の人間だ。
幻想種の血を引いた亜人というわけでもない。本当にただの魔術師。
ただの魔術師が一体どうやって永遠の命を手にしたのか。驚くべきことに、彼はその秘密を隠そうともしなかった。むしろ国として幼体である帝国を扶助するために積極的に技術公開した節さえある。
陰陽和合。それが彼の命名した生命の秘術だった。
相反する属性の融合は生命を、神が定めた終焉の軛から脱却させてしまう。地属性と空属性を自在に操る東方朔は、何歳かも定かではない癖に、少年のような若々しい姿を己が物としている。
二重属性の魔術師を集め、その秘術を伝えようと苦労しているようだが、その成果は芳しくないらしい。暗雲の中一つ明るいニュースだ。
――あんなバケモノが数を増やすというのなら。それはドラゴンよりも恐ろしい、世界を滅ぼす病巣だ。
帝国の、上層部では有名な話だ。順当な出世コースを歩み、弱冠ながら副官として抜擢された彼は、一年前に東方朔の存在を将軍から聞いた。
知れるだけの立場に上り詰めたのだ。
神を冒涜するような。いや、遍く全ての生物を見下すような話だと思った。
自分に欲がないとは言わない。死にたくない。もっと生きていたい。長く長く、少しでも長く……。
命のやり取りを生業とする軍人だからこそ、痛切に思う。
けれども。
純粋な思いを、祈りを。形にしてしまえば、実現させてしまえば。
そこにあった儚くも力強い輝きは何処ともなく失せてしまう。
夏の蛍のように、あっさりと。そこには元から何もなかったかのように。
東方朔は関わってはならない存在だというのが、すぐに分かった。
自分が魔人に関わってはならないという意味ではない。あの魔人が、人間の社会に関わってはならないのだ。
あんなもの、見てはならない。
目に入れただけで、人々の光り輝く宝玉のような祈りを、真っ黒にくすませる炎禍だ。瘴気のようにただよって、無意識で病魔をもたらす災厄。
生きるという何よりも尊い意思を、犯し、嘲り、足蹴にする。
駆除せねばならないのは、自明の理だ。これは帝国のみならず、遍く人類にとっての幸いである。
独立行動権を有する第二魔術師団を疎ましく思う軍部としての立場以上に、私人としてのクラックスは、東方朔率いる魔術師たちを憎んでさえいた。
いや、それどころか国を守護する軍人の本分すら無視するくらいに……。
しかし害獣共は手強い。一人一人が一騎当千の二重属性持ち。真正面から挑めば勝算は薄い。
かといって、政治的手段による排除も困難である。独立行動権を有する彼らの動きを制約するのは、空を飛ぶ鳥を捕まえるよりも難しい。師団として独自の補給路を確保する少数集団に兵糧攻めは愚策。
もう、手段を選んではいられなかった。
シルバーブレッド。魔を殺す弾丸。
副官の第二魔術師団排除計画に必要不可欠の切り札だ。
私生活を犠牲にして手に入れた最大の武器。
この武器を使い、彼ら魔術師団を一網打尽に撃滅して見せる。
魔を殺す魔術。破魔の一族にのみ伝わる奥伝。それが<吸魔>。
闇に生きる暗殺者集団が有する魔術師殺しの魔術術式である。
手段を選ばなかったクラックスは、既にその魔術を己が物としている。近辺で発動する魔術の一切を不発にさせるという<吸魔>の原理も理解している。
ようはエーテルの強奪である。
コモンズの悲劇。
本来大気を漂うエーテルは誰のものでもなく、均等に分布するそれは魔術の源である。
誰もが使用できるその共有財産を先に使い切ってしまうという、究極の浪費こそが<吸魔>のロジックだ。
本来全く意味のない失敗作の術式。ただし無制限にエーテルを浪費するその術式は本来の効用とは掛け離れた特殊な副次効果を及ぼす。
空転するエンジンにひたすらに燃焼させるように。生まれたエネルギーは全て熱エネルギーに変換され、エントロピーは増大。エーテルは再利用不可能となる。
大量に消失したエーテルの穴は、しばらくすれば元の濃度に復元されるが、短時間であっても、その空間内で魔術などのエーテル消費行動を禁じることが出来る。
破魔の一族は、この術式を用いて強力な力を持つ魔術師を、幾人も闇に葬ってきた。報酬のみで動き、時の支配者にさえ、靡かない。
傭兵部族とも言える彼らを味方につけるために、副官は文字通り骨を折った。
己の身体を売り払った奴隷よりもなお酷い、心さえも商材にしてしまった副官は、なりふり構わない執着を、<吸魔>術式に見せていた。それはひとえに魔人殺しのため。人生くらい犠牲にしなければ、人はバケモノを殺せない。いや一人分の人生では足りないのか。チップが足りないのなら、更なる命をかけるしかない。
「魔術を使えない魔術師ならば、例え不死の魔人であろうと赤子のようなもの。魔術によって不死性を維持している魔人ならば、通常戦力で容易く捻れるでしょう。後はこちら側の<吸魔>の使い手、配備数の問題ですね……」
勝てる。その道筋ははっきりと見えている。
どうにかして各地に散る第二魔術師団の団員を一か所に集め、防疫作戦を決行する。技術的障害はもはや存在せず、不死というものはこの世に存在しない。
計画を進める矢先、突如として現れたナタリアという少女に関する騒動。これが第二魔術師団側の企みでないとするならば、どうにかしてこのアクシデントを防疫作戦に利用したいと副官は考えていた。
出来る手は打っておく。不確定要素であるナタリアの取り込みもその一環であり、失敗しても構わない気持ちだった。
計画は殆ど完成している。細部を詰めて、病原菌共を誘き寄せて……。
それさえクリアすれば、いつでも上司の大将に計画を上げられる段階だ。
「さて、取り込みが失敗したとなると、僅かばかり計画の見直しが必要だな。<黒霞>は学術的には大変興味深い術式だけれども、実用価値は殆どない。所詮老人の道楽のようなものだ。大賢者の遺産を後生大事に抱えている娘には悪いけれど、大した価値も見出せない。その程度のものに縋り付くということは、――彼女自身もその程度のものなのだろう。一応の監視だけは付けておいて、無視するのが一番だな」
長い独り言。ナタリアにとっては幸運なことに、軍上層部からの干渉が意外にも少なかったのは、彼のこの判断をおかげだった。
”構っていられるほど、暇ではない”
彼の心情を一文で表せばこうなる。けれど押し殺した不安は消えてしまったのではない。ただ、心の深い所に沈殿しているだけだ。
謎の少女への、”分からない”という不確定要素はいつかその不信の芽を芽吹かせる。
今日、今がその時ではなかったというだけで。
いつか。
きっと。
思考に一区切り付けた副官は、既に終わってしまった本来の業務がいつの間にか増加していたりしないのを確認。
多忙を極める副官の仕事は、日程の調整など面倒なものが多いのだ。秘書官が勝手に仕事を増量させて行くことは稀に良くある。
ワーカホリックでもない副官は、適当に力を抜いて義務としてそれらをこなし、副業とも言える防疫作戦を更に練磨させる。
疲れは無視できる程度のものだ。今夜は早く帰れることだろう。
暗殺者一族の棟梁の娘らしく鍛え引き締まった肢体を有する妻の痴態を思い浮かべ、笑みを浮かべる。
心を売り払ってまで手に入れた破魔一族とのコネクションだが、なかなかどうして、妻として相応しい、いい女である。我が強く、わがままなのが玉に瑕だが、外側だけならば最高の妻だ。
瑞々しい肌と白く輝く歯並びを思い出し、その歯を舐めることまで想像する。生々しすぎる回想で、思わず下半身が疼いてしまう。
「早く帰ろうか」
一人の陰謀家は上機嫌でその日の仕事を終えた。
忍軍の頭領、ジン・ジャガー・タスケは頭を抱えていた。
困難な任務など数えきれぬほどこなしてきた。年をとってからは前線に出る回数も減り、相応の落ち着きを持って任務をこなしてきたものの、実力は里の中でもトップクラス。不可能に思える暗殺依頼も失敗したことはない。失敗したことがないからこそ、ここに立っていられるのだ。
歴戦の彼をも悩ませる問題とは、仕事の厄介事ではなく、家庭の問題だった。
ジンには二人の子供がいた。頭領の跡取りとして申し分ない実力を身に付けた兄と、先祖返りしたかの如く濃厚な魔の血を受け継いだ妹。
いつ死んでもおかしくない殺伐とした世界で、成人するまで生き残ってきた二人を誇りこそすれ、厄介に思う事など有るはずがなかった。
そう、昔ならば――
やはり全ての厄の始まりは、息子の翻心だとしか思えない。あれから全てにケチがつき始めた。
何を間違えたのだろう。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
先祖の血を色濃く引いた資質の塊の妹と違って、十歳年の離れた別腹の兄はひどく凡庸だった。魔力資質は母親から子に残されていくから、女の方が魔力が強く生まれてくれたのは朗報だった。その異常な程の才能に、里の者は祝いの酒を飲み交わしたほどだ。
兄の名は、ミック・ジャガー・タスケ。
才能はなくとも血筋が良い。ジンは嫡子として当然の英才教育を施した。息子は才能の不足を努力で補い、妹が生まれる頃には既に少年の忍として一端のものになっていた。
血の滲む努力。生活の全てが訓練と実戦で埋め尽くされる毎日。
血なまぐさい仕事も多かったが、偽装のための村の経営も里の生活の一部だった。
子供の情操教育にもなったに違いない。
タスケの一族はある秘術を代々と受け継いでいる。
<吸魔>なる魔術を殺す魔術。
それがあればこそ、彼らは魔術師殺しとして裏の世界に名を轟かせていた。一つの国に抱えられること無く、独立して勢力を構えるという無茶が許された。
偽装のための農村も一族の血によって作り上げられた、奇跡のようなシロモノだった。
暗殺者としては恵まれた境遇のはずだ。それに、親の目から見てミックは現状に不満を抱いているという風ではなかった。むしろ少しでも強くなるために、それだけを見つめて研鑽を重ねてきたのだ。
そんな彼がふらりと村を去ったのは何年前の事だったか。
当初は任務が失敗したのかと思われた。落命したか、動ける状態ではないとか。
様子を窺うために派遣した里の者は尽く返り討ちにされた。
一体何があったのか。どんな心境の変化だろうか。
親として心配に思う気持ちが確かにあったのだが、ジンの立場がそれを許さなかった。
任務の途中放棄。敵前逃亡。離脱。
抜け忍、死あるのみ。
<吸魔>の秘密を漏らすことはこの里では何よりも重い罪である。漏洩した当人はおろか、秘密を聞いた者、一族郎党を全て抹殺し、絶対に情報を外に漏らさない。
そんな厳しい掟があるからこそ、一族の頭領である自分が息子に甘い対応を取るわけには行かなかった。
せめて彼が帰ってくるなら。反省しているならば。手段はいくらでもある。
しかし現実として彼は里に戻ることはなかった。各国を放浪する彼を追い続けるのは難しい。たとえ発見できたとしても、一級の手練を複数人――しかも迅速に送り込まなければ始末することさえもできない。捜索にも資金が要る。
結局抜け忍としてミックを手配したものの、ここ数年積極的に探すことはやめていた。
そんな彼を見つけてしまった。
他ならぬ自分が。
里の長として前線に出ることは少なくなっていたが、今回の依頼は特別だった。
なにせ世界最高峰の魔術師軍団を殲滅させるという途方も無い暗殺依頼だったのだから。
それはもはや暗殺というレベルではない。抗争、それも単なる勢力争いではなく、断固として相手の存在を認めない、鏖殺の戦い。
そのような依頼、受けたくはなかった。
しかしとある事情のせいで、その馬鹿げた依頼を受けざるを得なかった。
やると決まれば全力で挑まねば、一族の者に死人が出る。その死を背負う責任が長には有る。
帝都で行われる作戦に備え、十名ほどの部下を引き連れてゼン自らが前線に出張ることになった。
既に潜入済み、工作員戦闘員合わせて五十人以上。里の戦力の半分以上を投入した作戦だ。
どんな僅かな瑕瑾も見逃すことは出来ない。
瑕瑾。傷、ひとつ。
一族の秘密を知るミックの存在などはその最たる物だった。
どうしてここに。何故今なのか。
嫌な偶然は重なるが、こうなってしまっては他に選択肢はない。息子を排除するしかなかった。
万難を排するため。かつての次期頭領を殺害する。血の繋がりは無視する。
躊躇いはまだある。
殺したくなど無い。
最善は彼が帰ってきてくれること。
次善はどこか遠くの国にいてくれること。
現実は非情である。
自問自答し、苦悩するゼンの最後の後押しをしたのは、他ならぬミック自身であった。
街中にいるミックを遠巻きに監視する部下たち。ミックの夜属性の索敵範囲は理解している。だから彼よりも探知能力に優れる者のみで、範囲よりも一歩遠くから監視していた。
しかし何の偶然なのか、ミックに監視が気づかれてしまった。
気づいたミックは問い詰めるつもりなのか、返り討ちにするつもりなのか、全速力で我々を追い駆ける。当然、逃げる。しかし、逃げ切れない。
おあつらえ向きに、寂れた通りに入る。
昼間だというのに、ひと目はあまりない。
これ以上は逃げられない。
やるしかなかった。
結果だけを言えば、ゼンの手勢はこっぴどくやられた。
負傷者二名、死亡者二名。
数の利があれば負けるはずはなかった。戦力ではこちらが上回っていたのだ。
――あの忌まわしい援軍が登場するまでは。
騎士が一人。軽鎧を着けていたが、さほど良い作りのものではないと遠目で見て取れた。腰に提げたピカピカ光る宝剣が異彩を放っていたが、逆にそれはちゃちな模造品のように思える。
しかも女。背丈だけは一人前だが、特筆すべきことはそれくらい。女で騎士というのは珍しいが、きっと魔術の腕を見込まれ抜擢されたタイプだろう。
そうであるならば、<吸魔>の格好の餌食である。そういう自信過剰な魔術師を何人も葬ってきた。この数で襲えば負けるはずのない戦いだ。
ならば騎士一人が増えたところで、ミックを亡き者とするに障害ではあるまい。
そう判断した。
実際に刃を交えてみると、その予想は見当違いだったことがすぐに分かった。
――単純に圧倒的に戦い慣れている。
魔術だけに頼るのではなく、身体捌きも達人級。こちらの戦力と比較しても、三人分くらいの強さはある。
状況判断も的確。膂力も鬼のように強い。悠長に<吸魔>を当てる暇なんてない。<吸魔>の射程はほとんどゼロ。密接状態でしか効果を発揮しない。格上の懐に正面から潜り込むなんて、暗殺者には無理な話だ。相手の油断や隙を狙ってこそ真価を発揮するのが忍びなのだから。
幻想種の血を引いて、常人離れした身体能力を持つ<吸魔>の一族でさえ、疾風の如き彼女の動きにはついていくのがやっとだった。
遅まきながら、敗北を悟る。
彼我の戦力差が敗因ではない。
ただひとつ。
我々は戦士ではなかった。彼女は戦士だった。
闇に潜む暗殺者が、白日の下に誘き出された時点で、勝負は決していたのだ。
負けが決まっていたのなら、脇目もふらず遁走するべきだった。どうしてもここで雌雄を決する理由など無い。その選択肢を選べなかったのは、やはり息子への情があったからだ。
猛省。次はない。己に言い聞かせる。
自分へのけじめはともかく。
一族を仲間を無為に失ったけじめと、雇い主への義理はいまだ残ったままだ。
暗く沈む内面を見せないようにして、仮初めの主に報告する。
「申し訳有りませぬ。潜伏中に厄介な者に見つかりまして。口封じするべく交戦しましたが、あえなく破れ二名失いました。帝都での我らの活動を妨害してくるやも知れませぬ。次は最高戦力を投入しての撃滅許可を頂きたく……」
「は?なに言ってるんだ……?」
雇い主――クラックスは、わけがわからないという顔をした。
「まだ計画は下準備の段階だろ?帝都の下見をしていただけで、何故損害が出る!?」
有能な軍人だそうだが、まだ若い。この年では戦場に出たことさえ無いのではないか。
「旦那、ここは我らにとって敵地も同然です。しかも得意の単独行動を捨てて戦力を集中させた。トラブルは起きて当たり前だと理解して下さい。もちろん、作戦実行能力に支障をきたす程ではありません。そこはご安心を」
常の一族の得意スタイルを無理やり捨てさせたクラックスをそれとなく批判しつつ、姑息に弁を弄する。
得意なスタイルを捨てて。自分を曲げているのはむしろジンの方だった。
普通ならば雇い主相手にこれほど強く意見することはない。息子への複雑な感情。結ばれた歪な契約。ままならない状況への苛立ち。
全てがジンに牙を向き、逆風を吹かせている。
それに負けて、自分を曲げるとは。
弱い。弱い。
人の親はなんと脆く、傷つきやすいのか。
この仕事が無事に終われば、一族の頭領を引退しよう。肉体的にはとっくに限界を迎えていた。仕事をするよりも、後進に技術を伝承していくべき年齢なのだ。ミックさえ順当に頭領を受け継いで貰えれば、それでもう自分は引退するつもりだったのに――
計算は狂い、引き際を逃した老兵は今も血の匂いを嗅ぎながら足掻き続ける。
子供を想い、一族の命を背負い、人の命を奪う。
全てを為すにはジンは小さすぎた。
「支障がないだって!?バカを言うな。本番前に先走るような連中が、これ以上問題を起こさないわけがないだろう!……仕方ない。起きてしまったことは仕方ない。現場に居なかった僕がいくら言葉を紡いでもあんたに届くことはないんだろう?」
羞恥が身を焼き、無表情に小さく首肯することしか出来ない。
今しがた青臭いと見下した青年は、怒りも苛立ちも瞬時に飲み込み、成長した。
その前向きな姿勢、向上心。
人が大きくなる瞬間を目にして、ますます自分が惨めになる。
「だが!!次はないぞ。現状でも戦力は五倍。だが一人でも取り逃がせば、被害が増えるし、罪のない民草が犠牲になるかもしれない。市街地でやりあうつもりは元からなかったが、本格的に罠を張る場所を考えなおしたほうがいいな……。あんた、契約を忘れては居ないよな?」
「……えぇ。標的の名前から属性、戦闘能力まで詳細に教えられて、それで任務を果たせないようならこの業界で我らの一族が生き残りはしなかったでしょう」
「ふん。やれるのなら構わないさ。いいか?君たちは防疫官だ。一つのミスがパンデミックにつながり、ひいては大勢の命を危機に晒すということを努々忘れないでほしい」
ミックとあの忌々しい女騎士の話はした。しかし雇い主からこれ以上の手出し無用と厳命されてしまった。あれほどの腕前の騎士だ。軍人である雇い主が彼女の素性を知らないということはない。それでも黙っているのだから、やはり本当に騒ぎを起こしたくないのだ。
雇い主の意向ならば従うしか無い。
それが魔を討つ魔であることを自らに課した一族の使命なれば――
クラックスの手出し無用の命令に、安堵を覚えている自分の心の一部を、ついぞジンは発見することがなかった。




