27太陽の使徒(下)
ついに突入が始まった。
屋敷に人質を取って立て篭もる賊は総勢十人ほど。彼らの頭目である司祭は儀式の最中だという。これほどの好機はない。
正門でレヴィが教団の代表代理を引きつけている隙をついて、少数精鋭からなる突入班が人質の救出を優先してな強引に侵入する運びとなった。
少数精鋭といえば、第二魔術師団。道化師カリオストロが突入班には混じっている。彼はいつもの着ている左右非対称の奇抜な服から、一般的な軍服に着替えていた。普段が印象的過ぎるだけに、少し特徴を変えて見せただけで、彼の狂気に満ちたキャラクター性はその影を薄くしていた。
あれならば、道化師がこの作戦に関していなかった、という共通認識を皆に植え付けるのは無理な話ではない。
ナタリアは後方に待機していた。危険を顧みず、勇敢に突撃していく班の後ろ姿。教団の戦闘能力がいくら低いといっても、彼らの行動には常に爆発の危険が付きまとう。
レヴィの予想が正しければ、この屋敷で彼らが自爆策を取る可能性は極小。しかし追い詰められれば人間何をするかは分からない。
絶対的な安全などはなく、突入班は命懸けだ。
ナタリアは目立たないくらいに薄く<循環盾>を張り巡らせている。空気を遮断する風の盾は炎熱の遮断にも有用だ。離れた場所で流れ弾や、爆発の余波から身を守るには十分だろう。
同時に黒霞を身に纏えば、外見を取り繕うこともできる。
敷地の中に彼らが足を踏み入れても、何のレスポンスもない。忍び足の彼らは一階壁面に取り付き、もたれかかって姿勢を固定する。音もなくハンドサインでタイミングを合わせた突入班は術式を一斉に起動した。
<風槌>によって、瞬時に屋敷の木窓は粉砕される。飛散する木片と木屑。破片すらも押し流し、濁流のように室内に流れ込んでいく。
風の障壁がこじ開けた突破口に向かって、待機していた数人の兵士が飛び込んだ。
相対的に薄暗い室内の様子は、ナタリアのいる場所からはよく見えなかった。どうしても気になるならば、”声”に偵察を頼むこともできるが、そこまで必要とは思えない。
派手な入場をした割には、屋敷は静かだった。時折突入班が壊したと思われる破砕音が響くぐらいだ。人の声は殆ど聞こえない。
包囲する兵士たちも緊張の面持ちで自体の成り行きを見守る。太陽の使徒の退路を断つためにも、包囲に穴は開けられない。抜き身の武具をそれぞれの手に、かたずを呑む。
夜属性で知覚範囲を広げていると、多くの音が聞こえてくる。
突入班の荒々しい足音は重厚なカーペットでくぐもっている。正門からはレヴィと犯人の言い争いが聞こえる。
陽動は成功したのだろうか?
不安が募る。ただ待っているだけというのは、あまりにも苦痛だ。
状況の打開をあの道化師に託さざるを得ないというのもストレスの一つ。
――あぁ、もうこの際誰でもいいからなんとかして欲しい。
その時だった。静か過ぎる邸内から爆発したように大小様々な音が溢れ始める。咄嗟に聴覚強化を遮断していなければ、多すぎる情報量に失神していたかもしれない。
溢れ出した音には成人男性の怒鳴り声が多く含まれていた。怒号が飛びかって、しかも断末魔のような身の毛がよだつような叫びも中にはある。
状況を推察するに、<沈黙>術式で封音処理がなされていた一室を、突入班がこじ開けたのだろう。犯人の多くがその部屋に立てこもっていたようだ。あまりにも騒々しい。
あれが断末魔の叫びだとすれば、あの声一つで人一人の命が失われているというとこだ。そのことに思い至り、喉の奥から吐き気が込み上げる。
今は守ってくれるレヴィもいない。
不安と心細さが同時にやってきて、四方八方から身体を刻んでいく。
『もういい、無理するな。後は俺が見ておくから』
見かねた”声”の言葉に甘えるしかできない自分が情けない。
こんなことになるくらいなら、最初から来なければよかった。
既に<循環盾>は雲散霧消してしまっているが、これだけ兵士が集まっているのだから万一でも大丈夫だろう。言い方は悪いが、流れ弾に対しても肉の盾が多くある。
裏路地の片隅に駆け込み、何度もえづく。酸っぱくて苦い物が喉の奥にへばりついている。
荒い息を押さえつけようと、あえてゆっくり深呼吸をしてみる。
ちらりと遠目で屋敷の様子を再度確認。侵入に使用した穴とは別の大穴が、屋敷の壁に出来ていた。
無理矢理ぶち抜いた穴ではないようだ。断面が綺麗すぎる。まるで、もともとそういうデザインであったかのように、大穴は堂々とした佇まいを見せている。不自然ながら、自然な通路。
その穴は脱出口だった。
人影が一つ。目にも留まらぬ速さで、飛び出してきた。彼の腕の内側にはぐったりして動かない少女がおさまっていた。白いシーツに包まれて意識を失っている少女は、かなり年若い。ナタリアの一回り年上くらいだろうか。兵士の体格は普通だったが、抱える少女が小さいせいで、似合っているように見える。まるで騎士物語の一場面のように華麗に人質は救出された。
作戦は成功だ!
屋敷の中には、十重二十重に包囲を続ける兵士たちを躊躇させるものは、もう存在しない。
突撃の号令。退路を封鎖する役目の兵士を除いて、多くの兵士たちが屋敷の敷地に踏み込んで行った。
これほど騒がしくなってしまっては、感覚強化など関係なく、直接鼓膜をビリビリ震わせる雄叫びが聞こえてくる。
気を取り直して、元の位置に戻らなければ。あまり一人きりにならない方がいい。
暗がりから日の当たる場所へ。私から公へ。”声”のいる場所へと。
突入は成功した。
竜人の娘を抱えた突入班の一人が、屋敷の穴から飛び出したのだ。
レヴィは目の前の教団の男の狼狽を、昆虫を観察するかのごとく冷酷な目で見ていた。彼がレヴィに向けていた理由のわからない好意など関係ない。
突入後も会話で彼を引きとめられたのだ。十分に仕事は果たした。
「あ、ぁぁああ!?希望が、我らの希望が……!!」
助け出された竜人を見て、明らかな動揺を見せる太陽の使徒。
問答無用。レヴィは固めた指先で、相手の喉を突き飛ばした。
呼吸を封じられ、男はしばらくもがいていたが、ついに失神。だらりと四肢を投げ出し、床に崩れ落ちた。
レヴィの背後の物陰からは、わらわらと制圧のための兵士が湧き出している。そのうちの一人が手慣れた様子で失神している犯人を拘束してくれる。
命令を出す必要はなかった。取り決め通りだ。
二人組をつくった兵士たちは屋敷の玄関に踏み入れた途端、ばらばらと広がっていく。
敵の抵抗は驚くほどにない。争う音一つ聞こえない。どこかで息を殺して待ち伏せているのか。あるいは突入班の露払いのお陰?
忙しく頭を働かせながらも、行動を止めることはない。前の兵士に続き、レヴィも内部へと入っていく。
<聞き耳>によって部隊間の小声の連絡を盗み聞きながら、慎重に歩を進める。
誰かに荒らされた調度をさらに踏み荒らしながら、奥を目指す。割れた花瓶をよけて、破れたカーテンのひらめく影に気を尖らせて。
負傷した味方を発見した。突入班の一人だ。
少数精鋭で、一人の落伍者が大幅な戦力ダウンになる突入班では、怪我人が出ても治療の人員を置いておく贅沢はできない。足を怪我した彼を、せめて楽な姿勢で寝かせてやるくらいしか。
制圧部隊は違う。敵の残党と、潜み見逃した敵を殲滅するための大部隊。治療に戦力を割く余裕は十分だ。
倒れているの紅雀隊の一人で、治療にあたったのは街区隊の地属性の術者だ。レヴィが後ろから監視しているからかもしれないが、わだかまりを捨てて必死に怪我した足の止血をしてくれている。
救助活動から視線を切ってさらに奥を目指す。
一階には敵の姿は全くなかった。味方の負傷者が一人いただけだ。
彼がいたのは階段の脇。敵は二階に集中している可能性が高い。
程なくして、一階の索敵が終わり二階へ続く階段を登る。
突入班の戦闘痕だろうか。手すりの端がすっぱりと切り飛ばされている。罠を警戒しつつも、とにかく拙速で兵士たちは二階に雪崩れ込んだ。敵の反撃はない。しかし二階に上がると、微かな話し声が聞こえた。夜と空の術者たちは目配せする。どうやら幻聴というわけでもなさそうだ。
その声を頼りに、とある部屋を見定める。どうやら主戦場は二階だったようだ。敵の死体が二つ。失神した男が一人、廊下に倒れている。深く意識を失っているようで、尋問することはできない。それに、悠長にしている暇もなかった。
目的の部屋の壁に刻まれた斬撃の痕から漏れ聞こえる話し声があったからだ。
「希望の神子が……太陽神の巫女が……ぁあ。おしまいだぁ」
決して大きな声ではないが、嘆き悲しむ声はしわがれた惨めな鼻声だ。間違っても味方の兵士ではない。
戦闘の予感に誰もが肌を泡立たせる。
ことここに至って、面倒な打ち合わせなんて必要ない。視線を交わすだけで、先頭が決まり、そのフォロー役が決定する。
突入に有効な空属性魔術<風槌>によって、扉ごと吹き飛ばす。
視界を悪くする塵や埃をまるごと押し流す勢いだ。
目に入った室内は異様な有様だった。家具はほとんど存在せず、ただ一つの寝台が部屋の中央に置かれている。寝台の上には金属製の拘束具や禍々しい器具が散乱していた。レヴィの予想を裏付ける証拠ばかりが見つかるのは、やはりそういうことなのか。おぞましい儀式は阻止できたのか。
リーンリーン家は権勢欲は強いが、ここまで悪い趣味はないと思う。器具の多くは教団によって、持ち込まれたものだろうか。
厚い布地で四方の壁は隠されている。屋敷の一室を急座に改装したのだろう。布の張り方などは杜撰で子供の遊戯会のようだった。
そんな苦々しい空間には、地濡れた死体が都合四体。いや、死んではいない。呼吸音が微かに聞こえている。
「おぉああお!!お前たちか!お前たちが我らの希望を奪ったのかぁぁぁっ!!」
無視していたわけではない。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの老人は兵士ではない。敵――犯行グループの一人だろう。年の頃は五十を越えているように見える。まさか、彼が司祭なのだろうか。歯は半分ほど抜けおち、髪も頭頂部には全く存在しない。右手には節くれだった木の杖が握られている。歯抜けの老人は、戦闘には向かない薄いローブを裸身の上に羽織っている。下半身には何も身につけておらず、汚らしい逸物が薄衣の合間からちらちら顔を見せていた。
生理的に嫌悪感を抱かざるをえない老人だった。えもいわれぬ悪臭が漂い、ここまで臭う。血臭さえ塗り潰すような臭気には笑うしかない。
「返せっ!返せぇぇぇ!希望を、巫女返せぇぇ!」
口角から黄色の唾を吐き散らし、杖をやたら滅多らに振り回し、老人は奇声を上げる。
確かに度肝を抜かれる光景だった。しかし奇襲をしたのはこちらだ。プロの兵士が素人相手に後れを取るわけにはいかない。
老人の意識を昏倒させるべく、<風弾>が連射される。
老人も戦闘の用意はできていたようだ。物陰に咄嗟に隠れるような機敏さこそなかったが、杖で二三の弾丸を払いのけて見せた。しかし、それだけ。
十以上放たれた風弾を防ぎ切るには手数がたりなさすぎる。
レヴィの風弾を含むいくつもの弾丸が老体を打ち据える。華奢な身体に配慮しての手加減された風弾。
崩れ落ちた老人を兵士が抱きとめる。折角の捕虜だ。頭の打ち所が悪ければ、死んでしまうかもしれない。
気を失っている間に手早く拘束を済ませる。落ちている拘束具は何かの仕込みがあるかもしれない。当然のごとく、携行してきたロープを使っている。
傷付き、倒れている四人は突入班の面々だった。傷は深いようで、眠るように横たわっている。苦しむ素振りさえないというのは、相当危険な状態だと知っている者は、急いで治療へと走る。
「待――」
虫の知らせというのだろうか。固まって倒れている四人のもとに駆け寄ろうとした術者の肩を床に引っぱりながら、レヴィは咄嗟に床に伏せた。
反射的に風の防御を張り、爆風に備える。
案の定、四人の傍に落ちていた変哲のない小袋が、チリと一瞬橙色に染まった。次の瞬間、小袋が爆発した。
近い。
圧。
熱。
風。
音が聞こえなくなる。何も見えない。状況は?
防御魔術が仕事をしたお陰で、レヴィの身体には大した怪我はないようだ。
意思の力だけで、痛む身体を起こしながら、風で塵を外に掃き出す。煙が収まるのを大人しく待つつもりはなかった。
全員が床に伏せていた。僅かに身動ぎしているところを見ると部下は全員無事らしい。爆発地点に一番近かったレヴィが防御の風を呼んだお陰もある。肝心の治療術者も激しく咳き込んでいるが、生きてている。
損害は軽微に抑えられたといえる。死にかけていた突入班の者たちは、最初から救えなかったのだと割り切るしかない。
爆発についての可能性を予め考慮していなければレヴィも危なかった。
おそらく、あの小袋には火の精粉が入っていたのだろう。炎を操る術者として、レヴィが故郷の村で文献を漁っている時、記述を見つけた薬品だ。街区隊の食いつき方が印象に残っていたから、今大事な時に思い出せた。
火の精粉は小さな種火を大きく、大きく爆発的に拡大させる。この爆発の種火は何だったのか。
敵だ。敵がタイミングを見計らって起爆させたのだ。短慮な決めつけだったが、この場合は正しかった。
レヴィは考えを即実行に移した。
隣室との間の焼け焦げた壁を蹴破ると、丁度逃げる犯人の背中がちらりと見えた。
少しでも躊躇っていれば、その痕跡は見つからなかった。彼に追いつくことはできなかったかもしれない。
手を伸ばす。
出来る。出来るだろうか。出来るはずだ。
術式起動。指先から発射された風弾は障害物の隙間を綺麗に通り抜けて、逃げる犯人のくるぶしを砕いた。
絶叫が響き渡る。 走っている最中に足を潰されたのだ。痛みもそうだが、支えを失った身体は、おもちゃのように二転三転しながら床に転がった。
レヴィには慣れた光景だ。成功すると信じていた。それでも失敗のビジョンが脳裏をよぎったのは、先日ミックの里の人間に無傷で<風弾>をいなされたことがショックだったからかもしれない。
転倒した男に駆け寄る。意識を取り戻した味方が三人ほど追いついてくる。倒れた犯人はビクビク痙攣して這って逃げようとしている。
逃げられるわけがないのに。
伸ばされた手の甲を、軍靴で踏み砕いた。悲鳴はなく、ただすすり泣く声だけが、うつ伏せの身体から漏れ聞こえた。
「拘束しなさい」
付いてきた兵士が、倒れた男を蹴り上げて仰向きにしながら、ぐるぐるに縛り上げた。
「神子さえ我らに味方していれば、貴様らなんぞに負けはしなかった……」
涙を浮かべながら、歯ぎしりに紛れて犯人が呟いた。
「太陽を恐れぬ愚人どもめ……。いつの日か太陽が貴様らを焼き尽くすであろう」
「残党を探しなさい。どうやら屋根裏があるようです」
レヴィの指示でパラパラ兵士たちが駆け出した。立てこもっていた人数からいっても。もう敵は打ち止めだ。自爆覚悟の爆発だけには注意しなければならない。
が、おそらくは大丈夫だろう。
元はといえば、街区隊が行動を始めた太陽の使途に襲撃を仕掛けたのだ。
本拠地の物資を十分持ち出す暇があったかと言われれば微妙なところで、手で携帯できるだけの少量を持ち出すのが精一杯だったろう。あの瀕死者を利用した凶悪な罠も爆発の規模自体は小さかった。至近距離であればこそ手傷を負ったが、彼らの爆発の種も枯れかけているということではないだろうか。
「太陽を崇めよ。地上の太陽。日属性こそが至高の属性。神が人間に与えた奇跡の業よ……」
手足を拘束しても魔術の発動を阻止できる訳ではない。ゆえに殺さずに相手を無力化するためには、とにかく意識を刈り取ることが重要となる。トドメを刺さないで敵を制圧するためには、神業めいた技量、あるいは歯向かう気さえ無くさせるような圧倒的な戦力が必要になるということだ。
魔術を無効化する魔具なんてものがあれば便利だが、仮に存在したとしてもその価値は国宝クラスになるだろう。吟遊詩人の語る物語で聞いたことがあるくらいだ。
足元で喚く男をレヴィは忘れてはいなかった。無視するふりをしても、本当に意識の外に外すことはない。もし危険な兆候が見られれば即座に潰せるように、気を張り詰めている。
太陽という言葉は彼にとって特別なものなのだろう。誰も彼の言葉を聞いていないのに、しきりに太陽と繰り返しているのだ。
虚ろな彼の目に、ふとレヴィの姿が写った。ぼんやりと視線を漂わせる彼の目には、急速に理性の光が戻っていった。
「燃えるような赤髪、炎剣?炎剣殿なのか……?」
「お前も私を知っているのか。そこまで警戒されていたとはな。悪党どもの怖れは騎士の誉れと受け取ろう」
何故言葉を交わす気になったのか。
彼らからどう思われているか、気になったからだろうか。
何か引っかかるものが心の奥にあったのだ。
「日属性の……日属性の出世頭……ぁぁ、貴殿に捕まるのならば悪くはない。わがままを言えば、共存できるのが一番だったのだが……」
狂気なんて感じない。男の声は一転穏やかで、痛みと共に感覚が麻痺しつつあるのが察せられた。
しかし、不可解。レヴィは空属性の魔法剣士である。魔術戦闘に関しては天性のものがあるが、さすがに二重属性は扱えない。
「私は空の属性だ。勘違いしているぞ」
「はぁ?何を言っておられる。炎剣殿はヴァルトの大森林を焼き尽くしたのであろう?火と光を生み出せるのは日属性だけだ。最も高貴な属性だぞ。無から有を生み出せるのは太陽の輝きだけ。小賢しい夜、既にある物質のみを操作する空と地。あぁくだらない。頂点にあるのは日属性だ。日輪の力を秘めた日属性だけだ。生命を燃やし尽くした貴殿のどこが軟弱な空属性なのか」
饒舌に話す男はだらだらと汗を流しながらも、穏やかな声だった。こんこん説き伏せるような優しげな声色。
レヴィには犯罪者にここまで親しげにされる覚えがない。
「犯罪者に術の説明をするつもりはないが、私は空属性だ。日属性ではない。貴様の足を撃ち抜いた風の弾丸が何よりの証拠だ」
突き放すように言ってやる。
えぐり取られたくるぶしを指摘されて痛みがぶり返したのだろうか。レヴィの言葉を聞いて、男は絶望的な表情に変わった。
「あ、あ、いや。いやだ。ばかな。ちがう、ちがうちがうはずだ」
「違わない。そもそもどの属性が優れているということなどない。昼があって夜があるからこその世界だ。昼ばかりでは、眠る時間も気の休まる暇もないだろうに」
「太陽、太陽……。ち、地上の……。荒野の太陽竜が……。あ、はは。確かに優れているなどという言葉では到底言い表せない。そうだ、あれは神。太陽は遍く世界に君臨する絶対者……」
妄言と聞き流すには無理のある名前が男の口から発せられた。
荒野の太陽竜。最強の幻想種と言われるドラコンの頂点。最古にして最強の怪物。
帝国建国以前の根拠の曖昧な伝承にさえ語られる太陽竜。多くのドラコンが去って行った今世でも未だに荒野の何処かに棲んでいるという。
この世の中に目に見える実在の神がいるとすれば、確かに一番ふさわしいのは太陽竜だろう。人間を嫌い、俗世に関わる気が全くないのも高ポイントだ。信徒の多い聖伝教は、非実在の形而上存在を神としているからこそ受け入れられている一面がある。
その太陽竜を彼らが一方的に崇めているだけなら、まだいい。もし彼らの活動が太陽竜の目に留まり、不興を買えば……?
人類に抗する術はないに違いない。
あれはもはや災害のようなもの。多くの人々はかのドラゴンを話題にすることさえ避けているというのに。
男のつぶやきはだんだんと、小声になっていき、ついには意味をなさない音の羅列になってしまった。
もはや相手にする意味はない。レヴィは絶妙の力加減で男の胸を圧迫。肋骨を破壊せずに相手の呼吸を止めた。
天井裏を捜索に向かっていた兵士たちが戻ってきた。教団員の死体が三つ見つかったらしい。
抵抗は皆無。もう少し邸内をきっちり調べなければならないだろうが、一先ずの決着はついた。中隊長に報告もした方がいい。
ナタリアや道化師の様子が気になって、レヴィは館を出る。
本部としている民家の玄関口は、大勢の人で混み合っていた。所属もバラバラな兵士たちが集まっていたのだ。
人混みを抜けようと、道を開けろと命令を出そうとした時、肩を叩かれた。
振り返る。レヴィよりも僅かに背の低い兵士がそこにはいた。
「竜人が運び込まれましたからね。騒がしいです、まったく」
気安げに話す彼の声をレヴィは知っていた。驚きを押し隠し、声を潜める。
「カリオストロ、まだ現場に残っていたのですか?」
「はは、邪魔者だとは承知してますよ。でも、少しくらい労をねぎらってくれてもいいんじゃないですかねぇ?」
「……彼女を助け出したのはあなたでしたか」
「突入班の方々も最初は頑張ってたんですけどね。二階への階段で一人が脱落して士気が下がったのか、頭目との戦闘中にバテちゃっていました。仕方が無いから、人質だけでも、と。安心してください、間一髪で彼女の貞操は守られました」
道化師への思いは複雑だった。彼は本来ここにいるべき人物ではない。彼は確かに事件解決に貢献した。人質である竜人を救い出し、任務を成功させた。しかし、同時に彼は突入班の同僚を見捨てている。彼が助けようと思えば、彼らも爆発トラップの囮にされるという悲惨な最期を迎えることはなかったかもしれない。彼の能力からして、彼が全力を尽くしたとは言い難い。
しかし、最善は尽くしている。任務は成功したのだから。
素直には感謝の言葉を言えない。
感情と理性は取っ組み合いの喧嘩中だ。
「彼らは……四人が殉職しました。恨み言を言うつもりはありませんが、あなたには知っておいてもらいたいと」
「ふーん。名前も知らないボンクラたちでしたが、存外寂しいものですね。それが自然の摂理とはいえ」
責めるつもりはなかったのに。レヴィの口は滑り、嫌味のようなものまで口にしてしまう。
得体が知れないと蔑んでいた道化師のほうがよっぽど冷静だ。
「すみません。なんでも、ありません」
道化師の格好をやめているからだろうか。そこらの兵士の扮装をする彼の恐ろしさは半減していた。緊張の糸を張り詰めさせて、強気に接する必要はないのだと心が分かるのだ。それで、ついつい感情が漏れてしまった。
見た目の印象というものはかくも大きなものなのか。騎士鎧を普段着とし、室内では肌着という安上がりのファッションスタイルのレヴィには、幽議会の時のナタリアのドレスへの浪費を、理性では理解できても、感情には実感を伴っていなかった。
今ならわかる。決戦のための正装というのは意味のないものではないし、時には着飾ることも大切なのだ、と。
「まあ、中隊長殿に報告はしておきました。突入班は勇敢に戦った、とね。私の目的も達成できました。名誉は死者に捧げてやりますよ」
道化師とも今なら腹を割って話せる気がする。
そうだ。理解できぬから怖いのだ。よく知らないから、知ろうとしないから恐れる。彼も自分も同じ人間、彼の考え方を知ればよりよい関係が築けるはずだ。
「今回の件……あなたの目的とは何なのですか?」
「言いませんでしたっけ?火遊びをやめさせることですよ。後方でくだらない騒ぎがあると、私たちも全力を出せません。今度の山は結構大きなやつでね。本腰いれているのですよ」
同じようなことは既に聞いたことがある。青の隊長を言いくるめる時に、言っていたのと同じ言葉だ。しかし、どうやらこうして聞き直して見ると、あの時は誤解していたらしい。
つまり帝都の混乱を憂う主体が、皇帝なのか第二魔術師団なのか、ということだ。利己的な道化師ならば後者の理由の方がもっともらしい。
嘘を付くことなく、わざと誤解させるような話術に青はまんまとしてやられたということだ。
レヴィは苦笑した。帝都の混乱。確かに不甲斐ない。レヴィだけが悪いのではないが、責任の一端は、担っているのだ。猛省せねばならない。
「あぁ、それと言い忘れていましたが、竜人の少女は酷くショックを受けていました。本部の一室で寝ているはずですが、周りがむさ苦しい男ばかりでは難儀でしょう。あの野次馬を追い払うのもそうですが、女性である貴女も側にいてあげた方がよいと思いますよ」
確かに道化師の言う通り。
普通ならば、彼の言葉に素直に従うなんて考えられないことだ。けれど今なら少し、彼のことを理解出来た気がする。
「御協力ありがとうございました。もっともな助言です。急ぎましょう」
兵士姿の道化師に別れを告げ、玄関に集まっていた兵士たちを追い払う。
野次馬の半数以上が、部下である紅雀隊だったことが恥かしくて、顔から火が出そうだった。
本部の中隊長に現場の状況と制圧作戦の成功を報告。こういう後処理が得意な中隊長は、流れる水のように滑らかにペンを走らせ、書類を完成させていく。本部にはナタリアの姿もあった。彼女の安全も確認しようと思っていたから丁度いい。少し顔色が悪いが怪我はないようだ。無理もない。戦場に似た空気にあてられたのだろう。
上司の許可を貰って、ナタリアを伴って竜人の様子を見に行くことにする。これがナタリアの気分転換になればよい、と思いながら閉ざされた扉を開けた。
しょせん民家の一室だ。医療設備といえば、寝台が一つあるくらい。殺風景な部屋にはこんこんと眠る竜人の姿があった。
人間と外見はさほど変わらない。近くで見ると髪の毛がゴワゴワしているようだったが、それだって個人差と思える。安らかな寝顔ならば、良かったのだが、あいにく少女はうなされていた。
外傷は無いのだ。部屋の隅の椅子に座っていた治癒術師が手をこまねいているのは彼女の苦しみを和らげる術がないからだろう。
精神的な、例えば悪夢にうなされているのだとすれば、魔術による特効薬はない。
唯一、夢を司る夜属性ならば悪夢を打ち破ることも可能だろうが、それにしたって、本人が魔術を使わなければならない。夜の属性を他者に浸透させることは殆んど不可能なのだ。夜はあくまで内向きの属性。自己の内面と向かい合う時間だ。日属性の竜人では悪夢を払うことはできない。
時折、苦しげな声が喉から漏れて、その度に眉間にしわがよる。
レヴィは拳を震わせて誘拐犯たちへの憤りを堪えるしかできない。けれどナタリアは違った。少女の上体に優しくもたれかかりながら、耳にかかった剛毛を手櫛で梳いている。少女が苦しむたびに、その手をおとがいまで下ろして、慈しむように肌をさする。
何の意味もない行為のはずなのに、ナタリアの手が触れているだけで少女の寝息は穏やかな物へと変わっていく。
レヴィは自分にも何かできることはないか、考えた。しかし不用意な真似をして折角落ち着いた彼女を起こすことは嫌だった。
窓を締め切っているせいで淀んでいた空気を換気するだけにしておく。
甲斐甲斐しく病身の姉の面倒を看る美しい絵画のような光景を、目に焼き付けながら。無事に少女を救い出せたことを喜ぶ。




