29第二魔術師団装備
ナタリアはデュアルソロスの家の扉を再度ノックした。そして返事を待たず中に踏み込んで行く。
先程出て行ったばかりのナタリアが戻ってきたことに驚いたのか、デュアルソロスと塾生の青年は軽く目を見開いていた。
「あ、忘れ物だか?」
然りげ無い手付きで机の上の書類を青年の方へ押しやり、無言で処分を促すデュアルソロスの仕草。余すことなく、超感覚の瞳が捉えている。
「うむ、食事会は思いもかけず楽しかったが、肝心の用件を済ませるのを忘れていてのぅ。せわしないことじゃが、こうして戻って来たのじゃ。デュアルソロス殿?」
なるべく心を落ち着かせ、穏やかに話せるよう心掛ける。ナタリアのその努力の効果があったのか、彼らはまったくの無警戒だ。
「聞いても良いかの?」
「うん?なぁんでもいいだよ」
「デュアルソロス殿。オデオン殿にここは数学塾だと聞いていた。確かにデュアルソロス殿は優れた数学者だった。わしの持っていた難問についても成果を挙げてくれたから、その実力は実証済みじゃ」
難問とは、もちろん”声”の知識による新しい記号による記述方式と、一定のアルゴリズムに基づく情報圧縮技術の一端だ。”声”は殊の外数学を評価していて、新しい魔術のアイディアと同じくらい多くの数学的知識をナタリアに伝えてくれた。
残念ながらその意味も、意義もナタリアは理解できなかったが、彼の言うにはこの数学こそが新魔術を開発する為の礎となるらしい。たまに時間を見つけてナタリアも勉強中だが、他にやるべきこと――幽議会の発表会に向けた準備など――が多すぎて殆ど手を付けられなかった。そこを代行してくれたのが、数学者デュアルソロスだったのだ。
万全を期すならば、レヴィ以外の誰にも”声”の知識を伝えるべきではなかったのかもしれない。しかしナタリアだけでできる事には限界があるし、専門的なことが混じればそれこそ専門家の助けを得なくては事業は立ちいかない。
協力者を募りつつも、漏洩によってナタリアの強みが失われることは避けたい。そこで”声”が提唱したのが、分業制だった。つまり”声”の知識の断片は与えても、知識の総体となる技術の全貌は誰にも教えない。
デュアルソロスには数学知識と情報圧縮アルゴリズムだけを担当してもらい、波動に関する分野では、研究所でのナタリアの先輩コンラの力を借りる。レヴィからは実戦的な魔術運用と、空属性に関するアドバイスを。世界情勢の分析に慣れたミックからは、その優れた情報の取捨選択技能を盗んで覚える。
まだまだ関係者は少ないが、ナタリアに少しでも好意的な専門家たちの力を少しづつ借りて。最終的に誰もが思い及ばないほどの魔術を完成させようとしているのだ。
ただし、この構想は青写真ができたばかりの未完成品。<循環盾>の改善作業が、短期目標だとすれば、この魔術開発は長期的目標にあたる。
前置きが長くなった。
ナタリアの言葉は続く。
「亜人であるデュアルソロス殿はどうして帝都で暮らしているのじゃろうか?不躾な質問ということは重々承知で尋ねたい。猪頭族といえば、現在帝国で内乱に参加している部族の名前ではなかったか」
帝都は現在無人の玉座を戴いている。その理由は長期化している内乱鎮圧に皇帝自らが本腰を入れているからだ。本来ならば軍事機密であるはずのそれも、帝都の民の間には広く知られた話だ。なにしろ反乱という名の独立運動が始まって数年が経過しているし、皇帝不在は半年近くに及ぶ。なにしろナタリアが孤児院から引き取られ、帝城に入った頃と同時期に皇帝は親征に出ているのだから。
人の口に戸は立てられず、噂は千里をかける。噂話は時間が経てば経つだけ広まるものだ。
幾つかの亜人部族が帝国からの独立を目指して武装蜂起。近年多発しているありふれた感のある反乱だったが、なぜか帝国軍は討伐に手間取っていた。
猪頭族は首謀者ではないが、その反乱に加担していた。中心的立場にいなくとも反乱の一味には違いない。当局のプロパガンダによって、猪頭族は屍肉漁りという残忍なイメージが定着している。辺境で細細と狩猟生活を営む彼らの実態は帝都の民にはまったくと言っていいほど知られていない。そうでなければ、デュアルソロスも呑気に塾を開講など出来なかったはずだ。
しかし反乱を起こしている族の一員だということは、言うまでもなくデュアルソロスの為にはならない。一般人は猪頭族の姿を知らずとも、軍人にまでそれが通用すると思うのは甘えだ。
場合によっては、無実の罪で捕らえられ、政治犯として幽閉されたり処刑されることもあるかもしれない。
それだけのリスクを聡い彼が知らないはずがない。
案の定、ナタリアの質問を受けて、デュアルソロスはみてわかるほどに青ざめていた。
言葉をなくしたデュアルソロスに代わって、青年が答えた。
やはり、彼もキーマンだったのだ。
「何?先生のこと、チクるつもり?言っておくけど無駄だからね。先生は帝国軍の技術士官だ。上にも認めらてる名誉帝国人なんだから。出自がたとえ卑しい屍肉漁りだったとして、先生の偉大さの前には霞む些事さ」
青年は鼻の穴を膨らませながら、誇らしげにデュアルソロスの事情を暴露する。デュアルソロスは少し憤慨して彼の言葉を遮った。
「ま、待つだ!決して軍属になった覚えはないだ」
「ん?士官待遇扱い民間協力者でしたっけ?ま、それこそ些細な違い。先生の身分は帝国軍が保証しているのです。先生が逮捕されるはずがないでしょ」
どうやらからくりが見えてきた気がする。
意を決したナタリアは自らが軍属であり、魔導研究所で勤務していると告げた。
「……こんな小さい子供まで、だか」
「研究所……。確かに魔術の研究をするだけならば、年齢は関係ないかもしれないけど、眉唾だな」
デュアルソロスはいたましそうな、青年は訝るような反応だ。
「そして同時に炎剣殿の従士でもある」
「!!」
デュアルソロスはそうでもなかったが、青年はレヴィの名を聞いて目を丸くする。効果は抜群だった。期待通りのネームバリューだ。
その一事で即座に彼が全てを信じたわけではなかったが、後日ナタリアの身分を照会しようと確約してくれた。
帝国軍にはレヴィの名前はよく知られたものらしい。男所帯の社会の女性管理職ともなればある程度は有名になるのが普通だ。ましてや長身の美女である。少なくとも禁軍内部では彼女のことを知らない者はいないだろう。
青年はナタリアの堂々たる名乗りを受けて、自らも軍人であることを明かし、所属と階級を述べた。
一応交渉はうまくいったと考えても良いのではなかろうか。その場ですぐに信用されなかったのは仕方ない。
事情を話すのは、ナタリアの身分照会が済んでからだと強弁する青年に押し出されるようにして、ナタリアはデュアルソロスの数学塾から追い出された。
『どうせ午後からは他の塾生も集まってくる。一番物分りの良さそうなあいつでこれだ。粘っても勝算は薄いだろうぜ』
ナタリアは”声”の言葉に頷く。
ある程度の背景もわかってきた。
おそらくデュアルソロスは半強制的に帝国軍に協力させられているのだ。彼の数学知識は、次世代兵器を大砲と定めて虎視眈々と牙を研ぐ王国に対する痛烈なカウンターになりうる。なにしろ彼は当の王国碩学院で学識を得たのだ。有為な人材であることは誰も否定できない。
帝国内で彼の居場所は随分と窮屈なものだろう。帝国軍への協力は居場所を得る為の交換条件のようなもの。
大賢者の弟子という居場所を周囲に認めさせるためだけに奔走するナタリアには、居場所のない辛さが痛いほど実感できる。
デュアルソロスとも後日再訪する約束を交わした。一先ず今日のところはここまでだ。
『それにしても、火器の開発が始まってやがるのか……。テロリストたちが所持していたような火薬が出回っているのだから当たり前、か』
”声”は王国軍の兵器である大筒について、随分詳しいようだ。彼の口ぶりからすると相当な脅威になるようだ。王国と事を構えるようなことのないように祈る。
後日、デュアルソロスの家を訪ねたナタリアにはレヴィが付き添っていた。
有名人にあえて感動した塾生たちに揉みくちゃにされるレヴィ。ともあれ、ナタリアの身分は証明された。
語られる亜人の事情。帝都にいる多くの亜人は奴隷階級だが、少数の例外もいる。極めて有能だと軍に認められ、首輪付きを条件に市民権を得た亜人たちだ。デュアルソロスもその一人で、碩学院出身ということで、審査の上帝都居住を許されたらしい。
当時は塾なと開いておらず、恵まれた体格と算術知識と構造計算を活かして建設現場で働いていたらしい。名誉帝国人の亜人を知らない下級市民たちに混じり汗を流すデュアルソロスは、今よりももっと酷い扱いに耐えていたらしい。
転機があった。半年前の反乱である。デュアルソロスの部族が反乱に加担している。それが軍に知られた時、彼の生活は大きく変化せざるを得なかった。
名誉帝国人として、戸籍に登録されているため、逃げ場などない。職場に押しかけて来た禁軍兵士に連行され、有無を言わさず厳しい取り調べを受けさせられた。
デュアルソロスは親兄弟とは縁切りして、部族とはまったく会っていないことを必死に主張した。それが事実だったこともあり、条件付きで引き続きの帝都滞在が許可されることになった。
それが軍士官候補生に対する数学塾の開講である。武官はその契約が正しく果たされているか定期的に監査に来ていたらしい。ナタリアが見たのはその時の密会だったのだ。
皮肉なことに、塾生の受講料として安定収入を得たデュアルソロスの生活は以前よりも快適なものになっていた。監査役がいるから、塾生の若者も亜人相手と金を誤魔化すこともできない。あの武官、案外不正や汚職に厳しいそうだ。
本来であれば、弾道計算の知識を持つデュアルソロスそのものを軍に取り込むのが筋だろう。しかしそこは、理論を越えて殺人兵器の開発運用に携わることを忌避するデュアルソロスの懇願と、砲兵の要職に亜人を組み込むことへの軍部の不安が重なって、外部顧問の民間人という立場になったのだ。
一芸特化した才能を持ち、人よりも優れている亜人に対する帝国の接し方は、とにかくその能力だけを取り出しうまく利用する、ということだ。今回のケースもその精神に則ったものである。
反対に王国では亜人の行政官などもいるらしいから、両国間で亜人の待遇に対して、大きな意識の差があると言えよう。
ともかく、これらの事実が判明したのは後日のことである。一旦デュアルソロスの事は置いておいて、時間を戻そう。
午後の日差しは眩しい。暗い穴倉から外に出たナタリアは陽光に目を細め、咄嗟に手で庇を作った。
今日一日をデュアルソロスとの対談に充てる予定だったが、思いもかけず空き時間ができた。ミックの取材は向こうの都合をレヴィに聞かねばならないから、早くて明日だ。
研究所への定期便はもう出てしまった後。家に戻った方が良いだろうか。
帰路を辿りつつ、雑踏の中をそぞろ歩きしていると、見慣れない奇妙な物体が目に飛び込んできた。
物体の周りにはかなりの人だかりができている。物体の大きさは二階建ての家屋よりもなお大きい。その質感から、巨大な金属塊と判断するのが適切なのだろうか。
煙突のような細長い管が都合八本、にゅっと天に伸び上がっている。
一体これはなんなのだろうか。訳がわからないのは群衆も同じらしく、人だかりが散る気配はない。あれはなんだ、と盛んに議論を交わしている。
宿屋の馬小屋の前に置かれた巨大オブジェは、通行の邪魔になる場所は避けられていたが、集まった野次馬が結局進路妨害をしていた。
あの人混みに飲まれては、身長の足りないナタリアはひとたまりもない。
離れた場所からその物体を観察するナタリアは、”声”に様子を見てくるように頼んだ。実体をもたない”声”にとっては群衆の壁などあってないようなもの。するするすり抜けて巨大オブジェの全体像を視界にいれた。
『ば?馬車か……?いゃ、八輪のホイールと無限軌道。主砲はないが、どうみても戦車……』
馬のいない馬車には、馬どころか、馬をつなぐ部分さえ存在しない。不気味に沈黙を続ける馬なしの馬車。
近くで注視すると、金属でできているのは装甲部分だけらしく、均一でない厚さの鉄板の裏側には木製の車体が存在した。
馬など見当たらないが、これが自走する車であることは”声”にはすぐわかった。無限軌道に付着した泥と草。跳ね上がった小石で車体下方部の鉄板はボコボコに凹んでいる。
どこから来たのかは知らないが、ここまで走行してやってきたのであろうことは推理できる。
この世界で同様の物をみた覚えがない”声”は驚きとともに、若干の納得の思いでその車を見つめた。
走行するという機能に気付いた群衆は少ないらしく、今もまだ論争が続いていた。
ナタリアは”声”のこの報告を聞いた。”声”の見たてでは、これは車だという。ここからは見えないが車輪があるのだとしたら、確かにこれは車なのだろう。馬や牛に牽かれない車は珍しいが。
珍しい車には珍しい人間が寄ってくるものだ。人混みをすり抜けるようにして、道化師が歩いていた。いつもの格好をしているから、すぐにわかる。どうしてこんな場所にいるのだろうか。
身を隠す暇はなく、目ざとくナタリアを見付けた道化師はこちらに向かってきた。異様な風体に道を塞ぐ群衆は自然と道を開ける。海を割るように人混みを抜けた道化師は、にこやかに話し掛けた。
「これこれは、奇遇ですね。先日ぶりです。どうです、息災ですか?」
「ん、まあそうじゃな。それよりお主、あの車が一体何なのか知らぬか?」
「それをどうして私に?」
「奇妙な車じゃったからな、奇妙な者と縁があるのかと思ったまで。悪く思ったなら謝ろう」
幾たびかの邂逅を経て、彼の人柄もわかってきた。冗談のようなものを言えるくらいには砕けた関係になった。
油断できない男だが、何故かナタリアには好意的な気がする。それに寄りかかるように気さくに会話を続ける。
「ふふ、いえ、まったくの偏見ですが、この場合は的中していますよ。それにあれを車だと言い当てた洞察力も素晴らしい。酷いものだと、鉄のドラゴンが来たと騒ぎ出す者もいましたからね。いやはや感服しました。ご褒美としてあの輸送車についてちょこっと教えてあげましょう。本当は部外秘なのですが、あなたであれば構わないでしょう」
道化師は気持ち良く笑う。いたずらっ子のように、にまりと頬を釣り上げ、周囲に聞こえないように小声になる。
「あれは第二魔術師団の保有する物資運搬車両ですよ。私も整備士として手を加えることも多いのでよく知っています。なにぶん少数の組織なのでね。いろいろと掛け持ちしないと人手が足りないのですよ。あー、誰か良き新人が来てくれると助かるのですがねー。具体的には可愛い子がいいですね、アンシャリーアと並んで絵になるような小さい娘がベストです」
あからさまにチラチラと道化師は視線を寄越す。これは冗談だろうが、まるきりの冗句でもないのかもしれない。何故か自分は道化師に目をつけられているし、アンシャリーアという銀髪の少女も好意的だ。”ファクトリー”とやらに招待されたし……。
”声”は口出しをしてこない。悪い予感はないのだろうか。もう少し道化師との会話を続けよう。
「そういえばアンシャリーア殿は”ファクトリー”に呼びたいと言っていたな。あの時は気にも留めなかったが、どのような場所なのじゃ?帝都の近くなのか?」
「ん、そうですね。近くとは言えないですね。あの車両なら丸一日かかる距離です。<飛翔>術式が使えればあっという間ですがね。ファクトリーは面白いですよ。一度見てみることをお勧めします。この輸送車もファクトリーの作品です。工場長が奇抜なアイディアを次々打ち出し、職人たちはその構想の実現にてんてこ舞い。……忙しない場所ですが、賑やかな所です。私たちの家と言ってもいいかもしれませんね」
穏やかな表情で道化師は語る。
「そうだ。これを渡すのを忘れていました。どうぞ」
差し出されたのは小指の先ほどの大きさの鈴だ。鈍く光る表明はザラザラしていて固い。ナタリアが受け取ると、手のひらで転がった鈴は、微かな音を響かせた。
「これは?」
安物には見えないが、ありきたりな素材の鈴は高級なものではない。なにより、あの道化師がこんなありきたりな物をプレゼントするとも思えなかった。
「これも”ファクトリー”の作品です。親愛の証ですよ。この鈴を持っていればいつでも私共とコンタクトを取ることが出来ます。何か助けが欲しい時、私共の力が必要になった時。いつでも気軽に呼んでください。鈴を鳴らせば即座に駆けつけましょう。……とまぁ、いいことばかりでもなくてですねぇ。仕方のないことですが、その鈴を持っていれば持ち主の所在地は常に把握されています。助けに行くためには居場所を知らねばならぬのですから、詮無いこととはいえ、若い娘さんには気味が悪いことでしょう。どうぞご自由に扱ってもらって結構です。すぐに破壊してもらってもいいですし、常に持ち歩かずとも有事の際だけ使用するも自由」
とくとくとアイテムの解説をする道化師。
『……面倒極まりない物を押し付けてきやがる。発信器付とはな。リバースエンジニアリングで何か技術を盗めんものかね』
”声”は賛意を示すわけでもなく唸っている。確かに判断は難しい。少なくとも肌身離さず持ち歩くという選択肢だけは絶対にない。けれど受け取らないというのもなんだか不誠実でもったいない気がする。せっかく道化師やアンシャリーアとも打ち解けてきたと思った矢先だ。無下に断るのもなんだか嫌だった。
そんな心理さえも見透かされているのだとしたらお手上げだが……。
夜属性の感覚を研ぎ澄ませて道化師の顔色、仕草、緊張、つぶさに観察する。直感だが彼に悪意はない。ならば受け取るくらいはしてもいいのではないか。
わずかに逡巡したものの、結局ナタリアは渡された鈴を懐に仕舞いこんだ。
道化師は満足そうに笑った。
「ありがとう、受け取ってもらえて光栄です。なんならこれからファクトリーにでも来ますか?……っと、すいません。無理でした。これから大仕事にかからねばならないのでした。アンシャリーアも忙しいですから、会うことはできないですねぇ。仕方ありません、この山が終わったら暇もできると思います。その時にでもファクトリーを案内しますよ」
「う、うむ。考えておこう」
懐を押さえつけ、布の上から鈴の感触を確かめる。重さも感じず、異物感も小さい。
去っていく道化師はまた人混みを抜けてから、車両の脇に立つ。
「はいはーい、今からここ荷車が通りますから、危ないですよ。轢かれても知らないですからねぇー」
野次馬を追い払い、やって来た荷馬車の為の道を作っている。
『奇妙な奴だ。とことん内心が読めねぇ。幽議会の時の威圧感はどこにいったんだ』
「……誰もが常に気を張り詰めていられるわけではない。あれが道化師の素なのじゃろうな」
『ブーメランだな』
「ん、何か言ったか?」
道化師と車両に背を向ける。どうせなら車両が動き出すのを待っていても良かったかもしれない。牽く動物もなしにどうやって車輪を回すのだろうか。
回転といえばナタリアは空属性を利用することで半永続的な回転機構を完成させたが、あれは空気の流動性が高いからこそできたのだ。車輪を回すのには大きな力がいる。空属性では難しいだろう。
ますますあの車の仕組みが知りたくなってくる。また今度、道化師に聞いてみよう。
忙しそうに荷運びをする道化師からは、得体のしれなさなど感じられない。普通の人だ。人足に細かく指図しながら、自分自身も積極的に麻袋を運んでいる。
車体にはかなり広い荷台が設けられているようで、なるほど。輸送車というのは本当らしい。次々と麻袋と木箱が積み上げれらていく。
見物人たちは異質な車に興味の名残を残しつつも、ありきたりな荷運び作業はつまらないと思ったようだ。みるみるうちに野次馬の数が減じていく。
野次馬が消えて目立ってしまう前にナタリアは通りを抜けた。
自宅に戻ったナタリアは早速渡された鈴を取り出し、しげしげ観察した。
普通に持ち歩く分には音が鳴らない構造になっているようで、うんともすんともいわない。<超感覚>で辛うじて微音が聞き取れるくらいだ。
強く振る勇気は出ない。道化師は助けが欲しい時に鳴らすように、と言っていたし、どう考えてもそれは今ではない。
音の漏れる亀裂を覗きこむが、暗い空亡があるだけだ。普通の鈴とは違うことくらいしかわからない。
『解体、は不味いか?』
「少なくともわしには出来ぬ。十中八九魔具じゃろうからな。”翁”に頼んでみるか?」
”翁”は腕の立つ研究所付きの職人だが、魔具の専門家ではない。コンラの話では魔具の制作も行っていると言っていたが、やはり専門ではない。不安だが、頼むだけは頼んでみようか。
『それよりも気になるのは発信機のことだな。解体できたとして、発信機の部分だけ取外したりはできねーのか?』
”声”は微妙に苛立っているように思えた。鈴を鬱陶しげに見ている気がする。
「お主にしては筋の通らぬことを言う。居場所が奴に把握されているというのは不気味じゃが、そもそも居場所が分からなければ、助けとやらを送る場所もわからんじゃろうに。まあ奴も言っていたように、常に持ち歩く必要はない。普段はしまっておくわ」
明日は予定が詰まっているから、明後日ぐらいに”翁”に見せに行こう。そう思って引き出しの中に魔法の鈴をしまいこんだ。
鈴の仕組みよりも気になるのは、道化師の目的と”ファクトリー”の技術力の背景だった。
何を思って鈴を渡したのか。助けに来るというのはリップサービスなのか、本気なのか。そもそもどうやって助けるつもりなのだろうか。
助けが必要になる場面など来なければいい。しかし――
予定を立てながらナタリアの一日は終わった。




