12面折廷諍の駆け引き
ナタリアが実力行使によって追い出されようとしていた。
彼女が大賢者の弟子であることの証明が出来ないというのだ。
もちろん、彼らのその返しは予想していた。何も目新しい事はない。ナタリアが城からの退去命令を受けた名目がそれだったからだ。対策はしたつもり。レヴィより十歳以上年下の少女は、自信のある様子だった。それが彼女の慢心だったとでも言うのだろうか。
わからない、わからないが、レヴィは知っている。ナタリアの頑張りを、背伸びを、戦う心構えを。
考えてきたプランが失敗に終わるとしても、挑戦だけはさせてやりたい。
それが偽らざる本心だった。
拘束されるナタリアの方から、全く音が聞こえない違和感から、なんらかの術式が発動されていることを察する。
今ナタリアは動けない。叫んでも、誰にも聞こえない。
動けるのはレヴィしか居なかった。
どうすれば最善なのか。そんなことは分からない。分からないが、己の思いは決まっている。
「待ちなさいっ!!その娘は私の保護下にあります、手出しは無用です!!」
敢えて命令口調を貫いて、強い言葉で制止した。
狼藉は止まらない。
当たり前だ。レヴィの声は向こうに聞こえていない。
ナタリアの周囲に発生した無音の空間に飲み込まれている筈だ。
だからレヴィの叫びは、兵士を制するという体面を取っていたとしても、実際には壇上に立つ貴族へと向けられていた。
「くく。見苦しいな。その娘は大賢者様の弟子を騙る不届き者かもしれないのだぞ。少なくともその真偽を検証した上で、改めてお話すればいいだけのこと。今この場では、彼女に臨席する資格はない。それが道理だ」
不幸なことにナタリアの顔を知る人間は誰もいないようだった。いや、居るにはいるのだろうが、意図があってこの状況を黙認しているのかもしれない。
レヴィが軽率すぎたのだろうか。ナタリアをこんな場所に連れて来るべきではなかった。彼女が駄々をこねても、頑として譲らず、一人で召喚に応じておけば丸く収まったのではないか。
下手な考え休むに似たり。レヴィは、自分が出来る範囲の事をするだけだ。ごちゃごちゃ考えるのは苦手だし、やる前に思い悩むより、やって後悔した方がまだましだ。
「道理というのなら、なおさらです。サラーリア侯爵様、彼女は私の従士です。”従士はその主である騎士の公私に渡り付き従いその仕事を学ぶ。”私の従士である彼女が、ここに付いて来たのは至極当然です。彼女が共同するのは仕事を学ぶためです。まさか公務に連れてこないわけには行きませんから」
「っな!馬鹿な!澄まし顔でいけしゃあしゃあと嘘をつけるものだ!!先の己の言葉を忘れたか!?」
「言葉の綾です。それよりもなぜ、私の言葉をお疑いに?何か彼女について知っているのですか?例えば、彼女が大賢者様のお弟子であると知っていたとか」
「っっっ!!」
口を滑らしたと気づいたサラーリア侯爵は、苦虫を噛み潰したような渋面でそっぽを向いた。このような人を引っ掛けるやり方はレヴィの好むものではなく、咄嗟の思いつきだったのだが思いの外奏功した。
やり込められたサラーリア侯爵を見て、頬をゆるめた皇太子が裁を下した。
「なるほど。だとすれば、そこのお嬢さんがこの場に臨席する事に法的な問題はなくなるはずだな。なにせ炎剣を召喚したのは他ならぬ我々だ。一心同体の従士と騎士を引き剥がすことなどできるわけがない」
顔を歪めたのはサラーリア侯爵だけではなかった。仮想敵と見定めたグレンドストレーム伯爵も不快気な表情を隠そうとしていない。
――ほんの少し、レヴィの中に疑念が生まれた。
「で、すが。ですがですがですがですがですがですが――」
小声でブツブツと呟き、必死に打開策を振り絞ろうとするサラーリア侯爵は、宙空を見て光明を得たかのごとく、顔を輝かせた。
「そうだ……。幾ら従士とはいえ最上級の守秘事項が……」
「大賢者様の没する瞬間。私と彼女は一緒に居ました。だから元から彼女は知ってしまっているのです。隠す必要もなければ、追い出す理由もありません」
必死に考えだした反論を、即座に却下されてサラーリア侯爵は血走った目を軍部に向けた。仮にも禁軍所属のレヴィだから、臨席する将軍は雲上の上司にあたる。反抗的なレヴィを抑えられない軍の無能を責めようとしたのだ。
視線を受けた将軍は、理不尽な八つ当たりに迷惑そうに眉をひそめたが、一応の義務は果たす。
「ヘイルダム・ダールクヴィスト。従士について、軍に登録した形跡は無いのではないか?そもそもあの子供が騎士見習いなどとは到底思えんのだがね」
「上十二衛の紅雀隊を任された時、小隊長として従士をつけることを命令されていました。私はその命令に従ったまでです」
「い、一年も前の事を今更……」
副官は当時レヴィにその命令を下した張本人である。軍令に従っただけの慣習的な命令とはいえ、間接的にレヴィに逆転のきっかけを与えてしまったことになる。きまり悪そうに髪を掻いた副官は、机に突っ伏してしまった。
「……なるほど、間違いはないようだ」
横に座る副官がダウンしたのを見ては、将軍も仕方なくそう言うしか無い。
サラーリア侯爵は軍部に送ったパスが、敵にあっさり奪われてしまったことに憤るが後の祭りだ。
皇太子が再び中立的立場から裁定を下す。
「話はついたようだ。騎士が従士を従えるというのならば、なんの問題もなかろう。炎剣は帝国に無くてはならぬ規律正しい軍人だ。彼女の従士であるならば、無理やり追い出すこともないだろう」
ついにサラーリア侯爵も敗北を認めた。赤い顔になったり青い顔になったりで忙しかった侯爵は、手振りで手の者にナタリアを解放するように伝える。
彼らはただの兵士ではなく、何者かの変装であるとレヴィは看破していた。おそらくは裏の任務をこなす隠密の一種だろう。戦士としての目で、奇襲されれば苦戦は免れないだろうと、冷静に分析する。
ナタリアは解放され、兵士の姿をした隠密は素早い動きで物陰に消えた。
声も戻っているようで、ナタリアは可愛らしくため息をついている。
レヴィが出来るのは、ここまでだ。正々堂々、戦える場を作った。
だから、後の事はナタリアの責任だ。
子を見守るような気持ちで、レヴィはナタリアの勝利を祈る。
「君は、本当に炎剣の従士なのかね?」
静寂の檻から解放されたナタリアが真っ先に聞いた言葉がこれだった。とはいえ慌てることはなかった。間を置かず、
「はい、その通りです」
頷いた。
”声”の実況中継がなければ、静寂の外側の世界で何が起こっているのかさえも、理解できなかっただろう。そうすれば返答が遅れたり、見当違いの返事を言っていたかもしれない。
一切の躊躇いもなく、首肯してみせたナタリアを見て、サラーリア侯爵は陰鬱そうな表情を浮かべていた。
少しでも返答に隙があれば、容赦なく食いつくつもりだったのか。
「ですが、それだけではありません。私は師父様の弟子にして、ヘイルダム・ダールクヴィスト殿の従士でもあります。いま、その証となるべきものをお見せしましょう」
瞳を輝かせたのは、皇族席の男性――皇太子だった。
対照的に表情を暗くしたのは貴族席。軍部はまだ態度を測りかねている様子だ。
「<黒霞>。昨日ギルドに術式を売却致しましたが、元々は師父の研究していた新術式です。この中で、黒き霧を見たことのある方は居られますか?」
瘴気のように噴出した黒い煙は、拡散すること無くゆっくりとナタリアの周囲を旋回していた。<黒霞>は蛇のようにのたくりながらも、決して一定以上離れることはない。まるで、王に従う従者のように従順だった。
ナタリアの問いかけに、誰も手を上げない。
会場を見渡す。
隠しようもなく漂う金の気配に、爛々と輝き始めた何対ものギラギラした視線を受け止める。
「誰も居られませんね。当然です。これは師父様が開発していた夜属性の魔術です。師父様は他にも幾つかの開発中の術式を研究なされていて、私はその助手を務めておりました。師父様の死後、どうにか独自に術式を完成させる事に成功したのです」
誰にも気付かれないように安堵の息を内心つく。誰かが知っていると名乗り出れば面倒なことになっていた。言っている事は半分位は嘘っぱちとはったりだ。<黒霞>は単に古びた古文書に記されていた遺失魔術だから、新術式というわけではない。当然大賢者の開発したものではないし、そもそもナタリアは助手として働いた経験はない。
でも、嘘ばかりでも問題はない。種は蒔いた。後は芽吹くまで丁寧に水をやればそれで事足りるのだから。
静まり返った聴衆を前にして、自信たっぷりに霞の触手を頭を撫でてやる。嬉しそうに身をくねらせる触手。操っているのは全てナタリアだから、気分はさながらパペッターだ。
この作戦には演技力が重要なのだ。
自信がないことを見抜かれれば、計画は道半ばで頓挫する。
「時間さえあれば、他にも幾つか術式を復元できると思います。それをもってして、私が大賢者の弟子であるという証にはならないでしょうか?」
欲望の眼差し、疑いの眼差し。
突き刺さる幾つもの視線。場違いな道化師だけは、愉快そうに歪んだ目でナタリアを観察している。
気分の悪さを押し殺して、ナタリアは堂々と振る舞う。”声”の励ましがあればまだ我慢できる。
「馬鹿馬鹿しい。論じる以前の問題だ。新術式を発明できたからといって、それがどうして大賢者の証明になるというんだ?」
そのような、想定する中で最も愚かな返答は無かった。
少しでも魔術に携わっていれば分かることである。
新術式の開発は極めて困難な創作活動である。人一人が一生かけてようやくひとつできるか出来ないか。作業工程が煩雑というよりも、魔術を扱うのとは異なる創造的な発想力が必要とされる。
あるいはデザインを得意とする職人の方が、案外創造しやすいのかもしれない。
ただし、その職人が一流の魔術師でもあるという可能性は天文学的に低い確率。
出来ない魔術師には、全く作れないものなのだ。
魔術師ギルドが新術式の情報に、巨額の懸賞金をかけていることからもよく分かる。庶民の四人家族が五年間食べていける位の金額が、ポンと即金で渡されるのだ。
金に目が眩んだ幾人もの人間が、術式開発に着手したがほとんど成果を挙げられなかった。
新術式には千金の価値がある。ならば新術式を生み出せる人間に計り知れない価値が秘められているのは自明の理である。
今回の場合、ナタリアが<黒霞>を既に魔術師ギルドに売却してしまっていたというのが、逆にプラスに働いていた。
本来であれば、断りもなく勝手に大賢者の遺産を売却するなど非難されてしかるべき愚行なのだが、商品が商品だ。
ギルドの新術式に対するハードルは、懸賞額の巨大さに比例して高い。粗製乱造の新術式紛いは、一蹴してしまう。
それはつまり<黒霞>はギルドも認めるだけの水準に達している、正真正銘の新術式ということになる。
ナタリアはうまくギルドを箔付けに利用した。
新術式という言葉に目が眩んだのは、特にそれを熱望していた軍部だった。
「あー。もし本当に複数の新術式を発明できるのならば、それは確かに大賢者様の弟子に相応しい偉業でしょうな」
「確かに、実力は備わっている証明になりますね。……どうでしょう、開発環境は我々が提供するのは?不正がなされていないか、審査する事も容易ですし、魔導研究所の設備を使えば飛躍的に開発速度は上昇する筈ですよ」
『釣れた釣れた』
将軍と副官は揃って、ナタリアの主張を認めてしまった。
あくまで利益を生む限りという括弧付きだが、前言をあっさり翻す辺りかなり好意的な反応だろう。
慌てたのが貴族側である。三柱の中でも最大の権力を持つ軍部が、味方から敵に回ってしまったのである。大損害どころの話ではない。彼らは必死に翻心を促す。
「お、お待ちください閣下!」
「そ、そんな子供の言うことを真に受けるのですか!」
「信用したわけではない。むしろそれを調べるためのテスト、審査だと理解していたが違うのかな?」
「うっ……」
「し、しかし……」
普段口ではやり込められている貴族たちを、言い負かしてご満悦の将軍。
「なるほど。炎剣の従者なのだから、その身柄は軍が預かるのが自然か。いいのではないかな」
上機嫌の皇太子の言葉が決め手となった。
「異論が無いようでしたら、早速魔導研究所の方に伝えておきましょう」
実務をこなす副官が、反論を許さずに即座に続ける。
ここに至って観念したのだろうか、殊勝な様子のロリコム伯爵が、
「それが、彼女にとって一番良い選択であるのなら、我々にも異論はありませんぞ。正しい証明が成されるというのならば、否応はないですからな」
身内のその言葉に、その他の貴族たちも押し黙る。
「それでは、師父様の弟子として、最初で最後、唯一の願いでございます」
趨勢が決したことを確認したナタリアは大仰に両腕を伸ばし、風呂敷を広げた。
闇の霞がくるくる螺旋を描きながらナタリアの身体を隈なく支えている。天上天下唯一無二の妖艶なる美がそこにあった。
「遺言状をお渡し頂きたい。師父様が私に宛てて残した唯一のものなのです」
「むっ……?何のことだ、聞いておらんぞ」
「遺言状、だと?」
微かなざわめきが走った。皆の視線は貴族席の方向に集中する。
皇族閥や軍部は、彼らに開会を決められて呼び出された形だ。その理由というのが彼ら貴族閥による遺産の保全活動である。実際に現物を所有している者達の招集を無視出来るはずがない。苦々しく思いながら、二つの勢力はここに呼び出されているのだ。
その際に、目録を送付されているのだが、どこにも遺言状の事などは書いていなかった。
「何のことでしょうかね」
すっとぼけるサラーリア侯爵を、憎々しく思う。
だが軽々に感情の色は見せない。神秘の仮面をかぶり続ける。
「……」
スッと懐から取り出した物を掲げる。彼らによく見えるように、高く。
それは紋章だった。グルンドストレーム家の家紋。乾いた血液で汚れた紋章は、ナタリアの二番目の切り札だ。
グルンドストレームの家宰に辿り着く過程で手に入れた物的証拠。官憲を動かしたレヴィも証人だから、いかに貴族といえど簡単に言い逃れは出来ない。
「本当に、ご存じないのですか」
ふらふらと紋章の編みこまれた薄布を振ってみせた。そよ風に煽られて布は踊る。
挑発と脅迫を綯い交ぜにした問いかけは、無視するには危険過ぎる。
事態は動いた。しかし思いもしない人物が、その紋章に反応したのだ。
グルンドストレーム伯爵ではない。その横に座る巨漢、ロリコム伯爵が何故か慌てた様子を見せたのだ。
「あ、あぁ。もしかするとアレかもしれんな。中身を調べていないから、遺言状とは分からんかったが、アレくらいしかあり得そうなものはない」
「どういうことだ?」
仲間の貴族たちにすら疑惑の目で見られたロリコム伯爵は、汗を拭いながら早口でまくし立てる。
「多分、ですがね。不確定情報なので黙っていましたが。後ほど精査してお知らせする予定だったのですが。隠すつもりではなかったのですが、結果的にそうなってしまい、申し訳なく思います」
「馬鹿な、そんな言い訳が通ると――」
「話が違うぞッ!」
言い争いを始めた貴族たち。内輪もめの喧騒は拡大していき、会議は滅茶苦茶になりかけていた。誰もナタリアの存在を忘れ去ったのかのような喧騒の渦。
取っ組み合いまで始まろうかと思われた時、場違いな哄笑が高く響いた。
「ハハハ、面白い、面白い!」
『っ!油断はするなよ……。コイツだけは何を仕出かすか読めない不気味さがある』
興味なさげながら、決して会議の進行を妨げはしなかった場違いな道化師がいつの間にか立ち上がっていた。首を四十五度傾かせながら、笑う姿は不気味としか形容のしようがなく、しかもその双瞳はナタリアを凝視していた。
勝手気ままに振る舞う彼は、腰をしならせる独特の歩法でナタリアに近づいてくる。
意図の読めない彼の行動に、言い争っていた人々は、唖然として動くことさえ出来ない。ただ一人、止まった時の中でレヴィだけが、警戒するように彼の前に立ちふさがる。これ以上ナタリアには近づけさせないと、いつでも攻撃できる構えを見せていた。
見えているかのように、剣の結界の一歩手前で歩みを止めた道化師は、首のねじれを直しながらナタリアに問いかける。
「見事なお手並みでした!よく状況をコントロールできたものです。大人顔負けの大した胆力だ。――で本題ですが」
口の端を釣り上げた道化師は、上半身を傾けてナタリアに視線を合わせて囁いた。
「本当の年齢は一体何歳なのでしょうねぇ」
小さな声なのに、その言葉は講堂によく響いた。特に反応の著しかったのは軍部と、皇太子。
貴族たちは汗だらだらのロリコム伯爵を除いては、どういう言葉の意味なのか測りかねている様子だった。
「いやなに、同じような魔術師をよく知っていましてねぇ。見た目は小さな童子であるのに、その中身は百歳を越える魔人。外見内実が一致しない存在といえば、陰陽和合を極めた超人か、あるいは荒野に生きる幻想種かどちらかです。貴女がそのどちらかだとすれば、その交渉力や魔術の技能も納得できますから、ね」
「魔人……!」
今までになく顔を歪めた将軍は、拳を床机に叩きつける。
「カリオストロッ!!いい加減にしろッッ!!幽議会に参加する交換条件として、決して口出しをしないことを約した筈だぞッ!」
道化師――カリオストロは将軍の怒声を聞き流しながら、にやにやと笑っている。
「えぇ、えぇ。だから会議にとやらについては、何も言っていないじゃないですか?それよりも、将軍閣下も気になりませんか?仮に幻想種が帝都に紛れ込んだとなれば、軍部の大失態では?」
「くっ。戯言を!荒野の幻想種への対策は、貴様ら第二魔術師団の任務だろうが!!」
「そうでしたそうでしたぁ!化物の相手は化物に――という具合でしたねぇ」
厭味ったらしい言い方に、将軍は顔を赤くした。
「あぁ、失礼。変なおじさんですけども、これでも割かし優秀な指揮官だそうですよ?あんまり見損なわないであげて下さい」
カリオストロはナタリアに内緒話をするかのように耳打ちする。けれど聴かせるつもりの言葉なのは明らかで、これみよがしの茶番に将軍の怒りは更に高まる。
ナタリアの眼前で突如始められた喜劇じみたやりとりだったが、ナタリアは傍観者ではない。むしろ当事者といってもいい。
「貴様!!」
「あはっ。怒っちゃいました?やだなぁ、パパに告げ口なんてしたらダメですよ?あの子供爺さん、温和そうに見えて結構酷薄なんですから」
「もうその辺りにしたらどうかな」
軍部の揉め事に仲裁をしたのは、皇太子の疲れた声だった。
将軍はその一言で冷静さを取り戻したようで、腰の剣に行きかけていた手をもとの位置にすぐさま戻す。
「殿下ぁ。折角いいところだったのに。まあいいですけど」
「殺ス」
一応は恭しい将軍と違い、皇族相手でも人を喰った態度のカリオストロは、首を打たれても可笑しくはなかった。これまで皇太子の側を片時も離れず、黙然としていた護衛の一人が反りのある細い刀剣を抜き放った。
「うーん。喧嘩早い人ですねぇ。殿下、こんな脳筋を護衛にしていていいんでしょうかぁ?」
「剣を収めよ、ジェイ」
「シ、シかシ……」
「殿下の優しさも分からない馬鹿は可哀想ですねぇ。時代遅れの棒切れを振り回して越に入っている変人は頭まで残念なようです」
人の感情を動かすということならば、道化師の得意技だった。カリオストロの露骨な挑発と煽り文句に、将軍ばかりでなく剣聖と讃えられるジェイという男性もまんまと乗せられてしまう。
「――今、なんと申シた……?」
「あはっ!頭が悪いばかりか、耳の出来まで欠陥品ですかぁ?ジェイさん、あなたの来歴は知っていますよ。元は奴隷として帝国にやってきた貴方は、闘技場で見事な剣技を見せた。その腕を見込まれて軍に入隊。他国でどのような修行を積んできたかは不明ながら、帝国でも最強の剣豪として君臨、最終的に皇族の護衛にまで抜擢される大出世。陛下の不在時、皇太子殿下の護衛に出てくるならば貴方だと思っていましたよ」
立て板に水の弁論に面食らったジェイは、怒るよりも先に驚きの感情が先行したらしい。
「何故、それほど詳シい」
「ほんとにオツムの出来は悪いんですねぇ。調べたに決まってるじゃないですか。何のためにこんな糞詰まらない茶番の会議に忙しい私が出席したと思っているんですかぁ?列席者の皆さんの事は、下調べが済んでいますよ。――その上で、貴方は脅威とならないと判断されたんです」
「脅威、とは。味方を相手にして少々不適切な言葉だな」
皇太子もあまりにも傍若無人な道化師に無感情でいられなかったのか、声色にトゲトゲしさを滲ませて呟いた。
「あー、でもお馬鹿さんには、もっと分り易く言い換えましょうか。――お前は弱すぎて相手にもならない――そう言いたかったんです」
「ッッッ!」
「見たところ、この中で私と相対して、まともに勝負になりそうなのは、一人。防御に徹すれば二人。時間稼ぎだけでいいなら三人。でもその誰もが貴族たちを庇う理由はないはず。つまり脅威はないんですよ」
もはや剣聖に興味を失ったかのように、視線を外したカリオストロは、辺りを見渡して更に物騒なセリフを吐いた。
「いい忘れていましたが、ね。私の受けた命令は”大賢者の遺産を確実に確保すること。手段は問わず”です。遺産の現在の管理者が分かった時点で、こんな茶番は用済みだったんですよ」
「……その言葉、叛意有りと受け取ってよろしいですね」
意外にも緊張した面持ちで、最初に沈黙を破ったのは目立たない副官だった。
彼に限ったことではないが、一触即発の空気を前にして心得のあるものは例外なく、不測の事態に備えて構えている。
「んんん?誤解があるようですねぇ。私はパパの命令に従っているだけですよ?そして、パパは帝国の意思そのもの。叛意なんて欠片もありませんってば」
――壊れている。
まだ彼のことをよく知らないナタリアでさえ、理解できる。
物々しさは増していき、戦場と変わりない緊迫の空気で室内は満たされていた。
「馬鹿な、帝国は陛下を頂点とする多民族国家だ!まさか陛下の隠し子でもあるまいし……」
錯乱したサラーリア侯爵は、普段ならば絶対に言わない不敬罪になりうる不用意な言葉を口走っていた。場の空気に当てられて興奮状態になっているのか、失言に気づく様子もない。
「あはっ、恐れ多いですよぅ。陛下の貴き血が私みたいな卑しい者に宿っている筈がないじゃあありませんか?」
「ならば何故!殿下はお前に遠慮しているのだ!?将軍でさえも何故か距離を置いている。一体お前の素性はどうなっておるのだ!?」
血によって領地を代々受け継いできた貴族は、貴人の落胤だという己の考えに固執して本質を見誤っていた。将軍や皇太子、彼らが恐れているのはカリオストロの血縁や身分などではなく――
「んー、いつでも殺せるからですよ。確かに帝国の頂点は陛下です。別に異議を唱えるまでもない、自明の理。でも真に帝国を守っているのは我々第二魔術師団ですから。賢明なる将軍閣下や皇太子殿下は、其処の所をよくわかっていらっしゃいますからね。私達が帝国の守護たることを辞めてしまえば、早晩帝国は滅ぶでしょうし」
「んな……!?そんな馬鹿げたことが……」
「――”魔物”だ。彼らの任務を知っているか?侯爵」
皇太子が沈痛な面持ちで言った。
「え、ええ。確か第二魔術師団は軍部で唯一独立行動権を有する師団であり、軍部の雑用をこなしているとか。その構成員のすべてが二重属性持ちの魔術師だとも――」
「雑用。えぇ雑用でしょうとも。お掃除なんて下っ端にやらせる雑用です。化物を殺せるのはそれ以上の化物か、あるいは多くの犠牲を前提とした飽和攻撃だけでしょうからね」
「……第二魔術師団は、通常の軍では対応できない脅威を持った”魔獣”、あるいは人類に敵対意思を持つ幻想種の駆除が依頼されている。……二十年ほど前には、ドラゴンを狩った事もあるそうだ」
他でもない、皇太子の口から出た言葉だから、貴族たちもそれを信じざるをえない。たとえお伽話でしか見たことのない究極の幻想殺しの話だとしても、だ。
「蛮族や、禽獣の相手なら普通人でも務まるでしょうね。まあ千人単位で兵士を使い潰せば、竜ぐらい落とせますよ。簡単簡単。雑用です。私達が今日突然ストライキを始めたとしても、帝国も一年くらいは保つんじゃあありませんか?」
冗談と言い切れない所に、カリオストロの恐ろしさがあった。全てが虚言のようでいて、真実しか語っていないようにも思える。彼の言葉を否定して欲しくて、縋るような目で将軍に問いかけた貴族は、
「――蛮族の反乱で疲弊した現況ならば……一年も保たんだろう」
残酷な真実に打ちのめされる。
「あっははっははっ!」
笑うカリオストロと、絶望する貴族たち。
そんな異常な状況下でも、レヴィやジェイといった腕に覚えのある戦士は、片時も油断を解かない。カリオストロにはいつなんどき何をやらかすのか、予想の出来ない怖さがあった。火薬庫の横でやりたくもない火遊びを強制されているようなものだ。
何の予兆も脈絡もなく、突然襲いかかってきても可笑しくない。
ナタリアも、”声”も等しく彼の一挙一足に注意を向けざるを得なかった。
「でも、安心して下さいな。ストライキは私達にとっても伝家の宝刀。別に帝国を滅ぼしたいなんて思っちゃいません。何しろパパは帝国そのものなんですから、どうして子供たちがその破滅を望むでしょうか?むしろこれからも任務に精勤するつもりですよ――もちろん、それとは全く別の話で、大賢者の遺産は確保しますがねぇ」
ニタニタと不気味な笑みに、精神をやられた貴族たちは、各々潜ませていた護衛を全面に押し出していた。影からにじみ出るような自然さで、いくつもの黒い人影が湧き上がり、カリオストロの前に立ち塞がる。
ホールの中に突如現れた複数の武装者たち。三勢力は己の身だけでも守ろうとして、お互いに距離をとって牽制し合う。そんな中でホールの中心に、カリオストロとナタリア、レヴィだけが残される。
「あはっ。騒々しいなぁ。冗談、冗談。全部冗談ですってば。パパの命令は確かに言われたままですけど、私が律儀にそれを実行するつもりもないですし。今回は、この年齢不詳のお嬢ちゃんの胆力に免じて、遺産分配に口出しするのはやめておきましょう」
降参でもしたかのように両手を頭上に掲げたカリオストロは、ヘラヘラと笑う。
だが、誰も彼の言葉を信じようとはしない。一触即発の空気はたやすくは静まらない。
「九歳です」
緊張で胃が捩れそうだと、誰もが感じていた時に、言葉を発したのは最も弱々しい少女だった。行動が埒外の道化師を見ても、揺るがない強い意志。
当初ナタリアたちが意図していた方向とは全く違う、未知の方角を向いてしまった幽議会だったが、この目標だけは違えることが出来ない。
――侮られないこと。
これ以上搾取されてはならない。手を出せば火傷するのだと、主張しなければならない。ハリネズミのように幾本もの鋭い棘で全身を覆い隠し、それでようやく少女は大人と対等のテーブルに座ることが出来る。
思い出したように蠢く黒蛇を纏わり付かせながら、月輪の乙女は毅然と薄い胸を張っていた。
「うんうん、自称九歳ちゃんの意思を尊重しましょ。何しろあのトリニティの弟子だしねぇ。私も個人的に興味津津ですよ」
場をさんざん引っ掻き回した道化師は、背の低いナタリアに合わせて屈み込み、握手を申し込んだ。
『――理解できねぇ。俺はこの変態の事を全く理解できねぇ。が、それは多分他の連中も同様だろう。だったら受けとけ。純粋に効果だけを鑑みれば、神秘性を高めるに、これほど良い材料はない。どうやら第二魔術師団とやらは一目置かれているようだし、乗っかるのも悪くねぇ。もちろん、適切な距離感を保つことは大前提だがな』
”声”の助言を聞き、ナタリア自身の判断も加え、握手に応じることにする。
固く交わされる握手。カリオストロの手の平はその得体のしれなさとは裏腹に、極普通の柔らかい魔術師らしい手の平だった。これならば余程レヴィの方が強そうに思える。
可憐な外見とは裏腹の高い精神年齢を持っていそうな少女と、毒蛇よりも危険な道化師の握手は、思った以上の効力を発揮した。
二転三転した幽議会だったが、なんとかナタリアの主張は認められた。
魔導研究所で結果を出すことを条件に、遺言状がナタリアには渡されることとなった。
遺産を管理していたらしいロリコム伯爵は、第二魔術師団の襲撃を受ける前に、軍部に泣きついて護衛を派遣してもらっていた。ゼディアールヴ男爵をけしかけて強奪事件を起こした黒幕は彼だったのだ。
一時期でも、頼れるかもしれないと思っていた貴族の背信にナタリアも動揺を隠せない。しかし恐慌に陥らなかったのは、”声”が傍に寄り添っていたからだった。彼の助言は百万の軍にも勝る心強いものだ。彼の言葉に従ってロリコム伯爵への接近を思い直すことが出来て本当に良かった。
思惑通りには行かなかった幽議会だったが、実りは多い。
ナタリアが脅迫材料に持ちだしたグルンドストレーム家の家紋だったが、後日の捜査でロリコム伯爵がグルンドストレーム家の家宰を買収していたことが判明する。
貴族間同士の騙し合いや裏切りなど珍しい事でもないが、事が露見してしまえば話は別である。
彼のその後の顛末については、復讐などではなく見返してやることだけを目標に据えていた陽性のナタリアも、溜飲を下げる結果になる。
とはいえ、それはまだまだ先の話――
現時点のナタリアは、大賢者の弟子として眼前に待ち受ける試練のことだけで頭がいっぱいだった。
連戦連敗だったナタリアもようやくここで、一勝を取り戻した。
まだまだ果ては遠くとも、少女の挑戦は始まったばかりだった――
終わりそうですが終わりません。




