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師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
犬、猿、雉
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13心機一転の門出


 ナタリアの主張は半分は認められた。

 大賢者の弟子であるという身分証明は未だならざるが、そのための道筋は見出すことが出来た。

 

 打ち合わせになかった行動だが、咄嗟のレヴィの機転によって表向きはレヴィの従者ということになっている。

 住む場所や、食事、給金は全て主であるレヴィの責任のもと支給されなければならない。

 当面の間は、これまで通りレヴィの叔父の家の二階を使わせてもらうことにする。半年後には住み込みの奉公人が入ってくるらしいから、期限はあるのだが好意に甘える形になる。名目上、ナタリアの生活費はレヴィが負担する。これは決まりに従っているだけで、ナタリアが自力で稼げればそれをレヴィに手渡すことになんの支障もない。

 レヴィは返済にあまり期待していないだろうが、自立して誇らしく生きたいと願うナタリアにとっては、絶対に返すべき借りとして心に深く刻みつけていた。

 

 軍部の準備は手早かった。魔導研究所の一つの研究室にナタリアの籍が設けられた。

 区切られた期限は三ヶ月。期間内に新術式とまでは行かずとも、開発の成果の片鱗だけでも見せなければならない。それから更に九ヶ月。新術式お披露目は一年後の予定だ。

 それまでに何の成果も出せなければ、改めて大賢者の弟子を騙った犯罪者ということで、放逐どころか罰を受けてしまうのだ。

 

 とはいえあまり心配はしていない。実は現時点で”声”の助言によって<レーザー>なる新術式開発の目処が付いている。原理を聞き、再現可能性もあることがわかった。

 物事に絶対はないが、一年あれば完成にこぎつける見込みは十分あるはずだ。

 しかも今回は魔導研究所の資材た機器を使用する許可が出ている。さらに可能性は高まるはずだ。

 

 翌日から早速出勤できるようになっているらしい。

 用意の良いことだ。

 ”声”などは子供が労働することへの不満を愚痴っていたが、世の中には親元に居る時から家業を手伝う子供は多い。本格的に仕事を継ぐのは、一家伝来の魔術を習得してからだから十五歳以降だろうが、それにしても子供が働くというのはそれほど不自然なことではない。

 写本によって幼少時から自力で小銭を稼いでいたナタリアには、”声”の心配はわかりづらい感覚だった。

 

「それじゃあ、行ってきます」


 記念すべき、初出勤の日。

 相も変わらず早朝の重労働の最中に居たオデオンは、見送りの言葉ひとつない。

 けれど寂しさは感じない。過去が真っ暗だったとしても、前途は明るく、今も昔も見守ってくれる人がいる。それだけで十分だった。

 

 魔導研究所は帝都郊外にぽつんと寂しく佇んでいる。大規模な魔術研究も多くなされている為に、広大な実験用の敷地が必要となるのだ。

 軍関係者のみに開放されている軍用の馬車に乗り込む。勘合符を見せてやれば、ただの子供だと思って追いだそうとしていた御者はギョッとしている。

 前言撤回。子供の労働は珍しくもないが、軍に勤めている子供は相当珍しい。

 

 ガタゴト、ガタゴト。

 馬車に揺られながらなんとなく景色を眺める。

 城壁が無い分、帝都の交通は便利さを重点的に考えられている。中心地から放射状に伸びる巨大な交通網は馬車が何台も行き交えるほどの幅がある。


『馬車といえばスプリングだがしかし……』


 ”声”はぶつぶつとバネとか鋼とか呟いている。彼の異界の言葉はよく分からないことが多い。こういう時は気にしないのが一番である。


 無言で術式を編み上げ、<黒霞>を呼び出す。

 先日の幽議会で演出として使用した遺失魔術で、未だに視覚効果以外にどのような効力があるのかも分かっていない。そんな代物をよく魔術ギルドが買い上げてくれたものだ、と思うのだがきっとナタリアには思いもつかない使用法があるのだろう。

 変に気に入ってしまい、こうやって”声”を邪魔したくない時は手慰みに呼び出すことが多い。

 あれだけド派手に演出したものだから、変な尾ひれがついて、黒蛇を操る妖女とか嬉しくない二つ名まで付けられてしまったのだ。

 もうこうなったら自棄である。思う存分<黒霞>を漂わせて遊んでやる。

 乗り合わせた相客はいないから、ナタリアはかなりリラックスしていた。

 

 軍関係者の馬車と言っても、普通の兵卒は殆ど乗ることがない。一部の伝令兵とかナタリアのような研究者とか、利用する客自体が少数なのだ。

 

 街並みはすでに遠く。

 よく整備された街道をグングンと進んでいく。

 

 緑の草原が前から湧き出し、後ろに流れ行く。

 

 通り道には土色の帯が一本伸びている。

 無限かと思われる緑の奔流。変化し続けている風景が、変化のない景色。多分百年前だって草原はあったし、百年後だって変わらないだろう。

 動き続けているのに終わりの見えない風景を見ていると、眠気が忍び寄ってくる。まだ早起きに慣れていないということだろうか。激しい揺れにはもう慣れた。馬車の中でナタリアは知らず知らずのうちに居眠りをしていた。

 

 やがて。

 目を覚ませば、大人の身長くらいの高さまで張り巡らされた柵が左右に広がっている光景が目に入った。

 馬車から降りたナタリアはその広大な敷地の内部から、風にのってぼそぼそ話し声が聞こえてくるのを感じた。

 特に門番もいないようで、堂々と正面から中に乗り込むことにする。

 

 柵の内側は広大な空き地になっていた。ところどころに僅かな草が残るのみで、よく整地がされているのか、非常になだらかな地面だ。点在する粗末な家々を見ていると、極普通の村にやってきたかのような錯覚を抱く。

 時折耳に響く爆音や振動がなければ、本当にそう思ったかもしれない。

 

 まずは手近な家を目指すことにする。

 小さな平屋は、孤児院時代に見た辺境の村人の家にそっくりだった。

 

『廃村かなにかをリユースしているのかもな』

 

 ”声”も当てのない思索から帰還したのか、感想を呟いた。

 古びた木戸をノックして、中に入る。

 中身も一般家屋と変わりのない感じである。家具が極端に少ないのが目につくくらいだろう。

 ざっと見渡した限りでは人の姿は見えない。ただ夜の感覚を伸ばしていけば、一人分の気配があるのがわかった。


 人の存在は予測していた。だからそこに驚きはない。驚いたのは現れた人の奇橋な行動だった。

 

「びびびびびび!」


 <風弾>の照準を定める時のように、人差し指を突き出した右手が物陰からにゅっと現れた。

 同時に減少する偏在エーテルを感知。魔術行使の痕跡を認識する。

 耳元で嫌な音が突如鳴り始め、耳鳴りのように反響を繰り返す。

 

 攻撃されたと思っても可笑しくはなかったのだが、ナタリアが反撃せずに様子見をしようと思ったのは、聞こえてきた擬音語があまりにも緊張感を欠いたものだったからである。耳鳴り自体も微かな不快感を覚えるくらいで、行動に支障が出るほどではない。意識しないようにすれば無視出来るレベルのものだったからだ。

 結果論だが、ナタリアが相手の出方を窺う事にしたのは正解だった。

 

「はじめましてー。こんちわっ」


 いつの間にか耳鳴りは消え、現れたのは妙齢の女性。にこにこ笑いながら軽い足取りで影から出てくる。


「たぶんだけど、ナタリアちゃんだよね?」


「う、うむ。そうじゃ」


「ほんとにちっちゃーい!何歳なの?」


「……九歳じゃが」


 久しぶりだから忘れかけていたこの感触。露骨なまでの子供扱いにナタリアは頬を膨らませ不機嫌になる。侮られている訳ではないだろうが、一段下に見られていることは否めない。

 そんな苛立ちを露ほども解さず、彼女は笑顔のままだ。


「あ、ごめん。自己紹介もまだだったね。あたしは魔導研究所の研究員のコンラ。一応、ナタリアちゃんの担当という事になってます。命令されたのもあるけど、私から志願したのもあるかな。――んでんで、本題だけど貴方さっき何か聞こえなかった?」


 含み笑いをしながら顔を寄せるコンラ。


「耳鳴りのことか?確かに嫌な音が聞こえたのぅ」


 あの音を思い出しながらナタリアが答えると、それを聞いたコンラは叫びながら飛び上がった。


「い、やったぁー。実験成功だね。あのさあのさ、ナタリアちゃん。また音を聴かせるから聞こえている間は手を上げてね。聞こえなくなったら手を下げて!」


「ま、待つのじゃ!あの音はぬしの魔術によるものなのか?」


「そだよ。日属性魔術なんだけど、発生する音が聞こえる人と聞こえない人がいるんだよねぇ。あんまりサンプルは多くないけど、全体の傾向として子供のほうがよく聞こえるみたいなの。だから、夜属性のナタリアちゃんがやってくると聞いて、これだ!って思って。担当に立候補したら誰も対抗がいないかったから来たのよ」


「そ、そうか。あの音は攻撃魔術という訳ではないのか?」


「えーっと、まあ違うよ?まだ開発中なんだけどね?<音波>魔術を改良して面白いことが出来そうなの。協力してくれるよね?」


「……わしがここに来た顛末は聞いておらんのか?」


「?私の研究に協力してくれるためでしょう?」


「……違う。わしが自分自身で独自の研究をする為に、機材を使わせてもらえるという話だったのじゃが」


「あれれ?そうだったっけ?夜属性でしかも子供だなんて、私の為に来てくれたサンプルだとてっきり」


 どうやら演技ではなく素のようだ。

 ウィンクして拝むように手を合わせたコンラは、


「あー、でも手間は取らせないから。ねっ?お願い!」


 ナタリアの研究が成らなければ、死罪もあり得ることなど知りもしない彼女は朗らかに笑いながら頼んでくる。

 どうしたものか。彼女の頼みを断るのは簡単なことだが、コンラはナタリアの担当だという。悪戯に機嫌を損ねるのは得策ではないだろう。


「……わしも暇ではないのじゃ。あまり時間はかけられんぞ?」


「わーい!ありがとっ!大丈夫、すぐ終わるから、――今日の分は」


 嫌な言葉を最後に付け加えたコンラは、最初の時のように指鉄砲を構えながら、


「びびびびびび」


 またも耳鳴りのような不快な音がナタリアの耳に聞こえてくる。ただ出力は調整してくれているようで、音量自体はかなり小さい。

 我慢して挙手で合図する。すると徐々に音が高く、細くなっていき遂には聞こえなくなってしまった。言われたとおりに手を下げると、


「じゃ、<超感覚>を使ってみて!」


 魔術を行使。

 聴覚を含む五感が強化され、己の領域が拡大したような感覚が生まれる。

 耳に意識を集中させると、消えていたはずの高音が復活しているのに気づく。挙手をしてみせると、コンラはうんうんと頷いた。

 再び高く上がっていく音。

 拡張された<超感覚>の可聴域をも越えて周波数は上がり続けた。

 

 ナタリアが挙手をやめると、発動していた魔術を解除したコンラは弾んだ声で言った。


「うふふ。やっぱり!子供のほうが聞こえる音の種類が多いんだわ!超感覚による強化がなされる前から一定の音は聞こえていたようだし!大人にしか聞こえない音というものも、確認されていない。人間に聞こえない音があるのなら、暗闇で地形を調べる術式も実現のめどが見えてくるはず……!」


『なるほどな。可聴域の実験だったのか……。超音波ってやつだな』


 目をキラキラさせながらその場でくるくる踊りだしたコンラは、もう背の低いナタリアのことは視界から消えてしまったようで、ふらふらと奥の方へ行ってしまおうとする。


「ま、待つのじゃ!約束であろう。わし自身の研究があるのじゃ。せめて研究室への案内くらいはしてもらいたいのじゃが」


「うぇ!?ごめんごめん、忘れてた。時間が惜しいからさっさと付いて来てよね」


 ずんずんと先を進むコンラは、地下へと潜る階段を躊躇なく降りていく。彼女の灯した日属性の明かりは極限なまでに弱々しく、初めて歩く道を照らすには不十分なものだ。

 何度も日常的に階段を登り降りしているコンラ一人ならば、これだけで十分だろうが初めてここを通るナタリアにとっては、歩きづらい環境だ。

 <超感覚>によって強化された第六感の助けを借りて、おっかなびっくり暗闇に全身を浸していく。

 子供のナタリアと大人のコンラでは歩幅が違う。年少者を全く気遣わないコンラのピッチは速く、一歩一歩足元を確かめながらのナタリアでは<加速>を用いても付いていくのがやっとだった。


「さっきの小屋はお客さんとかを招く時しか使わない応接間みたいなものなのー。他の研究室はちゃんと綺麗にしてるから安心してね?」


「普通の部屋が汚くてもよりも、客間ぐらいは綺麗にするものじゃと思うのぅ」


「やだー!逆でしょう?どうして普段使わない部屋を綺麗にしなくちゃならないの?」


 角柱状に掘り進められた坑道の四辺は、不揃いの石によって舗装されている。高さはある程度はあり、背の高い男性がギリギリ通れるくらいの広さだ。

 暗がりにはぽつぽつと人工の光が浮かんでいるが、遠くはやはり見えづらい。

 何本もの分岐路を通り過ぎ、コンラは早足で進んでいく。

 

 右手を壁に添わせて、その感触を確かめる。石材の切り口は比較的新しい。この地下トンネル自体が最近作られたものだということが分かる。


「どこに通じているのかのぅ」


「いろんな研究室に通じる通路よ。前までは地上の道を通っていたんだけど、直射日光に当たらずにサンプルを移動させる必要が生じてね。いろいろ追加していく内にこんなに長くなったのよ。――ま、全部又聞きの情報なんだけどね。私がここに来たのは二ヶ月前だし。新参なの」


『サンプルっつって、直射日光に当たらないようにする為にケースとか覆いを使えば良い話なのにな。それじゃあ間に合わないサンプルの性質、あるいは……大きさ』


 実験とか魔術開発とか。いがみ合う魔術師を集めてこれほど大規模に工業的に術式の生産を行っている施設はこの世界に他に存在しない。

 名高い学術の王府、ユニ・ソルシエールでさえもその本質は魔術師ギルドの薄弱な連帯感と変わるところがない。互いを利用し合うギブアンドテイクのビジネスライクな繋がり。

 魔導研究所とは、大賢者の魔術の秘奥の開示によって帝国にもたらされた恩恵の大きさに驚いた軍部が、急遽資本投入して完成させた新進気鋭の施設である。

 歴史といえるほどのものも権威すらもなく、軍に徴発された魔術師がただ馬車馬のように働かされている。

 成果を焦るあまりに、非人道的な実験さえ行われている噂さえあった。

 

 ”声”や大賢者が接触を懸念していた軍部への急接近。

 ナタリアの反撃の機は来たものの、現状は到底安定安心とはいえないものだったのだ。

 一歩踏み込めばくるぶしまで沈み込むような泥沼。

 しかも深みはあちこちにあって、一度沈んでしまえば二度と抜け出せない底なし沼。

 それでも進むしか無いのだ。輝かしい未来とか幸せというものは進んだ先にしかなく、もしそんなものが他にあるとすれば、過ぎ去って二度と取り戻せない色あせた過去の幻像に過ぎないだろうから。

 

 やがて二人は闇の支配する地下空間から抜け出し、これまた平凡な内装の家屋の中に出る。とはいえ、清掃が行き届いているようで、今しがた通り過ぎた応接間よりは見苦しくない。


「ここが私の研究室。ナタリアちゃんの担当は私だから、基本的にこの部屋を使って。どうしても他の設備が必要なら頼めば使わせてもらえるかも。私はやったことないから、出来るかどうか知らないけど。もし私が他の研究室から頼まれても絶対に許可しないけど」


 かつてあった廃村を再利用した研究村。一軒一軒の家屋がそれぞれ別個の研究室となっており、外部からは完全に遮断されている。

 家屋同士はかなり距離がある。地属性による<治癒>の研究や、<劇毒>の研究で感染力の高い細菌や毒物が漏出しても被害が広がりにくい仕組みが、期せずして取られているのだ。

 研究所設立にゴーサインを出した軍上層部は、そんな事情は知らずに経費削減のためだけに廃墟の村を有効活用したのだが、怪我の功名というやつである。

 

 しかし被害や災害が拡大しにくい反面、それぞれの研究室の独立性は非常に高い。上から求められるノルマの厳しさに喘ぐ研究者たちにとって、周囲の研究者仲間は潜在的な敵対者だとさえ言える。コンラの言うように協力などというものは求めにくい現状が、厳然とそこにはあった。

 

「あ、でも”翁”の所だけは例外ね。あそこはどんな依頼も断らないから、頼んだらなんとかしてくれると思う。……他の人が依頼を増やせば増やした分だけ、私の依頼の予約が遠のいていくからあんまり教えたくないんだけどね」


 コンラは勝手知ったる自室の中で、魔力をプールする魔法陣を弄びながら、教えてくれた。

 彼女が”爺”と呼ぶ土小人の魔術師は研究者というより技術屋で、殆どメインプロジェクトの術式開発に関わらないらしい。ならば彼の生産性が皆無かといえば、その真逆で周囲の研究者の求めに応じて、依頼された魔具や道具を制作してくれるのだ。

 依頼が集中するせいで、完成まで時間がかかることもあるが、決して依頼を落としたことがなく、大変重宝されている便利屋だ。

 亜人でありながら新設とはいえ帝国軍組織に所属出来るだけでも、彼の凄さが分かろうというものだ。


「音の反射する時に反射物と発音源との距離によって、音が帰ってくるまでの時間が微妙に異なるの。雑音の影響を受けないような高さの音を利用すれば、目を閉じていてもおおよその地形が把握できるはずなんだけど、一つ困った事があるのよ」


 聞いてもいないのにコンラはべらべらと話し始めた。昼夜問わずに同じことに頭を悩ませ続けているのだろう。明るい場所で目元をよく見てみると、薄っすらと隈が浮かんでいた。


「<音波>を発動するのに日属性。反射した音波を解析するのに夜属性。都合二種類の属性が必要になるの。トリニティの大賢者様ぐらいしか実質的にこの術式は扱えない。そんな汎用性のない術式ではダメだから、音波の発信か受信のどちらかを魔具で代行できなかと思って、今”翁”に依頼中。まぁ幾ら”翁”でもそう簡単に魔具は制作できないんだけどねー」


 コンラのなよやかな指が魔法陣の紋様をするするとなぞる。溜息を吐いたコンラは、椅子にもたれながら部屋のあちこちに右人差し指を向けては<音波>魔術をやたらめったらに撃ちまくっていた。

 見えず聞こえない音波は室内を跳ね回り、軽いコップを僅かに振動させている。

 手も触れずに震え出したコップは、ナタリアにあの夜の”声”の咆哮を思い出させた。

 

『エコーロケーションだな。コウモリみたいな事を考える女だ。どうする?原理は俺が知ってるからもしかすれば、手柄を横取り出来るかも知れねーぞ?なにしろこいつの求める日と夜の二重属性がお前にはあるんだからな。開発速度で劣ることもないだろう』


「……そんなことをわしがやると本気で思っておるのか?正当な権利が横合いから浚われる辛さはよく理解しておる。幾ら名を挙げるためとはいえ、そこまで落ちぶれてはおらぬわ」


『お人好しめ。だがまぁ予想はしていた』


「じゃが――それとは別に講義は受けておこうかの。コンラ殿も執心の術式問題のヒントが与えられれば、もっと協力的になってくれるじゃろうて」


『そうかぁ?むしろこういうタイプはなおさら熱中してしまって、他の用事を忘却してしまうタイプだと思うがな』


 不承不承といった体の”声”の講義は案外丁寧なものだった。あまり怪しまれないようにナタリアからの質問は殆ど無い一方的な解説だったが随分為になった。

 子供のようにあちこちに<音波>を放つゲームに熱中しているコンラは脇でこそこそ会話をしているのに全く気づく素振りさえ無かった。完全に自分の世界に没入している。

”声”の分析は当たっていたようだ。コンラを気にするのはやめにして、堂々と”声”と会話する。


「波、というのは例えば水盆の波紋と同じものなのじゃな?」


『解釈としては大雑把過ぎるがな。もっと言えば波動というのは振動運動から生まれるものだ。で、振動運動が何から生まれるかといえば、復元力。弾性を持つとか、元に戻ろうとする力が働くならば振動運動に至る』


「音のが波だというのなら、音も振動して復元力?を持つというのか」


『その通り。これは簡単に確かめられる。目に見える形でな。弦楽器を見たことはあるだろ?』


「が、楽器か……。軍楽隊には知り合いはいないしのぅ」


『楽器もメジャーじゃねぇのかよ……』


「そ、そんな事はないわい。打楽器ならば院の近くの村の収穫祭で何個も見たわい」


『落ち着けよ、口調が変になっているぞ』


「うっ。すまぬ」


『まぁいい。調律とか細かい事は関係ないんだ。一本の張り詰めた弦さえあればいい』


  ナタリアが室内を見渡すと、背の高い食器棚の中にぎゅうぎゅう詰めにされた、実験器具の数々が目に入った。


「のぅ、コンラ殿。あれを見せてもらっても構わんか?」


 その混沌具合は筆舌に尽くし難く、弦になりそうな糸の一本や二本平気で眠っていそうな気配がしたのだ。

 あちこちに<音波>を当てて遊んでいるようなコンラは、実は暇を持て余していたらしく、食い気味で振り向いた。


「あれらはナタリアちゃんがやって来るから、って昨日のうちに急いで片付けた私の仕事道具なんだけど。何?興味あるんですか?」


『むしろ、人が来るから片付けるなんて常識的な考えが、こいつにできたことが驚きだぜ』


 ”声”が結構失礼なことを言っている。コンラに対してだけ、やけに辛辣な気がする。

 昔嫌な思い出でもあったのだろうか?

 悪魔に思い出があるのかは知らないけれど。


「弦を作りたいのじゃ。紐、出来れば糸。それと固定する器具が使いたい」


「ふっふーん。固定するのはハサミでいいですよね。糸は確か道具袋の口を縛っているのが一本あったはず」


『魔術師って職も懐が深いよな。こっちの世界でいえば、科学者、発明家、学者なんてまっとうなものから、遊説家みたいなのとか手品師なんて胡散臭いのまでいる』


「……庶民が出世するためには、魔術師になる以外に道がないからのぅ。本を読んで魔術を学んで、出世を夢見る。わしだって師父様に拾ってもらわなければ、そんな山師の一人だったのじゃろう」


 コンラがごそごそと棚を漁り始めたのをいい事に、ナタリアは小声で答えた。上半身を半分ほど棚の中に突っ込んでいるコンラはやはり全く気付かない。

 楽しそうに鼻歌を歌いながら、旅行に使えるような丈夫な道具袋を取り出した。

 

「ほほいのほい、っと」


 糸を引き抜き、ピンチのようなもので両端を机に固定する。


『弦を弾いてみろ。単振動と呼ばれる最も基本的な振動が観測できる。見えにくいなら、<超感覚>でも使えば足しになるかもな」


 ”声”は魔術の作用を正しく理解出来ているわけではないから、最後の付けたしは自信なさげな声色だった。

 それでもナタリアは言われた通り、感覚を強化しながら弦を注視する。

 指の先で、演奏の心得などなくても、はじくだけならできる。

 ビンッ。

 ブルブルと震える一本の弦。ナタリアはもちろんだが、何をやるのか興味津々のコンラもじっと弦を観察していた。


「あ……!」


 高速で振動する弦は、いつの間にか不思議なことに、ほぼ同じ幅を持つ四つ半の波に収束して行った。

 こんな光景を奏者は毎日見てきたのだろうか。弦楽器の奏者の中に一端の魔術師がいれば、この現象にもフォーカスが当てられていたのかもしれない。


「ふーん。ふーんふーんふーん。そっか、そうなんだ。聡いって言葉じゃ足りない子だね」


 流石に何年も<音波>魔術を研究してきて、音という現象の本質に迫りつつあったコンラは納得が早かった。


「重なり合い、複雑に――基本は単純でも、組み合わせは無数……」


『媒介となった空気が何度も圧縮されることで、疎密波が発生。空気を押し固めれば、もとに戻ろうとするだろ?それが復元力になる』


 確かに<風槌>を使って空気の壁を作った後、術式を解除した時、反動で風が発生する。抑えこまれた反動で結構な風が吹きすさぶのだ。

 ”声”の言うことは、荒唐無稽というわけでは決してなかった。


『波の特徴はいくつかある。反射・屈折・回析・干渉。こいつのやろうとしているエコーロケーションは干渉を受ける前の純粋な単一波長を発信して、その際立った反射波を観測する原理だろうな。――やろうと思えば電磁波でも同じことが出来る』


 ナタリアたちが開発しようと目論んでいる<レーザー>という術式は、一定の光を増幅し照射することで、対象を焼き切る術である。”声”の言われるままに幽議会でのハッタリとして用意していたものだ。

 ナタリアは”一定の光”について、光量――つまり明るさが一定だと考えていたのだが、一定の範囲には光の波長も含まれていた。波長は一定でさえあれば、何も可視光線である必然性もなく、”声”が計画していたのはマイクロ波を利用した俗にいうメーザーだった。マイクロ波を魔術によって発生させられるようになれば、調理器具などへの転用も可能だと目算を立てていたのだ。


 光に関係する術式を重視する方針を打ち出したのは”声”だった。彼の故郷では目に見えない電波が空を無数に飛び交っているらしい。

 

 そもそも目に見えない光というものさえよく想像できないナタリアにはいまいちその凄さが分からなかったのだが。

 

 結局出勤初日は、研究は一歩も進展しなかった。

 世話役のコンラが自分の世界に入り込んでしまったのもあるし、”声”とナタリアの間に深刻な認識の差異があり、それを解消するのに苦労したのもある。

 先行きの見えない魔術開発。けれどナタリアはそれほど不安を感じていなかった。むしろ楽しんでさえいた。何も知らなかった孤児の自分は師父と出会い、少しづつ物事を知っていった。成長と前進を実感する日々。

 あの頃の忙しくも充実した思い出が、今の自分を支えている。

 それが分かるから、挫けることはない。

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