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師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
犬、猿、雉
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12/64

11枕戈待旦の幽議会(下)

 帝国の行く末を決める三つの権力機構の代表がそこには集まっていた。

 

 大賢者の死に関する話し合いともなれば、これくらいの位の人間が慌てる程の事件だ。

 なにせ位人臣を極めた偉大なる賢者。しかも実力的にも世界最高を名乗るに文句はなし。他国と帝国のランクを隔絶したものとする一つのファクターとも呼べる程の重要人物なのだ。

 皇族が皇帝派閥の代表として駆り出されるほどの国家の大事であることに、列席者全員が頷くことだろう。


 皇帝閥、貴族閥、軍部。

 それぞれ異なる種類の”ちから”を手にする勢力は、時に協力し合い、時に反目しながらも、帝国の三柱として国家を支えてきた。

 しかしそれも過去の話。過ぎた栄華は今や色あせて見える。

 腐敗した人事は組織のつつがない血流を妨げ、組織の硬直化を招いた。

 斜陽の巨竜は朽ちた身体を、せめての健康な部分で補い無理矢理に働かされている。

 

 あるいは、帝国を支えていた大賢者の死から来る、この混乱と混迷こそが、帝国が滅びへの螺旋階段を駆け下りる第一歩なのかもしれなかった。


「僭越ながら議会の進行役は私、サラーリア侯爵家当主エドモンド・コルネリウス・サラーリアが務めさせていただきます」


 守銭奴とも揶揄される大貴族だが、その経済手腕は確かで帝国の国庫に一番多くの税を納めているのは彼だ。当然、国内での発言権は強く、皇帝でさえ彼には気後れするという。

 髭油を塗って綺麗に整えられたカイゼル髭が特徴のない彼の凡庸な素顔を、非凡たらしめていた。こざっぱりとした貴族らしからぬ服装は、初対面の相手に好印象を与えこそすれ、決してマイナスには働かないだろう。


 三勢力の衝突を暗示するかのように、三角形に区切られた議会場の中央部の演壇に立った進行役は自己紹介を終えてから、厳かに議題を発表した。


「ご存知のことかとは思いますが、まず悲しい発表をしなければなりません。我らが帝国をその深奥なる智謀によって導いてきた世界最高の魔術師。神々に愛された三重属性(トリニティ)。大賢者ファーレーン殿が先日、病により逝去なされました。黙祷をもって彼の死を悼みましょう」


 誰もが沈痛な表情だった。心底から悲しむものもいたし、周りに合わせて仮面を被っているだけのものも居た。純粋に帝国の損失を計算して、合理的に悲しんだ政治家がいれば、疎ましく思っていた相手の思わぬ死に暗く喜ぶ策謀家も隠れていた。

 混沌とした様々な思惑が、一分間の黙祷には込められていた。

 

 三つの権力機構からは、それぞれ代表として三名前後の人員が送られていた。

 場の参加者は合計で十人。貴族側から四人、皇帝閥から三人、軍部からも同じく三名。

 証人として喚問されているレヴィは、まだ姿が見えない。別室で呼び出されるまで待機させられているのだろう。

 誰も己に気づかないのを良いことに、じっくりと場の面々を観察する。

 

 一際目を引いたのは、軍部の席の端に座っていた道化師のような男だった。

 フェイスペイントだろうか。目の周りには真っ赤な染料がごてごて塗られていて、化粧と言い張れるレベルではない。服装も奇抜で、左右対称(シンメトリー)である事が、まるで罪であるかのような、徹底的なまでの左右非対称(アシンメトリー)の出で立ちだ。例を挙げれば、左腕は手首まである長袖なのに、右腕は袖がなくはだけられているせいで胸板まで見えている。その上、露出した右腕には悪趣味な蛇のタトゥーが彫られていた。

 奇抜過ぎて、明らかに場の雰囲気から浮いている道化師は、同じ閥であるはずの軍部の二人からも距離を置かれていた。将軍は仏頂面で我慢しているからいいとして、彼の副官はひそひそと上官に耳打ちまでしている。

 これだけ煙たがられているのに、追い出されないということが余計彼の存在を謎めかせている。

 彼の口元にはヘラヘラとした笑みが浮かんでいて、表面上でも追悼の意を取り繕う貴族たちと違い、これっぽっちも大賢者に思い入れがないようだ。

 

 味方からも敬遠――いや、引かれている要注意人物としてマークしておく。


 翻って、落ち着いた存在感を漂わせる皇族側の席。中心となるのはもちろん皇族。

 彼は両側に自己主張の薄い付き人を従わせている。帝国の危機に連夜眠れていないせいで、目にくまができている疲れた男性だ。薄くなった頭にはポツポツと若白髪が目立つ。年齢的に皇太子か、あるいはその兄弟だろう。情報収集をしたといっても、さすがに皇太子の尊顔まで盗み聞き出来るはずもない。

 彼も周囲と同じく面をうつむかせて、辛そうにしていた。

 

 剣となり杖となりボディガードとなるべき従者は、ただ主人と同じ仕草で会に臨んでいる。あくまで彼らは裏方に徹するつもりなのだろう。彼らの首に巻かれたお揃いのファッションのような黒いスカーフの意味をそう判じる。

 主従は静かに黙祷を捧げているようだった。――少なくとも、見た限りでは。


 残るは貴族席。最多の四人がそこにはいた。司会を務めている進行役を除けば、他陣営と同数の三名になるが、そもそも進行役に自勢力の人間を送り込める段階で、この議会が彼らの主導であろうことは明々白々だ。

 三人うち、真ん中に座る黒衣の男だけは知っている。進行役のサラーリア侯爵程ではないが、領地持ちの力ある貴族だ。

 マグニ・グルンドストレーム。調べた通り、瞼のほくろが彼の表情を眠たげに見せているが、捕食者のような鋭い目つきがその裏に隠されている。要注意どころか、今最も警戒している敵の一人だ。

 右隣はサラーリア侯爵の腰巾着であるお飾りの貴族。あまり有名ではない官僚タイプの貴族である。

 左隣はぶくぶくと肥え太った大柄な男、ロリコム伯爵。大賢者の生前ナタリアと懇意にしていたという話を聞いたことがある。万分の一の確率で、味方に付いてくれるかもしれない人物だ。十中八九は潜在的な敵だろうが。

 

 彼らもやはり眉を顰めて悲しげな表情を作っている。真意は不明、注意しておくに越したことはない。


 三者三様の顔で、三つの勢力は互いに互いを牽制しあっていた。とても死人を悼むような空気ではない。ある意味で殺伐とした、相応しくない空間で幽議会は進められる。

 そうするうちに黙祷が終わり、次々に顔が上がっていく。


「今日の議題は皆様ご存知かと思いますが、偉大なる大賢者様の死を発表するのかどうか、発表するのだとしたらいつ、どこでどうやって、誰に発表するのか、と彼の死にまつわる全てについてでございます」


「もちろん、公表など出来るはずがありません。彼は国家の重鎮。軽々しく彼の死を発表すれば、混乱は免れますまい」


 口火を切ったのは、やはりというべきか黒衣の貴族――グルンドストレーム伯爵だった。進行役が口を開くタイミングを見計らっていたかのような淀みない言葉は、出来レースを思わせる。


「我々軍としても、無闇矢鱈な公表は避けて頂きたいですな。少なくとも猶予は頂きたい。現在国境付近の警備は手薄です。この状態で王国や他国に弱みを見せようものならば、彼らの侵略行為を誘発しかねない。極めて危険な情勢だと申し上げます」


 誰に言うでもなく、空に向かって大柄の将軍が声を張り上げた。まるで目の前の聴衆は相手にしていないかのように、無人の空間に語りかける。貴族席も皇族席もその露骨なアピールに少し気分を害したようだった。

 実権はどうあれ、名目上は国軍の最高司令官は皇帝であり、禁軍の将軍はその命令系統に属している。皇太子はともかくとして、貴族などに従う義理はないと、主張を通せる立場ではあるのだ。協調するに越したことはないが、帝国を守護する軍人としてのプライドが、開催を単独で決定した貴族への悪感情を生んでいたのだ。

 彼の精一杯の抵抗が、己の意見を上奏文という形で提示するという子供の我儘のような行動だったのである。


「もちろん、陛下にはお伝えせねばなりません。そのことは賢明な皆様ならばお分かりでしょう」


「えぇ、それは前提ですな」


 白髪の疲れた皇太子が重々しい声で宣言した。現在親征中の皇帝に代わって政務を一部代行する彼は確たるナンバー2ではないにせよ、それに極めて近しい存在だ。これで彼の言葉が、道理をわきまえない支離滅裂な意見なら黙殺されていたかも知れないが、そうではない。妥当な意見は誰も無視できず、追従するように貴族席のグルンドストレーム伯爵が同意を示した。


「早馬は飛ばしております。……が何分遠方への出征です。時間がかかるでしょうな」


 進行役のサラーリア侯爵が溜息を付いた。反乱軍を討伐するだけの簡単なはずの戦争に長期間巻き込まれている皇帝の身を案じているようで居て、その実戦争を早期に収束させられない将軍に嫌味を言っているのだ。言外に含ませた悪意は、海千山千のサラーリア侯爵にとっては日常茶飯事で、悪いとすら思っていない。

 将軍は将軍で、自身が出陣していないのだから、責任もないと意地を張って進行役を見ようともしない。頑なに宙空を睨みつけている。

 まさに、斜陽の帝国の惨状が端的に示される宮廷闘争という奴だった。


「大体結論は出ましたな。――皇帝陛下が蛮族に勝利して、凱旋なされた後、改めて処置をお伺いするのがよろしいでしょう」


 無難な決定に一同が頷いた。ただ道化師の男だけは、興味なさそうに右側の伸ばしたもみあげの毛をくるくると弄り回している。無礼な態度に周囲の眼は冷たいものに変わっていくというのに、道化師は意に介さない。

 ある意味、強心臓の持ち主だった。


 会議は一段階進み、大賢者の死による益と損を勘案する段階に入った。


「遺産についてですが、我々軍部は魔術研究の資料を要求します。国益を考えればそれが一番よい選択でしょう」

 

 金銭で死を計算するやりとりには、生理的嫌悪感が付き纏う。

 

「公益のために尽くしたお方です。その遺産も国の為に使われてこそ浮かばれるというものです」

 

 欲望が人々の表情を醜く変えて、人を人あらざるものに変えていく。


「その点については、皆様異論は無いでしょう。話し合うべきは、どなたが遺産を受け継げば、最も国益に叶うかということです」


「……皇族の国庫に歴史的価値を持つ物として保管するのはどうだろうか?」


「さすがは殿下、慧眼です。特に緊急を要しないものについては、厳重に保管するのがよろしいでしょう。後の世に名を伝えるには、彼のような人物こそが相応しい。代わりに喫緊を要するものについては、分配するのが妥当でしょうな。予算の赤字補填に使用すれば、国益に十分資すると思いますが」


「売却すれば、継続的利益を生むはずの物を安値で買い叩かれるぞ。却下だ却下」


「軍事的に情報は独占してこそ価値が有るのです。くれぐれも民間に流出して、他国の手に渡ることのないように、細心の注意をお願いしますよ」


 もはや大賢者の死をほんとうの意味で悼む者は居なかった。

 

 でも、どうしようもない。透明な身体では手出しの一つ出来やしない。

 抗いようもなく粛々と会議は進んだ――






『そんな感じだ』


 別室で待機していたナタリアのもとに偵察に出ていた”声”が帰ってきた。

 聞くに目的の男はどうやら厚かましくも会議に参加しているらしい。


「っ。ここが正念場、じゃな」


 瞼を閉じたナタリアは、自己暗示のように言い聞かせると、カッと目を見開いた。

 手の平に滲んだ汗を拭き取る。

 最後にもう一度、己の姿を鏡で確認した。

 何も問題はない。大丈夫な筈だ。


 身に纏うのは目立たないような土色のローブ。大人用の一番小さいサイズだが、まだまだ身体の出来ていないナタリアにはブカブカだった。

 大きく開いた首周りと、袖口からは本来なら眩しい素肌が垣間見えるはずだ。

 けれど本来であれば肌が見えていたであろう空間には、無明の闇が潜んでいる。影になっているようにも見えるその暗闇は、不埒な視線を確実にシャットアウトしていた。

 小細工がうまく機能しているのを確認してから、鏡から目を切る。

 

 控室にはナタリア以外にもレヴィ以下十人程の人間が居た。

 頭脳明晰な医務官から、頭の悪そうな人足まで、社会の各層から抽出したようにそのタイプはバラバラだ。彼ら集められた人間の共通点は唯一つ。大賢者の死を知っている、ということだ。

 レヴィの部下の紅雀隊の隊員も三人その中に混じっていた。幸いというべきか、大賢者の死に居合わせた三人は宿でいきなり攻撃してきた二人の隊員とは別人だ。

 衛兵も含む、全員が今から何が起こるのかと気が気ではない。指の爪をかんでみたり、足を無意識に揺すっていたり。緊張感をなんとか紛らわせようと努力していた。


 その緊張のさなかにレヴィとナタリアも溶け込んでいた。偵察に行った”声”の報告をナタリアが目線で伝えると、レヴィは微かに頷いた。

 予想通り、思惑通りに事態が進んでいるとはいえ、ナタリアの緊張は解けない。


「禁軍上十二衛、紅雀隊隊長ヘイルダム・ダールクヴィスト様。こちらへ」


 場の人間の中で最も上位だったレヴィが、案内の兵士に召喚された。

 椅子に座っていた甲冑姿の魔法剣士は、背筋を伸ばしたまま堂々と立ち上がった。

 上背のあるレヴィは、屈強な兵士と並んでも見劣りしないどころか、際立って見えるほどのの女丈夫である。レヴィが立ち上がると、周囲の人間が無意識に一歩引いたような幻覚さえ見える。


 待機所の唯一の出口に向かってレヴィは進んだ。案内の兵士は彼女の勇名を知ってか知らずか、少々ぎこちない動きで先導する。

 部屋を出る寸前、レヴィの仮面越しの目配せが確かに見えた。

 静かに立ち上がったナタリアは、レヴィの後ろを追いかけた。<沈黙>で足音は消している上に、ナタリアの小さな身体はレヴィの影に隠れていて案内役の兵士からは全く見えない。

 ナタリアが付いて来ていることに気づかないまま、案内役は廊下を進んでいく。

 ナタリアに気づかなかったのはあくまでも、案内役の不注意であって、別に隠れているわけではない。変にこそこそせずに堂々と歩いているのだから。


 ――見つかれば、そう強弁するつもりだった。

 

 幸いにも緊張する案内役は、ぎこちない足取りを自然に見せることで頭がいっぱいで、後方への注意が疎かだった。誰にも気づかれることなく、ナタリアは議会場に到着する。


「ヘイルダム・ダールクヴィスト様です!」


 案内役の最後の役目だ。

 声を張り上げた兵士は、満足そうな表情をしていた。

 

 扉をくぐる直前、ナタリアは小道具の最終確認を行う。何も問題はない筈だ。


「入れ」


 冷厳たる声に導かれ、レヴィとナタリアは室内に入った。

 なんらかの魔具による防諜対策だろう。透明な膜を透過した感触がナタリアには感じられた。レヴィはそれには気づいていないようで、特に鋭敏な知覚を持つ夜属性の術者のみ辛うじて感知できる程度の違和感だった。

 レヴィの大きな身体の影に身を潜めつつ、素早く室内の様子を観察する。

 出入口が部屋の床よりも一段低いところにあったため、入った場所から動かなければ全体を見渡すことが出来ない構造になっていた。


 籠城するとすれば、さぞ守りやすい構造だろう、と”声”の報告で聞いていたから心構えはできていた。

 

 制限された視界から見えるのは、光沢のない円蓋と三方に見える幾つもの座席。


「禁軍上十二衛紅雀隊隊長ヘイルダム・ダールクヴィストです」


 段差を昇り、格好よく敬礼を決めてみせたレヴィの華々しさに、聴衆の視線が一点に集まる。

 いつの間に兜を脱いでいたのだろう?

 紅蓮の髪はまるで天使のハイロゥのように光り輝き、神々しくも溢れんばかり。端正な顔立ちと美声が相まって耳目を集めるに十分な美しさだ。


 光があれば陰がある。

 光輪の影には、地味な色合いのローブを着けたナタリアがいた。

 光に注意を引かれた人々は、すぐにはナタリアの存在に気付けない。観衆の注意の力点を誘導する。手品師がよくやる簡単な手だ。

 意識の影から聴衆を見渡す。見たことのない顔ばかりだが、その中に知った顔もあった。

 ”声”の報告を思い出しながら、貴族席を注視する。

 

 三人の貴族。

 以前からの顔見知りと、小者と、――敵だ。

 

 ナタリアの幽議会に向けた準備の一つが、襲撃事件の調査だった。

 とはいえゼディアールヴ男爵による強奪事件を調べたのではない。あれは公にはなかったことになっているし、無理押ししても大した成果は上がらないだろう。冷徹で周到なゼディアールヴ男爵の手腕だ。関係ありそうで的はずれなブラフを掴まされて時間を浪費させられるのが関の山。

 だから巧者の計画した完璧な襲撃事件には見切りをつけた。

 焦点はもう一つの襲撃事件。その手口があまりにも杜撰で、当たり前に失敗に終わった方の事件。

 オデオンの店の近辺で、ナタリアはゴロツキに絡まれた。

 それが偶然か否か。

 半ば賭けに近かったのだが、ナタリアは分の悪い賭けには慣れている。”声”の提案を即断し、レヴィに官憲としての協力を要請。事件の容疑者を逮捕する事に成功したのが一昨日。


 荒っぽい紅雀隊の方々にご協力頂いて、彼らから背後関係を吐かせることに成功。

 根性なしばかりで、すぐに雇い主を教えてもらえたのは幸運だった。そこから芋づる式に上へと命令系統を辿っていく。やがて辿り着いた先は、とある貴族の家宰の名前だった。

 その貴族、グルンドストレーム家が今回の件に無関係ということは考えづらい。仮想敵としてグルンドストレーム家を想定。情報収集の密度を上げた。

 今貴族席に悠々と座す一人の男こそが、当代グルンドストレーム家当主のマグニ・グルンドストレーム。今でこそレヴィの光輝に目を奪われだらしない顔を晒しているが、状況が状況ならきっとさぞ邪悪な笑みを浮かべるのだろう。

 

 残る二人は、ナタリアによく飴を与えてくれたロリコム伯爵と、名も知らないサラーリア侯爵の腰巾着の弱小貴族。

 いっそ怨敵であるゼディアールヴ男爵が直接出席していればよかったのだが、あの事件が揉み消されている以上、彼は無関係なただの亡命貴族でしかなく、これほどの重要会議に出席を許されるわけもない。


 ナタリアが敵対者の存在を確認した頃、レヴィの魔的な魅力も効果が薄れてきて、人々の注意が分散してくる。そうなってくると何時までもナタリアも影に潜んでいるわけにはいかなくて……


「む、なんだね。そこの子供は」


 最初に声を上げたのは、疲れた顔の皇太子だった。性欲さえ枯れ果てたような男は、レヴィの色香に惑わされることなく、絵画の一つを眺めているような気のない注視をしていたらしい。従って視線を惹かれる時間も短く、ごくごく早期にナタリアを発見できたのだ。

 仮にも皇太子の発言だ。誰もが無視することなど出来ず、ナタリアの存在は瞬く間に明らかにされた。


「ヘイルダム・ダールクヴィスト!!君が連れてきたのかね?一体何処の誰だ。そのように薄汚い子供をこのように高貴なる場に持ち込んで良いと思っているのかね?」


 鼻につくしゃべり方のグルンドストレーム伯爵が、居丈高に叫ぶ。雲上人の癇癪をレヴィは恥じ入ることなく、堂々と受け止める。予めこれぐらいは覚悟していたから、なんてことはないのだ。

 事情を知らぬ彼らからすれば、レヴィの振る舞いは余程度胸が座っているように見えるのかもしれないが。


「はっ。どうやら私の後に付いて来ていたようです。恥ずかしながら気付きませんでした。ですが、彼女の事はよく知っています。彼女はこの幽議会に参加する正当な権利を持つ後継者――」


 あからさまな嘘を堂々と吐いたレヴィは更に言葉を続ける。


「彼女こそが、大賢者様に認められた世界でただ一人の魔術師。最初にして最後の愛弟子。ナタリア・ファーレーンなのですから」


 微かに、けれど確かに聴衆はどよめいた。

 レヴィの紹介が衝撃的だったからだけではない。タイミングを合わせてナタリアが粗末なローブを脱ぎ去ったからだ。

 切込みを入れて脱ぎやすくしたローブを剥ぎ取れば、内側にあったのは、黒い靄。白い素肌の表面は薄い黒煙が、邪な視線を跳ね除けるように這っている。

 蛇の夜に蠢く黒い触手は、ナタリアの意思に従って自由自在に揺れ動く。まるで、聖邪の境で揺蕩う天使の裸婦像の如き、倒錯した妖しき美。


 そして一瞬の停滞の後、黒い霞が爆発した。

 爆発四散した黒いヴェールから姿を現したのは、天女と見紛うばかりの衣装。幼さからくる貧相な身体をフォローするような大胆な切れ込みからは、珠のような柔肌が見え隠れする。

 レヴィが燃え盛る太陽の輝きだとすれば、静かに光る太陰(つき)の輝きを見せる少女がそこにいた。

 

 予期せぬ美の登場には、皇太子ですら眼を丸くしている。大枚はたいて衣装を特注したかいがあった。

 驚愕する一同の中で、ニヤニヤと笑う道化師の姿だけが異質だった。


「ご紹介に預りました、ナタリア・ファーレーンでございます。お見知り置きを」


 計算された角度で頭を下げるナタリアの姿は、洗練された美を秘めていて思わず嘆息したくなるほどのものだった。

 敵意を隠そうともしなかった貴族席も、毒気を抜かれたように呆然としている。


「師父の死を悼む会が開かれていると聞き及び、遅れ馳せながら参上いたしました。皆様、師父の為にご集まり頂き誠に有難く存じます」


 実はレヴィを呼ぶ前までは、遺産の奪い合いをしていたなどと、口が裂けても言えるわけがない。この純真無垢を体現したような人離れした乙女に。

 聴衆の顔は羞恥で赤くなっていた。罪悪感を刺激されて、俯く者もいた。

 そんな中――


「大賢者様にお弟子がいたという記録はありませんなぁ」


 腰巾着の貴族がずり下がった眼鏡をくいと押し上げながら、小さな声で呟いた。

 手元の書類をぱらぱらとめくり、独り言のよう呟きだった。とはいえ、場は厳かな静寂に包まれていた。

 空気の読まない彼の発言は、声量に反してよく通った。


「あぁ、いえ。私は大賢者様に面識が無いものでして。あくまで資料を読み取る限り、ですが。なにせ、後継者の方がいるとなると、遺産配分も随分と変更しなければならないと思いますので。――ちょっと計算してみます」


 最後の一言はぼそぼそとした呟きで、殆ど聞き取れては居なかった。聴衆もそこに興味はなかった。彼らの心に波紋を呼んだのは、”遺産配分”の言葉だった。

 直前まで遺産について、各々の主張をぶつけ合っていたのだから、ある意味で言葉が染み込みやすい下地はできていたといえる。

 ナタリアたちが腰巾着と侮っていた冴えない弱小貴族は、己が起こした大風にはまるで気にした様子はなく、楽しそうに紙面を繰りながら、再計算を始めていた。調査不足のナタリアは知らぬことだが、数字中毒で有名な彼は帝国最大の経済圏を持つサラーリア侯爵の経済顧問を務めていたのだ。計算している時間が幸せという変わり者が、ただただ計算する機会が増えると思って、ナタリアという後継者の登場を歓迎していたのだが、他の貴族や軍部はそれほどお気楽な脳構造をしていなかった。


 軍部の動きは早かった。

 騎馬隊を主戦力とする帝国軍は、魔術開発で王国相手に大きく後れを取っている。魔術師の相互協力組織――魔術ギルドは王国に本拠を置いているし、魔術師唯一の学校のユニ・ソルシエール学園も王都の膝下にある。敵国から魔術面で主導権を取り返そうと焦る軍部は、大賢者の魔術研究遺産を大いに当てにしていた。

 なにしろ世界最高の魔術師だ。有象無象のユニ・ソルシエールの魔術師が束になっても彼一人の研究には比肩しないだろう、と過度な期待をかけていたのだ。

 垂涎の研究成果が、どこの馬の骨とも知れぬ子供に掻っ攫われそうになっているのだ。平静でいられるはずがなかった。


「――本物か?いや、そもそも大賢者様にはお弟子は居られたのか?何度かお会いしたことがあるが、私は一度も見たことがありません」


 血走った眼をした将軍補佐の副官が震える声で口火を切った。


「んな!?」


 驚いたのはレヴィである。事前にナタリアと打ち合わせをして、最も劇的な登場になるように計算していたのだ。練りに練った演出を、まさか遠い上司に根底から否定されるとは思わなかったのだ。


「か、閣下!何を……」


 レヴィの驚愕を受け流したのは、遺産の皮算用をしていた将軍だ。彼にも立場がある。例え一人の少女の人生を踏みにじったとしても、成果を持ち帰る義務があるのだ。ボウズですごすご帰るなど部下にも同僚にも顔向け出来ない。


「ヘイルダム・ダールクヴィスト!少し静かにし給え。そもそも君は何故ここに呼ばれたのかを理解しているのかね?」


「い、いえ」


「君に求められているのは、今際の際に大賢者様を見送った者としての証言能力のみだ。それ以上の発言は軍令違反とみなすぞ」


『腐ってんなぁ。軍に近づかなくて正着手だったぜ……』


 輝き溶かさんばかりだった日輪の輝きはくすんだ。

 醜悪な欲望は黒々としたそれを太陽に翳し、そのあまねく光を妨害しようとしていた。

 将軍の強気な発言に後押しされて、貴族席からも品のない野次が飛ぶ。唯一皇族席だけは同情的な視線を向けていたが、それ以上の助け舟はない。

 打ちのめされるレヴィの背中を見ながら、ナタリアは悔しさに歯ぎしりしたくなる。助けはない。同情の気持ちだけでは、何も救われない。

 そんな曖昧なもの、無いのと同じだ。


『早まんなよ?まだ反撃の機は残されてる。客観的に考えて、まあ今のところ連中の言い分は正しい。書類至上主義は気に入らねえが、ガキの記録が無いってのなら、その正当性を口先だけで認めさせるなんてのは無理な話だ。かといって証拠を出せば解決するもんでもない。いいか、大事なのはタイミングだ。計画を忘れるんじゃねぇぞ』


 ”声”の冷静な言葉でなんとか昂ぶりを静める。

 冷静に目前の状況を把握し直す。

 

 積極的敵対とでも呼ぶべきが、貴族連中だ。物理的手段でナタリアの排斥を目論んだ彼らとは妥協の余地はない。

 消極的敵対が軍部。彼らは純粋に利益だけを追い求めている。いや、商人ではないからもう少し違った視点も持っているのだろうが、この場でほの見える彼らのパーソナリティはそれだ。その意図を介さない異物と言うべき変人も一人、混ざっているようだが、彼らは基本的に取り分が減ることを恐れている。その事情を考慮にいれれば、懐柔も不可能ではない。

 中立が皇族席。それはそうだ。大賢者というのは皇帝の相談役。必然的に皇帝の家族に接する機会も増える。きっと目の前の皇太子も大賢者と面識があったのだろう。そこでももしかするとナタリアの話を聞いたことがあるのかもしれない。こちらに対して同情的な理由はそれくらいしか思いつかなかった。

 

 三つの勢力の力は拮抗しているわけではない。しかし歪な均衡を保っている。

 其処に付け込めれば勝算はある。作戦には少しほころびが見え始めているが、事前の計画通りに進められれば、まだなんとか。たとえ壊れかけでも全く動かないというわけではない。

 ナタリアが残る手札の枚数を再確認し、反転攻勢にでようとした時だった。

 場の空気はまだまだナタリアの敵のままなのだ。


「部外者は出て行ってもらいましょう」


「その通りですな、不法侵入を許すわけにはならない。我々が召喚したのは、ヘイルダム・ダールクヴィスト一名のみなのですから」


 其処を言われると痛かった。

 正論を振りかざす貴族たちと将軍補佐は、声高にナタリアの退出を主張する。

 縋るような視線を皇太子に向ければ――


「そう、だな。彼女が未だ大賢者の弟子であると証明出来ぬまま、この場に残ることを許す訳にはいかない。ここは一度退出させ、後日改めてその言を真偽を調査するのが、妥当だろう」


 疲れた色に、諦観の色も混じった陰気な顔で皇太子が宣言した。

 それを受けて、進行役のサラーリア侯爵もナタリアを見下ろし、


「そうですな。彼女が大賢者様の弟子であろうがなかろうが。我々が召喚したのは、証言を求めたヘイルダム・ダールクヴィスト一人。ここは一度出直すのが筋でしょうな。出て行きなさい」


「ま、待っっ――」


 彼が顎をしゃくると、それをきっかけにナタリアの耳は音を拾わなくなった。

 静寂の世界で、心拍音だけは逆にはっきりと聞こえる。耳が音に敏感になったせいか、身動ぎで発生した骨の軋む音や筋肉の収縮音まで聞こえてくる気がする。

 前提知識がないままで、この技を使われていれば軽いパニックを起こしたかもしれない。


 ――夜属性魔術<沈黙>。

 

 空間内で発生した音が逃げ去るのを縫い止めて、外に逃さない。吸収してしまう魔術だ。ナタリアも覚えている術式だから何度も自分で使ったことがあるし、実体験も豊富だ。

 全身が<沈黙>の領域で覆われてしまい、伝声が困難になっていることにすぐさま気づく。

 迂闊だった。サラーリア侯爵が商売上手だという情報から、彼が思考能力に優れた夜属性だと見抜けたはずなのに。いや、彼がこの術を発動していると早合点するのは良くない。<沈黙>は基本的に自身を中心として領域を展開する魔術だ。術者自身も声を出せなくなる副作用がある。声を出さねばならない司会役が使うにしては、不的確な魔術のはずだ。

 ――ならば、どこから……

 

 沈黙の海から無理に逃れようとすれば、相当無様な醜態を晒すことになるだろう。折角特別な服を仕立てて演出した神秘性が霧消してしまう。そんな躊躇の隙はあまりにも大きすぎた。

 

「出て行け」


 冷酷な表情を見せたサラーリア侯爵が、口の動きだけでそう言っている。

 

『っ!後ろだっ!!』


 沈黙を切り裂く”声”の警告は間に合わなかった。

 サラーリア侯爵の唇に気を取られていた隙に、ナタリアは後方から走ってきた二人の兵士に羽交い絞めにされる。

 <沈黙>の領域に踏み込んだ彼らの足音は消えていて、気づくことが出来なかった。

 というより、彼らが夜属性の術者だろう。真後ろに近づかれているのに、足音も気配も感じなかった。

 問答無用、とばかりにナタリアは引っ立てられる。こんな罪人のような辱めを受ければ、計画が水泡に帰してしまう。危惧と焦りが結合して、そうしようもなく心がざわつく。

 魔術による制圧、反撃さえ視野に入れた時、ふと”声”の言葉が脳内に響いた。


『ま、待て。なんだ、これは……』


 ”声”から驚愕が伝わり、ナタリアは抵抗をやめて顔を上げた。

 目に入ったのは、裏切りとはかけ離れた雄々しい後ろ姿。

 日輪の獅子。

 ナタリアには音声は聞こえないが、レヴィの身振り手振りで必死な様子が嫌でも目に入る。彼女は歴々たる面々にも怯まずに、熱弁を振るっているようだ。

 日輪が真っ赤に燃え盛り、その熱で冷たい<沈黙>の檻を溶かしていく。


 ――数分後、ナタリアは無事開放された。突然の<沈黙>魔術も既に解除された。

 

 レヴィの咄嗟の機転のおかげだった。

 これでようやく舞台に立てる。感謝は後回しだ。

 第一の――穏当な方の切り札をナタリアは使う。


 これでせめて軍部を味方につける――!

 決意を胸にナタリアは、声を張り上げた。



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