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絃ノ匣  作者: しま
第二章 「棹の部」
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熱い。冷たい。痺れる。鈍る。四方八方乱れる瘴気の渦。室内を吹き荒れる風、軋む柱。

まさしく嵐。埃交じりの風が叩きつけられる。

咄嗟に腕で顔を庇えば着物の袖がばたばたと頬を打った。

風圧で動けません。まともに息もすえない。


「伏せや!」


風の合間を裂いて届いた朱華さんの怒号。ほかの方々はどうなっているのか。とても、目を開けられる状況じゃない。


でも、一瞬ですが見えました。

夜の闇よりずっとずっと深くて、底が見えない漆黒ウルシグロ

見たことないほど禍々しい。だけど知っている色。


「す、ぐろ!」


名を呼んだのは直感です。根拠なんてありません。ですが、不思議と間違っている気はしません。それでも、室内を覆い尽くさんばかりに荒れ狂う風は相も変わらず。

届かない。通じない。なくても肌を刺す怒気と悲哀。

なぜ貴方がそんなにも怒る。そんなにも恨む。そんなにも悲しむ。

知らない。私は貴方のことを、らようにしていた。


「橘の」


間を縫って届いたのは聞き取れぬ文言。

何かしらの意味を持つ言葉の連なり。

不意に渦が乱れました。

前触れなく、呼吸が楽になる。渦を遠くに感じる。目の前に、壁ができたかのよう。見上げれば呪印を構えた柏木さんと朱華さんが近くに立っていました。


「さほど長くは持たん」


震える剣印を押し込めるように柏木さんが告げた。


「結界ぞ。一先ず閉じ込めたが」


そういう力もあるのですね、と呑気に呟いてみる。


「何、です、あの煙は」


恐れと焦りを含んだふさ江さんの声。意外と近くにいたみたいですね。

乱れまくった髪と着物を放置して、茫然と座り込んでいます。

彼女には黒煙に見えるみたいです。“そういう”のが見えてなかったふさ江さんの目にまで、映ったという事でしょう。


べん、べべん、


この状況、この光景で予想外の音。

今まで私が弾いていたどんな音よりも低く、鋭い音。


「どうして…」


誰も撥を持っていなければ、触れてもいません。そもそも、私は離れに置いてきたはずです。

なのに私の膝元で当然のように、三味線がありました。

ふさ江さんが悲鳴を上げて倒れました。

柏木さんと朱華さんは警戒を露わに構えます。


べべべん、べん、べん


全力で撥を打ち付けているような音。震えているのは一の糸。

須黒がくれた糸です。

糸が独りでに震え、連動してぴしりぴしりと何かが裂ける音がしました。

柏木さんの手が、今にも剣印が崩れそうなほど震える。


「保つかえ」

「限界だ」

「ふむ。危ういの」


朱華さんが懐に手を入れる。

何を、するつもりなのでしょう。閉じ込める以外に、何を。


「お止め下さい」


震える糸に指を添えます。

朱華さんと、もう一つの存在に向けて言いました。糸が通じているなら、届いてほしい。


「私はこれ以上、望みません」


三味線を両腕で抱えます。その重みも形も馴染んだ感触です。

まるで抗議するように腕の中で三度糸が弾けて、くぐもった音を奏で。

やがて音が途切れました。

同時に訪れるのは沈黙。


「収まった、のか」


柏木さんが手を構えたまま呟きます。

煙も嵐も立ち消えて、残ったのは物が散乱する荒れた部屋。

無音、無言、無声。


ふ、と一瞬緩んだ空気。


「辛うじて生成りであったか。苦労した甲斐のある」


橘 至時の声。彼も風にあおられた様子ですが、浮かべる表情は達成感と満足感。


「誰が何を言う。いち早く禁句を口にしおって」


木野 景保が不満を口にする。ですが、言葉と裏腹に至時と同様の顔。


「手っ取り早くていいじゃないか」

「そこのお二方」


分かってしまった。二人の顔を見たときに。


「彼を引きずり出して、何のつもりです」

「何がだ」

「答えて下さい」


ふん、と至時が鼻で嗤う。

柏木さんが一歩踏み出しました。


「橘の当主。我らも事の説明を求めたい。あなた方の企みとは」

「ことを起こしたのはあの女だ。俺はそれに乗っただけのこと」

「わしとて同様ですに」

「そもそも、事を急いだのはそこな娘が名付けなんぞをするからだ」

「どういう、ことですか」


名付け。鬼さんに須黒と名を付けたこと。彼が望んだ。

その行為が、如何したというのでしょう。

いえ、そもそも何故そのことを知っているのです。


「お前さんには関わりのねぇ話さ」


両の肩に重み。

横を見れば骨ばった青白い手が肩に乗っています。

上を見れば普段よりもさらに青白い顔。目があって、いつものように彼は笑いました。


「いるのか、そこに」


至時が顔を顰めた。

柏木さんと朱華さんは見えているはずです。ですが、怪訝な顔をする至時、翁には見えていない様子。

それが通常。日常。普段通りという事なのでしょう。


「須黒、私は…」


何かを言う前に須黒は喉の奥でくつりと笑んだ。


「お前さんはあっしを帰そうとした。それでも残ったのはあっし。

 まだまだあっしも若いねぇ。あんな挑発に乗せられちまってさ」


それでも。父の話が本当なら、私は知らずに何かをしてしまった。

にぃ、と彼の眦が下がる。肩にかかる重みが増して、頬の近くに彼の存在を感じた。


「なら、ちょいとばかし脇息代わりになって欲しいねぇ」


耳元で、吐息を感じそうなほど近い。


「それだけ、ですか」

「それだけで、十分さ」


次に青灰の目が冷え冷えと、父を睥睨しました。


「満足かい?」


声は聞こえるのか、おぼろげな方向を察して父は肩を竦めました。


「そう怒らないで頂きたい。あなた様のためを思うてのこと」

「あっしは望んでいないがねぇ」

「然様に俗な物言い、似合いませんな」


慇懃無礼な父の態度。ですが、ものすごい違和感。


「もしかしてお偉いさま、だったのですか」


肩にかかる重みがさらに。座っているだけでも、つらいのでしょうか。


「見ようによって、だがねぇ」

「よくもまぁ、そんな物言いをなさる」

「こやつを使うほどのことかい?」

「それぐらい役立って貰ってもよいでしょう?」


ぶちり、と。

舌戦を繰り広げる二人とは違うところから。

確かに聞こえた、気がしました。


「そこな娘は多少のずれはあるが、貴殿の娘であろう!」

「は、朱華…」


近くで柏木さんが両腕で頭を抱えていました。

くつくつと、何かが面白かったのか須黒が後ろで笑っています。


「ずれ、ずれか。“それ”に何か憑いていると言う輩は多い。だが、ずれていると評したのは初めてだな」

「憑いていれば二重に見えるわ!」

「では、そ奴が元の魂を食らったか?」

「ならば死臭がしよるっ」

「は、朱華、落ち着け」

「柏木は黙っておれ!」


何だか、置いてかれています。


「面白いものを連れて来たな、じぃ」

「火に油を注ぐでないわ、馬鹿もん」


須黒はずっと笑っています。


「…話が妙な方向に」

「良い連中だねぇ」

「ですか?」

「そうさ」



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