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絃ノ匣  作者: しま
第二章 「棹の部」

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裁定者

「あい、たたた」

「すごい音だぜ?」

「う…」


固まった首を摩ります。

すっかりしっかり爆睡していたようです。


「殿方って、膝枕に向いてませんねぇ」


そうかい?

そうですよ。有難かったですけど。

寝れたろう?

そらもう、ぐっすり。

なんてやり取りをしていますと、別の方からため息がしました。


「俺としては男の前で寝る方にもっと気をやってほしいのだが」

「あらら。私、涎とか寝言とかやらかしてました?」

「いんや、無かったけどねぇ」

「では、よほどの間抜けつらでしたか」


それはとんだお目汚しを。申し訳ありません。


「そういう意味ではない。大体、女子おなごつらなど言うな」

「あんれ、怒られちまったねぇ」

「怒られてしまいましたねぇ」


くすくす、くつくつ、と私たちが笑いあえば。

いよいよ柏木さんの眉間に深い溝ができました。


「あんたも乗るな」

「おっと、そんなおっかねぇ顔するんじゃァないよ。

 確かに、寝起きの一言目は傑作だったが」

「ですか?」


ぼんやりとした頭で、客人の存在に気づきまして。


『わー、寝起きに眼福ですねぇ』


柏木さん、絶句されました。

そんなに可笑しいこと言いましたかねぇ。

起きて見たのか若者イケメンでしたら、何だか儲け者、いえいえ、得した気分になるかと。なりません?そもそもイケメンって古くなってます?あちゃ。


「俺が言いたいのはもう少し、女子という自覚を…。ん?」

「おや」


須黒が視線をめぐらせました。柏木さんも何かの様子に気づいた様子。

草鞋が土を踏む、音がしました。


「姫様、柏木様」


凛として、さざ波ひとつない平坦な声。


「旦那様がお呼びです」



ふさ江さんでした。




◇ ◇ ◇





案内されたのは母屋。向かう先は以前の広間。

此処でいきなり縁談が伝えられましたねぇ。

前は父と私二人だけだった空間に、今回は随分と大勢集っています。

父とふさ江さん、朱華さんと柏木さん、私。



そして、もう一方。


「これで揃いましたかのう」


飄々とした、少ししゃがれた声。

顔も知らぬご老人が一人、いらっしゃいました。座って襖を開けたまま固まってしまった私。頭に疑問符が飛び交う中、父が軽く咳ばらいをした。これは失礼。


「お初に御目文字おめもじ仕ります、橘 至時よしときが娘、あいにございます」


合ってます、よね?


「これは丁寧に。木野 景保かげやすと申す」

「木野、様」


ところどころ色が変わった黒の長羽織に藍染の小袖。衣服に使い込まれた時の流れを感じます。

ふさふさの眉毛や顎鬚ひょろりとした細身から察するに江戸時代にしては、相当な高齢のようです。


「肩書きなんぞ小難しいものはこの場には不要でしょう。

 どうぞ、お入り下され」

「…失礼します」


示された場所に座しながら、嫌な汗が背中を伝います。

何故この場にいるのか、何を知り何を為す人なのか、一切が不明。

そんな私の警戒を悟られたのか、木野様は穏やかに笑んだ。


「なに、わしはただの遣いでしてな。

 この場に少うし口を挟ませて頂くだけですに」


つまり、この場この一件の裁定者を意味するのでしょう。

木野様は柔らかい笑みを浮かべたまま、周りを見渡しました。


「話は払い屋のお二方より伺い申した。

 あい殿にはちぃとばかし、この爺やの話に付き合って頂けますかのう。

 さぁて、さぁて、ひとまずこの、面倒事を整えましょうぞ」


笑み交じりの言葉に、どことなく有無を言わせぬ感じがしました。


「まず一つ。まじないの源はすでに払い屋に渡っておりまする」


おそらく、須黒が紫衣に包んだ女性の髪のこと、でしょう。

関連して女の声、笑み、歪み、諸々思い浮かび、慌てて木野様の話に集中。


「また、然る屋敷にて雇われた術師に異変との由。呪術の失敗故と推察し、柏木殿がすでに調べておりまする。言い逃れはできますまい。

 追って沙汰が下りましょう。どこの者か、詳しく申し上げますかの?」

「いいえ。知ったところで、何をするでもないことでしょう」


詳しく聞いたところで今更と、無意味な気がしました。

そのお屋敷の方々は“嫁入りする橘家の姫”を目標とした。呪詛ははじめに縁談を受けた妹の律の元へ。それを察した母が、父が、私に縁談を持って移した。呪詛の目標に妹の名前が無かったためにできたこと、だと朱華さんが言っていました。


「然様か。では、関わりのあることをお話し致そう。

 橘のお内儀殿について」


室内の空気が張り詰めた。


「本来ならば人に呪いをした身。呪詛と同様の扱いになりまする、が」


木野様があの人の話題に触れたとき、父、至時の顔には何も浮かびませんでした。顰め面という訳でなく、ただひたすらに、‘無’を保ったまま。

それがどことなく、恐ろしい。嫌な感じがします。


「お内儀殿は処断を受けられたご様子。これ以上の沙汰は無用と、当方は考えたのですが。あい殿の意図としては如何ですかな?」

「私、ですか」

「あなた様は自ら、お内儀殿を処断した。そうわしは捕えておりまするが」

「処断、などとは」

「違えたかのう。

 お内儀殿はあい殿自らの、しゅにかかられたと伺ったが」

「木野様、それは!」

「黙っておれ、朱華。口出しは無用」


木野様は笑みのまま。ですが、目は鋭く冷たく。


「お答えくださいますか、あい殿」


厳かに。


「母様に、」


私がしたこと。あのときは咄嗟でした。

処断、なんて目的や理由のあることではありませんでした。

ただ、これ以上朱華さんを罵倒する様を見たくなかった、というのが私のわがままな部分。


「あい」


しびれを切らしたのは、父親でした。


「何をしたのか。そこな翁は問うている。思うところがあるなら述べよ。

 お前がつらつら言葉にしたところで、そやつは気にしない」

「随分と年寄の扱いがひどう御座いませぬか、至時殿」


父親はむくれる翁を一瞥もせず、口の端を歪めた。

あれは、一応多分、笑みに属する表情…のはずです。


「そ奴とて、この面倒事を早急に片づけたいだけであろう」


お前が迷うも気遣う必要はないと、父は言った。

まぁ、ちゃっかり断言してくださいますねぇ。

そのお言葉、一体どこまで信じれば良いのでしょう。余計に悩むじゃありませんか。然程頭の回転がよろしくない私が、ぐるぐると、うだうだと。


「私はただ、見せただけですよ」

「見せた?」


言えるだけをそのままに。


「私が見たこと、聞いたこと、感じたこと。

 それをそのまま、母様に体験して頂いただけ、なんですけどねぇ」

「お内儀殿に、害は」

「ありません。そうですね。例えるなら、こわい夢を、見ただけ」

「夢とな」

「母様は怖くて、驚いて、気を失われました。

 ですが、しばらくすれば起きられるでしょう」

「では」


木野様の目つきが、変わる。なぜか先よりも硬みが取れて。


「その恐ろしいことを、御母上はあなた様に為されたのですな」


あぁ、そう、捉えることもできるのですねぇ。

「聞けば、屋敷の離れに幼子おさなご一人で過ごされていたとか。

 諸々の積み重ねに此度のこと、あなた様に、恨みは御座いませぬか?」


問われて、今までのことを思い浮かべてみます。

突然、訳の分からぬ場所で赤子となって、過ごして。


「恨む…いいえ、違います。悲しいと思います。寂しいと思います。

 でも」


始めから、母様が私を狐と呼んだわけではありませんでした。

ずれてきたのは、“こちら”で、私が“私”を自覚してから。


「でも、生かしてくれましたよ?」


誰かが、息を呑む。


「私の異常さを、母様は一番感じておられました。

 それでも、なくそうと思えばもっと、機会はあったと思います」

「それで、恨まないと?ただの道具と使われながらも?」

「恨む恨まない、そういう考えすら、ありませんでした」

「お主は、母親の口を閉じたではないか。母に自らの体験を見せた」

「ただ私は、知って、欲しかったのでしょう。それだけ、だったのですよ。馬鹿ですねぇ私。あんな方法しか、思い浮かばないなんて。」

「真に?」


黙ったまま、木野様に対峙して笑う。

後付けの理由ですが、嘘ではありません。そういうことに、しましょう。

凄まじい目付きで朱華さんがこちらを…いえ、気のせいです気のせい。

朱華さんの名は、出さぬ方が良いと思うのです。

何故なら、


「然れば。橘 至時が長女、橘 あい」


須黒が言いました。母屋に行けば、

「人に向け怪しき技を使った罪科つみとがにて、御縄おなわに致す」


『面倒事に、捲き込まれるだろうねぇ』と。

だから言ったのでしょう。“攫ってやろうか”と。


「以上でこの一件、幕閉じとする」

「木野様、いったい何を仰いますか」

「母親はそのままに、娘を捕えやるかっ!」


戸惑う柏木さん、激昂する朱華さん。

優しい、方々です。


「何を驚く。橘のお内儀殿に入れ知恵したものはすでに判明しておる。

 しかし、橘 あいの持つ異能は一切が不明」

「問い詰めなら我ら赴けば良いであろう!何故、縄になど」

御上おかみがいらっしゃるこの地にて、野放しにはできますまい」


須黒はこうなることを、どこまで察していたのでしょう。

私は今迄通りの生活を続けられれば、それで満足でしたのに。


その中で、父が、ワラいました。

見たことが、ある笑みです。


「お前が人でなければ、もう少し、話は簡単であったろうな」


祓えばよいのだから、と。

父が言いました。




瞬間立ち昇ったのは禍々しいほどの、“黒”でした。





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