3章 石の国にて
「シャル、ここなの。ここだけ、星の花が五個も色が違うの。なぜ?」
ヴィの囁きは、耳に柔らかく響く。
その指が差す先には、五弁の花びらが咲きこぼれていた。澄んだ青の中に、ぽつりぽつりと桃色が見える。
ピュアブルー。ブルースターの一種だ、とシャルはひとつ頷いた。
白亜の離宮は青い庭園に囲まれている。春の兆しに揺れる青の花々が、淡い影を白壁に落としている。
限りなく白に近い青に染まる宮を仰いで、あいつはナルシストだったのか、とシャルは呆れた。
王の瞳の色の檻に、ふたりは囚われている。
「そうだね、ほかはみんな青いのに、」
色を変えた花を数えつつ、シャルはさりげなく訂正を試みた。
「この五輪だけ桃色に変わっている」
「桃色は五輪なのよ。ヴィが見つけたの」
ヴィがはにかむ。花の数え方も、すんなりと覚えたか。
うちの子、賢い。
シャルは胸を熱くしつつも、緩む口元は引きしめ、
「ヴィ?」
と咎める色合いを、ごく軽く声に乗せた。顎の下にある幼げな顔を、意地悪く覗きこむ。
背後には、影のように侍女と護衛が控えている。
外では「品格」を保つように教えている。人として、そして淑女として、大切なものだから。
ヴィはシャルと同じく、次の春、成人の儀に臨むのだから。
しまった、と思ったのだろう。ヴィは一度、目をぎゅっとつむってから、
「……わたくしが見つけたの」
ささやかな胸を張って言い直した。
上目遣い、可愛い!
声高に叫びたいとか、身悶えしそうとか。沸き立つ思いは、口角にきゅっと力を入れることでねじ伏せた。
貴族的な笑みを装ったまま、石灰岩の壁沿い、青が咲くひだまりへ視線を逃がす。
ピュアブルーは、咲き始めは空色だが、やがてほんのりと桃色を帯びていく。条件が揃えば桃色化は早まる。
「……お日さまがよく当たるだろう?」
なるべく易しい言葉を選びながら、説明を始めると、
「わたくしと同じ? お日さまに当たると赤くなるのよ!」
ヴィはシャルを遮った。新緑にふちどられたヘーゼルの瞳がきらきらしている。満開の笑顔に、シャルも「大正解」と相好を崩す。
北の民らしく、その肌は白く薄く、赤みが出やすい。
笑みの角度は保ったまま、背後に伸びる影へ、すっと冷たい視線を流した。
……おまえたち、聖女の肌が焼けるのを許したのか?
忠誠はいらない。だが、彼女は女神の化身だ。実情がどうあれ、軽んじられる存在ではない。
黒い巻き毛が艶めき、金の瞳が神々しい光を放つ。侍女は面を伏せ、護衛は居住まいを正した。鷹揚に頷き、目の動きだけで案内を促す。
「行こう。私に壁の浮き彫りを見せてくれるんだろう?」
肘を差し出すと、ヴィはちょこんと手を添える。明るく笑いあってから、歩幅をあわせて歩みだす。
ほんのりと頬を染めた花びらが、そよ風に舞い、足取りに春めいた彩りを添える。
ふたりの笑顔は、ただひとりにしか咲かない。
**
春が来るなど思いもよらなかった。
棺みたいな馬車の小窓から盗み見たのは、色を持たない月だった。
南国から連れてこられたシャルが、最初に思い知ったのは、この地の冬は、寒いというより、ちぎれそうに痛いということだった。
石の国は、大陸の最北端に位置する。
王都では権力を持つ者ほど、濃い石材を使うことができる。凍てつく草原の白は、街へ入るほど鈍灰に沈み、やがて玄武岩の黒城へとたどり着く。
聖女の離宮は、王城の端にちんまりとあった。
黒が増すほどに序列が高いという理からすると、純白はこの国で最も身分が低いとも言える。
それでも真っ白な宮は、暗闇に差す一筋の光に見えた。
*
南国育ちの元皇子が、離宮の蔵書に埋もれている。まるで飼育日記だな、と微熱で潤む目をしょぼつかせている。
――塩の国が殲滅した明くる朝だった。
「アレを人として、女に仕立てろ」
血染めの玉座から投げられた雑な命令がよみがえるたび、シャルの悪寒は酷くなる。
隣では「聖女さま」も、歴代聖女の記録をめくり続けている。横目で見ると、上下は逆だし、羊皮紙の味見をしているが。
……思ったのと違う!!
見た目は娘さんだけど、中身は赤ん坊じゃないか! コレを「女に」とか、人としてどうなのよ!?
熱が上がった気がする。くらりとする頭を抱えて、考えを巡らせる。
聖女さまは、幼いころ「器」として覚醒し、そのまま連れてこられた。心を満たしてくれる者がいなかったのだろう。枯れ草色の髪に艶はなく、枯れ葉色の瞳に理知の光はない。
器は空っぽのまま……。
書物で遊ぶ娘を、シャルはじっと見つめていた。
聖女さまは、白に近い、真新しい紙がお好みらしい。年月を経て黄ばんだものは、口からつまみ出しては、顔をしかめている。
……そりゃそうだろう。新鮮なのが旨いに決まってる。
小さな鼻の上に寄ったしわが可愛らしいと、ちょっとだけ思った。頬が緩むと、肩の力みが消えた。ふっと心が定まった。
……「人として」から始めよう。「恋人」ではなくて、「聖女」でもなくて、「人」として。君に向きあっていければ、それでいいじゃないか。
シャルの笑みが深くなった。紙片をちぎる指をそっと止め、手のひらで包んだ。ちっぽけな手にぬくもりを伝える。
娘はぱちりと瞬きをした。初めて向けられた瞳のなか、大地と森の色が揺れた。
「これは『本』だよ。食べ物でも玩具でもない。人は文字で想いを伝える。この一冊を、世界を開く窓にできるんだ」
まさに女神の庭の色だな、と感じ入る。
「ぼくが教えよう。君は『ヴィ』」
空っぽの聖女と、
「ヴィと呼ぼう。ぼくのことは『シャル』と呼んで」
なにも持たない元皇子。
「ヴィ、シャルと呼んで」
ぼくたちには、互いしかいないのだから。




