2章 塩の国にて
大陸では、ひとつの神話が語り継がれている。 女神と石の国の初代王にまつわる伝説だ。
救済を望んだ若者は、治癒の力を持つ聖女を得た。聖女に導かれ、彼は権力を得た。
それからというもの、聖女は代々の王のもとに現れ、自身すら気づかぬ欲望を叶えた。
愛を欲する王の聖女は、魅了の力を持った。彼は情欲に溺れた。美を好む王の聖女は、錬金術の力を持った。彼は金銀財宝に埋もれた。
ただし、聖女は短命であることが多い。女神との契約を果たせなかった報いだとされている。王が「黒と金」を見つけられなかった罰なのだ、と。
長き血統は、なにかしらの闇を抱えているものだ。石の国の王家は、聖女を処分してきたことを秘匿している。
力を使いすぎた聖女は、女神に還ってしまう。女神が目覚めてしまうという。
神は理不尽だ。生むも奪うも、気まぐれひとつ。女神を目覚めさせれば、大陸は滅ぶとされている。その「真の名」を握り、再び眠りにつかせない限りは、人の歴史は終焉を迎えるだろう、と。
この世では、神であれ人であれ、真名を生まれながらに持つ。
真の名を知られるとは、魂を明け渡すに等しい。名を呼ばれれば逆らえない。他に伝えるなどあり得ない。
ゆえに、真実を知る者はおらず、聖女は人であるうちに「若死に」させられてきた。
人の身のまま、聖女を花ひらかせる術はひとつしかないという。
女神が愛した者――黒と金の色を持つ者は、聖女を人に留める楔となる。恋をするほどに、聖女は人となり、力は満ちていく、とも。
事実、「恋人の色」を見つけられた代の石の国は、異常に強大になる。道具を搾取するために必要な装置として、王家は「黒と金」を求めてきたのだ。
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濡羽色の髪は水の流れの如く緩くうねり、豊かなまつ毛に縁どられた眼差しの金色をひときわ謎めかせる。
ぽってりと色づく唇に添えられた指の先だけが、童女の如く愛らしい。
漆黒に咲く夜来香、色違いの女神、と讃えられた――
……母の不幸は美しすぎたことだ、とシャルは思う。
シャルの母は、砂の国のとある部族に生まれた。
国と言っても中央はなく、いくつかの部族がゆるやかな縄張りのもと共存していた。母の一族は、オアシスを転々としていたらしい。
母の血筋には秘密があった。
「恋人の色」が生まれることも、そのひとつだ。黒と金の子をひた隠すために、一族は流浪の歴史を歩んできたのだ。
母の美貌は先祖代々の苦労をぶち壊した。
どこぞのキャラバンの目に留まったらしい。瞬く間に噂は走り、塩の国の帝にも届いた。砂漠の部族は悉く滅ぼされ、母は帝の愛妃にされた。
七番目だか八番目だか、とにかくあってないような継承権を持つ皇子として、シャルは生まれることになった。
皇都は塩湖に沿う環状都市だった。
尖塔から目を凝らすと、塩の結晶を混ぜこんだ煉瓦も、迷路みたいに入り組んだ路地も、強い日差しにチカチカ光っていた。青い屋根のバザールに行ってみたかった。
母の美に狂わなければ、とシャルは乾いた気持ちになる。あの街はいまも美しかっただろう。
塩の国の帝は、実の弟に殺された。かと思ったら、帝の息子が実の叔父を倒した。権力の座が移るたび、母の身は奪われていった。
まさに傾国の美女。シャルは感心してしまう。
湖が白銀の塩原に変わる季節だった。皇城は虐殺と略奪で満ちた。
飽いたのだろう。
赤瑠璃の小瓶のひとつを手渡され、シャルは嫌だとかぶりを振った。
母は困り顔で「莫迦ね」と優しく笑った。鈴の音のように澄んだ声を息子の耳に遺しながら、一息に煽った。紅い唇からは鮮血が流れた。
莫迦は貴女だろう、と呟く。狙われたのは、ぼくだったのに。
立て続けに起こったクーデターの噂は、大陸を一巡りしていた。
元凶の妾は、なんと例の色を持つらしい。もしかしたら妾の子も……?
血眼になって探す者の耳に届かないはずがなかった。
あっけなく祖国は滅んだ。あっさり敵国で恋に落ちた。
母が美しすぎたことを幸運に思う自分は薄情者だ、とシャルは自覚している。




