二
耳に聞こえるのは小川のせせらぎ。オレは静かに目を開ける。知らない天井。やがて、聞こえてくる足音。
足を引きずっている?
「小次郎、やっと起きたか」
武田勝頼の言葉にオレは苦笑いをする。どうやらリセットはできなかったようだ。武田勝頼の姿というと、顔の至るところに刀傷や火傷の跡があり右目も失明しているようだ。身体はというと右脚の神経がイカれているようだ。衣に隠れてわからないが見えないところもボロボロなのだろう。
「勝頼、こっちに来い」
足を引きずりながらオレの元にくる武田勝頼をオレは立ち上がり抱きしめる。すると、白い光がオレと武田勝頼を包み込んでいく。
暖かい⋯⋯。
そう思った瞬間、白い光は徐々に消えていった。
ん?
武田勝頼の顔に傷がない。
「暖かい光だったな。優しく癒やしてくれる光だ。小次郎、思い出したんだね」
何を?
武田勝頼の言葉にオレの口が自らの意思に反して動く。
「オレの役目はこの世を彷徨う人々を救うこと」
そうなの?
「あと一息だぞ。小次郎」
そう言うと武田勝頼の身体は光の塵となって消えていった。いや、最初からそこには武田勝頼はいなかったのかもしれない。
オレは部屋を出る。
「早手いるか?」
「ここに」
「今はいつだ?」
「天正十年五月二十九日、天目山麓の田野にございます」
「そんなに寝てたのかよ。オレは」
早手は黙って苦笑する。
「そうか。では、時の底を彷徨うもう一人の亡者の最期に立ち合ってくるか」
オレはそう言うと西に向かって歩いて行った。
目的地はもちろん。
本能寺!
オレが京の都に入ろうとすると集団に取り囲まれる。見覚えのある顔がチラホラ⋯⋯。伊賀衆の残党だ。そりゃ、仇敵の織田信長が重臣の明智光秀の軍勢にほぼ丸裸の状態で襲われるのだ。伊賀衆からしたら願ってもないことだろう。
「ここから先はしばらく通行止めになっておる、小次郎殿」
オレの前に一歩進み出て百地丹波がオレに静かに言う。
「これから京の都で何が起こるか知っていると認識してもよいか?」
オレの言葉に百地丹波は黙って頷く。
「この謀反、伊賀衆が暗躍したと思ってよいか?」
「我らは忍び⋯⋯。このくらいの情報収集など造作もないこと⋯⋯」
オレの問いに百地丹波は首を横に振り言った。
そりゃ、そうか⋯⋯。
ん?
「百地殿、小助の姿が見えないが⋯⋯」
「小助は重要任務で本能寺に行った。そなたには関係のないことだ」
百地丹波は自らの忍び刀を抜く。
「最後通告だ。事が終わるまで京の都には入るな」
百地丹波の言葉にオレは首を横に振って白光眼を発動する。その瞬間、百地丹波を含めた伊賀衆の全員が前のめりに倒れ込んだ。
仕方ねえか⋯⋯。
時間がない。
オレは血が滲む眼の痛みを堪えて、その場に伊賀衆を残して京の都の中に入っていった。
六月一日、明智日向守光秀は一万以上の大軍を率いて丹波亀山城を出陣した。その日の夕刻には亀山の東に到着し、軍議を行った。そこで光秀は老の山を上り山崎を廻って摂津を進軍すると兵に告げて軍を東に向かわせた。翌日未明、桂川に到達して戦の準備を始めた。夜明け頃に明智の軍勢は本能寺を包囲した。
オレは明智の軍勢を掻い潜って本能寺の境内に侵入する。すでに明智の軍勢に荒らされた後らしい。
ひょっとして間に合わなかった?
オレはそう思い白光眼を開く。白光眼の連発にオレの眼は悲鳴をあげているが、どうせこれが最後のはずだ。オレはそう割り切った。途端に辺りは白く光る世界へと変わる。オレは白く光る世界をゆっくりと歩いていく。ひときわ戦闘の跡が残る部屋に入るとそこにいた。
信長だ⋯⋯。
オレは部屋の戸を閉め、中を見渡す。信長はすでに絶命していた。オレは無意識に信長の身体に手をかざす。すると、信長の身体は白い光に包み込まれていく。
「小次郎か……」
信長が口を開いた。オレは信長にコクリと頷く。
「小次郎、この世は地獄じゃ」
まさか第六天魔王の口からその言葉を聞くとは……。
「どうやら間に合わなかったようだな」
何に間に合わなかった?
オレは自分の言葉に困惑する。
向こうからのっそのっそと異形の鬼が歩いてくる。
赤鬼だ。
オレに気づかずに信長の首根っこをムンズと掴み上げる。
「小次郎、嫌じゃ! 嫌じゃ、もう戻りとうない」
信長の声を聞き、赤鬼はオレに声をかけた。
「たび……。小次郎よ。今回も間に合わなかったようだな」
どうやら道舟のようだ。
だから何に間に合わなかったんだ。オレは?
「こじろう、いやじゃ。いやじゃ、たすけてくれ。たのむ、こじろう」
まるで童のような信長に赤鬼は呆れる。
「先にこいつを連れて行⋯⋯」
赤鬼の言葉をオレは遮り忍び刀を抜刀する。
「とりあえずオレを倒してから行ってもらおうか」
オレは赤鬼の前に立ちはだかった。
「今のお前ではワシには勝てんぞ。それでもお前は抗うか?」
赤鬼の言葉にオレは静かに頷く。
「とりあえず信長をここに置いていけ。オレがそいつの腑抜けきった根性を叩き直してからお前に渡してやる。困るんだよ。第六天魔王がそんな腑抜けじゃ!」
「そうか⋯⋯」
赤鬼は信長をその場に打ち捨てオレに一歩近づく。
今のオレでは勝てそうもないプレッシャーにオレは気圧される。
いや、やるしかない。
「風魔忍術 疾風!」
オレは風のように赤鬼の横を⋯⋯。
「今のお前では青鬼を打ち負かすことはできても赤鬼にはお前の動きは止まってるように見えるんだよ」
赤鬼はオレの首を鷲掴みしてオレの顔をまじまじと見る。
「小次郎、もう生きるのは嫌じゃ。助けてくれ⋯⋯」
信長の切ない言葉が本能寺に虚しく響く。
「そうかい。じゃあ、とっておきのをお見舞いしてやるよ。伊賀忍術 火炎斬!」
オレの忍び刀から放たれた火炎の斬撃が唸りを上げてオレの首を鷲掴みにしている赤鬼の手首をねじ切る。
「赤鬼、小助を喰ったろ」
オレの言葉に赤鬼は不敵に笑う。
「喰ろうたわ。あやつはもう用済みだからな」
「やっぱり鬼だな」
オレは赤鬼を睨めつける。
さて、どうする⋯⋯。
これ以上は打つ手はないぞ。
「伊賀忍術 影分身!」
オレの隣にオレの分身が一体現れた。
そうだよな⋯⋯。
伊賀忍術なんてオレの知識じゃ一体出すのがやっとだ。
でも、小助を喰らった赤鬼を出し抜くには伊賀忍びの小助の魂に訴えるしかねえ。
オレは分身とともに赤鬼を挟みうちにする。
「風魔忍術 驚天動地!」
オレは幻術を繰り出して赤鬼の身体を天地を逆転させる。
「風魔忍術 疾風!」
オレの影分身がガラ空きになった床に倒れ込んでいる信長に向けて駆けていく。
「喝!」
赤鬼が恫喝すると赤鬼に掛けた幻術も影分身も解けていく。
「小次郎、今のお前では無理だと言ったはずだ」
赤鬼はそう言ってオレの胸をその禍々しい右腕で貫いていった。
オレの胸から激しくほとばしっていく血しぶき。
本能寺に漂っていく血の匂いがオレの完全敗北を強調していく。
「それではコイツを連れて行くぞ」
「小次郎、いやじゃいやじゃ⋯⋯」
信長の童のような泣き言はやがて消えていった。本能寺に残ったのは血だらけのオレの身体だけだった。




