断章2 神来社燈の追憶
私が初めてヒスイ様と会ったのは三歳の時だった。
宮司を務める祖父に手を引かれ訪れた社で、ヒスイ様は自ら箒を持って境内を掃き清めていた。
――なんて綺麗なひとなんだろうと思った。
白と緋の巫女装束を身に纏い、日を受けて黄金色に透き通る耳と尻尾。
白く小さな顔には、吸い込まれるような深緑の瞳が輝いている。
「燈、お前は七つになったらこの神様……ウカノミタマ様の巫女になるんだよ」
祖父にそう言われ、口を開けて”ウカ様”を見つめていた私の頭をしゃがみ込んで撫でてくれた。
「よろしくね、燈」
と笑ったその笑顔と、手の暖かさは今でもずっと、胸の奥にしまってある。
神来社家は代々、ウカ様の身の回りの世話を受け持ってきた。
ウカ様を守り、その神託を聞き、存在を隠蔽する。
それが役目だと、幼い時から教え込まれてきた。
私は祖父や両親の目を盗んでウカ様に会いにいくようになった。
おもちゃを持って会いにいくと、嫌な顔一つせず付き合ってくれた。
同世代の子供がほとんどいないこの村で遊び相手に飢えていた私にとってウカ様は一番の友達であり、姉のような存在だった。
やがて、七歳になった私は巫女の儀を受けることになった。
この儀式をもって、正式に”ウカ様の巫女”としてのお側仕えが始まるのだ。
その儀式の日に、ウカ様はヒスイという真名と、ネビュラという異世界から来たことと――ネビュラに幼い娘を残して来たことを告げた。
代々の巫女にだけ、ヒスイ様はその真実を伝えてきたのだとも。
幼い私にはまだその意味はよく分からなかったけど、神様と秘密を共有しているという事がなんだか嬉しかったのは覚えている。
それから私は、ずっとヒスイ様と一緒にいた。
学校が終わるとそのまま社に向かい、巫女装束に着替えて身の回りの世話をし、それが済むと宿題をしたり、村人からの供え物を二人で食べたり、学校であったことを話したり、一緒に夕食を作ったりした。
そうして、日暮まで社で過ごしてから家に帰る日々だった。
ある日、私が持ち込んだゲーム機にヒスイ様は食いついた。
社にはテレビがなかったので、本体のディスプレイを立てて二人肩をくっつけて遊んだ。
まだ遊び足りないという風だったヒスイ様を見て、私は父にヒスイ様の分のハードをねだった。
この村の人は、基本的にヒスイ様に甘い。要望はすぐに通った。
そこには、彼女を村に縛り付けているという罪悪感もあったのかもしれない。
それからも毎日のように、二人でゲームをして過ごした。
それが昂じた結果、ついには社に光回線を引くに至った。
その工事の際、祖父は
「神聖なお社に……」
とぼやいていたが、嬉しそうに尻尾をパタつかせるヒスイ様の姿に結局は折れた。
いつしか、ずっと見上げていたその顔を、ほんの少し見下ろすほどに時は流れていった。
そんな日々が終わる――そう悟ったのはつい先日の事だ。
ヒスイ様から日課の神託を聞くとその内容が明らかに普段より具体性を伴っていた。
三日後、一ノ瀬遼という男がこの村を訪れる。
その男は、この世界とネビュラを繋ぐ鍵となる。
――ああ。
ついにこの時が来たんだと思った。
ヒスイ様を解放する時が。
神様を――返す時が。
なら私の使命は、ヒスイ様を、この優しい神様をちゃんと送り出す事だ。
胸を刺し貫くような寂しさを封じ込めて、私はすべき事をする。




