飛ばされて異界③
ここは冥界の最奥部タルタロス。
テュポーンによって飛ばされた日本人たちは地上に帰ることになり、ティターンたちと別れの時を迎えていた。
「ありがとう、本当にありがとう!」
「巨人の皆さんのご親切は一生忘れません!」
「バーベキュー楽しかったです!」
口々にお礼の言葉を述べ、巨人が差し出す指先を両手でギュッとハグする日本人たち。
サイズ感が異なる両者が握手しようとするとこうなる。
「私たちも楽しかったわ」
「滅多に客も来ないからね。いい気晴らしになったよ」
「いつまでもいてくれていいんだよ?」
「イアペトス、いい加減に引き留めるのやめてくれませんか。彼らも帰りづらくなるでしょう」
ティターンたちも口々に別れを惜しむ。
小さな体で懸命に生きている人間たちが可愛くてならない。
ずっと一緒にいられたら……だがそれは望んではならないことだ。
タルタロスは人間が住むには適さない厳しい環境なのだから。
「さて、別れは辛いだろうが、そろそろ行くぞ」
冥界の王ハデスが出発の合図をする。
日本人たちは指定された円の中に集合した。
タルタロスから地上への直通ゲートはないので、ハデスが神の力で転移させるのだ。
ちなみに転移を使わずにタルタロス⇔地上間を移動すると気の遠くなるような時間がかかる。
彼我の距離は想像を超えて遠いのだ。
「さようならー!」
「元気でねー!」
手を振って見送るティターンたち。
日本人の姿が一人、また一人と消えていく。
最後の一人が転移して消えた後。
「……あの、離してもらえませんか?」
白狐は狩衣の裾をつまんでいるティターンを戸惑いがちに見上げた。
裾を離してくれないと白狐が地上に帰れない。
「いえね、ここは人間が住むにはちょーっと寒すぎるんだけど、もふもふの毛皮をまとった狐さんなら、ここの寒さに適応できるんじゃないかなーって」
「人間も可愛かったけど、狐さんも可愛いわよねえ~」
「小さいのにお行儀がいいし、動物なのに服着ててラブリー♪」
「うちの子にならない? 大事にするよ?」
白狐、うっかりティターン女性たちのハートを掴んでしまったらしい。
女神たちのラブコール、どうやってお断りしようか。
遠い目になる白狐であった。
※
ここはオケアノスの異界、海洋生物たちのパラダイス。
打ち寄せる波、どこまでも広がる水平線。
大海原に浮かぶ小島で一組の男女が愛を囁き合っていた。
「本当に私でいいの? 気が変わったりしない?」
「心変わりなんかするもんか。海に投げ出されて溺れかけてた僕を助けてくれたあの時から、僕の心は君だけのものだよ」
「でも私、人魚だし……」
「愛に種族は関係ないよ」
「あなたは陸の人でしょ? 地上に帰りたくなっちゃうんじゃない?」
「君のいない地上なんか意味ないよ」
「本当? 信じていいの?」
「疑うのなら命を捧げてもいい。この胸を切り裂いて心臓を差し出したっていい」
「本当なのね……?」
二人の唇が重なろうとした、その時。
「ちょおっと待ったあー!!」
割り込んできた者がいた。
水上バイクで水面をかっ飛ばしてくる。
人魚と人間のカップルに激突する寸前で急停止。
海と陸のカップルは盛大に水しぶきを浴びたが無事だった。
「誰っ!?」
「和風人魚の一種、アマビエです。近年、疫病封じの妖怪としてちょこっと名前が売れました」
水上バイクから降り立ったのは一見すると日本人女性、だがよく見ると下半身が謎の形状になっている。
鱗もヒレもあって魚っぽいが、なぜか三又に分かれているのだ。
三又に分かれた肢の一本一本は少しシーラカンスに似ていなくもない。
「何しにここに? 疫病なんか流行ってないわよ?」
「疫病の流行が収まって暇になってきたので、海洋方面に飛ばされた日本人救出に駆り出されました。生存者を発見したら日本に戻しませんと」
日本人救出と聞いて、人魚は恋人にギュッとしがみつく。
「この人はダメよ! この人は私のなんだから!」
「そこは議論の余地があるかと思われます」
「プロポーズしてくれたんだから! ずっと一緒にいるって約束したんだから!」
「心神喪失状態での契約は無効になる可能性があります」
「何よそれ!?」
アマビエは男性の顔の前でピシッと指を弾いた。
熱に浮かされたようにボーッとしていた男性が、ハッとした表情になる。
「俺はいったい何を?」
「あなたはセイレーンに魅了されていたのです」
「セイレーン……?」
「セイレーンとは、河の神アケロオスの娘で美しい声で人間を誘惑する海の魔物です。古代ギリシアではハーピーのような半人半鳥の姿をしていましたが、中世にモデルチェンジして人魚になりました。こんな風に」
アマビエに指さされて、人魚がぷんすこ怒り出す。
「何よー! 確かに昔は全体的に鳥っぽかったけど、いいじゃない別に。今は下半身が魚で、上半身は人間なんだから、人間と結婚したっていいじゃない!」
「魚と哺乳類では不幸な結婚生活にしかなりませんよ。受精の仕方が違うんですから」
「そんなのやってみなきゃわからないじゃない! ねえダーリン、愛に種族は関係ないわよね?」
人間の男性はそっと視線をそらした。
「……冷静になって考えてみると、体外受精はちょっと違うかなって」
「なんでよーー!!」
海の女と陸の男。
種族の壁は厚かった。
そうそう乗り越えられるものではないよなあ……と破局する二人を見守るアマビエであった。




