元祖クズ男
コウモリに似た皮膜の翼を羽ばたかせ、エリスはアイリカーを出口らしき上り階段へと運んだ。
その階段をつま先でちょんちょんとつついてみて、幻影ではなく、確かな足場として存在することを確認し、エリスはアイリカーをそこへ下ろした。
「ピストン輸送するから、ここで待ってなさい」
そう言い置いて、エリスはヘスペリエーら残りの護衛を運ぶために元いた踊り場(今は垂直の壁のようになっている)へと引き返した。
本来の夜の女神一族の姿で、黒い翼を羽ばたいて。
踊り場の上ではアパテーが再び翼を生やし、ヘスペリエーとアキレウスが目を閉じていた。
「私はこの子を運ぶから」
「じゃあ私はこの子を運ぶわね~♪」
エリスがヘスペリエーを持ち上げ、アパテーがアキレウスを抱き上げる。
子どものように抱き上げられて、若干嫌そうな表情のアキレウス。
不満があるのだろうが、他に方法がないことを理解しているので文句は言わない。
ばっさばっさと羽ばたいて、女神姉妹がニンフと英雄を抱えて上り階段へと飛んでいくと、そこには……。
「そこまでだ、オバサン」
「あんた誰よ?」
やけにキラキラとした見た目のいい若い男がアイリカーに拳銃を突き付けていた。
アイリカーは目をつぶったまま、階段に座らされ、両手を頭の後ろで組まされている。
その後頭部に銃口を当てている男は服装こそだらしないが、顔はいい、抜群にいい。
その極めて整った顔に、エリスは見覚えがある気がした。
有名な俳優に似てるのか?
いや、そういう最近の記憶ではない。
もっと遠い昔の記憶……そう、三千年くらい前に見たような……。
腹立たしさと高揚感が混じり合った、派手なお祭りイベントで見たような……?
「俺の名前はアレクサンダー」
「微妙に嘘ね?」
アパテーが男の発言に欺瞞を嗅ぎ当てて指摘する。
「うっせーな! 本当に昔はアレクサンドロスって呼ばれてたんだよ! 英語読みすればアレクサンダーだろ!」
「アレクサンドロス……アレクサンドロス? ……あーっ!!」
思い出した!
蘇る遠い記憶!
「あんたトロイアの王子パリスね!? 黄金の林檎事件の馬鹿王子!!」
「馬鹿王子言うな!!」
思わず言い返したその言葉でエリスの指摘が大当たりだとわかってしまった。
もはや人違いですと言い逃れはできない。
「パリス?」
ヘスペリエーが目を閉じたまま、眉を動かした。
「パリス?」
アイリカーが嫌な名前を聞いた、という風に口をへの字に曲げた。
「パリスだとぉ~?」
アキレウスが思いっきり不快感を顔に出した。
よほど嫌いな名前らしい。
「俺を殺したアホじゃねえか。英雄でもないのに何転生してんだよ、カスが!!」
「カス言うな! 転生して悪いかよ! 大体俺を英雄扱いしないのが間違ってんだよ、アキレウスを倒したのは俺なのに!」
「一騎打ちで正々堂々と勝ったみたいに言うな! 物陰に隠れてこそこそと弓矢で狙撃したくせに!」
「それの何が悪い? チャリオットか徒歩で近接戦闘しないと戦士じゃないみたいな風潮がそもそもおかしいんだよ。遠距離攻撃で英雄になったっていいじゃないか。弓使いに人権を!」
「ガチで殴るぞおまえ! 陸上競技にバイクで参戦するようなもんだろうが! レギュレーションに違反しといて偉そうにするな! だからおまえは卑怯者だって言われるんだよ!」
「あーあー、聞こえんな~~」
男同士のくだらない言い争いが終わらない。
ヘスペリエーがボソッと呟く。
「パリスってギリシア神話史上最低のクズだよね。オイノネちゃんを捨てた男」
「ニンフ界隈では誰でも知ってる最低最悪のクズだよ。オイノネちゃんに散々世話になっておきながら、あっさり捨ててヘレネに乗り換えたんだよ。なのに自分がケガして死にそうになったら、オイノネちゃんに助けてくれってすがったんだよ。こんなクズを好きになったオイノネちゃんがかわいそうすぎるって、今でも『月間ニンフ』や『ニンフクラブ』で時々特集されてるよ」
「う、うるせーな! 男女の問題に他人が口出しすんなよ!」
アキレウスには強気に出ていたパリスだが、アイリカーが吐き出す言葉には多少胸に刺さる部分があったらしい。
動揺して揺らいだ銃を握り直し、銃口をぐりっとアイリカーの頭に押し付ける。
「昔のことはどうでもいいんだよ。夢幻階段攻撃モードで殺してやろうと思ってたのに、空なんか飛びやがって。空飛べるやつが律儀に階段歩いて上るんじゃねえよ!」
八つ当たり気味に言う。
監視ルームにいた監視員はパリスだったらしい。
「さんざん振り回されたが、ここで終わりだ。そこのコウモリっぽい羽根のオバサンたち、こいつの命が惜しければ……」
「惜しければ、何なのよ」
「手を離してそいつらを下へ落とせ!」
女神姉妹が手を離したら、ヘスペリエーとアキレウスは地上へ真っ逆さまである。
「一応訊くけど、どのくらいの高さから落ちることになるのかしら?」
「ラビュリントスの塔の最上階付近だから、メートル法で言えば百メートルくらいだな」
あっさり答えるパリス。
このダンジョンの構造は頭に入っているらしい。
勝利を確信しているのか、態度に余裕がある。
「いい時代だよな~。飛び道具で殺そうが、高い所から落として殺そうが、排除できれば手柄になる。昔は得意武器が弓矢だってだけで『王子らしくない』とか『品がない。これだから山育ちは』とか散々けなされたけど、今の時代は銃使って当たり前だもんな~。ほんと転生して良かったわー。というわけでアキレウスよ、俺が手柄を立てるために死んでくれ」
「おまえは喋ると馬鹿さ加減が浮き彫りになるから、黙ってる方がいいと思うぞ、顔だけ王子」
「顔だけ王子言うな! こっちには人質がいるんだぞ。言うとおりにしないとこいつの頭を吹っ飛ばす!」
これみよがしに銃口をぐりぐりと押し付ける。
アイリカーが嫌そうな顔になる。
リパラーが好む海外ドラマだったら人質救出のために言いなりになる場面だが……。
「やってみなさいよ」
相手が悪かった。
不和の女神エリスは口元から鋭い牙を見せ、冷酷な笑みを浮かべた。
「護衛一人のために二人を捨てろ? 差し引き一人の損じゃないの。そんな取引に応じるわけないじゃない。馬鹿なの?」
「は……?」
無慈悲なセリフにポカンと口を開けるパリス。
美形が台無しだ。
「あんたが引き金を引いたら、この二人をそっちへ投げるわ。二対一であんたに勝ち目があるかしらね? お馬鹿なパリスくん?」
アレクサンドロスはパリスの幼名です。生まれは王子ですが、山に捨てられて羊飼いとして育ちました。成長後に色々あって王子だと判明、王家に復帰しましたが、その言動は品位に欠けるものでした。黄金の林檎の件で三女神に呼び出されるまでは、ニンフのオイノネと事実婚の関係にありましたが、美女ヘレネをさらってきた時、あっさりオイノネを捨てました。戦争になったらなったで王子らしい戦い方をせず逃げ回るわ、最後は元妻にざまぁされるわ、「ホメロス、なろう読んでた?」と言いたくなるくらいにラノベの馬鹿王子そのものでした。




