無駄遣い迷宮
ここはアリアドネの迷宮、雲の上に階段がばらまかれた罠、夢幻階段の入り口。
空間制御技術を大盤振る舞いした罠に、不和の女神エリスが怒りの声を上げていた。
「どんだけ無駄遣いしてんのよ! テクノロジーも、エネルギーも! たかがアリアドネ一人警備するのにどんだけお金かけてんのよ! 私なんか経費節減でオフィスの冷房も27度設定って決められてて、それより下げたらエコーちゃんに怒られるのよ? なのにアリアドネにはこの採算度外視の過剰警備……。憎い、アリアドネが憎い……」
うずくまったエリスの口から洩れる、滴るような怨嗟の呟きに、護衛達が顔を見合わせる。
「逆恨みだよな」
「女神なのに貧乏なんだね」
「こうやって女神は恵まれすぎた人間に罰を与えるのよね。アリアドネも気の毒に……」
若干引き気味の護衛三人に対して、アパテーは同情たっぷりにエリスに寄り添った。
「わかるわ~。裕福な兄に溺愛されてる贅沢三昧のお姫様って羨ましいわよね~」
「うちの兄弟なんか年がら年中寝てばっかりの引きこもりとか……」
「眠りの神ヒュプノスね」
「夢見てばっかりのニートとか……」
「夢の神オネイロスね」
「文句言ってばっかりのやつとか、悩んでばっかりのやつとか……」
「非難の神モーモスと苦悩の神オイジュスね」
「勤勉だけど人間の死にざまにしか興味のない解剖医と、ターミナルケアの看護師と、葬儀屋と……」
「死の神三人衆ね」
「ろくなのがいない……」
「元気出して、エリちゃん。まだアイテールがいるじゃない?」
アパテーのセリフにヘスペリエーが首を傾げる。
「『まだ開いてる』……?」
「アイテールだよ、ペリちー。神様の名前だよ」
アイリカーはかろうじてアイテールの名前を知っていた。
上天の清明な大気の神アイテール、夜の女神ニュクスの息子でエリスとアパテーの兄だが、成層圏から下には滅多に降りてこないので、地上の生き物とは接点が乏しい。
ヘスペリデスらニンフにもあまり知られていない神である。
だが「上天の」「清明な」大気の神なので、ニュクスファミリーの中ではクリーンで明朗なイメージがある。
少なくともダークなイメージはかけらもない。
名前と属性から推察するに、キラキラした爽やかなイケメンに違いない。
どっちが優れているか張り合えば、ミノタウロスよりアイテールの方が確実に上。
素敵なお兄様対決、アリアドネの負け、エリスの勝ちだ。
「そ、そうね、アイテールがいたわ」
クリーンで明朗な兄の存在を思い出し、精神的に立ち直ったエリス。
すっくと立ちあがり、斜め45度の角度で空を指さす。
「待ってなさい、アリアドネ。あんたの贅沢極まりない迷宮、私たちが突破してあげるわ!」
※
「へっ、威勢がいいな、オバサン」
エリスが指さした先には、たまたま偶然にも監視カメラがあった。
カメラ目線で指さしてくるエリスを見ながら、モニターの前でせせら笑う一人の人物。
狭い監視ルームの中、机の上に足を乗せてだらけた姿勢で座っている。
「粋がったところで足を踏み外せばサヨウナラだ。そういえばダイダロスの息子の死因は墜落死だったな。皮肉なもんだよなあ、その父親がこういう罠を設計するとは。まあ天才なんてどっかネジが二、三本外れてるもんだけど」
ヘラヘラ笑っていると、突然電話が鳴った。
飛びあがって、慌てて応答する。
「こちら監視ルーム。はい、俺です。ええ、大丈夫です。やつらは階段で立ち往生してます。この先には一歩も行かせませんとも。……はい……はい、わかりました、お任せください」
通話を切った彼はフーーッと大きく息を吐いた。
「あー、ビビった。心臓が止まるかと思った。ボスの不意打ち怖え~」
監視員は意外と小心者らしい。
しばらく呼吸を整えていたが、やがてモニターに向き直る。
「こうしちゃいられない。ボスが来る前にあいつら仕留めないと」
カタカタとキーボードを打つ。
彼の口元に歪んだ笑みが浮かぶ。
「夢幻階段、攻撃モード発動だ。女どもに恨みはないが、アキレウス、おまえだけは俺の手で殺せるのが嬉しいぜ。もう一回死んでちょうだい、トロイア戦争の英雄ちゃーん♪」
※
突然、エリス一行の足場がぐらりと揺れた。
「また!?」
空間制御で階段がバラバラにされた時も地震のように揺れたが、今度の揺れは少し違った。
足場となっている踊り場がゆっくりと傾いていく。
水平だった足場の片側が持ち上がり、斜めになっていく。
掴まる所のない滑り台状態。
「はっ!」
気合一閃、ヘスペリエーは跳んだ。
傾く床の頂上部分にひらりと降り立ち、エリスに手を差し伸べる。
アキレウスもジャンプで頂上に到達、アパテーを引っ張り上げる。
「あーっ……!」
反応が遅れたアイリカーが滑り落ちていく。
踊り場だった足場には掴まる所もない。
虚空に投げ出されるアイリカー。
「しょうがないわね」
エリスが足場を蹴って虚空へ身を投げ出した。
紐無しバンジー!
エリスの輪郭がゆらりと揺らぎ、背中から黒い翼が伸びる。
女神の本性を現したエリスは空中でアイリカーをキャッチ、そのまま羽ばたいて上昇を始めた。
「このまま出口まで飛ぶわよ! しっかり目を閉じてなさい!」
女神の本性を見ないようにギュッと目を瞑るアイリカーを荷物のようにぶら下げて、不和の女神エリスは迷宮の出口を目指す。
コウモリに似た不吉な翼を羽ばたいて。
エリスの兄弟神達の職業及び性格は本作のみの創作です。




