アリアドネの迷宮
禍々しいデザインの扉を開けると、そこはまるで高級ホテルのエントランスのようだった。
植物の葉や蔓をモチーフに金彩を施した優美な円柱が立ち並んでいる。
大理石の床は曇り一つなく磨かれ、天井からは豪華なシャンデリアが吊り下げられている。
鏡と絵画を多用した壁はどことなくベルサイユ宮殿の鏡の間を思い起こさせる。
窓はないが、壁に取り付けられた間接照明が柔らかな光を投げかけている。
手入れの行き届いた空間だったが……。
「人がいないね」
アイリカーが人形を片手に周囲を見回すが、人っ子一人見当たらない。
「どうせカメラで監視してるんでしょ。それよりあんたたち、あれどう思う?」
エリスが親指で示すのは正面にあるエレベーター。
入り口からまっすぐカーペットが敷かれ、その先でゴージャスなデザインのエレベーターがぽっかりと口を開けていた。
『どうぞお入りください』とでも言うかのように。
「どう見ても罠だね」
「あれだけあからさまに仕掛けて、乗るやついるか?」
ヘスペリエーとアキレウス、戦闘職二人の意見が一致した。
エリスも我が意を得たりと頷いている。
「でもボタンの表示をごらんなさい。直通よ?」
アパテーが誘うようにエレベーターの階数表示を指し示す。
そこには流麗な飾り文字でたった二つだけの行き先が表示されていた。
B1 — Entrance Hall
∞ — Ariadne’s Sanctuary
「Ariadne’s Sanctuary。アリアドネの聖域ね。ここはラビュリントスの中央タワー、一般人には知らされていない隠しエリア。アリアドネがいるのはタワーの最上階。このエレベーター以外にはそこに行く手段がないわよ?」
「ないわけないでしょ。こんな、人間が二人乗ったら満員になりそうなちっぽけなエレベーター、大型家具の搬入とかどうすんのよ。絶対、他に搬入口があるわ」
エリスが壁をコンコン叩いて回る。
隠し扉を探すつもりのようだ。
ヘスペリエーはじっとエレベーターを観察している。
「二人で満員ってことはないけど、五人だと狭くて戦いにくいね」
「二手に分かれるか?」
「戦力の分散になるけど、いいのかな?」
「エレベーターで上がって、扉が開いたら兵隊がずらりと並んで待ち構えてて一斉掃射。ありそうなパターンだよな」
戦闘職二人が分散リスクと考え得る罠について意見を交換している。
「いいじゃない、エレベーターで上がりましょうよ~。銃撃されてもリカちゃんが防いでくれるんでしょ?」
「身代わり人形、あと六百六十二個しかないのに!?」
アパテーはエレベーターに気持ちが向かっているらしい。
アイリカーはできればお断りしたいようだ。
その時エリスが声を上げた。
「ここ! 他と音が違うわ」
護衛三人が打撃を加えると、あっさりと壁が破れた。
偽装された隠し扉の向こうには、従業員用らしき階段が。
「あーあ、見つかっちゃった」
残念そうなアパテー。
「行くわよ!」
「自分の足で最上階まで上るなんて、最悪ぅ~……」
階段を上がっていくエリス一行。
うんざり顔でついていくアパテー。
地下一階から見上げるその階段は無限かと思われるほど長かった。
※
「畜生! なんで誰も乗らねえんだよ。乗ってりゃ毒ガスの餌食にしてやったのに!」
薄暗い部屋、監視カメラのモニターの前で、壁の向こうに消えていくエリス一行の映像を眺めながら、誰かが忌々しそうに毒づいていた。
監視者は気づかなかった。
一行が壁の向こうに消えてから、しばらくして、エレベーターの扉が一度閉じてまた開いたことに。
監視カメラでは音声は拾えないが、エレベーターはポローンと重量警告音を鳴らしていた。
あたかも透明人間がエレベーターに乗り込んで、重量オーバーで諦めたかのように。
※
「……おかしいわね」
「どうしたの、エリちゃん?」
エリスは階段を上りながら難しい表情になった。
踊り場の壁に書かれた数字を手で叩きながら言う。
そこには"06"と書かれている
「この数字、今いる場所が何階かを示す数字よね?」
「そうね、"06"だからタワーの六階ってことね~」
「でもさっき通った場所も"06"だった気がするのよ」
「気のせいじゃなーい?」
「そうかしら……」
また階段を上り始め、しばらくして。
「ほら、やっぱりおかしい!」
踊り場の壁に書かれた数字は"06"だった。
「あれだけ上ったのにまた六階に戻ってる!」
「別の意味の数字なのかもしれないわよ~?」
「確かめるわ」
エリスは口紅を取り出し、壁に大きくバツ印を描いた。
"06"の数字に重ねられた赤いバツ印。
そして移動を再開してしばらくすると……。
「ほらやっぱり!」
踊り場の壁に赤いバツ印が描かれた"06"の数字があった。
「ということは……」
「私たちずーっと同じ場所を歩いてたってこと?」
「空間がループしてるのか?」
ざわつく護衛たち。
「……許せない」
低い声を漏らしたのはアパテーだ。
欺瞞の女神は握りこぶしを震わせながら言った。
いつもの陽気な笑みがその口元から消えていた。
「無限階段だなんて。幻術で惑わせて死ぬまで同じ場所を歩かせる罠だなんて……。これは私への侮辱だわ! それでなくても階段なんて疲れるのに、よくも余分に歩かせてくれたわね! 欺瞞の女神を騙したこと、一生後悔させてあげるわ!」




