雪どけ⑴
あたしはどちらかといえば、あまり恵まれていないほうだと思う。
半年ほど前のことだ。
SNSか何かでそう話したら、軽く炎上した。事務所にまで誹謗中傷が寄せられた。数は多くなかったものの事務所が弱小中の弱小だったこともあり、まあまあ大事になった。
「ファンがいるじゃないか」
「アイドルになれたじゃん!」
「あなたより恵まれていない人なんて星の数ほどいる」
「悲劇のヒロインぶってんじゃねえぞ」
ほとんどがファンではない人からの言葉だった。逆にファンからは泣かれた記憶がある。
事務所に言われて謝罪したが、今でも納得できていない。
やっぱり、あたしは、あまり恵まれていないと思う。
歌うことが好きだった。
人より歌うことが得意で、上手ともよく言われ、歌うことにしか興味がなくなった。
当然のように歌手を目指し、この世界に飛びこんだ。が、何度も撃ち落とされた。
あたしみたいなのはたくさんいる。それこそ、星の数ほど。
どれだけ努力しても、努力だけは認めるババアもいれば、努力を努力とすら認めないジジイもいた。何度も何度もあたしの自信を否定された。
努力は裏切らないなんて嘘っぱちだ。
この世界は、運だ。運でできている。
たとえば、よく勉強した問題がテストに出たり。たとえば、審査員の好みで特別賞をもらえたり。たとえば、オーディションの課題曲が十八番だったり。
このドラマに出演できたのも、第一印象のインパクトが強かったから。
全部、運だ。運がよかったのだ。
――もちろん、例外もいるけれど。
「アヤ! ちょうどいいところに!」
「え? え? な、なに!?」
「ち……あ、ちょ、ちょっと」
「な、な、なあに?」
「……っすんません!!」
一旦カットがかけられた。スタッフのあたたかな笑い声に包まれる。
撮影2日目。
天候に恵まれ、大きな公園でのロケが無事に実施された。
さして人気の多くない平日の午前、公園の入口にだけ大人が群がっているのが、なんだか珍妙な景色に見えてくる。
解放的な空間をせしめるように機材が囲う。その中心には、潔く謝る巽さんと、やさしく励ます妃希さん。今日はやけにあの光景を目にする。
巽さんの調子が悪い。まだ始まって間もないのにNGを3回も出している。そのたびに妃希さんが空気を和らげてくれた。
初日をミスなく終えられ、気持ちがゆるんだのかもしれない。わからなくはない。初日の出来がよすぎたのだ。本来ならミスして当たり前。新人ならなおさらだ。
「もう1回いってみよう」
「はい! お願いしゃっす!」
「シーン46、テイク2。アクション!」
第4話。
雑誌撮影をしていたユウダイだが、急遽相手役の女の子が来れなくなり、仕事が中断してしまう。
そこに偶然出くわしたのが、アヤだ。
「アヤ! ちょうどいいところに!」
「え? え? な、なに!?」
「ちょっと俺に付き合え!」
「ええ!? つ、付き合えって……!」
「いいから! こっち来い」
モデルの代役にと目論んだ彼は、彼女の腕を強引に引っ張っていく。彼女はあわてふためき、わけもわからないまま連れていかれてしまう。
公園の中にずんずん進み、突然、ユウダイ――巽さんがこけそうになる。しかし運よくカットがかけられた。
監督たちのチェックが入る。危うくこけそうになったところは、モニターにはぎりぎり映っていなかった。
巽さんはほっと胸を撫でおろした。
「よかったですね、巽さん」
「はは、本当に。妃希さん、何度もありがとうございます」
「いえいえ。わたしもミスするかもしれませんから。助け合いましょ」
なんとかシーンを撮り終えたふたりに、晴れやかな自然光が差す。
信頼とはああやって生まれるのかと、ぼんやり感嘆しながらも、その裏側では、違和感がちらついて離れなかった。きっと、それは、あたしだけなんだろう。
誰だって失敗する。ひどいNGを出して苦戦するのは、役者が通る道であり、洗礼のようなものだ。
だけど、なぜか、妃希さんがミスする姿はまったく想像つかなかった。
彼女は今日もそつなくこなしている。カットがかかる前も、後も。セリフを噛むどころか、あくびひとつ漏らさない。大御所のような安定感、貫禄すらあった。
「監督! どうでした?」
「ああ、巽くん。オッケーだよ。最高! 最後グイグイいくところなんか特に俺様なキャラがよく出てた」
「ほんとですか!?」
「妃希ちゃんも等身大でいいね。どの表情もかわいい!」
「ありがとうございます」
初日では巽さんだけに集中していた賛辞が、今日は妃希さんにも送られた。少しずつ、少しずつ、にぎやかさからビジネス感が抜けてきている。
NGが出たことで、やさしくカバーしていた役目が、目に見えて現れ始めたからだろうか。
目を背けていた真実が、認められようとしていた。
「七音ちゃん! 次はきみも出番だ。カメラリハからいこう」
「あ、はい! 今行きます!」
監督に呼ばれ、あたしもあの明るい場へ駆け寄った。
心臓がバクバクし始める。初日とはちがう、けれど激しい不整脈に、気分が高揚していた。
次のシーンでは、フワリも同じ雑誌の撮影にやって来る。企画はちがえど現場でユウダイと一緒になれてうれしがっていると、モデルに変身したアヤが登場し、三角関係が勃発するのだ。
まず収録するのは、あたしと巽さんのかけ合い。たった十数秒の一場面で、幼なじみ同士の邂逅を描く。
その間、裏は大忙しだ。その次のカットでアヤが変身を遂げられるよう、妃希さんの衣装とヘアメイクの両方を替えなければいけない。スケジュールの都合上、準備は時間との勝負になる。
今までにないあわただしさだった。バタバタとスタッフが動き回り、撮影中以外はあちこちから声が飛び交う。
「はい、カァット!」
かけ合いのリハーサルと本番は滞りなく完遂できた。
妃希さんの準備も無事に整えられたらしい。休む暇なく、次の、変身したアヤの登場シーンに取りかかる。
ここからが第4話の見せ場。
セリフなしのソロカットでアヤの変身した様を際立たせ、地味子のシンデレラストーリーを作り上げる。
あたしと巽さんは素のリアクションをしてほしいからと、衣装替えした妃希さんとは本番になるまで会うことはできない。
アヤのソロカットを撮っている最中、別のカメラであたしたちの表情も抜かれることになっている。
「どんな感じになってるんですかね!」
「どう、でしょう……。楽しみですね」
巽さんがワクワクしているとしたら、あたしはドキドキのほう。
今か今かと心臓が血肉を叩いている。ステージのセンターで歌っているときと似た感覚だ。痛くて、苦しいのに、この発熱がたまらなくいとおしい。
「シーン50、テイク1」
あぁ、今なら“アヤ”の気持ちがよくわかる。
あたしの理想は、そう、そこにあった。
もう、戻れない。
「よーい、アクション!」
――カチン。
光を白く反射させるレフ板。人工的に吹かせるそよ風。
その奥に、細い影が浮かんだ。
カメラのアングルは、足元から。
カツン、カツン、とこちらに近づいてくるパンプスの音に連動して、アングルが徐々に上がっていく。
すらりと長い足、オフホワイトのワンピース。『mix』のロゴの入った真っ赤なハートマークが、胸元に輝いていた。
顔も見たいけれど、木漏れ日がちらついて見えにくい。
彼女が木陰を抜けると、絶妙な陰と陽のさじ加減でぼやかされていた顔が、あらわになっていった。
「……っ!」
「う、うわ……」
カメラが正面を捉えた瞬間、アヤと目が合った。
きらきらしてる。
白く、柔く、透けてしまいそうな。
大粒ラメ入りのアイシャドウも、艶のある赤いグロスも、光の反射角がずれるたびに、輝き方、色味さえも変わっていく。
ずっときらきらしていた。魔法にかかった女の子のようで、何度も何度もときめいた。
あたしたちの視線に気づき、アヤはさっと目を逸らした。ふわふわとなびく巻き髪をおさえながら、恥ずかしげに口をきゅっとすぼめる。
「か、かわい……っ」
ぽつり。隣で、低い独白がこぼれた。それがなければ、あたしが言っていた。
かわいい、と、あたしが先に言いたかった。
「カーット!!」
あ……そうだ、今は撮影中だったんだっけ。
カメラの存在なんか忘れてた。
どんな表情がカメラに抜かれていたのかもわからない。ただただ、あの少女から、目を離せなかった。
監督がモニターをガン見しながら、すごいすごいと月並みの絶賛を繰り返す。
モニターに他のスタッフも集まってきた。パチパチと、誰かが手を打ち合わせると、音が広がっていく。気づけば、制作陣のほとんどが拍手していた。
妃希さんは深々と礼をとり、はにかんだ。
彼女も、あたしとおんなじだと思っていた。運に作用された、恵まれない人間だとばかり思いこんでいた。
ちがった。彼女こそ本物だった。
うらやましかった。強く憧れてしまった。
あたしもああなりたかった。
この世界に愛されているような彼女のように。
「よし、この調子で次のシーンもいっちゃおう!」
「カメラとレフ板こっち! 急いで!」
「メイク直します!」
息が上がる。
現場にあわただしさが戻った。いや、いっそう増した。熱気が立ちこめている。
みんな別人みたいだ。少なからず、あたしも。
「本番いきます」
「シーン51、テイク1。よーい」
アクション!
ユウダイがアヤの元へ走っていった。
あたしは内心びっくりした。台本では、ユウダイがアヤをぐいっと引き寄せることになっている。あれは巽さんのはじめてのアドリブだ。
にもかかわらず、カメラは寸分の狂いなくついていく。感極まっているのは、巽さんだけじゃない。
あのきらきらした原石に、誰もが眩んでいるのだ。
「アヤ! すごい……すげぇかわいい! おまえに頼んで正解だった」
「えっ、いや、そんな……わたしなんか……」
「俺の隣に立てるのは、おまえくらいしかいねぇよ」
「そう? あたしはそうは思わないけど」
凛とした声で登場――しようとしたのに、喉がかすかに震えた。
アヤが「ふ、フワリちゃん!?」と大げさにおどろいたおかげで、あたしの声の震えがカバーされた。
敵わない。
だけど、まだ、ここに立っていたい。
「どうしてフワリちゃんがここに!?」
「あたしも仕事。アヤちゃんは?」
「な、名前……!!」
「モデルの代役に頼んだんだ。すげぇかわいいだろ?」
「そんな、ほんと、全然」
「かわいいけど、かわいくない」
ユウダイの影に隠れようとするアヤに、ちょっと待ったをかけるように声を張った。今度はうまくいった。震えてない。
アヤを見つめる目に力が入る。そこに敵意を乗せてはいけない。強く、ただ強く、火を灯す。
「どういう意味だよそれ」
「前にも言ったよね、もったいないって。すごく、もったいないよ」
「え……?」
「あなたはいつでも変われるのに」
胸がズキリと痛んだ。
フワリの台詞が、反すうし、夏凪音に沁みる。
あたしは誰だ。誰に、何を、言っているんだ。
無意識のうちに目線を下げていた。火がしぼんでいく。
あ、役が、抜ける。
反射的にカメラに背を向けた。ジレンマに迫られ、ためらいがちに去っていった。
カットがかかっても歩き続けた。枯れ葉をぐしゃりとつぶす。マネージャーに肩をつかまれ、ようやく足が止まった。
「七音、もう終わったわよ。お疲れ様」
「あ……はい……」
「七音? 大丈夫? ちょっと疲れた?」
「……あたしも、だいぶ、キてたみたいです」
あたしは、弱い。なんて弱いんだ。
わかってたさ。彼女のようにはなれないこと。
――もったいないよ。
――いつでも変われるのに。
わかっていても、ここにいたかった。




