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あなたが世界を愛さずとも  作者: 甘
ひさ子について
40/43

クチナシ⑵




――カシャッ。



黄色く点滅する電灯の下、それ以上に鮮明な閃光が連続で発火する。2度を下回る気温なんかなんのその、熱気のこもった声が上がる。



――カシャッ!



文明の利器を握りしめた女性スタッフが、一か所に密集する。よく撮れた写真を見比べ、はしゃいでいる。


甘やかな香りのしそうな、その光景を、俺は遠くから眺めていた。閃光が終息すると、女性らが一斉にこちらに駆け寄ってくる。




「雨ヶ谷さん、ありがとうございます!」


「まさか逆チョコをいただけるなんて思いませんでした……!」


「あは、喜んでくれてうれしいです」




年が明け、2月。ドラマが順調に放送され、撮影も残すところあと2回となった。


終わりが間近に迫る本日は、なんとバレンタインデー。感謝をこめて、スイーツのケータリングサービスを依頼してみた。電灯の下に停められている、大型のキッチンカーがそれだ。ホットココアやクレープなど、片手間に飲食できるメニューが多い。ここで働く制作陣全員に楽しんでもらえるだろう。


と、考えていたが、やはりと言うべきか、バレンタインへの食いつきは女性のほうがはるかに敏感だった。女性スタッフの過半数以上から、お礼とともにチョコレート菓子をいただいたが、逆チョコを送ったのは結局俺一人だけだった。


俺も、ちょっと前まではもらう専門だった。株式会社チヨ子のイメージキャラクターを務めたのを機に、立場が逆転。バレンタイン当日に仕事があるときは、チョコレートを用意するようになった。


プレゼントはするのもされるのも好きだ。気分がいい。




「あとでSNSにも載せますね」


「みんなうらやましがるんだろうなあ」


「あっ、妃希さん! 妃希さんもあとでホットココア飲みましょ!」


「……ココア、ですか?」




ワゴン車から降りたひさ子に、スタッフが声をかける。いつもの制服じゃない、マーメイドラインのワンピース姿だ。寒空に露出された脚に目がいき、あわててななめ上を仰ぐ。


撮影日のカウントダウンが近づいても、なんというか、いろいろと、一向に慣れずにいる。そんな俺の反応を、周囲にあたたかな目で見られる始末だ。


宙に泳がせていた視線が、不意に京志郎をつかまえた。なぜかしかめっ面で、なぜかドシドシと詰め寄って、なぜか眼前に来てガンつけられた。なぜだ。




「き、京志郎? どした?」


「おまえさあ」


「あ、京志郎もチョコ」


「じゃねえ」




携帯画面を突きつけられた。アップロードされたばかりのデータが、映し出されている。何かの記事だった。




「『丈、妃希、ホシヨル熱愛』……!?」


「身に覚えは?」


「ねえよ! え!? 何だよそれ!」




場がざわつく。頭が真っ白になる。


いくら恋人たちの記念日だからって、羽目を外しすぎだ。まだ俺たちは付き合ってないんだし、熱愛スクープを出すにはフライングしている。


聞けば、つい先ほど京志郎の元に連絡が来たのだという。来週発売されるゴシップ誌に大々的に取り上げられるそうだ。ウェブにそういうふうなニュースが出たことはあったが、ここまでちゃんとした記事を作成されたのははじめてだ。




「今ごろ、おまえんとこのマネにも連絡来てんじゃね?」


「まじか……」


「この手つなぎ写真は、マジ? 加工?」




拡大された写真に、生唾を飲みこむ。


画質が悪いうえに、草木や柱に妨げられ見づらいが、でっちあげじゃない。あのときのだ。東屋で、俺が無理につながせたときの。


熱愛うんぬんはともかく、この証拠については酌量の余地はない。


あそこに記者が潜んでいたのだろう。ずいぶんとあたためられた特ダネのようだ。


来週の放送回が、ちょうどその写真のときの第6話。さらに撮影は終盤。この絶妙なタイミングに爆弾を投入してきたのは、十中八九、偶然ではない。




「……ごめん」




言い訳もできない。これは俺が招いたことだ。職権乱用し、暴走していたのだ。




――ただ、迷惑はかけんなよ。




京志郎の忠告が、今になって胸を刺す。何がセンパイだ、情けない。しょせん、自惚れに過ぎなかった。


この際、俺はいい。一番の懸念は、ひさ子だ。清廉潔白なイメージが定着しているため、特に打撃を受けやすいだろう。俺のせいで彼女の輝きが陰ってしまうのは、ぜったいにいやだ。




「熱愛は、本当なの?」




騒ぎを聞きつけた監督が、厳かな面持ちで追及する。




「いえ」




我先に答えたのは、ひさ子だ。




「セリフを合わせていたんです。おそらくそのときに撮られたものかと」


「ああ、そういえば東屋で撮ったとき、空気感を合わせるよう指示を出した気が……」




彼女は一歩監督に近づき、俺から遠のく。その横顔はなおも美しい。凛々しく引き締まり、前だけを見据えている。俺よりよっぽどかっこいい。


あぁ、俺はバカだった。たった一度きりの、他人のミスで、彼女が損なわれてしまうなんて、そんなことあり得ない。


そうだった、星は、自ら輝きを生み出すんだった。



何度も、何度でも、それこそ生まれ変わるように想い焦がれる。尽きることがない。満ちても、満ちても、積もりゆく。


もらってばかりじゃいられない。




「監督!」


「ん?」


「はい、チーズ!」




カシャッ。監督の手を取り、自前の携帯で写真におさめる。フォルダに保存されたびっくり顔のまま、監督はフリーズしてしまう。


呆れた京志郎が、への字に口を曲げる。




「こんなときに何やって……」


「こんなときだからだ」


「は……?」


「京志郎、おまえも撮るぞ。他の皆さんも、一緒に写真を撮りましょう!」




京志郎の手をぐっと上に引っ張り、シャッターを切る。手のサイズがでかいせいで、京志郎の顔が半分隠れてしまったが、まあいいだろう。一応彼の意見も聞くと、興味なさそうに相槌を打たれた。




「で? 撮ってどうすんだよ」


「ホシヨルの公式にあげてもらう」


「公式?」


「『最高の仲間』と、添えてね」




付け焼刃の対策だ。この程度でスクープをどうにかできるかはわからない。だからって何もせずにはいられない。


後日、事務所から否定の声明が発表されるだろう。だが、一度流出された写真は消えない。ファンを始め、波紋は広がってしまう。


ならば、それを逆手に取る。雑誌の発売より先制し、みんなとの手つなぎ写真を見せつける。ひさ子との写真とはだいぶ意味合いが異なるものの、長い撮影期間に確固とした関係性を築いてきた。


ここに在るのは、信頼だ。その先に、愛があるのだ。




「俺、皆さんのことが大好きなんです。この気持ちに嘘偽りはありません。ご迷惑をおかけするとは思いますが、この気持ちだけでも伝えさせてください。よろしくお願いします!」




深々と頭を下げた。ぐっと左肩を押された。直角に折った上半身を起こせば、笑顔の監督に出迎えられる。




「大丈夫。わかってるよ、雨ヶ谷くんの気持ち」


「監督……」


「SNSフル活用しようじゃないか。それでだめなら、実力で黙らせればいい」




みんな味方だよ、と、肩を組み、空いてる腕を羽ばたかせる。やれやれと目を眇める京志郎、賛同してくれるスタッフ。そして、ひさ子も、やさしくほほえんだ。


太陽が沈んでいく。厚い雲が流れていく。ほの暗い夜が来ても、怖くなどなかった。




「ようし、撮影開始しますー!」




監督の声が空高く響いた。



交通量の制限された細い道路に、唯一のさばるキッチンカー。そこから10メートルほど離れた距離に、横断歩道がある。信号のない暗がりに、俺とひさ子は肩を並べる。


レフ板の位置、掲げられたマイク、回り始めたカメラ、ト書きに修正のあった台本、前髪から覗かせる肌色の割合、小道具に準備されたデパートの紙袋。能力の高いプロたちが本気を出し尽くす。花形の演者に自信を持たせ、背中を押してくれる。


紙袋を手首に下げ、かじかんだ手を紺のジャケットのポケットで防寒する。春先という設定上、真冬の夜でもジャケット一枚で辛抱するしかない。隣の彼女は、桃色のワンピースにヒールなのだから、俺が文句ひとつたれるわけにはいかない。



春――そう、これから撮影される最終回では、トワとコヨリにようやく春がやって来る。


描かれるのは卒業後のエピソード。9話で家族と決別する決意をしたトワは、ひとり暮らしを始める。動物園で飼育員として働き、少しずつ自立していく。


コヨリとは、卒業と同時に交際を始めた。その日は付き合って2年目の記念日であり、同窓会の帰りだった。




「テイク1、よーい、はいっ!」




ふたりきりの帰路にて、最終回、クライマックスシーンが始まる。



――カチンッ!



他愛のない話をしながら、当たり前のように恋人繋ぎをして、横断歩道を渡る。トワは仕事で行けないはずだった同窓会に、最後の最後で顔を出せたおかげか、コヨリの頬はずっと上を向きっぱなしだ。


4つ目の白線を踏む。紙袋がガサガサと擦れる。ジャケットの影と同化していたそれに、彼女は「ん?」と目を留める。ストレートの髪がさらりと重力に負けて落ちていく。




「それ、何?」


「あー、これは、えっと……」


「?」




反射的に足を止めた。ふしぎそうに見つめられ、筋肉が固くなる。ぎこちない動きで、紙袋から大事な中身を取り出した。


実は仕事は早めに終わっていた。同窓会に遅れたのは、これを買いに行っていたからだ。




「……これ」


「え? 花束……?」


「今日、記念日だったろ」




花屋の店員におすすめされた、純白の花。幸せだとか喜びだとか、そんな花言葉があるそうだ。いくつか候補があったが、この花をひと目見た瞬間、これだと思った。


普段はなかなか素直に言えないから、こういう日くらいは、特別なものを贈りたかった。




「トワ……くん……」


「コヨリ、ありがとう」


「トワくん」


「ず……ず、ずっと、好――」


「――っトワくん……!!」




ぴったりと重ねていた手を、強く、強く、押し飛ばされた。指がほどける。一瞬にして冷えていく。たちまち体が墜ちていく。


ぱっと照明が点いた。花火のように劇的に、ホラーのように猟奇的に、夜道を支配する。手と手を分かつ、その光は、花束さえも追いやってしまう。その生き様をカメラはたどった。


ブレーキの効果音が、耳をつんざいた。尻、次いで足腰に衝撃が襲う。



散りゆく春は、ひどく儚いものだ。




「……こ、より……?」




目の前にうつ伏せで倒れている。返事はない。


車も来ていない。演技だ。事故の瞬間は別のカットで撮ってある。今はカメラからフレームアウトし、あたかもたった今轢かれたかのように転倒した。画角に入っていないのが惜しいくらい、彼女の動きにはおぞましい迫力があった。新品も同然のワンピースに容赦なく傷がつく。


とっさに顔を背けた京志郎が、横目に見えた。できることなら俺もそうしたい。演技だと頭では理解していても、感情が、感覚が、それにちっとも追いつかない。


カットはかからない。当然だ。


部分ごとに切り分けられた場面は、すでに記録済みだ。あとは、このシーンの一連を、最後までやり遂げるのみだった。




「コヨリ? コヨリ!」


「……」


「コヨリ……なあ、コヨリ……! 返事してくれよ……っ」




ぐしゃりと紙袋を踏んづけ、横たわる彼女を抱き寄せた。物言わぬ口から、血のりが生々しくこぼれる。地面にくたばる白い花弁が、紅く染まる。


同じ年、同じ時間、同じヒト。――運命は、頑なにめぐり続ける。




「こ……よ、り……?」




そうして、ふと、既視感が咲く。



前にもこんなことがあった。


いいや、ない、あるはずがない。


けれど、なぜだろう、たしかに心が憶えている。この絶望を、この喪失感を。




「……あ……あぁ、そうだ、俺……っ」




全部、思い出した。




「コヨリ……っ、織姫、様……!」


「……」


「俺は、また……っ」




また、間に合わなかった。


花とともに、織姫が独りきりで散ってしまわれた、あの日。彦星はこっそり会いに行っていたのだ。しかし、たどり着いた場にはもう、いとしき人はいなかった。


なんて残酷なんだろうか。演じなくとも、勝手に涙があふれてくる。




「ごめん……ごめん……!」


「……と、わ」


「ッ! コヨリ!?」




弱々しく開閉された瞳は、俺を映すと、満足したようにすぐにまた閉じ切ってしまう。鮮血のしみたこめかみが、俺の胸板に預けられる。トワ、トワ、と呼び続けながら、俺のほうへ手を伸ばす。


張らせることもままならない人差し指に、涙を吸われる。落下しかけた彼女の手を、なんとか支えた。




「トワ……トワくん……」


「コヨリ!」


「泣かないで……」


「っ、」


「また……逢える、よ……」




台本にはなんて書いてあったっけ。涙があふれすぎて、ちゃんと声が出せない。


彼女の重みがだんだんと増していく。それがたまらなく苦しくて、冷えた彼女の体を抱きしめた。心音がうっすらと聴こえてくる。演技なのだから、そうでなくちゃおかしいのに、いとおしさを隠せない。




「……好きだ」




今、言わなくちゃいけない気がした。




「好きだよ、ずっと、ずっと」


「……」


「今度は、俺が、逢いに行く」




目のふちから顎先へと伝う湿り気が、表面のほうから凍りついていくようだった。痛覚をいじめる冬の外気のせいか、それとも、皮膚の下が異様に熱いせいか。


雪の結晶のごとく透明な粒が、はらはらと降る。真っ赤な血の痕に、ひとつ染み渡り、きれいに流れていった。




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