クチナシ⑵
――カシャッ。
黄色く点滅する電灯の下、それ以上に鮮明な閃光が連続で発火する。2度を下回る気温なんかなんのその、熱気のこもった声が上がる。
――カシャッ!
文明の利器を握りしめた女性スタッフが、一か所に密集する。よく撮れた写真を見比べ、はしゃいでいる。
甘やかな香りのしそうな、その光景を、俺は遠くから眺めていた。閃光が終息すると、女性らが一斉にこちらに駆け寄ってくる。
「雨ヶ谷さん、ありがとうございます!」
「まさか逆チョコをいただけるなんて思いませんでした……!」
「あは、喜んでくれてうれしいです」
年が明け、2月。ドラマが順調に放送され、撮影も残すところあと2回となった。
終わりが間近に迫る本日は、なんとバレンタインデー。感謝をこめて、スイーツのケータリングサービスを依頼してみた。電灯の下に停められている、大型のキッチンカーがそれだ。ホットココアやクレープなど、片手間に飲食できるメニューが多い。ここで働く制作陣全員に楽しんでもらえるだろう。
と、考えていたが、やはりと言うべきか、バレンタインへの食いつきは女性のほうがはるかに敏感だった。女性スタッフの過半数以上から、お礼とともにチョコレート菓子をいただいたが、逆チョコを送ったのは結局俺一人だけだった。
俺も、ちょっと前まではもらう専門だった。株式会社チヨ子のイメージキャラクターを務めたのを機に、立場が逆転。バレンタイン当日に仕事があるときは、チョコレートを用意するようになった。
プレゼントはするのもされるのも好きだ。気分がいい。
「あとでSNSにも載せますね」
「みんなうらやましがるんだろうなあ」
「あっ、妃希さん! 妃希さんもあとでホットココア飲みましょ!」
「……ココア、ですか?」
ワゴン車から降りたひさ子に、スタッフが声をかける。いつもの制服じゃない、マーメイドラインのワンピース姿だ。寒空に露出された脚に目がいき、あわててななめ上を仰ぐ。
撮影日のカウントダウンが近づいても、なんというか、いろいろと、一向に慣れずにいる。そんな俺の反応を、周囲にあたたかな目で見られる始末だ。
宙に泳がせていた視線が、不意に京志郎をつかまえた。なぜかしかめっ面で、なぜかドシドシと詰め寄って、なぜか眼前に来てガンつけられた。なぜだ。
「き、京志郎? どした?」
「おまえさあ」
「あ、京志郎もチョコ」
「じゃねえ」
携帯画面を突きつけられた。アップロードされたばかりのデータが、映し出されている。何かの記事だった。
「『丈、妃希、ホシヨル熱愛』……!?」
「身に覚えは?」
「ねえよ! え!? 何だよそれ!」
場がざわつく。頭が真っ白になる。
いくら恋人たちの記念日だからって、羽目を外しすぎだ。まだ俺たちは付き合ってないんだし、熱愛スクープを出すにはフライングしている。
聞けば、つい先ほど京志郎の元に連絡が来たのだという。来週発売されるゴシップ誌に大々的に取り上げられるそうだ。ウェブにそういうふうなニュースが出たことはあったが、ここまでちゃんとした記事を作成されたのははじめてだ。
「今ごろ、おまえんとこのマネにも連絡来てんじゃね?」
「まじか……」
「この手つなぎ写真は、マジ? 加工?」
拡大された写真に、生唾を飲みこむ。
画質が悪いうえに、草木や柱に妨げられ見づらいが、でっちあげじゃない。あのときのだ。東屋で、俺が無理につながせたときの。
熱愛うんぬんはともかく、この証拠については酌量の余地はない。
あそこに記者が潜んでいたのだろう。ずいぶんとあたためられた特ダネのようだ。
来週の放送回が、ちょうどその写真のときの第6話。さらに撮影は終盤。この絶妙なタイミングに爆弾を投入してきたのは、十中八九、偶然ではない。
「……ごめん」
言い訳もできない。これは俺が招いたことだ。職権乱用し、暴走していたのだ。
――ただ、迷惑はかけんなよ。
京志郎の忠告が、今になって胸を刺す。何がセンパイだ、情けない。しょせん、自惚れに過ぎなかった。
この際、俺はいい。一番の懸念は、ひさ子だ。清廉潔白なイメージが定着しているため、特に打撃を受けやすいだろう。俺のせいで彼女の輝きが陰ってしまうのは、ぜったいにいやだ。
「熱愛は、本当なの?」
騒ぎを聞きつけた監督が、厳かな面持ちで追及する。
「いえ」
我先に答えたのは、ひさ子だ。
「セリフを合わせていたんです。おそらくそのときに撮られたものかと」
「ああ、そういえば東屋で撮ったとき、空気感を合わせるよう指示を出した気が……」
彼女は一歩監督に近づき、俺から遠のく。その横顔はなおも美しい。凛々しく引き締まり、前だけを見据えている。俺よりよっぽどかっこいい。
あぁ、俺はバカだった。たった一度きりの、他人のミスで、彼女が損なわれてしまうなんて、そんなことあり得ない。
そうだった、星は、自ら輝きを生み出すんだった。
何度も、何度でも、それこそ生まれ変わるように想い焦がれる。尽きることがない。満ちても、満ちても、積もりゆく。
もらってばかりじゃいられない。
「監督!」
「ん?」
「はい、チーズ!」
カシャッ。監督の手を取り、自前の携帯で写真におさめる。フォルダに保存されたびっくり顔のまま、監督はフリーズしてしまう。
呆れた京志郎が、への字に口を曲げる。
「こんなときに何やって……」
「こんなときだからだ」
「は……?」
「京志郎、おまえも撮るぞ。他の皆さんも、一緒に写真を撮りましょう!」
京志郎の手をぐっと上に引っ張り、シャッターを切る。手のサイズがでかいせいで、京志郎の顔が半分隠れてしまったが、まあいいだろう。一応彼の意見も聞くと、興味なさそうに相槌を打たれた。
「で? 撮ってどうすんだよ」
「ホシヨルの公式にあげてもらう」
「公式?」
「『最高の仲間』と、添えてね」
付け焼刃の対策だ。この程度でスクープをどうにかできるかはわからない。だからって何もせずにはいられない。
後日、事務所から否定の声明が発表されるだろう。だが、一度流出された写真は消えない。ファンを始め、波紋は広がってしまう。
ならば、それを逆手に取る。雑誌の発売より先制し、みんなとの手つなぎ写真を見せつける。ひさ子との写真とはだいぶ意味合いが異なるものの、長い撮影期間に確固とした関係性を築いてきた。
ここに在るのは、信頼だ。その先に、愛があるのだ。
「俺、皆さんのことが大好きなんです。この気持ちに嘘偽りはありません。ご迷惑をおかけするとは思いますが、この気持ちだけでも伝えさせてください。よろしくお願いします!」
深々と頭を下げた。ぐっと左肩を押された。直角に折った上半身を起こせば、笑顔の監督に出迎えられる。
「大丈夫。わかってるよ、雨ヶ谷くんの気持ち」
「監督……」
「SNSフル活用しようじゃないか。それでだめなら、実力で黙らせればいい」
みんな味方だよ、と、肩を組み、空いてる腕を羽ばたかせる。やれやれと目を眇める京志郎、賛同してくれるスタッフ。そして、ひさ子も、やさしくほほえんだ。
太陽が沈んでいく。厚い雲が流れていく。ほの暗い夜が来ても、怖くなどなかった。
「ようし、撮影開始しますー!」
監督の声が空高く響いた。
交通量の制限された細い道路に、唯一のさばるキッチンカー。そこから10メートルほど離れた距離に、横断歩道がある。信号のない暗がりに、俺とひさ子は肩を並べる。
レフ板の位置、掲げられたマイク、回り始めたカメラ、ト書きに修正のあった台本、前髪から覗かせる肌色の割合、小道具に準備されたデパートの紙袋。能力の高いプロたちが本気を出し尽くす。花形の演者に自信を持たせ、背中を押してくれる。
紙袋を手首に下げ、かじかんだ手を紺のジャケットのポケットで防寒する。春先という設定上、真冬の夜でもジャケット一枚で辛抱するしかない。隣の彼女は、桃色のワンピースにヒールなのだから、俺が文句ひとつたれるわけにはいかない。
春――そう、これから撮影される最終回では、トワとコヨリにようやく春がやって来る。
描かれるのは卒業後のエピソード。9話で家族と決別する決意をしたトワは、ひとり暮らしを始める。動物園で飼育員として働き、少しずつ自立していく。
コヨリとは、卒業と同時に交際を始めた。その日は付き合って2年目の記念日であり、同窓会の帰りだった。
「テイク1、よーい、はいっ!」
ふたりきりの帰路にて、最終回、クライマックスシーンが始まる。
――カチンッ!
他愛のない話をしながら、当たり前のように恋人繋ぎをして、横断歩道を渡る。トワは仕事で行けないはずだった同窓会に、最後の最後で顔を出せたおかげか、コヨリの頬はずっと上を向きっぱなしだ。
4つ目の白線を踏む。紙袋がガサガサと擦れる。ジャケットの影と同化していたそれに、彼女は「ん?」と目を留める。ストレートの髪がさらりと重力に負けて落ちていく。
「それ、何?」
「あー、これは、えっと……」
「?」
反射的に足を止めた。ふしぎそうに見つめられ、筋肉が固くなる。ぎこちない動きで、紙袋から大事な中身を取り出した。
実は仕事は早めに終わっていた。同窓会に遅れたのは、これを買いに行っていたからだ。
「……これ」
「え? 花束……?」
「今日、記念日だったろ」
花屋の店員におすすめされた、純白の花。幸せだとか喜びだとか、そんな花言葉があるそうだ。いくつか候補があったが、この花をひと目見た瞬間、これだと思った。
普段はなかなか素直に言えないから、こういう日くらいは、特別なものを贈りたかった。
「トワ……くん……」
「コヨリ、ありがとう」
「トワくん」
「ず……ず、ずっと、好――」
「――っトワくん……!!」
ぴったりと重ねていた手を、強く、強く、押し飛ばされた。指がほどける。一瞬にして冷えていく。たちまち体が墜ちていく。
ぱっと照明が点いた。花火のように劇的に、ホラーのように猟奇的に、夜道を支配する。手と手を分かつ、その光は、花束さえも追いやってしまう。その生き様をカメラはたどった。
ブレーキの効果音が、耳をつんざいた。尻、次いで足腰に衝撃が襲う。
散りゆく春は、ひどく儚いものだ。
「……こ、より……?」
目の前にうつ伏せで倒れている。返事はない。
車も来ていない。演技だ。事故の瞬間は別のカットで撮ってある。今はカメラからフレームアウトし、あたかもたった今轢かれたかのように転倒した。画角に入っていないのが惜しいくらい、彼女の動きにはおぞましい迫力があった。新品も同然のワンピースに容赦なく傷がつく。
とっさに顔を背けた京志郎が、横目に見えた。できることなら俺もそうしたい。演技だと頭では理解していても、感情が、感覚が、それにちっとも追いつかない。
カットはかからない。当然だ。
部分ごとに切り分けられた場面は、すでに記録済みだ。あとは、このシーンの一連を、最後までやり遂げるのみだった。
「コヨリ? コヨリ!」
「……」
「コヨリ……なあ、コヨリ……! 返事してくれよ……っ」
ぐしゃりと紙袋を踏んづけ、横たわる彼女を抱き寄せた。物言わぬ口から、血のりが生々しくこぼれる。地面にくたばる白い花弁が、紅く染まる。
同じ年、同じ時間、同じヒト。――運命は、頑なにめぐり続ける。
「こ……よ、り……?」
そうして、ふと、既視感が咲く。
前にもこんなことがあった。
いいや、ない、あるはずがない。
けれど、なぜだろう、たしかに心が憶えている。この絶望を、この喪失感を。
「……あ……あぁ、そうだ、俺……っ」
全部、思い出した。
「コヨリ……っ、織姫、様……!」
「……」
「俺は、また……っ」
また、間に合わなかった。
花とともに、織姫が独りきりで散ってしまわれた、あの日。彦星はこっそり会いに行っていたのだ。しかし、たどり着いた場にはもう、いとしき人はいなかった。
なんて残酷なんだろうか。演じなくとも、勝手に涙があふれてくる。
「ごめん……ごめん……!」
「……と、わ」
「ッ! コヨリ!?」
弱々しく開閉された瞳は、俺を映すと、満足したようにすぐにまた閉じ切ってしまう。鮮血のしみたこめかみが、俺の胸板に預けられる。トワ、トワ、と呼び続けながら、俺のほうへ手を伸ばす。
張らせることもままならない人差し指に、涙を吸われる。落下しかけた彼女の手を、なんとか支えた。
「トワ……トワくん……」
「コヨリ!」
「泣かないで……」
「っ、」
「また……逢える、よ……」
台本にはなんて書いてあったっけ。涙があふれすぎて、ちゃんと声が出せない。
彼女の重みがだんだんと増していく。それがたまらなく苦しくて、冷えた彼女の体を抱きしめた。心音がうっすらと聴こえてくる。演技なのだから、そうでなくちゃおかしいのに、いとおしさを隠せない。
「……好きだ」
今、言わなくちゃいけない気がした。
「好きだよ、ずっと、ずっと」
「……」
「今度は、俺が、逢いに行く」
目のふちから顎先へと伝う湿り気が、表面のほうから凍りついていくようだった。痛覚をいじめる冬の外気のせいか、それとも、皮膚の下が異様に熱いせいか。
雪の結晶のごとく透明な粒が、はらはらと降る。真っ赤な血の痕に、ひとつ染み渡り、きれいに流れていった。




