クチナシ⑴
『ついに情報解禁! 実写化決定で話題を呼んだ、あの名作の主演が本日発表されました』
12月。
第3週目に差しかかり、各局で冬季ドラマの詳細が明かされ始める。その第一投目が、ちょうど報道されている。夕方の情報番組、その中で長い尺をとっているエンタメ枠で、『星のない夜』が一番手に選ばれていた。
ニュースをチェックしようと携帯をいじっていたときだった。『連ドラ初主演同士でW主演!』と、ふきだしに囲われた見出しが右上に表示された。横にした画面いっぱいに、ポスタービジュアルが2種類とも公開される。
画像が切り替わる。主演ふたりの宣材写真が並べられた。『雨ヶ谷丈』『春日野妃希』と、写真の下に名前が浮かび上がる。油断するとにやけてしまいそうで、下唇を噛んだ。
「あっ! だめですよ雨ヶ谷さん!」
やべ。どっちにしろ注意されるのか。
コンパクトに折り畳みできるタイプの三面鏡に、ややむくれた顔が映る。電源を入れたヘアアイロンを手に、背後を取られると、このまま討ち入られるのではないかとひやひやした。
「リップ塗ったばっかりなんですから。噛んだり舐めたりしないでくださいね」
「あ、あは、そっか。ごめんなさい」
気恥ずかしくなり、首をすくめる。ニュースはすでに別の話題に替わっていた。
寒くなってきた冬の空気を一切遮断した、黒のワゴン車の中。暖房がついていて、もはや異空間だ。髪に熱がとおり、よりいっそう体感温度が高まる。
夕焼けの濃度が上昇し、人工的なライトが存在感を増していく。今回のドラマ撮影は、ライトが役に立たなくなるほど真っ暗になるまで及ぶ。しかも、外でのロケ。気温との戦いにもなる。被害に遭いやすい唇は、念入りに保湿と着色が必要になる。注意されるのも当然だ。
「雨ヶ谷さん、なんだか人間らしくなりましたね」
今日も今日とてヘアメイクを担当してくれている柳さんは、髪のバランスを整えながら、なんとなしにぽつりとつぶやいた。ぽかんとする俺の顔を、鏡にばっちりバラされる。
「ええっと……俺、前から人間でしたよ?」
この会話、前にもしたなあ……。
俺ってそんなに人間離れしてたか?
実際に訊いてみれば、間髪入れずに「すみません!」と返ってきた。スーパーポジティブマンと言われた俺でもさすがに、どっちに取ったらいいか、困ってしまう。
「あ、あの、悪い意味じゃないんです……!」
訂正が入り、安心した。褒め言葉ならありがたく受け取れる。
「実はあたし、2次元に推しがいまして。王国の王子様なんですけど」
「へえ、王子か」
他人ごととは思えない肩書きだ。
「彼にそっくりなんです、雨ヶ谷さん」
「えっ? 俺が?」
ぶっちゃけ、そう言われることはよくある。SNSや手紙、映像化する原作の著者の方などから、そっくりさんの口コミが寄せられるのだ。そこから派生し、「リアル王子」の名が生まれた。
彼女の推しだという立ち絵のイラストとスチール写真を見せてもらった。金髪碧眼の美青年。とにかくキラッキラしている。まさに白馬の王子様だ。
鏡の自分と見比べてみる。金髪碧眼になった自分をイメージしてみる。どう考えてもオーラが足りない。
誰かの王子になれるのは大変光栄なことだけれど、マジモンとそっくりだなんておこがましくないだろうか。
「似てます?」
「似てます!」
「そうかな……?」
「似てるんです!!」
「お、おお……」
彼女には俺がこんなふうに見えているんだ。何とも言えないこそばゆさに見舞われる。礼を伝える声に照れがふんだんに混じった。
「だから今まで、推しと会っているようでドキドキしちゃってたんです。でも最近の雨ヶ谷さんを見ていると、やっぱり3次元なんだなあと思って」
「3次元……」
「あ、これも悪い意味では……!」
「あはは、わかってますよ」
うん、わかってる。俺自身、最近になって、ようやくわかってきた。
俺は思ったよりかっこよくない。たぶん、イイ男じゃない。白馬に餌はやれても、うまく操縦することはできないんだと思う。
そんな自分が憎らしく、愛おしい。
鏡にトワの姿が反射する。
俺とおまえは、正反対だと思ってた。蓋を開けてみれば、根はおんなじだった。おまえもそう、人間臭く生きているだけなんだよな。
車を降りると、寒暖差にHPを削られた。制服の上に黒いダウンを着こみ、防御に徹底する。日に日に、日が落ちるのが早くなってきた。一番星が爛々と踊っている。
小山のふもとにある公園が、本日の舞台。そこの高台に建っている東屋に、親しみ深い顔ぶれがずらりと揃っていた。
「雨ヶ谷くん、こっちこっち!」
「すみません、お待たせしました」
打ち合わせしていた監督たちの輪に駆け足で加わる。
今日は午前に何カットか撮ったあと、別現場に行き、夜にまた戻ってくるという、変則的なスケジュールだった。朝ぶりに再会したみんなは、こころなしか目の皮がたるんでいる。
あ、ひとりだけ。私服姿のコヨリを再現した、あの少女だけは、はじめのままだ。おはようと挨拶したときから時間が経っていない。マネージャーのサポートのおかげかと思ったが、奴は必死にあくびを嚙み殺している。
「さて、これから第5,6話を撮っていくわけですが」
「はあ、もう6話か。早いな」
「まだまだ。折り返しだよ」
しみじみと浸る助監督を、監督が一刀両断する。
計10話を予定している本作の撮影が、今日で半分を超える。第5話に限っては撮っていないシーンも少しあるものの、いよいよ後半戦に差しかかろうとしていた。
3冊目となる台本は、まだ新しい。どんどん丸くくたびれていくのだろうと考えるだけで、こみ上げてくるものがある。
「まずは5話のラスト。家から逃げ出したトワが、東屋にいるところに、コヨリが通りかかるシーンから」
「そこから6話の最初にかけて、ふたりの心の距離がぐっと縮まる描写なんですが、ふたりとも苦しさや切なさから解放されたわけじゃないからそこだけ注意してください」
「コヨリとトワは前世でのつながりもあって、原作では、愛情に密接した気持ちの表情やら雰囲気がちょっと似てるんだよね。あとで空気感合わせておくといいかも」
「はい、わかりました」
「セリフ以外も確認しときます」
「じゃあ一回ドライやってから、リハで雨降らして構図を調整します!」
東屋を中心に、一連の流れを綿密に成していく。カット割りが細かく記された割本に目を通しながら、動きを体に叩きこむ。
トワは父親と喧嘩し、この公園にふらりと訪れる。高台に来たら、ここで雨が降る。足をすべらせないよう注意。そんで、東屋の椅子、右側の真ん中の位置に座る。カメラにドアップで抜かれるから、表情は念入りに作りこむべし。
1話ではすれちがっていただけの場所で、コヨリはトワを見つける。差そうとした傘を、半開きの状態で放り捨てる。そのときはト書上、まだ俺は顔を上げない。音が立ってもじっとしてる。
コヨリもここにやって来る。座らず、俺の前に立ち尽くす。ためらいがちに俺の頬に触れる。
俺の前髪から雨粒が滴る、予定。紛れるように涙も流す。そのためには頭に水分をたっぷり吸わせ、前髪に水分を集めなくちゃだから、つまり椅子に座るときに前屈みになればいいってことか。
「で、コヨリのセリフ」
「……どうして、泣いてるの?」
「トワ、衝動的に」
「……ッ」
「そうっ! コヨリの腰を抱いて――!」
監督の繰り出すコマンドに、身体を突き動かす。ダウンの上から彼女を抱き寄せた。胸元の下あたりにこめかみを沿わせる。細い腕がゆっくり、たしかに、俺の身を守ろうとする気配がする。
ドッ、ドッ、ドッ。心音が鼓膜を打つ。間違いない、俺のだ。
「トワ? ……雨ヶ谷くん?」
監督に呼びかけられる。役名じゃなくなったことで否応なしに察した。
「す、すみません……っ」
ぎくしゃくと彼女から腕を離した。衣装の内側がえらく熱い。今にも燃えそうだ。顔色ひとつ変わらない彼女を一瞥し、症状はさらに悪化した。ダウンのフード部分でぱたぱたと冷ましながら、ついでに耳元を覆い隠す。
監督が意外そうに呆ける。
「雨ヶ谷くん、かわいいところあるんだね」
「……どういう意味っすか」
「成長したってこと」
割本で頭をぽんと叩かれた。ドライを終わらせ、俺と彼女に休憩を言い渡す。監督はスタッフを率いて、リハーサルそして本番に向けて機材等を取りまとめに行った。
紺色の屋根の下、ふたりきり。呼吸が浅くなる。はっ、とこぼれ出た無声音が、不透明に淡く色づき、闇に溶ける。
俺は頭を抱えた。だっせえところを間近で見られ、正気でいられそうにない。「照れ」どころじゃない。けれど、離れがたい。
彼女は役の立ち位置からずれようとしない。おそるおそる視線を上げれば、ただ静かに様子をうかがっていた。
白旗を上げるように、俺は赤らんだ首をさらした。
「……なんでさ、そんなふつうでいられんの」
ずりい。俺は彼女の心音を確かめるのもままならなかったってのに、俺のは厚手のアウターを越えてもきっとわかりやすい。
「ふつう、というのがよくわかりませんが……慣れ、ですかね」
「慣れ……慣れか」
「ふつうに見えるように自分を慣らしただけですよ」
てことは、彼女も本当は、ふつうじゃない……?
一点の穢れのない清流にも、人目のないところでは荒波が立っているのか。俺みたくわかりやすくはないだけで。
心音を欲に侵されたのは、俺だけじゃなかったかもしれない。そう気づかされたとたん、複雑に絡まっていた糸が一本につながり、大きな輪っかを作る。
「慣れ、ね。そっか。じゃあさ、慣れるために、ちょっと手伝ってくんね?」
「はい、何でしょうか」
「ここ」
空いてる隣をにこやかに示した。スカートのプリーツを気にしながら、彼女は右隣に腰かける。わずかに板が軋む。
右半身の神経が猛烈に研がれていく。適度に保たれた隙間に、かじかんだ指を開いた。ひらひらと振ると、彼女は眉をくいと寄せる。
「えっと……?」
「空気感、合わせたほうがいいって言われただろ」
「そうですが……」
「前世の関係性から得られるものがあるんじゃねえか?」
「……そのうち、慣れてもいく、と」
「そうそう」
空気感とかいう抽象的なものをつかむには、形から入ったほうが手っ取り早い。っていう、建前。これは欲だ。
ずっと大きく広げっぱなしだった手のひらに、一身に受けていた冷風がぴたりと止む。上から根を這うようにかぶせられた、そのやわな手は、やはり子どものそれだ。
8年も長く生きている俺以上に、自分自身を理解している彼女は、大人びているとはいえど、それでもまだ齢16の未成年なのだ。
俺にも年上のプライドっつうもんがある。そんな彼女だからこそ、頼られたい。守りたい。指の隙間までも耐えがたく、端から塞いでいった。何もかも、欲まみれだ。
「妃希ちゃんって呼んでもいいか?」
「……許可を求めてくれるのであれば、ちゃん付けはやめていただきたいです。できれば、下の名前も」
「なんで?」
「苦手だからです」
どうしよう、うれしい。なんでもうれしい。感情が滝を昇っていく。止められない。もっと、もっと、知らない彼女を求めたくなる。
これに慣れろと? 無理だろう。いつもの俺の姿すら、もう思い出せやしない。
早く慣れたほうがいい。そんなことは百も承知だ。けど、慣れていないから楽しいのも事実。この気持ちを今まで経験してこなかったなんて、人生の半分は損していると言っても過言ではない。
その分をすぐにでも埋めたいがために、彼女の手の甲に指先をしがみつかせた。彼女の手が一瞬、ぴくりと痙攣する。
「なら、ひさ子って呼ぶことにする」
「話聞いてました?」
「いいだろ、ひさ子」
「いやです」
「今のは許可を求めてるんじゃなくて、自慢」
「……」
「ひさ子も、俺のこと丈って呼んでくれていいから」
「……わかりました、雨ヶ谷さん」
おい。ツッコミを入れても、彼女はつんとすましたまま。対抗して「ひさ子」とこれみよがしに呼びかける。俺だけの、特別な呼び名。口にすればするほど、愛着が湧いてくる。
視線で拒否を訴えかけられたが、俺の幸福感といたずら心をそそるだけだ。俺ってたいがい、Sなのかも。
ため息まじりに「もう大丈夫そうですね」と手を離されかける。ぎゅっとつなぎ止めた。俺はにんまりと笑ってみせる。力では敵いっこない。仕方なく彼女は、椅子の上に手を置いた。
「どうせなら読み合わせでもしませんか」
スカートの上に台本が開かれる。刷られたセリフに、いくつか書きこみがされてある。そのページは、さっき行われたドライの続き。ひとりぼっちの夜に温もりをくれた、その後の話。
第6話。
落ち着きを取り戻しながらも、トワは依然として寂しさから逃れられずにいた。だから、コヨリにすがりついた。こんなときでも寄り添ってくれる存在を手放せるはずもなかった。
この、触れ合った手と手のように。
「今夜は、星もねえな」
「うん……でも、会えるよ」
「え?」
「雨が降っても、夜が明けても……いつでも、そばにいられるよ」
「……っ」
「だから、ひとりで泣かないで」
木製の屋根が呻き出す。技術面のテストで、上空から水のシャワーが噴射されたらしい。ポタポタと水滴が落ちる。星明かりが霞んでいく。
なぜだろう、どこも寒くない。
この時間が永遠に続けばいいのに。
――カシャッ。
鋭利な音が、闇夜を切り裂いた。




