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あなたが世界を愛さずとも  作者: 甘
妃希さんについて
4/43

原石⑵




「リハはじめまーす」



スタッフの声が後か先か、小さなハコに若い男女が濁流のように流れこんできた。肌寒そうに身を丸めながら、待望の空間に息を白くさせている。


今回の撮影のために一般募集で集められたエキストラは、30人以上もいる。そのうちの7割は女性だ。なかには制服姿の子もいた。



一般女性のほとんどがきょろきょろと辺りを見渡し、ある一点で視線を固定する。その先は、巽さんだ。


ファンに気づいた巽さんがひらひら手を振ると、黄色い声が飛び交う。



あたし目当ての人は、おそらくいない。いたとしても片手で足りるほどだろう。肩身が狭いとはこのことか。


これからライブシーンがあるっていうのに、居心地が悪すぎる。できることなら耳も目も塞いでしまいたい。



こんなんであたし、うまくやれるのかな。




「ではまず、ライブシーンのリハーサルから。七音さん、ステージにお願いします」


「……っ、はい」




竦む足を叩いて、檀上に上がった。あたし一人にしては広すぎるステージにぽつんとたたずむ姿は、きっとひどく無様で、心もとない。


案の定、エキストラからの視線は不揃い。こっちを見たと思ったら、あっちへよそ見。


完全に、アウェー。


アイドルのライブというより、駆け出しの学生バンドのライブといったほうが合っている気がする。


緊張感が抜けていく。悪い意味で。



音響の確認とともにカメラリハーサルが始まった。


口パクで動きを確かめていくあたしに、客であるはずのエキストラはなんとなく騒いだり、かじかんだ手をさすりながらテキトーに拍手したり。遊び半分な歓声はうすっぺらく、リズムにすら乗れていない。


その場しのぎの盛り上がりが、メンタルをグサグサ刺してくる。



誰も“あたし”を見てくれない。むしろあたしだけが浮いているよう。


こんなのサクラ以下だ。せっかくのライブの雰囲気が台なし。ライブハウスを借りている意味がない。



悔しい。


悔しい!


現役アイドルとしては、文句のひとつやふたつ言ってやりたい!




「あ、あの!」


「はーい、リハオッケーです。次のシーンいきまーす」


「え……」




オッケー? 本当に?


帽子をかぶった中年男性が、雑な丸のサインを出した。彼こそが監督であり、彼を中心に淡々と作業を進めている。あたしだけを置き去りにして。



嘘でしょ……。あんなグダグダでサイアクなライブシーンで満足したの?


それでいいのか制作陣。


……いいんだろうな。



しょせんウェブドラマ。


製作費は限られている。低予算でそれなりのものを作るのに、全シーンにこだわっていては埒が明かない。


あたしのような脇役風情に本気で付き合っても、時間が押すだけだ。妥協したほうがよっぽど効率がいいんだろう。



そもそも、このドラマは、スポンサーである『mix』の宣伝および売上向上、そして男子高生ミスターコンの知名度アップを目的として企画された。


そう、顔合わせのとき、プロデューサーの口からはっきりと告げられた。



スポンサーが贔屓にしているミスターコン出身者をかっこよく目立たせられたら大成功。作中でも現実でも、彼が主人公なのだ。


フワリ役のあたしも、ただの噛ませ犬。サクラの一部に過ぎない。



ここは、四面楚歌。どこにもあたしの味方はいない。


これほど不完全燃焼なステージがあるだろうか。いや、ない。……いや、オーディションのときよりはマシか。


これは、あたしの、フワリのためのステージだ。


誰がどう思っていようと、檀上に上がっている間はあたしが主役。あたしだけのもの。


その大事な大事な瞬間を、他人に任せられるか。あたしが自分の手で生かさなきゃ。チャンスを殺すわけにはいかない。なんとしてでも。



男は度胸、女は愛嬌?


その時代は終わった。このご時世、女だって度胸と愛嬌の両方がなくちゃやってられないやい!




「本番始めます!」


「シーン2、テイク1」




第1話の冒頭、アヤがアイドルオタクだと視聴者に紹介するライブシーン。


リハーサルでは歌っているフリだったが、本番は生歌唱がある。


あたしの見せ場。度胸と愛嬌が試される。



あたしにできるだろうか。……いいや、やるんだ。やってやるんだ。合いの手をわんさか入れたくなるくらい魅せてみせる。


喉の調子はいい。振り付けは完璧に覚えた。自慢の歌声はよく響き、踊る姿は映えるだろう。



そうして、“夏凪音”の存在を、知らしめるのだ。




「よーい、アクション!」




七音も、フワリも、職業はアイドル。


客をトリコにしてこそ、アイドルの真髄。



ここは、あたしが一番光る場所。




――カチン、と合図が鳴った。




スイッチを入れるように、コーラルピンクのグロスを塗った唇をきゅっと引き上げた。耳上にくくった髪の毛をさらりとなびかせ、厚底のヒールで一歩踏み出す。


ステージのセンターに立つと、スポットライトが当たった。


薄黄色の照明は、あたしが主役だと豪語すると同時に、『mix』の提供した衣装を注目させる。かわいいでしょうと言わんばかりにくるりと一回転し、やわらかくほころんでみせた。




「みんなあ、今日はフワリに会いに来てくれてありがとーお! 一緒に楽しもうねえ!」




わざと間延びさせた、猫なで声。


リハーサルと同じ、表面上の盛り上がり。


音響機材から流れ出る爆音に、呼吸を合わせ、体をしなやかに動かしていく。



ねえ。



ファンのみんな。


あたしを、フワリを、見て。


見てくれないと、許さないよ!



ワン、ツーとステップを取り、大きく息を吸った。高らかに声を震わせる。


登場時と変わらずトーンは甘く、しかし、歌う声は力強く、ダンスをしていてもブレずに声量を上げていく。




「あ……っ、すごい」


「わ……わあ! かわいい!」


「こっち見てー!」


「フワリちゃーん!」




あたしの歌声は、ちゃんと人を惹きつけられる。


計算どおり。素とライブでギャップをつけ、沼に引きずりこめている。



サビに入ると声援が増した。大きく腕を振り、ジャンプし、あたしの名前を呼ぶ。心からライブを楽しんでくれている。なんて気持ちがいいんだろう。


エキストラだった彼らは、今やれっきとしたファンと化している。巽さんのことなど忘れ、あたしに目が釘付けだ。


右端にいる、妃希さんもきっと――




「ふわっふわっ、かわいい、ふっわっりー! ふぅーー!!」




――あたしの、ファン……?



挨拶を交わしたときの鈴の音のような声が、ときおりかすれながらも野太く力んだ。あたしの一挙一動を見逃すまいと、怖いほどかっ開かれた眼には、涙の膜が張っている。


写りなど一ミリも気にしていなそうに顔をくしゃくしゃにさせ、リズムに合わせたラブコールを叫び、ペンライトを振り、全身から熱情を放っている。



あれが、妃希さん?


本当に?



羞恥心のかけらもなく、髪の毛がぼさぼさになってもメガネがずれても、ひときわ大きな歓声を轟かせ続ける――あの、あの子が、箱入りお嬢様のような少女と同一人物だって?



信じられない。


台本にそんなト書はなかったし、本読みでもリハーサルでもここまで激しくはなかった。あのスタッフたちから指示があったとも思えない。


素で、アヤ役として寸分たがわぬ動きをまっとうしている。


オタ芸のオの字さえ知らなそうだったのに、惜しげもなくそれを披露し、エキストラの人たちに若干距離を取られているほどだ。



妃希さんじゃないみたいだ。まったくの別人がのり移ってしまったかのような……。


あれは演技? これは現実?


わからない。境界線がぼやけていき、判断がつかなくなる。



動揺をぎりぎり隠しながら、華麗にターンをきめた。間奏部分でステージを端から端まで移動し、観客の声に応えていく。


最後に、台本どおり、右端の妃希さんの元へ。




「わっ、あっ、ふ、フワリちゃ……フワリちゃああんん! わああ! かああゆうういいい! すきいいい!!」


「ぁ……ありがとーお! フワリもみんなのこと大好きだよお! ちゅー!」


「はうっ!!」




投げキッスのファンサービスをすると、彼女は胸を強く押さえた。


ぽたり、と透明な雫と鮮血が垂れた。頬には涙の、鼻の下には血の跡がついている。




「むり。しゅき。尊い」




表情。返答。気持ち。


どれもがあたしの欲しかったものだ。あたしが求めていた以上のものを届けてくれる。



アヤだ。あそこにいるのは、まぎれもなく、アヤなのだ。


この中の誰よりもアイドルを愛してくれる。ファンの鏡であり、フワリの限界オタクそのものだ。



すごい。あれが、ドラマ初出演の子の演技? すごすぎる。


ここはあたしが一番光る場所――だったはず、なのに、やられた。



春日野 妃希。あの子は、何者なの。




「――カーット!!」




はっと我に返った。


アヤは何を――いいや、ちがう、妃希さんだ。混ざるな、混ぜるな。


監督の合図で役の抜けた妃希さんは、何ごともなかったかのように無造作に鼻血を拭った。




「いやあ、初撮りにしてはすごくよかったよ、ふたりとも!」


「本当ですか? ありがとうございます」


「……ありがとう、ございます」




監督に同感だ。よかった。すごくよかった。ウェブドラマにしては異例のクオリティーになったにちがいない。


でも、素直に受け取れない自分がいる。


緊張していたものの自信があった。あたしの歌声には価値があり、力がある。そう自負しているし、エキストラの反応を見ても明らかだ。


だが、今、それ以上のものと邂逅してしまった。



あたしはきっと、自惚れていたのだ。




「お疲れさま、七音! すごくよかったわよ!」


「すごいのはあたしじゃなくて……」


「七音?」


「……いえ、なんでもないです」


「汗すごいわよ。はい、ドリンク」




ステージを降りると、マネージャーが嬉々として出迎えてくれた。


どっと疲労感が押し寄せる。冷えた汗がこめかみを伝う前に、急いで水分を体内に注ぎ入れた。


撮ったばかりの映像が、モニターに流れる。そこには笑っているフワリとアヤがいる。高熱のときに見る夢のような奇妙さがあった。



悔しい。さっきとは、また、別の。



エキストラの熱が冷めやらぬまま、次のシーンを撮る準備にかかる。ステージ前に固まっていたカメラが、後方へ移動された。


次は、待ちに待った巽さんの出番だ。



巽さん演じるユウダイは、ライブ会場近くでアヤと出会う。


アイドルオタクであることをユウダイにバカにされたアヤは、激怒し、フワリのライブにユウダイを無理やり連れていく。


そこでユウダイは、アイドルの魅力、そしてフワリが幼なじみであることに気づくとともに、楽しそうに笑うアヤに惚れてしまうのだ。



恋愛ドラマにおいて恋に落ちる場面は屈指の名シーンになるべきであり、立ち稽古でも何度も練習していた。



あたしは待機がてら、モニターの前に並んだパイプ椅子に腰かけた。


監督が演者とカメラを交互に確認しながら、シーンを割って撮影する手筈を指示している。さっきとは打って変わって、指示が多い。主に巽さんに。


今回は、恋に落ちる場面を強調すべく、妃希さんと巽さんの横顔にカメラが寄って撮影するらしい。また別のカメラには正面からの姿が映っていて、ふたりの動きがよく見える。



本来ならこのシーンが、妃希さんの光るタイミングだった。なんて末恐ろしいんだろう。


妃希さん。あなたはどんな演技をして、ユウダイをトリコにするの?


特等席でお手並み拝見させてもらおう。あなたが何者なのか、どうか教えて。




「シーン10、テイク1」


「よーい、アクション!」




――カチン。



短く響いた音を皮切りに、ビビットカラーの照明が会場を色付けた。


妃希さんの表情も。一瞬にして、アヤの色に、変わった。




「フワリちゃん……っ」




あでやかなピンク色の光に当てられ、アヤは恍惚とした表情をみるみる火照らせる。


アヤの目には、そこにはいないはずのフワリがたしかに映っていた。


息を呑む音がエキストラから聞こえた。最初自分がそうしたのかと思った。それほど彼女にしてやられていた。




「……あいつ、もしかして……!」




巽さんはまだアヤを見ていない。空っぽのステージを、フワリがパフォーマンスをしている想定で眺めている。


だからか、まだ、演技ができている。


幼なじみと気づいて驚いた様子は、拙さはあるものの、ウェブドラマではなんら問題のない完成度だ。



しかしそれも時間の問題だ。


本物のアヤと対峙したとき、彼はどうなってしまうのか。


どうにかなってしまうのは確定事項だ。覚悟を持ったあたしでさえ、動揺したのだから。いくら主演といえども、新人では太刀打ちできまい。まあ、相手役も新人ではあるけれども。


あの演技力の高さなら、どうにだってできてしまえる。




「あの人は――フワリちゃんは、わたしの救世主なんです。最高にかわいくて、最強にかっこいい……!」


「へ、へぇ……」


「フワリちゃんって、アイドルって、すてきでしょう? ね!?」




アヤはユウダイのほうへ振り向いた。崇拝対象にありったけ注がれていた、その一途な熱ごと。1,2,3秒と数える間もなく、目配せをして、正面に向き直す。



あぁ……ずるい。



ひっつめ髪も、分厚いメガネも、アヤのかわいさを十分に隠しているはずなのに、あの黒光りした線が揺らめくたびに目を奪われ、レンズに光が差し込むたびにその奥のつぶらな瞳がきらめき、やっぱり目を奪われる。とろけそうな笑顔が、それに拍車をかける。


設定どおり、絶世の美女であることを暗に告げていた。



ずるいなあ。形が何であれ「好き」でいっぱいのときに目が合ったら、ときめくに決まってる。


ぜったいかわいいもん。ものすっごくかわいかったもん。


ほら。ユウダイ――いや、巽さんも案の定、あっけらかんと焦がれているじゃないか。




「……あ、ああ、そ、だな」




ぎこちなくうなずきながら視線を泳がせ、隣からうつってしまった熱に狼狽えている。ちらりと彼女を盗み見ては、にやつきそうな唇を引き結び、すぐさま目を逸らした。


あれが演技なら最高レベルに達しているが、あいにくそうではないことを痛感している。


あーあ。瞬殺だったな。わかる。わかるよ。監督やスタッフたちも虜になっている。あれは不可抗力だよね、わかってる。




そうだ。そうなのだ。


アヤが、春日野 妃希が、規格外なのだ。




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