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あなたが世界を愛さずとも  作者: 甘
ひさ子について
36/43

芽吹き⑵




衣装替えの時間だ。彼女のソロカット撮影が開始したのをよそに、制服を脱ぐ。男の支度のほうが単純で、所要時間はそうかからなかった。


早めにスタジオ入りした。彼女のほうはようやくメイクに入ったらしい。


待機している間の微妙な隙間時間。スタジオの片隅で麦茶を飲みながら、背広姿の男性スタッフと和やかに語らう。休憩ではなく、よくあるインタビューだ。受け答えした内容は、後日、公式サイトにアップされるのだそう。




「クランクイン、おめでとうございます」


「ありがとうございます」




形式ばった挨拶から始まり、『星のない夜』の物語に触れつつ、本題に入っていく。




「連続ドラマの主演ははじめてとのことですが、心境はいかがですか」


「もっと緊張するかと思ってたんですけど、実際、そうでもなかったです。ひとりじゃないからかな。あ、あと、今までの経験も、自信につながっているんだと思います」


「今までは映画に多く出演されてましたよね。特に、恋愛漫画原作の」




高校生ミスターコンテストで華々しくデビューして以来、仕事の5割以上が漫画原作ありきの映像作品で回っていた。ちなみに、他4割がモデル、残りはバラエティーやラジオなどである。


2次元から飛び出てきたビジュアル――ファンの誰かがSNSで発信した、その謳い文句がバズり、一時期どのメディアにもその肩書きが使われていた。ありがたいことに「リアル王子」とも呼ばれ、それを耳にした業界人からオファーをいただく。その繰り返しだ。


昨年、いや一昨年くらいか、4作品同時に収録が進んでいたことがあったっけ。あんときは死ぬかと思った。


あまりに映画に出ずっぱりなものだから、そっち専門なのかと、役者仲間や先輩に訊かれたこともある。自分的にはそれでもよかった。それでファンが喜んでくれて、作品が盛り上がるなら、万々歳だ。けれど、事務所は“雨ヶ谷 丈”をよりいっそう売り出そうとしているらしく、満を持してこの現場に駆り出されたというわけだ。




「映画とドラマでの主演に、ちがいは感じていますか?」




時間的に最後の質問だ。少し悩む。ネタバレにならず、収録前でも感じているちょうどいい塩梅のこと。過去と比較しながら、端から端まで思い起こしていく。




「ちがい……。表現方法、ですかね」


「というと?」


「漫画原作の作品は、表情や動きの憶測が比較的立てやすかったんです。原作を見れば答えが載っているので、そのとおりに演じるとおのずと良いシーンになることが多いんですよ」


「なるほど。では小説原作の本作では?」


「これまでと比べると、ちょっとむずかしいです。小説って、文字しか情報がないじゃないですか。だからある程度、登場人物や場面を補完しなきゃいけなくて。そこがむずかしいんですよね……。演技にも自分の解釈が含まれやすいし、かといって解釈が多すぎると原作のイメージとかけ離れちゃうし。どの表現が良いシーンにつながるのか、監督たちとよく話し合って模索しています」




むずかしさは、楽しさと表裏一体だ。いつもより役について考えることは多いけれど、その分、確実に自分の世界が広がっている。未開拓地を冒険しているよう。その感覚が、好きだ。


俺ほど、俳優という特殊な職を乗りこなしている人は、他にいない。そう自惚れるくらい、俺の生き方との相性がぴったり噛み合っている。ミスターコンに参加していなかったとしても、いずれはこの業界に足を踏み入れていただろう。



タイミングよく彼女の支度が整った。スタッフに先導されやって来る。ふわふわと、うしろが特に長い裾がひらめく。無機質なスタジオが、一瞬にしてバージンロードへと変わった。


特注の衣装は、加賀友禅によって描かれた着物をアレンジして作られた。Aラインのシルエットの下方部には、まるでお姫様のように襞を盛りこんである。金糸で星座の刺繍が施され、ラメ入りの帯はゆるめに蝶々結びされている。


髪の上半分を束にし、頭部にハートマークの形を作った、そうけいと呼ばれるヘアアレンジに、華奢な二連かんざしを差してある。その上に羽織っているのは、マーブル模様に染色されたベール。


一歩ずつ歩くにつれ、時の進みが遅くなっていく。おそらく誰もが現実を忘れていた。インタビュアーの男性もそう、絵に描いたようなうっとりとした惚け顔をし、思わず感嘆した。




「わあ……織姫みたいだ」




みたい、じゃない。そうなのだ。


彼女は、今、織姫なのである。



『星のない夜』正しくは『星のない夜も、きみと。』は、高校生同士のありふれたラブストーリーではない。ふたりの恋路には、七夕伝説が深く関わってくる。


コヨリとトワは、織姫と彦星の生まれ変わりなのだ。


1年に1度、星の輝く夜にしか会えなかったふたりが、めぐりめぐって、現代の日本で邂逅する。それをきっかけに、コヨリに前世の記憶がよみがえる。対して、トワには何の変化もない。それでもコヨリは、もう一度、彼を愛してしまうのだ。



これから撮影するポスタービジュアルは、前世、織姫と彦星であったときのバージョンだ。そのため俺も、袴を手軽にしたような衣装をまとっている。ヘアスタイルはセンター分けにし、後頭部にエクステを付け足しておだんごを作った。


衣装の生地は、織姫は鴇色、彦星衣装は瑠璃色。その他は基本両者同様、白で統一され、差し色に金が使われている。


グリーンバッグにふたり並ぶと、奈良時代にシミラールックをしている恋人のようだ。撮影では、実際に、伝説級の溺愛カップルとして写らなければならない。形から入るのも趣がある。


彼女と向かい合う。手始めに近距離で笑い合ったり手をつないだりし、画の印象をうかがう。パチリ、とか弱げにシャッターが打たれた。


透け感のあるベールが、軽く持ち上げられる。彼女の元から影がうすれていく。制服のときよりもメイクは色鮮やかに仕上げられ、それでいて、ところどころにコヨリの雰囲気が残されている。プロの成せる業だ。




「おでこ、くっつけてみようか」




カメラマンに従い、こつんと額を合わせる。


ふつう間近で見れば見るほど、ぼろが出る。しかし彼女の場合、近いほど白く澄み渡る。本物の織姫も、こんなふうだったのだろうか。


かわいい、きれいだ、と十八番を発しようとした矢先、漆黒に冴えた瞳に射抜かれた。反射的に口を真一文字に縫い留めた。ドクドク、といやに心音が昂る。


ふ、と吐息をやさしく漏らされた。




「とてもお似合いですね」




ゆるやかに下ろされた瞼に、一途な眼光をひそめられた。口の縫い目がほどけていく。




「まいったな……俺が言おうと思ってたのに」





不整脈は、続く。けたたましい作業音にかき消される。くっついている額から微熱が伝染してしまわないか、そっちにばかり意識が向いて仕方がなかった。


手の甲に触れたベールの端を、きゅっとつかむ。額の当たる位置が少しずれた。それしきのことで、距離はぐんと近くなる。あと、数センチ。


また、彼女の瞳に、俺が映り込んだ。いつの間にか、俺はすっかりカレシの表情になっていた。


一度目よりやわく濡れた瞳孔の色を、きっと永遠に見ていられる。




「ストップ!」




監督の声に、身を引いた。静寂が漂う。心臓から頭へと、冷めた何かが流れてくる。ひそかに息をついた。


それ以上のため息が、大げさなほどでかでかと放出された。監督のだ。体内の空気を吐き尽くした次は、長ったらしい唸り声を地に這わせる。


制服バージョンに突然合格を出したときとは正反対のリアクションだ。なるほどつまりそういうことか。制作陣の大半が、合点がいった。




「どこか変でした?」




まずもって俺が尋ねれば、唸り声はいちだんと荒ぶってしまう。




「別に変じゃないんだけど……なんか、なんかなあ……」


「なんか?」


「なあんかちがうんだよなあ……」


「ほう……」




なんかって、なんだろう。


監督の美的センスは、ピカイチだ。20代前半のころに芸術家として単身、世界を渡り歩き、富んだ文化に触れた。そうして磨き抜いた審美眼は、40代半ばの現在、マルチに発揮されている。そのひとつの手段が、この監督業である。


そんな人がちがうと断言しているのだ。何かがちがうのだろう。俺は監督の感覚を信じている。




「キスでもしましょうか」




できるだけ明るく、さらりと言ってのけた。場の空気が気持ち伸びやかになる。ただひとり、京志郎は目ん玉をぎょっとさせていたが、はい無視。


茶化されてもいいし、本気にしたっていい。深刻化しなければ、どっちに転んでも俺の狙いどおりだ。


白か黒か明確に決まっていない問いを、悶々と考えすぎてしまうと、かえって答えが遠ざかってしまうことがある。そんなときこそ、必要なのは、余裕だ。思いついたことを、そのまま口に出してみる。どれだけバカなことでもいい。むしろそのほうが、曇天に晴れ間が覗きやすい。


恋人といえば、イチャイチャ。イチャイチャといえば、キス。と、マジカルバナナふうに安易なアイデアにたどり着いたわけだが、ないよりはましだろう。おわかりいただけただろうか、そう、俺にはセンスはない。




「キス……キスシーン、かあ……」




監督の眉間から、しわがひとつなくなる。


助監督やカメラマンを始め、周りは賛成派と反対派で真っ二つに分かれた。口々に意見を交わし合う。京志郎だけは相変わらず、もの言いたげに俺を睨んでやがる。




「監督」




間にまだふたつも線を刻んでいた監督の眉が、つと、まあるく山を描いた。深い溝を何ひとつ消し去った鈴の音に、全神経を誘われる。天女をその身に宿した少女が、どこまでも悠然と在らせられた。




「キスシーンは、今は、やめておきませんか?」




何を言うのかと思えば、ここに思わぬ反対派の伏兵がいたとは。こころなしか、ちょっとショックだ。京志郎がこっそりガッツポーズしてるせいだろう、やめろあいつ。


冗談めかしてブーイングをするのは、賛成派のリーダー格であったカメラマンだ。すっかりこの状況をおもしろがっている。




「えー? 春日野さんそっち派? キスの画、強いと思わない?」


「引きつける力は強いと思います」


「でしょ?」


「ですが、本編で盛り上がるシーンのひとつでもあります。台本を最後まで受け取ったわけではないので知り得ませんが、本作でも何かこだわりがあるのではないでしょうか」




ちがいますか監督、と話を振ると、監督は水を得た魚のようにうなずいた。眉間にあったしわが、気づけば両頬に移っている。




「ならば、ここではあえてしないほうがいいかもしれませんね」


「もしかして……俺、フラれちゃった?」




俺のひと言に、どっと笑いが起こる。鼻で笑った京志郎を人差し指でロックオンし、銃で狙撃するジェスチャーをすれば、ノリのよい彼は胸を押さえた。その一部始終に、さらに周囲が噴き出す。


隣の彼女も、笑みを漏らした。幼なじみの戯れに、ではなく、




「ドラマにとっておこうかと思いまして」




あぁ、あれだ、母が子をあやすときと似ている。いや、似て非なる表情だ。


軽く愁眉になる彼女を、かわいいと思う――はずなのに、いつまで経ってもその感情が降りてこない。思ってもないから、かわいいから許す、と応えることもできない。


あれ? 俺、バグった?




「ここでは恋人の演技をするのはどうでしょうか」


「演技? ポージングじゃなく?」


「動くわたしたちを見て、ここだと思ったところを撮ってもらったほうが自然に写るかと」




靄がきれいさっぱり晴れた。つい1分前とは見違えて元気はつらつとした監督は、鼻歌まで歌いながら、ただちに撮影のスタンバイに取りかかる。


彼女のアイデアを元に、写真ではなく映像を撮ることになった。その中のイチオシの1カットを、ポスター用に加工編集する。


せっかく演技をするので第1話のシーンを使う。一石二鳥作戦である。


昼休憩をはさみ、本格的に舞台を整えられた。グリーンバックのエリアに、羽毛を敷き詰められた橋のセットが置かれる。この橋を渡り、織姫と彦星は再会を果たす。第1話のラスト、コヨリが前世を思い出す際に、フラッシュバックされる場面だ。




「シーン35、テイク1!」




橋の反対側に、彼女がいる。年に一度しか逢えない、恋しく、いとしい人。


俺だったら何がなんでも毎日会いに行きたいけれど、彦星という人間もまた、俺とはちがう。真面目にこつこつと努力を積み重ね、つかの間の幸福となって還ってくるときを、待って、耐えて、願って、焦がれ続けてきた。



いったいどんな気持ちなんだろう。……わからない。


でも。




「よーい、はいっ!」



――カチンッ!




おまえだって、今、この瞬間は、好きに生きたいはずだろう?




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