芽吹き⑵
衣装替えの時間だ。彼女のソロカット撮影が開始したのをよそに、制服を脱ぐ。男の支度のほうが単純で、所要時間はそうかからなかった。
早めにスタジオ入りした。彼女のほうはようやくメイクに入ったらしい。
待機している間の微妙な隙間時間。スタジオの片隅で麦茶を飲みながら、背広姿の男性スタッフと和やかに語らう。休憩ではなく、よくあるインタビューだ。受け答えした内容は、後日、公式サイトにアップされるのだそう。
「クランクイン、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
形式ばった挨拶から始まり、『星のない夜』の物語に触れつつ、本題に入っていく。
「連続ドラマの主演ははじめてとのことですが、心境はいかがですか」
「もっと緊張するかと思ってたんですけど、実際、そうでもなかったです。ひとりじゃないからかな。あ、あと、今までの経験も、自信につながっているんだと思います」
「今までは映画に多く出演されてましたよね。特に、恋愛漫画原作の」
高校生ミスターコンテストで華々しくデビューして以来、仕事の5割以上が漫画原作ありきの映像作品で回っていた。ちなみに、他4割がモデル、残りはバラエティーやラジオなどである。
2次元から飛び出てきたビジュアル――ファンの誰かがSNSで発信した、その謳い文句がバズり、一時期どのメディアにもその肩書きが使われていた。ありがたいことに「リアル王子」とも呼ばれ、それを耳にした業界人からオファーをいただく。その繰り返しだ。
昨年、いや一昨年くらいか、4作品同時に収録が進んでいたことがあったっけ。あんときは死ぬかと思った。
あまりに映画に出ずっぱりなものだから、そっち専門なのかと、役者仲間や先輩に訊かれたこともある。自分的にはそれでもよかった。それでファンが喜んでくれて、作品が盛り上がるなら、万々歳だ。けれど、事務所は“雨ヶ谷 丈”をよりいっそう売り出そうとしているらしく、満を持してこの現場に駆り出されたというわけだ。
「映画とドラマでの主演に、ちがいは感じていますか?」
時間的に最後の質問だ。少し悩む。ネタバレにならず、収録前でも感じているちょうどいい塩梅のこと。過去と比較しながら、端から端まで思い起こしていく。
「ちがい……。表現方法、ですかね」
「というと?」
「漫画原作の作品は、表情や動きの憶測が比較的立てやすかったんです。原作を見れば答えが載っているので、そのとおりに演じるとおのずと良いシーンになることが多いんですよ」
「なるほど。では小説原作の本作では?」
「これまでと比べると、ちょっとむずかしいです。小説って、文字しか情報がないじゃないですか。だからある程度、登場人物や場面を補完しなきゃいけなくて。そこがむずかしいんですよね……。演技にも自分の解釈が含まれやすいし、かといって解釈が多すぎると原作のイメージとかけ離れちゃうし。どの表現が良いシーンにつながるのか、監督たちとよく話し合って模索しています」
むずかしさは、楽しさと表裏一体だ。いつもより役について考えることは多いけれど、その分、確実に自分の世界が広がっている。未開拓地を冒険しているよう。その感覚が、好きだ。
俺ほど、俳優という特殊な職を乗りこなしている人は、他にいない。そう自惚れるくらい、俺の生き方との相性がぴったり噛み合っている。ミスターコンに参加していなかったとしても、いずれはこの業界に足を踏み入れていただろう。
タイミングよく彼女の支度が整った。スタッフに先導されやって来る。ふわふわと、うしろが特に長い裾がひらめく。無機質なスタジオが、一瞬にしてバージンロードへと変わった。
特注の衣装は、加賀友禅によって描かれた着物をアレンジして作られた。Aラインのシルエットの下方部には、まるでお姫様のように襞を盛りこんである。金糸で星座の刺繍が施され、ラメ入りの帯はゆるめに蝶々結びされている。
髪の上半分を束にし、頭部にハートマークの形を作った、そうけいと呼ばれるヘアアレンジに、華奢な二連かんざしを差してある。その上に羽織っているのは、マーブル模様に染色されたベール。
一歩ずつ歩くにつれ、時の進みが遅くなっていく。おそらく誰もが現実を忘れていた。インタビュアーの男性もそう、絵に描いたようなうっとりとした惚け顔をし、思わず感嘆した。
「わあ……織姫みたいだ」
みたい、じゃない。そうなのだ。
彼女は、今、織姫なのである。
『星のない夜』正しくは『星のない夜も、きみと。』は、高校生同士のありふれたラブストーリーではない。ふたりの恋路には、七夕伝説が深く関わってくる。
コヨリとトワは、織姫と彦星の生まれ変わりなのだ。
1年に1度、星の輝く夜にしか会えなかったふたりが、めぐりめぐって、現代の日本で邂逅する。それをきっかけに、コヨリに前世の記憶がよみがえる。対して、トワには何の変化もない。それでもコヨリは、もう一度、彼を愛してしまうのだ。
これから撮影するポスタービジュアルは、前世、織姫と彦星であったときのバージョンだ。そのため俺も、袴を手軽にしたような衣装をまとっている。ヘアスタイルはセンター分けにし、後頭部にエクステを付け足しておだんごを作った。
衣装の生地は、織姫は鴇色、彦星衣装は瑠璃色。その他は基本両者同様、白で統一され、差し色に金が使われている。
グリーンバッグにふたり並ぶと、奈良時代にシミラールックをしている恋人のようだ。撮影では、実際に、伝説級の溺愛カップルとして写らなければならない。形から入るのも趣がある。
彼女と向かい合う。手始めに近距離で笑い合ったり手をつないだりし、画の印象をうかがう。パチリ、とか弱げにシャッターが打たれた。
透け感のあるベールが、軽く持ち上げられる。彼女の元から影がうすれていく。制服のときよりもメイクは色鮮やかに仕上げられ、それでいて、ところどころにコヨリの雰囲気が残されている。プロの成せる業だ。
「おでこ、くっつけてみようか」
カメラマンに従い、こつんと額を合わせる。
ふつう間近で見れば見るほど、ぼろが出る。しかし彼女の場合、近いほど白く澄み渡る。本物の織姫も、こんなふうだったのだろうか。
かわいい、きれいだ、と十八番を発しようとした矢先、漆黒に冴えた瞳に射抜かれた。反射的に口を真一文字に縫い留めた。ドクドク、といやに心音が昂る。
ふ、と吐息をやさしく漏らされた。
「とてもお似合いですね」
ゆるやかに下ろされた瞼に、一途な眼光をひそめられた。口の縫い目がほどけていく。
「まいったな……俺が言おうと思ってたのに」
不整脈は、続く。けたたましい作業音にかき消される。くっついている額から微熱が伝染してしまわないか、そっちにばかり意識が向いて仕方がなかった。
手の甲に触れたベールの端を、きゅっとつかむ。額の当たる位置が少しずれた。それしきのことで、距離はぐんと近くなる。あと、数センチ。
また、彼女の瞳に、俺が映り込んだ。いつの間にか、俺はすっかりカレシの表情になっていた。
一度目よりやわく濡れた瞳孔の色を、きっと永遠に見ていられる。
「ストップ!」
監督の声に、身を引いた。静寂が漂う。心臓から頭へと、冷めた何かが流れてくる。ひそかに息をついた。
それ以上のため息が、大げさなほどでかでかと放出された。監督のだ。体内の空気を吐き尽くした次は、長ったらしい唸り声を地に這わせる。
制服バージョンに突然合格を出したときとは正反対のリアクションだ。なるほどつまりそういうことか。制作陣の大半が、合点がいった。
「どこか変でした?」
まずもって俺が尋ねれば、唸り声はいちだんと荒ぶってしまう。
「別に変じゃないんだけど……なんか、なんかなあ……」
「なんか?」
「なあんかちがうんだよなあ……」
「ほう……」
なんかって、なんだろう。
監督の美的センスは、ピカイチだ。20代前半のころに芸術家として単身、世界を渡り歩き、富んだ文化に触れた。そうして磨き抜いた審美眼は、40代半ばの現在、マルチに発揮されている。そのひとつの手段が、この監督業である。
そんな人がちがうと断言しているのだ。何かがちがうのだろう。俺は監督の感覚を信じている。
「キスでもしましょうか」
できるだけ明るく、さらりと言ってのけた。場の空気が気持ち伸びやかになる。ただひとり、京志郎は目ん玉をぎょっとさせていたが、はい無視。
茶化されてもいいし、本気にしたっていい。深刻化しなければ、どっちに転んでも俺の狙いどおりだ。
白か黒か明確に決まっていない問いを、悶々と考えすぎてしまうと、かえって答えが遠ざかってしまうことがある。そんなときこそ、必要なのは、余裕だ。思いついたことを、そのまま口に出してみる。どれだけバカなことでもいい。むしろそのほうが、曇天に晴れ間が覗きやすい。
恋人といえば、イチャイチャ。イチャイチャといえば、キス。と、マジカルバナナふうに安易なアイデアにたどり着いたわけだが、ないよりはましだろう。おわかりいただけただろうか、そう、俺にはセンスはない。
「キス……キスシーン、かあ……」
監督の眉間から、しわがひとつなくなる。
助監督やカメラマンを始め、周りは賛成派と反対派で真っ二つに分かれた。口々に意見を交わし合う。京志郎だけは相変わらず、もの言いたげに俺を睨んでやがる。
「監督」
間にまだふたつも線を刻んでいた監督の眉が、つと、まあるく山を描いた。深い溝を何ひとつ消し去った鈴の音に、全神経を誘われる。天女をその身に宿した少女が、どこまでも悠然と在らせられた。
「キスシーンは、今は、やめておきませんか?」
何を言うのかと思えば、ここに思わぬ反対派の伏兵がいたとは。こころなしか、ちょっとショックだ。京志郎がこっそりガッツポーズしてるせいだろう、やめろあいつ。
冗談めかしてブーイングをするのは、賛成派のリーダー格であったカメラマンだ。すっかりこの状況をおもしろがっている。
「えー? 春日野さんそっち派? キスの画、強いと思わない?」
「引きつける力は強いと思います」
「でしょ?」
「ですが、本編で盛り上がるシーンのひとつでもあります。台本を最後まで受け取ったわけではないので知り得ませんが、本作でも何かこだわりがあるのではないでしょうか」
ちがいますか監督、と話を振ると、監督は水を得た魚のようにうなずいた。眉間にあったしわが、気づけば両頬に移っている。
「ならば、ここではあえてしないほうがいいかもしれませんね」
「もしかして……俺、フラれちゃった?」
俺のひと言に、どっと笑いが起こる。鼻で笑った京志郎を人差し指でロックオンし、銃で狙撃するジェスチャーをすれば、ノリのよい彼は胸を押さえた。その一部始終に、さらに周囲が噴き出す。
隣の彼女も、笑みを漏らした。幼なじみの戯れに、ではなく、
「ドラマにとっておこうかと思いまして」
あぁ、あれだ、母が子をあやすときと似ている。いや、似て非なる表情だ。
軽く愁眉になる彼女を、かわいいと思う――はずなのに、いつまで経ってもその感情が降りてこない。思ってもないから、かわいいから許す、と応えることもできない。
あれ? 俺、バグった?
「ここでは恋人の演技をするのはどうでしょうか」
「演技? ポージングじゃなく?」
「動くわたしたちを見て、ここだと思ったところを撮ってもらったほうが自然に写るかと」
靄がきれいさっぱり晴れた。つい1分前とは見違えて元気はつらつとした監督は、鼻歌まで歌いながら、ただちに撮影のスタンバイに取りかかる。
彼女のアイデアを元に、写真ではなく映像を撮ることになった。その中のイチオシの1カットを、ポスター用に加工編集する。
せっかく演技をするので第1話のシーンを使う。一石二鳥作戦である。
昼休憩をはさみ、本格的に舞台を整えられた。グリーンバックのエリアに、羽毛を敷き詰められた橋のセットが置かれる。この橋を渡り、織姫と彦星は再会を果たす。第1話のラスト、コヨリが前世を思い出す際に、フラッシュバックされる場面だ。
「シーン35、テイク1!」
橋の反対側に、彼女がいる。年に一度しか逢えない、恋しく、いとしい人。
俺だったら何がなんでも毎日会いに行きたいけれど、彦星という人間もまた、俺とはちがう。真面目にこつこつと努力を積み重ね、つかの間の幸福となって還ってくるときを、待って、耐えて、願って、焦がれ続けてきた。
いったいどんな気持ちなんだろう。……わからない。
でも。
「よーい、はいっ!」
――カチンッ!
おまえだって、今、この瞬間は、好きに生きたいはずだろう?




