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あなたが世界を愛さずとも  作者: 甘
ひさ子について
35/43

芽吹き⑴




語弊を恐れずに言うならば。


俺は、彼女のことが苦手だった。





「こうしてちゃんと挨拶をするのははじめてですね」




9月下旬、テレビ局の一室。


今冬の連続ドラマの顔合わせのため、俺たちは集結した。


顔合わせの前に、朝の情報番組のゲストとして呼ばれていた俺は、早足でこの部屋を訪れた。どうも一番最後らしく、遅刻すれすれの俺の登場を皮切りにドラマの説明が始められた。



『星のない夜』



20年前に文学賞を受賞した不朽の名作『星のない夜も、きみと。』を改題し、待望の実写映像化する。


月曜夜9時という随一の人気を誇る枠で、1月から放送される予定だ。


その主演に抜擢されたのが、俺と、彼女。




「あらためまして、春日野妃希です」




隣の席だった彼女は、顔合わせ後、ご丁寧に挨拶に来てくれた。同じ事務所に所属する、直属の後輩という立場を気にしてのことだろう。


今まで、がっつり共演したこともなければ、事務所内でさえごくごくたまにすれちがう程度だった。本作のキャスティングを知ったときは、「おお、ついにか」と胸を膨らましたものだ。


彼女のうわさは常々聞いている。事務所が同じだといやでも耳に入るものだ。


妙に評判が高いらしい。たしか高校1年生だったか。どれだけすごくとも、成人している俺には、かわいらしい小鹿のように見える。




「雨ヶ谷丈だ。初主演同士、がんばろうぜ」




お互い、連ドラの主演を張るのは、今回がはじめて。親近感が湧いた。


彼女のこげ茶色の髪をわしゃわしゃと撫でまわすと、うしろからぬっと出てきた無骨な手に捕らえられた。




「おいやめろ、丈」


「おっ、京志郎」


「おっ、じゃねえよ」




無理やり俺の手を引っぺがした巨人は、彼女の盾となり、まるで俺がラスボスかのように臨戦態勢に入る。


一応先輩にあたる俺にそういうノリができるのは、幼なじみの関係性があってこそだ。



雪 京志郎。


元競泳選手でありながら、現在は彼女のマネージャーという異例の経歴を持つ。


彼とは、小学生のころからの悪友だ。学校はちがえど、同じ水泳スクールに通っていて、ふしぎと馬が合った。


腐れ縁が今でも続き、ついには現場で関わることになるなんて、なんだか変な感じだ。




「距離の詰め方イカれてんな。もうちょい考えろよな」


「何だよ失礼な」


「丈の悪い癖だぞ、それ」


「ただのスキンシップだろー?」


「天然罪作りマシンめ」


「はあ?」




なに言ってんだこいつ。罪作りって、頭撫でただけだし。ふつうはうれしいもんじゃねえの。オンナノコってそういうもんでしょ。




「大丈夫ですよ、マネージャー」




雄々しい背中から、けろりとした彼女の顔が覗く。乱した前髪は、何ごともなく元どおりになっていた。


鉄壁の笑顔を維持している。さっきより何度か温度が下がっている気がする。気のせいか。いや、もう、わからない。




「撮影ではよろしくお願いします」


「あ、ああ、よろしく」




軽く握手を交わした。小さく、やわらかく、弱い。俺のよく知るオンナノコの手だ。


なぜだろう、自分の感覚になんとなく違和感を覚えた。









3週間後。


本読みや立ち稽古を経て、いよいよ撮影が行われる。午前8時に現場入りすると、すでに準備していたスタッフに衣装やメイクを促される。渡されたブレザータイプの制服に、今さら羞恥心はない。


生まれつきの童顔に、うすくファンデーションが乗せられる。真っ黒な髪をぺたんと下ろされる。前髪ができると、幼さに拍車がかかる。




「雨ヶ谷さん、全然高校生いけますね」


「あは、そうですか?」




ヘアメイクを担当してくれている女性、推定20代後半から30代前半の暫定年上お姉さんに言われると、調子に乗っちゃうな。こりゃあ4……いや6歳くらいは若返ったな。




「でも年齢って、女性のほうがわかりづらくないですか?」


「今の時代、メイクでいくらでも詐欺れますもん」


「その腕もすごいですけど……単純に、かわいい子ばっかりだから」


「え……ええ?」




髪にワックスをつける手元が、急に鈍り出す。鏡越しに見えた彼女は赤面していた。ぱちっと目が合う。にこりと笑いかけると、耳のあたりまで燃え広がっていく。


ほら、かわいい。


会話がつっかえたまま、黒く長い前髪に女性らしい指先がとおる。ぎこちなく目の前を横切る指に、そっと触れた。




「ひゃっ!?」


「爪までかわいいんですね」


「え!? あ、えっと、その……っ」


「あ、ヘアセット邪魔しちゃってすみません」


「……い、いえ……」




たっぷり時間をかけて仕上げられたスタイリングによって、さらに2歳のサバ読みに成功した。これなら現役と並んでも遜色ない。


持ち前の記憶力で、お姉さんの名前は憶えていた。「(ヤナギ)さん」とやさしく呼びかけ、簡易的に礼を述べると、なぜか逆に感謝された。


ふと殺気を感じた。メイク室の出入口のほうからだ。開きっぱなしの扉の奥には、仏頂面の京志郎がいた。




「はよ、京志郎」


「……おはよう、ございます」


「何その顔。寝不足か?」


「はあ……」




人の顔を見てため息つくなよ。




「おまえは昔っからそうだよな」


「何が」


「2個下の俺はスクールでいいように使われてたもんだ……。ここでも知り合いってバレたら、連絡先やら何やら渡されそうで怖えよ……」


「連絡先渡されたん? 早速モテてんなおまえ」


「ちげえよバカが」




いやはやどうして、とゆるく首を振られる。いい話ではないことはわかった。




「共演者キラーのうわさが出てんのも仕方ねえな……」


「そんなうわさあんの?」


「業界じゃ有名だぞ。さっきの見りゃ、共演者どころかスタッフにまで被害は広がってるようだけど」


「被害て」




モテないと言ったら嘘になる。大半には好かれるし、たいていのことはうまくいく。昔からそうだ。告白はしたことはなく、当時のカノジョに勧められた高校生ミスターコンはあっさりグランプリをもらった。


芸能界に入ってからも、あまり苦労したことがない。思ったことを口にして、したいようにする。あれこれ悩むのは性に合わない。


器用だね、とよく言われる。俺は好きに生きているだけなんだけど。喜んでくれたらうれしくなって、もっと喜ばせたくなる。異性は特に喜ばせ甲斐があって楽しい。そしたら周りの好感度もどんどん上がっていく。超ハッピーじゃん。


きっと、この世は、真面目に生きるほうが損をするようにできているのだ。これ、俺の持論。


現代のストレス社会に足りてないのは、ずばり余裕だと思うんだよ。みんな考えすぎなんだ。気楽にやったらいいのに。


知ってた? かわいいって思ったら素直にかわいいって言や、人って本当にかわいくなるんだぜ。俺がやってるのはそういうこと。




「俺は別にいいと思うよ。その顔でそういう言動されりゃ、やな気にはならんだろうし」


「ほめてる?」


「ほめてるよ。一種の博愛主義みたいなもんだろ?」


「まあ……。俳優業が天職だとは自覚してる」


「どっちかっつうとアイドル向きじゃね?」


「俺、ダンスだけは無理なんだよなあ」


「それ以外は、いけんだ?」


「いけるいける」


「アイドルじゃねえのにファンサ得意だもんな……」


「んー、サービスとはちがうかな。ふつうにやってるだけ」


「で、悪気はないと」


「もちろん」




ある意味そこが有罪なんだけど、と、上げて落とされた。ひどいな。どうにかして俺を極悪人に仕立て上げようとしていないか。


京志郎は呆れつつも、顔つきを変えた。真剣な眼差しをしている。


上げて落とし、さらにどん底まで落とすつもりじゃないだろうな……?




「迷惑はかけんなよ」


「迷惑? ああ、さっきの連絡先とかってやつ?」


「それもだけど……」




俺と入れ違いで、彼の受け持ちである少女がメイク室に入る。さくさくとメイクが進んでいく。素顔に磨きがかかっていく様子を一瞥すると、彼の声色に重みが増した。




「俺よりも、春日野に」




おどろいた。


これはマジのやつだ。


ずいぶん彼女に入れこんでるようだ。マネージャー業が板についているのか、あるいは、ふところに入っているのか。そういえば、彼は長男だ。妹や弟が多く、面倒見がいい。彼女のこともそんなふうに大事に思っているのだろう。


俺が彼をこの業界に誘った手前、心配していたこともあったけれど、安心した。誘って正解だった。




「だあいじょうぶだって、オニーチャン」


「は? おまえのが年上……」


「そうさ」


「は??」


「俺のがセンパイなんだ。迷惑をかけられるほう。そんで、まるっと助けてやんのがセンパイってもんさ」




左肩をぽんぽんと軽く叩き、ニンマリと口を引き伸ばす。


がっちりとした肩が撫で下がっていく。と同時に、短髪の頭まで垂れ下がっていく。




「そうじゃねえ……そうじゃねえんだ……」


「ん?」


「俺はおまえの癖をだな……」


「――雨ヶ谷さーん! 撮影お願いします!」




スタッフに呼ばれた。返事をし、正面を見直すと、すっかり萎えた彼に行ってこいの合図を出される。俺はきょとんとしながらも、もう一度肩をぽんとさすってやった。



スタジオに移動すると、クランクインの紹介をされた。全方位に軽い会釈をする。今日の出演は主演ふたりなだけあり、いつにも増して、寄せられる念が強烈に感じる。


今回はポスタービジュアルの撮影から始まる。制服バージョンと別の衣装のバージョンが用意されている。もうひとつのほうは支度に手間がかかるため、はじめにポスタービジュアルをはさみ、その後すぐに本編の収録をする流れとなった。


監督の説明を受けたあと、俺はひとり、グリーンバッグに立った。まずはソロカットから。次にツーショットを撮り、彼女のソロカットをおさめている間に衣装を替える。今日は忙しくなりそうだ。




「じゃ、撮影始めます!」



――カシャッ。



「いいね! 目線はずす感じで……そう!」




俺の演じる役柄は、愛を知らずに生きてきた高校1年生。名を、トワ。母親の不貞によって産まれた子で、冷遇されて育った。


整った外見は、足枷でしかなかった。学校では、言い寄ってくる女子はあとを絶たない。それで穴を埋めようともしたが、一度裏切られて以来、辟易とし、孤独を好むようになった。


父親の再婚のため、冬休み明けに転校した学校で、ヒロインと出会う。そこではじめて、愛というものを知っていくのだ。



俺自身とは似ても似つかない、正反対の役。プロデューサーいわく、王道主人公然とした光属性だからこそ、1周回って、ふと見せる陰の効果が絶大なのだという。よくわからないが、まあ適任ということだろう。


俺としても、あまりない役柄でおもしろい。こういうのもたまにはイイ。新鮮な気持ちが、俺を自由に動かしてくれる。




「今度はカメラのほうを見てみようか。光を拒んでる感じで」




表情筋に力は入れず、目はすっと鋭くさせる。カメラから放射されるフラッシュを、片手ではねのけるように顔にかざした。


シャッターを連続で切られる。反応は上々。


うん、余裕。




「ソロカットオッケーです!」


「雨ヶ谷くん、表情よかったよ」


「あざっす。やっぱカメラマンがいいとノっちゃいますねえ」


「あはは! 相変わらずうまいなあ」




『星のない夜』略してホシヨルの制作陣には、他現場で一緒になった人が多い。気心が知れていて、やりやすい。牛詰めなスケジュールも、この現場なら楽々と乗り越えられそうだ。


撮りたてほやほやの写真にも、それが明瞭に表れていた。いい意味で気がゆるんでいる。初の月9かつ主演という大役に臆していた自分も少なからずいたけれど、なんだ、案外いける。


自画自賛していると、廊下付近がざわめき出す。もうひとりの主演が現れたようだ。




「コヨリ役の春日野妃希さん、クランクインです!」


「よろしくお願いいたします」




礼儀作法のしっかりした彼女に、歓迎の拍手を送る。


どこにでもありそうなデザインの制服。スカートは膝上のほどよい丈感。胸元に、赤チェックのリボン。同色のシュシュで、ハーフアップのおだんごに結ってある。


目新しさはない。ふつうの高校生だ。やっぱり現役はちがう。


俺の相手役、コヨリという名の女子高校生は、ごくごく平凡なヒロインだ。トワとの差別化を図っているのだろう。とはいえ、彼女の手にかかれば、平凡から清純派へとグレードアップされる。




「かわいいね。想像してたコヨリのまんまだ」




開口一番にそう耳打ちすると、彼女ははにかんだ。




「スタッフの皆さんのおかげです」




照れてるのだろうか。そこもまたかわいらしい。けど、うまくあしらわれたような気もする。まさかな、と思いつつ、同調を示した。



撮影は寝転がって行われる。グリーンバッグは編集によって夜空に変わるという。「広い空の下でめぐりあうふたり」と「星を渡りつないでいく想い」というふたつの意味がこめられている。


ハの字形に横になる。俺は彼女から顔だけ背け、彼女は若干俺のほうに腕を伸ばす。


カメラは真上にセッティングされてある。髪の毛一本一本までヘアメイクさんの裁量のまま操られる。一度テストで撮ってみて、位置や写りなどの確認をし、さらに何度か手直しされた。コームで前髪をいじられる。重力に負け、左目が完全に隠れた。


監督のゴーサインが出された。機械音が鳴り響く。


ソロカットを踏んでからの撮影だからか、表情を作りやすい。星なんか興味がなさそうに空っぽな手元を見つめる。次は、忌々しげにカメラを見やるってのもありだ。そうしよう。



カメラマンがはっと息を呑んだ。すると、がめつく姿勢を変え出す。




「そっ、その涙! もうちょっとキープ!」




……涙?



俺じゃない。とすれば、ひとりしかいない。


彼女が、泣いている。キープなどと無理難題を申しつけられても、異論は唱えられない。音は激しく降り注いでいる。


俺は無意識のうちに、慎重に、首を回していた。閃光が眩しい。きらり、かすかな反射光が点した。



――カシャッ。



あ、やば。




「あっ。雨ヶ谷くんだめだよ、そっち向いちゃ」


「すみません。ちょっと気になっちゃって」




カメラマンに笑いながら注意された。ただちに素面に戻り、素直に謝る。いっそう笑われたが、納得もされた。


おかしいな、何やってんだろ。京志郎に忠告されたばっかだってのに。フラグ回収早すぎだろ。失敗、失敗。そういうときもあるよな。


首の向きを正した。そのとき、いきなり、ずっとモニター前に座っていた監督が立ち上がった。カメラマンがふしぎそうに見張る。




「今の……!」


「監督?」


「今の、最高だよっ!」


「今のって……雨ヶ谷くんが振り返っちゃったやつですか?」


「そうそれ! 切なげに涙するコヨリ、それに勘づいて振り向こうとするトワ! しかしまだ目が合う途中! もどかしい距離感! うーん、いいっ! いいよ!! これでいこう!」




思いがけない合格だった。偶然が生んだ産物を、監督はいたく気に入っていた。まさに奇跡の一枚。それにつられ、他のスタッフがぞろぞろとモニター画面に集う。共感と絶賛の声であふれ返った。


何はともあれ、うまくいったならよかった。今日の運勢は好調らしい。


軽やかに起き上がり、隣に手を差し伸べる。上半身だけ立たせた彼女は、俺の顔と手を繰り返し交互に凝視する。




「どうぞ」




遠慮されるのを見越し、先に手を近づけた。頑なな対応に観念し、彼女は渋々手を添える。力は加えられず、手のひらが触れただけ。彼女ひとりで体を起こしたも同然だった。


ありがとうございます、とやんわり告げ、手を離す。その手で、濡れた目尻を拭った。ちゅるんとした粒が、その細い指先にしみていく。




「きれいに泣いたんだな」


「さあ……きれいかどうかは、わたしには判断しかねます」


「みんな、あんなに歓声を上げてるんだ。きっと、きれいだったんだよ」




俺もつい見たくなったくらい。そう言うと、彼女はかしこまり微苦笑した。


監督に手招きされ、俺たちも合格をもらった画を覗きに行った。


目尻からこめかみへと滴り落ちていく涙は、ふたりの距離をつなぎとめるように輝きを放っている。のちに星空を敷いても、その輝きは埋もれないだろう。けれど、俺が振り向こうとしても、届かないどころか視界にも入らない。もどかしいと語っていたのはこのことか。そんなところさえ、想い想われることの美しさを汲み取らざるを得ない。


全体的にとてもきれいだった。きっと、じゃなく、本当に。ラブロマンスのジャンルにあたる本作の魅力が、上手に一枚にまとまっている。




「ここで泣いたのは、どうして?」


「そのほうがいい気がしまして」




素朴な疑問に、曖昧な回答が返ってくる。センスの良さを周りは褒め称えた。


誰にとっていいことだったのか、カッコ書きの中に秘められた真意を暴くこともできたが、そんな野暮な真似はしない。


どうでもいいのだ。彼女が彼女なりに行動しているなら、それでいい。この場の最年少でありながら、誰よりも頼もしい彼女を、俺はほほえましげに見守った。




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