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あなたが世界を愛さずとも  作者: 甘
カスガノさんについて
32/43

アイデンティティ⑸




わたしは何ができるのだろう。


何を、やっているのだろう。



本当は、わたしも、応えたかった。





「っ、渡辺さん!」




突然呼ばれた彼女は、びくりと肩を上げる。かまわずわたしは、インカムと仕事用のメモを手渡した。




「え……こ、これ……」


「頼んでもいいかな?」




そういえば、頼られることはあっても、頼ることはそうそうなかったな。なんて、今さらなことを思い出す。


これはわたしの第一歩になる。そんな予感がした。




「う、うんっ! わかった! 任せて!」




心強かった。ありがとう、と告げようとすれば、止められる。人という字は支え合ってできているのだと、どこかで聞いたことを得意げに教えられた。そうだった、関係とはそういうものだった。



バトンは、つながった。



急いで自習室に行った。端に追いやったトルソーを引っ張り出す。いつ見てもイカれた見た目をしているが、魔法使いのコスチュームなら、どうにか紛れられる。


布はひんやりとしていた。どれだけ待たせてしまっただろう。



舞台は、約2時間。上映が始まってから30分経過した。魔法使いの出番まで、あと30分。せめてその10分前には完成させたい。時間はないに等しい。


どうせステージに出すなら、キョウカさんの衣装との相性を考えたかったし、カスガノさんのサイズにも合わせたかった。作り直したいが、そうも言ってられない。基本オーバーサイズだから着れないことはない。


わたしにできることを、できる限りやってみせる。



縫い目の強化、裾の刺繍入れを順当に片付けていく。最後に、アイロンをかける。生地に張りが出る。腕と足の部分も忘れずにしわを取る。


アイロンのスイッチを切った。時計を確認する。タイムリミットぎりぎりだ。熱を帯びたままの服を抱え、自習室を飛び出した。



誰のためでもなかった一着に、意味ができる。――ううん、彼女がわたしの成すことに、意味をくれた。




「ただいま……!」


「あっ、委員長!」




ぜえぜえ、はあはあ、胸を上下させながら舞台袖に戻ってきた。この異常事態に全体がばたついている。


脇目も振らず、カスガノさんに服を届けた。




「おかえり。待ってたよ」


「あとは、よろしくお願いします」




彼女はすれちがいざま、わたしの肩を軽く叩いた。着替えに行ってしまうと、わたしは電池が切れたようにへたれこんだ。汗が滴る。いや、涙だったかもしれない。まあ、どっちでもいいか。ぷくりと鮮血をしぼり出す指先で拭い取った。痛覚は麻痺していた。


視線を感じた。キョウカさんが何か言いたげにわたしを見ている。いまだに瞳は涙で濡れていた。




「ねえ、渡辺さん。人って字は、支え合ってできてるんだよね?」


「え? う、うん! そうだよ!」


「だってさ、キョウカさん」


「……!」




わたしが言えることは、ただひとつ。




「がんばろう、一緒に」


「ん……っ、うん!」




箱にしまっていた道具を渡した。魔法使いの必需品である、魔法の杖。暗がりで発光するダイヤの形の飾りのついた棒である。衣装を際立たせるべくシンプルに設計したそれを手にしたら、魔法使いに変身だ。


大丈夫、衣装もヘアメイクもばっちり似合っている。



軍服をイメージした衣装は、モノクロで色味を抑える代わりに、デザイン性を特化させた。


襟は2つ。首元を詰める蝶ネクタイ風のものと、胸元に大きく広がるセーラー風のもの。セーラー風の襟の間からは、プリーツ加工したネクタイと銀色の飾緒を吊るしてある。肩部分には、翼のように羽毛を貼り付けた。


袖は七分丈。その下から伸びる、黒い刺繍レースが半透明状に手の甲まで覆う。ショートパンツには不規則的にひだをほどこし、裾から腕部分とおそろいの刺繍レースが覗く。


入口だけやけに開いたニーハイブーツは、サイズがぴったりなようだ。


長い髪の毛は、いくつか結った三つ編みを固定し、ショートヘアを装っている。そこに、縦長のとんがり帽子がかぶさると、一気にファンタジーな世界観が広がる。黒い帽子の先にきらめいているのは、杖と同じダイヤの飾りだ。



魔法使いに、性別はない。少年、少女、男性、女性、それぞれの魅力やトレンドを組み合わせてできたのが、これだ。


メイクで子どもっぽくなったキョウカさんが着ると、女の子の雰囲気がどうしても強くなる。悪いことではない。そうなると予想して、被服科(こちら)も少年少女の要素の割合を高くしたのだ。


そういうのを個性と呼ぶのだろう。



――チリチリンッ!



不協和音と似て非なるメロディが、荒々しく鳴り響く。落雷したかのごとく照明がパチパチと点滅する。ステージに、魔法がかけられる。


レイに扮する凰河が、エクステの髪をばっさり切った。跡形もなく燃やしていく。あれこそが、魔法使いを召喚する儀式。


出番が来てしまった。でも、カスガノさんの準備がまだ――




「さ、行こうか」




――すっ、と黒い物体が横を通り過ぎた。


キョウカさんの肩に腕を回し、ともに先へ進んでいく。


マントがはためく。輪郭の見えない、大きな大きな背中が、目の前にあった。


光が絶たれた。スモークが焚かれる。シンバルが力強く打たれた刹那、ぱっと、レイの眼前にスポットライトが当たる。


魔法使いが、ふたり、現れた。




「じゃっじゃじゃーん!」




静まり返る場に、無邪気な声がクリアにとおる。


キョウカさんはそれはそれは楽しそうに両腕を広げ、くるりと一回転した。本番に強いタイプだったのか、ひとたび檀上に立つと、恐怖心から吹っ切れている。


足元に行き渡る煙に濃淡の差がつく。夢うつつな空間。魔法使いのふしぎなキャラ設定によって、いっそう助長されている。


稼働している照明は、レイと魔法使いへの2つのみ。ライトの円を領するキョウカさんとは相反し、カスガノさんは入っているかいないか、わからないくらいの位置にいる。客席からだと、より顕著に、光と影を感じ取れるだろう。




「我らを喚びだした変人はどこのどいつかにゃ?」


「変人ゆうな!」




腰を抜かしながらも、すかさずツッコミが入る。コミカルなかけ合いは、台本どおり。


渡辺さんいわく、凰河にはあらかじめキャストの追加を伝えてもらい、魔法使い2人はある程度打ち合わせし、全員に無理のない策を簡潔に共有したのだという。奈落から飛び出る登場シーンが、舞台袖からになったのも、変更点のひとつだ。


いったいどうなるのだろう。




「おっ、さては君だね? 君だよね?」




杖でツンツンと小突くと、レイは食ってかかる勢いで起き上がった。




「何を叶えてほしいのかにゃ?」


「もうすぐ王家主催のパーティーが始まる。それに何としてでも参加したい! 助けて!」




とたんに魔法使いのやる気が下がる。




「えー? パーティー? 王家主催のお?」


「だ、だめ? 無理?」


「無理じゃないけどお~……そんな堅苦しいの行かないほうがいいって。楽してこうよお」




自由人には理解しがたい願いだった。面倒くさそうに顔をぷいと背ける。


レイは必死だった。ぐっと拳を握り締める。




「約束したんだよ、あいつと……」




薄暗闇の演出がまかりとおる、独りきりの邸の一室。ここに置き去りにされなければ、今ごろ、あいつ――王子とともに、そのパーティーで革命の狼煙を上げていた。


最初にして最後のチャンス。泡になってしまうならいっそ、いちかばちかの博打で、髪を切ったのだった。



台本では、根気強く魔法使いを口説き、真夜中零時に魔法がとけるという制限付きで許しをもらう。手筈どおり、レイが動き出そうとする。




「ふっ、はっはっはっ!」




豪快な笑い声に、出鼻をくじかれた。


腹の底から吐き出された、響きのよい哄笑が、空間を支配する。レイはとんがり帽子を睨んだが、ちがうちがう、とかぶりを振られる。


いつからか闇と一体化していたカスガノさんが、光の中へ一歩踏み入れた。




「いいじゃないか、叶えてやりなよ」




低くも高くもない発声は、語尾の息が抜け、妙に色っぽい。


ヒールでキョウカさんより頭ひとつ分盛られた身長で、気だるげに肩を組むと、プレイボーイにも思えてくる。妄想していた王子様とはまたちがう、どちらかというと王様の風格があった。


場内が、息を呑んだ。




「ししょー!?」


「えっ、こいつ師匠なの!?」


「こいつ呼ばわりとはなんじゃ。叶えてやらんぞ?」


「あー! ごめんなさい! 今のなし!!」




カスガノさんは隣に体重を寄りかからせ、腰を曲げた。今度は、がらがらにしゃがれた声で脅しにかかる。


レイはあわてふためく。なんて呼べばいいのかわからないのだ。言動がころころ変わり、つかみどころがない。それだけでなく、視覚の情報が乏しいせいもある。


肌色が極端に少ない。見えるところといったら、鼻と口、二の腕と左の太ももの一片くらいだ。ほかはすべて、明度、彩度、質感のそれぞれ異なる黒色に染まっている。



ダウンコートをリメイクして作ったフードは目深にかぶり、前のボタンも閉めれば、顎すら覆い隠せてしまえる。フードから続く生地の前部分は、逆三角形の形状のケープに、うしろは多様な布を縫い合わせ、マントになった。


フードの下からは、光沢感のあるリボンが左右非対称に吊るしてある。まるで老婆の髪の毛のようだ。


一番下には、ワンピースを着ている。特に明度が暗く、そのリボンをより映えさせる。


ワンピースのデザインは、右にいくにつれ長くなるアシンメトリータイプ。生地は四層、上から順にレザー、コットン、サテン、シフォンを重ねている。裾は段々になるよう、丈を調節した。最下層のシフォンは、マントと同様、足元にぎりぎりつかない長さだ。


肩口からななめに垂れる形で、袖がある。手の位置をはるかに通り越した袖口は、ラフに切りっぱなしにしてある。その左右両方につい先ほど飾りつけたのは、幾何学模様の刺繍だ。


ボトムスは、足を細く見せるシルエットのデニム。右は足首までぴったりと密着させ、左は太もものあたりで裁断した。切った膝下の部分は、裾の幅を広げ、ガーターベルトでくくりつけた。


靴はさすがに用意できず、クラスメイトの私物である厚底のショートブーツを拝借している。



なんとも不可解で、危うい風貌。変幻自在な演技力まで相乗されれば、魔法使いのキャラクターはおろか、演者の正体までベールに包まれる。


ぱらぱらと、事前に配布されたパンフレットをめくる音が、四方八方から聞こえた。




「あれは誰だ?」


「どこにも載ってないじゃない!」


「男? 女?」


「わからない……。でも、いいわ――」




うまくたぶらかされた観客を、ベルの音が鎮める。開幕時に聞いた金属音だ。音の数が増え、激しくなっていく。たったふたつのスポットライトが消えた。


魔法の杖のダイヤが、灯る。




「――誰であってもいい」




あぁ、あなたは、なんて人なの。


諸刃の剣になりえるこの大舞台で、鮮やかに証明してみせた。


誰もが何者にでもなれる、と。



誰のためでもなかったあの服が、誰のためにもなり、この瞬間を生きている。


ずっと苦しくてたまらなかった欠陥が、取り柄になるだなんて思いもしなかった。



身体が、心が、熱くなる。白く輝く礼服へと早着替えした凰河がセンターで目立っているのに、陰で見守る彼女のことばかり目で追っていた。彼女に着られて、服もうれしそうだった。


こんなことが現実に起こっていいのだろうか。これが、幸せか。はたまた、魔法か。魔法使いは、本当にいたのだ。あんなに近くで笑っていた。




「いいかにゃ? その魔法は12時になったらとけちゃうから、気をつけるんだぞ」


「わかってるって! ありがと!」


「ありゃ、気が急いちゃってるねえ。何もなけりゃいいんだけど……」




キョウカさんはしっかり役に没頭できている。上手へ駆けていくレイを眺め、不吉なフラグを立てる。実は、パーティーの最中に魔法の効果は切れる。王子をそそのかした罪人としてひっ捕らえられ、王子も自室に監禁されてしまう。その伏線だった。


だから断じて、レイが袖に捌ける途中でヒールがすべり、こけそうになるのを、予期していたわけではない。


素に戻ったキョウカさんがとっさに「危ないっ!」と手を伸ばした。




「案ずるな」




きらり。流れ星のような艶のある線が走り抜けた。


見覚えのあるリボンが、レイの――凰河の傾いた体に巻きついていた。触手かと見まがうほどに。


カスガノさんの業だ。いつもより素早く、力感にあふれた動作で腕を回し、その拍子に風の流れにリボンを委ねたのだ。


軽やかに凰河の体を起こし、エスコートする。




「君の思いは、魔法のように儚いものではない。信じて、行け」


「は、はい……!」




重量感のあるセリフが、心臓にじんと響く。凰河はすっかり役を忘れていた。そのまま手が離され、外へ送り出す。


暗転。


セットが変わる。移動する陰に潜めながら、魔法使いふたりが帰ってきた。ハイタッチするふたりを横目に、渡辺さんに預けていたインカムとメモを受け取った。



舞台は続く。王城の広間へと変化したステージで、パーティーは催される。


つなげてくれたバトンは、責任もって最後まで持っていく。




「私は信じてる。私の可能性を」




真夜中零時を過ぎ、ボロボロな姿になりながら、それでもレイは譲らない。広間の直階段の上で、不敵に宣言する。


自室から脱出した王子が現れる。革命の約束をしたときに交わした剣を、レイに贈った。捕まる前に渡そうとし、奪われたものだった。


レイは立ち上がる。剣を華麗に振り回し、ズン、と地面に突き刺す。


境界線を、裂く。




「未来じゃなく、今を変えないか!」




拳を突き上げた。パーティー参加者がわっとどよめく。ヘアアクセサリーやリボン、ネクタイや上着が、高く投げられた。


家族は唖然とし、王様は目を閉じた。


時代の変革が遂げられた瞬間だった。



拍手が起こる。脇役が沸いていただけの喝采が、会場を巻きこみ、みるみる盛り上がっていく。幕が閉じたあとも、しばらく感動の嵐に包まれた。


渡辺さんに腕を引かれ、カーテンコールに赴いた。演者の列の後方に、裏方の代表者が並ぶ。衣装を着たままのカスガノさんのうしろで、胸を張って挨拶をした。



最高のハッピーエンドだ。




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