アイデンティティ⑷
「――まもなく『グレーゾーン』を開演いたします」
文化祭当日。
映像技術科の生徒によるアナウンスがかかった。
1年生の発表回となる初日、初手である午前の1AGの枠から、客席は余すことなく埋め尽くされた。校長を筆頭とした教師陣、生徒のご家族、卒業生が大多数を占めるなか、某企業の社長や有名プロデューサーの姿もあった。
どこもかしこも学生規模じゃない。と、何度つっこんだことか。おかげで体重は3キロ減ったし、胃薬とエナジードリンクには大変お世話になった。
いよいよ本番だ。
長いようで短かった。
昨日はよく寝れなかった。というか最近はずっとそうだった。
ヘッドホンとマイクがセットになったインカムから、各持ち場の準備完了の声が流れる。
できることはすべてやった。スタイリングに不備はないし、美術セットは指定の場所に用意した。早朝に実施された場当たりでも問題はなかった。わたしもスタンバイOKの報告をマイクに乗せた。
得も言われぬ緊張が、舞台袖にはびこる。
いきなりベシンッ! と背中を強く叩かれた。誰かと思えば、したり顔の凰河だ。軽量化に成功した醜悪な服、長い巻き髪のエクステを、完璧に自分のものにしていた。ピンヒールはまだ不慣れなのか、右だけつま先立ちをし、かばっている。
チリン、とベルが鳴る。開演の合図だ。音楽科の手によって、音階のちがう金属音が軽妙に奏でられる。のちにシンデレラに魔法をかけるときの曲の序奏をアレンジしたものである。
「いってらっしゃい」
「おう」
武者震いする手で、凰河に小道具のひとつである花束を渡した。ついでに背中を押してやる。ヒールの音が強まった。
今、幕が上がる。
「お待ちなさい、レイ!」
凰河――『グレーゾーン』のシンデレラにあたる少女・レイが、上手から躍り出た。継母役がそのあとを追う。そのうしろに義姉役と義兄役がひっついてくる。
そこは、貴族社会の続く現代日本。和洋折衷の文化の下、とあるお邸の一室から物語は織りなされる。
「先ほどの態度は何です。相手方に失礼でしょう」
「いきなり怒って出てっちゃうなんてひっどいわ!」
「俺らが恥かいたじゃねえか!」
「血がつながっていないとはいえ、あなたはわたくしの娘。あなたのためを想い、かの名家のご子息との婚約を取り次いでもらったというのに……」
じゃらじゃらと重ねづけられたアクセサリー。ベルベットの生地を用いたセミフォーマルな衣装。一目で上級貴族とわかる家族は、言葉の節々をも派手やかに飾り立てている。
対して、みすぼらしい恰好のレイは、ため息をついた。
貴族社会には、偏見が色濃く根付いている。家の繁栄のため、社会参加や生活様式など、男女で明確に役割が分担されている。古き良き伝統は、いわば制約だ。同じような家庭、同じような人間ばかりを生み出す。それが当たり前であり、盾突く者はいない。レイ、そして王子を除いては。
そう、かの主人公は、嘆いているだけで終わらない。
「だって、こんなものいらないんだもん」
花束が宙に抛られた。リボンでしっかりラッピングされたドライフラワーが、あっけなく散らされる。
ひらり、はらり。ピンクと白で統一された花たちが、主役を華やかに美化させ、文字どおりの華となる。
「なんてこと……! わざわざプレゼントしてくださったものを……!」
「本当に私を想ってくれてるなら、私の気持ちを尊重してくれるでしょ?」
中性的にコントロールされた声色には、たしかなプライドがほのめかされる。継母は眉をひそめた。
「尊重? あなたの言っていることは、ただのわがままよ」
「……わがまま?」
「花はひとつ残らず拾い集めなさい。よろしいですね?」
「この部屋の掃除もしちゃいなさいよ!」
「サボんじゃねえぞ!」
威厳な態度の継母に便乗し、義姉と義兄もぴーちくぱーちくからかった。レイを白い目で見ながら、下手へと捌けていく。完全にいなくなるかどうかのあたりで、レイはわざとらしく舌打ちをした。
……あっと、いけない。見入ってしまった。
本当はこのまま観続けていたいけれど、今のわたしは客じゃない。記録用のカメラが回されてあるから、続きはあとで堪能しよう。
今は、自分のことに集中するんだ。次の小道具と、セット転換にともなう動線の確保、それからヘアメイクのチェックもしに行かなくちゃ。
ステージ上では、レイが身なりやしきたりに文句を言っている。弟の勇姿をかたわらに、この場をそそくさとあとにした。
下手側の舞台袖に、立ち入った。隅のほうに人だかりができ、何やら騒然としている。異様な緊迫感がぴりぴりと張りつめていた。
ここにきて、イレギュラー。さっきまで問題はなかったはずなのに、なんで。何が、どうして。
インカムでは何も聞かされていない。連絡する余裕もなくなっているようだった。
人だかりから少し離れたところに、クラスメイトの渡辺さんが突っ立っていた。メイク直しの職務についていたのだろう。彼女がわたしに気づくと、切羽詰まった様子で駆け寄ってくる。
「い、委員長! 大変なの!」
「何があったの?」
「芸能科の子が、過呼吸になっちゃったらしくて」
「え? 過呼吸!?」
人だかりの中には、小さくうずくまるキョウカさんがいた。片手には台本が握りしめられている。出番はまだ先のため、制服姿で舞台をちらっと覗きに来たらしかった。
徐々に呼吸が安定していく。ひとまず安堵した。応急処置に対応していた生徒が、ひとり、またひとりと、アフターケアのため迅速に動き出す。ようやっとインカムに情報が入ってきた。
キョウカさんはむせび泣いていた。そのそばで支えてくれているのは、ほかでもない、カスガノさんだった。
「ひっ、ひいちゃ……ッ、ぁ」
「落ち着いて。大丈夫。大丈夫だから」
「う、うう、ぇ……っ」
左右に振られる頭を、カスガノさんはやさしく抱き寄せた。弱々しい肩をさすりながら、ゆっくりと呼吸をするよう促す。
白い首筋に吐かれた嗚咽が、苦しそうにくぐもる。
「ぁ、あ、あたし……っ、だいじょばない……。む、むり……無理だよお……」
「……」
「こ、こんなとこで、ぅ、え……ッ、演技できないぃ……。ひっく、うっ……こ、怖いよお……っ」
キョウカさんは今まで、モデル業一本で芸能界を生き抜いてきた。
はじめて演技に触れたのが、この舞台。当然、人前で演じるのもはじめてだ。ハードルの高さは、そんじょそこらの比じゃない。
ウチの看板の重み、期待の大きさ、品定めする眼。覗き見ただけでそれらを痛感してしまう。それほどウチは特殊なのだ。本業の卓越した技量まで目の当たりにすればもう、まるで四面楚歌。否応なしに恐怖心が肥え広がる。
本番に棲みつく魔物は、それを見逃さない。あっという間に食われてしまう。
そうして心は死んでいく。
わかる。わかるよ。だからわたしには、何も言えない。
「怖いよね。……じゃあ、辞める?」
「え……」
悪魔のささやきだった。
天使の面をしたカスガノさんは、いけしゃあしゃあとけしかけた。
キョウカさんは反射的に顔を上げる。気づけば、呼吸のリズムはぶれなくなっていた。
それとも。そう続けた涼やかな口元が、しなやかにほころんだ。
「一緒に、出る?」
「いっしょ? あたしと、ひいちゃんが……?」
返事の代わりに、大粒の涙をすくってあげる。親指の腹で拭う仕草が、王子役の妄想をしていたときのそれで、不謹慎ながらつい惚けてしまった。
「で、できるの?」
「台本は頭に入ってる」
「でも、ふたりなんて……」
「最初の学級委員の会合で、魔法使いを2人にする案が出されていたでしょう? その設定を使えば、きっとなんとかなるよ」
「ほんと? ひいちゃん……いいの?」
間髪入れずにうなずいた。キョウカさんは抱きつき、何度も何度もお礼を言う。
舞台は、生もの。リハーサルとまったく同じにはならない。ハプニングも付き物だ。そのために代役を置いたり、いちいち確認作業を繰り返したりしてきた。この舞台が成功するように。なにより、わたしの、みんなの努力が報われるように。
カスガノさんにはその心得がある。同い年とは思えない経験で育まれた聡明さ、自己犠牲ともいえる寛容さがある。だからああやって応えられたのだ。
でも。
ひとつ、問題が残っている。
「衣装は?」
やむを得ず、わたしは水を差した。
「カスガノさんの衣装、どうするの?」
「あるよ」
黒く光る瞳に、貫かれる。カスガノさんはわたしを真っ直ぐ見つめ、強気な笑みを浮かべた。
「冬至さん、忘れちゃったの?」
何のことを、言っているの?
ふっと、何かが脳裏をよぎった。かすかに瞳孔を開く。
もしかして――自習室に留守番させた、トルソー。自己満足で作った、あの服。アレを、使おうとしてるの?
そのとおりだと言わんばかりに、彼女は笑みを深めた。ひどく困惑した。
「あ、あれは……! ま、まだ……仕上げが……」
「時間は、ある」
「でもっ」
「そうでしょう?」
彼女の目は逸らされない。わたしの目を、逃さない。
仕上げのことだけじゃない。言いたいことはたくさんあった。そのどれもが言い訳だった。




