アイデンティティ⑵
円状のテーブルがようやく埋まった。
わたしで自己紹介タイムが終わったとたん、浮かれていた空気が引き締まる。ウチに合格しただけあり、生半可な気持ちの人はいない。みんな、本気でこれに懸けている。
口火を切ったのは、映像技術科だ。
「1年生の舞台は、童話がテーマだけど、何の話にする?」
彼のクラスは、脚本作りを行う。ほかにも、舞台セットなどの大道具作り、当日は裏方作業も担当することになる。
他学科の役割もすでに分担されている。
芸能科は、言うまでもなく演者だ。演技の構成を練り、照明などの演出を考えるのも、彼らの仕事にあたる。
音楽科は、BGMやOP・EDの曲を作り、生演奏したものを録音、また音響も務める。
総合マネジメント科は、スケジュール管理や経理、広報活動、当日の運営を任されている。
わたしたち被服科は、衣装作りと当日のヘアメイクのほか、映像技術科とともに美術セットも考えることになっている。
「童話っていってもいっぱいあるよね」
「B組はアリスにするって聞いたぜ」
「去年は何やったんだっけ」
「桃太郎と、白雪姫と……あと何だっけな」
「人魚姫じゃなかった?」
誰もが知る王道の話を用いることが多い。そうなるとしぼられてくるが、前年度・他クラスと主題をかぶらせないのが、暗黙の了解であった。誰でも比較されるのは避けたい。
「シンデレラはどう?」
カスガノさんの提案に、一斉に賛同する。
「あり!」
「本筋さえ押さえておけば、いくらでもオリジナリティ出せるね!」
童話がテーマとはいえ、物語をそのままパクるのはNG。芸術性ゼロと評価されて終わりだ。グループの独創性と実践力を持ち寄り、どれだけ自分のものにできるかが勝負。
名作であるシンデレラは、話の展開がわかりやすいため、工夫のし甲斐がある。裏を返せば、自由度が高いということ。
つまり、鍵になってくるのは、個性。わたしが最も苦手とする言葉だ。
「シンデレラをどうオマージュしようか?」
「現代っぽく、アイドルと一般人のラブストーリーにするのは?」
「男女逆転してみてもおもしろそう」
「うーん……おもしろいとは思うけど、ありがちじゃね?」
「そもそも、1AGの舞台テーマが決まってないからむずかしいねえ」
キョウカさんに痛いところを突かれた。
学年のテーマは童話だが、舞台の核となるグループテーマはそれぞれが考えなくてはならない。それがあやふやなままでは、作品をとおして何を伝えたいのか理解してもらえない。
前年度、人魚姫をモチーフにした『ごめんあそばせ』は、“善悪”がテーマだった。
想い人の裏切りにより、主人公である人魚姫が復讐するために人間の姿になりすます。悪女になった彼女の手により、登場人物は次々と不幸になっていくのだ。
わたしはそれを生で観ていた。テーマを問いかけながら華麗に作り上げられたステージは、圧巻の一言。阿鼻叫喚のラストは、肝が冷えたのを憶えている。
そのときだ、志望校が確定したのは。
あのとき憧れた場所に、今、わたしはいる。
せっかくの晴れ舞台は、ひどく空気がうすい。息が苦しくなり、頭が回らない。何も浮かばない。わたしは何ができるのだろう。何を、やっているのだろう。
「ジェンダーレスについてやってみない?」
空気が、軽くなる。酸素が共有された。渇いた喉でも、すっと吸いこめる。
カスガノさんがくれたのだとわかると、なんともいえない笑いがこぼれた。きっと、わたしには何かが欠けているのだ。
「ジェンダーレス……いいんじゃない!?」
「シンデレラ役を男の子にするってこと?」
「意味、履きちがえてねえか?」
「でもそれが手っ取り早いかもな。で、あえて性別は明言しない」
「魔法使いも2人にして、男女の長所をあべこべにしちゃう?」
「王子役は男女どっちがやっても成り立ちそう」
「世界観は? ステレオタイプで固める?」
「そこ悩むよねえ」
「性差のなくなった世界っつうのもよくね?」
話し合いが急速に進んでいく。取り残されたわたしは、なんとか食らいつこうと書記の役に徹した。白紙が埋まっていくにつれ、羞恥心に駆られた。
アイデアのメモをテーブルの真ん中に置いた。舞台のイメージを定めていく。タイトルの候補がいくつか挙げられたが、最終的に満場一致で決まった。
『グレーゾーン』
まったく新しいシンデレラが、誕生する。
その立役者は、まちがいなく、カスガノさんだ。
ある程度の議題が片付き、拍手をした彼女に乗せられ、全員が手のひらの温度を沸かせる。こんなところまで彼女を中心に回っている。少し怖かった。
次回の会合までに、各学科の役割に合わせた原案をまとめてくることとし、お開きになった。
おそらく、みんな、気づいていない。代役として来ていた彼女は、次回はいないということに。
本当の恐怖はそこから始まるのだろう。
今は何も考えず、眠ってしまいたかった。
そういうわけにはいかないのが、ウチの文化祭だ。授業時間が短縮されても、仕事量が多すぎる。熟睡する暇もない。会社であればブラック認定されるにちがいない。
衣装と美術セットに本腰を入れると、いっそう時間の進みが速くなった。学級委員としてクラスの指揮を執りながら、製作段階をこまめにチェックし、他学科との報連相も忘れない。定期的にある会合では必ず修正事項が生じるし、それをすり合わせればクラスメイトからのSOSが止まない。
頼られるのはうれしい。小さなことでも役に立ちたい。たいして助けになれないのが悔しい。正反対のわたしがいてくれたら、どれだけよかったか。
唯一自分のために取れる時間は、朝。クラスメイトがそろうまでの20分間、教室を離れ、自習室にこもっている。寝るもよし、ストレス発散するもよし。独りきりの空間が、ここ最近の癒しだった。
無心でミシンを動かす。自分の好きなように糸をすべらせる。ここにいると集中力が桁違いに上がり、いつもより作業の効率がいい。擦り減らした神経をよみがえらせるように、トルソーに布を着せた。
形が完成しつつある。何のためでもないデザインは、フードもあればマントもあり、着ぶくれしている箇所もあればぴったり密着している箇所もある。好き勝手やりすぎて、作者でさえ収拾つかなくなっている。
これをコンテストに出品したら、なんて言われるんだろう。どうせ金賞はもらえない。シンデレラには着せられない。そんなことはわかっている。せいぜい意地悪な姉あたりだろう。
想像したら、なんだか笑えてきた。
糸がほつれる。
涙が、こぼれた。
「――あっ」
朝日を遮断していた扉に、隙間が生まれた。光が差しこむ。
突然の侵入者に、ミシンを止めるのも忘れて立ち上がった。縫い目がぐちゃぐちゃに荒ぶっていく。
涙で顔がよく見えない。ごしごしこすっても、悪化してしまう一方だった。
「えっと……被服科の、冬至さん、だよね?」
「っ!」
「泣いてるの……?」
戸惑いがちに問いかけられる。針の小さな孔を乱れなく通り抜けるような声音。確信した。カスガノさんだ。
全身の水分が沸騰する。顔面の皮膚の下で熱がうごめく。つんとした刺激とともに、風景を歪ませていく。
彼女が近づいてきた。
やだ。
いやだ……!
布を衝く機械音が、狂ったように轟く。
「あの、よかったら……」
ダンッ! と、力づくでミシンのスイッチを切った。彼女はおどろき、制止する。
よかったら、何? 聞きたくない。話したくない。
わたしの内側に入ってこないで。
「やめて……」
「え?」
「あなたにはわからない! わたしの気持ちなんて!」
彼女の表情がまんべんなくぼやけて映る。都合がよかった。
彼女の手元に何かがあった。赤のようなピンクのようなソレが、やけに目立って見える。形状的にハンカチだと察すると、さあっと顔が青ざめた。同時に水分が蒸発していく。
彼女は何も悪くない。泣いている理由よりも、涙そのものを気遣おうとしてくれた。そのやさしさに、わたしはなんて言った?
最低だ。なんて醜いの。
もう、やだ。……きらい。
「……よかった」
充血した眼球に、正しく光が屈折する。彼女はとてもおだやかな表情をしていた。
「あなたにはちゃんと、あなたの気持ちがわかってるんだね」
皮肉? ちがう。そんなんじゃない。
はじめから見透かされていたのだ。黒い感情もコンプレックスも、殻に閉じこもった孤独感も、全部。そうでなきゃ、わたしなんかにそんな表情できっこない。
どうして、ずっと、きれいなままでいられるの。
「お邪魔しちゃってごめんね」
「え……」
呑まれている間に、彼女はハンカチをしまい、踵を返す。やだ。いやだ。とっさに一音を放った。
「あっ!」
「ん?」
「あ、あの……」
立ち止まってくれた。耳を傾けてくれた。何気ないことにいちいち感極まる。
「や、八つ当たりして、ごめんなさい……っ」
彼女はゆるりと首を横に振った。扉に手をかける。わたしはまた待ったをかけた。
「ここに用があって来たんじゃないの?」
「ううん。静かな場所を探してただけ」
「じ、じゃあ、ここ、使って!」
わたしが所有しているわけじゃないくせに、何をえらそうに言っているんだか。自分でも変だと思うよ。でも、だって、そう言わないと行ってしまうから。これ以上、迷惑かけたくない。
机をはさんで対角線上にある椅子を引くと、彼女は遠慮気味に座ってくれた。半分に折られたA4サイズの紙を取り出す。雑誌のアンケートのようだ。上から順にシャーペンを走らせる。
心地よい静寂に、淡々とした音がはねる。
ミシンから生地を外した。真っ直ぐを貫いていた一本道が、途中であられもない迷い方をしている。ざくり、と分かれ道を断ち切った。
胴体だけでできた物言わぬ人形が、隣でじっとたたずんでいる。全身覆われたフォルムに、失敗した布を当てる。歩くのもままならず窮屈そうだった。
「その服、冬至さんが作ったの?」
軽やかな筆圧が、いつの間にか止まっていた。
カスガノさんの関心を浴び、左胸が圧迫する。挙動不審になりながらこくこくとうなずいた。
「すてき」
「す、すてき、ですか?」
「うん。ファッションにはあんまり詳しくないけど、ひと針ひと針丁寧に縫われていて、すてきだと思う」
一応モデルやってた身で無知なのは恥ずかしいんだけど、と彼女は肩をすくめる。
否定や失望の付随しない賛辞にはあまり慣れていない。純粋な3文字を、何度も何度も、鼓膜の内側で反すうさせた。
欲しかったものだ。名誉なんかじゃなく、そうだ、それを渇望し続けていたのだ。
すっかりのぼせられ、お礼の言葉が震えた。
「それは誰の服?」
「こ、これは、自己満で作ってるだけだから」
「あ、そうなんだ。衣装で使うのかと思った」
まさか、と苦笑しながら、玉になった糸をハサミで裂いた。するするとほどけていく。
「カスガノさんの役にはもっとすてきな衣装があるよ」
「残念。わたしは代役だから着る機会がないかも」
「え!? 代役!?」
芸能科では、配役決めが荒れに荒れていると、うわさになっていた。どうも芸能科特有の目立ちたがり屋が、ここに来て瑕になったらしい。長いこと決着がつかない日々が続いた。
演者のサイズが判明しないことには、パターンの制作に取りかかれない。今は設計図の修正や細かな飾り作りなどで手一杯だが、この状態が来週も続くようなら、作業が停滞してしまう恐れがあった。
しかし、ついに、吉報が届いた。明日ある定例会で、キャストが発表されるのだ。
外野では、配役予想で盛り上がっていた。こちらもまあまあ意見が割れたが、カスガノさんに限っては、全員が全員、主役だと決め打っていた。
明快さを追求し、シンデレラは男子、王子様は女子に演じてもらうことになり、妄想がふくらむ。王子姿のカスガノさんは、どんなにうるわしいだろうか。造花ではなく本物の白薔薇を大量に買いこんで、引き立て役にするところまで考え、生きがいにしている生徒は少なくない。
現実は無慈悲である。彼らになんて報告しよう。
「本当に、出ないの?」
「うん。出たい人が出るべきだと思うから」
固い意思を感じる。
配役にはそれぞれ代役がつく。代役は当然、出演が約束されていない。役の数と生徒数の関係上、仕方ないことなのかもしれない。けど、やっぱり、もったいない気がしてしまう。
「……出て、ほしかったな」
あなたは、天才だから。
「カスガノさんの演技をちゃんと見たわけじゃないけど、先読みしたみたいに表情が変わって、かっこいいって思った」
実は、第1回目の会合のあと、こっそり調べたのだ。いくつかのドラマ作品の出演シーンが、ひとつにまとめられた動画があった。ファンが編集したもののようで、約5分でリズミカルに紹介していた。
それを見ただけでわかった気になれた。世界がちがう、というのは、きっとこういうことだ。
どんな色にでも染まれる彼女に、すべての感情をかっさらわれた。それこそ汚いものまでわしづかみにされ、遊ばれているようだった。自分の欠陥を浮き彫りにされ、それでも、惚れずにはいられない。
「かっこいい、か……。ありがとう」
本当は「かっこいい」だけじゃ足りない。わたしのボキャブラリーでは補いきれない。
ふとアンケート用紙が折りたたまれる。「でも」と、ソプラノが凛と鳴いた。
「実際はかっこよくなんてない。自分の望みより相手のを叶えたほうが、みんな幸せになるから、やってるだけだよ」
「……じゃあ、あなたの望みは? 幸せは?」
彼女は腰を上げた。ぴんと伸びた背に朝日をまとう。華奢なシルエットがふちどられる。相変わらず膝まで隠したスカートが、ひゅるり、ひるがえった。
「自分のは、自分でつかみに行くよ」
そう言い残し、扉の向こうへ光をさらっていった。
くらりとめまいがした。机の上に頭を倒す。ドクドクと逸る心音がこだましていた。
視界の先にトルソーが立ちはだかる。多様な種類、柄、サイズの生地が、不規則に重なっている。明らかにふつうではない。
これは、誰のため? ――“相手”のため。
わたしだってそう、どこかの誰かのために作っている。
洋服を制作するうえで、着る人のことを考えるのは基本中の基本だ。誰が、何のために、どうして着るのか。わたしも考えているつもりだ。うそじゃない。わたしと同い年で、同じくらいの背格好で……。
どうしてだろう、ちっとも姿が具現化されない。
そりゃあ誰の望みも叶わない。
――芙美乃は、お顔がはっきりしてるからね。
――似合うお洋服を作ってあげるから、待っててね。
あれは、いつの記憶だろう。
まだ母を天高く見上げていたころだ。
母は綿の生地に原色のスパンコールを継ぎ合わせ、ハートマークをかたどっていた。いとおしそうに針をとおす姿に、魔法のようだと小さな胸をときめかせた。
できあがったTシャツは、弟とおそろいだった。お互いの好きな色を混ぜて作られ、どこにいても見つけられるほど鮮やかだった。今にして思えば裏面の詰めが甘かったが、当時はたいそう気に入っていた。
わたしのための、一着だった。
「わたし……わたし、は……」
あらためて隣の人形と向かい合う。散々無個性と非難された反動で、実用性もまとまりもない。完全に無法地帯。誰のためにもならない。
わたしはこの一着をどうしたいんだろう。




