アイデンティティ⑴
冬至 芙美乃。
被服科、1年A組。出席番号19番。
学級委員長。
――それが、今のわたし。
放課を知らせるチャイムが鳴った。キンコンカンではなく、美しい自然音。ストレスのかかりやすい環境下でも、微力ながらリラックス効果をもたらすためだとかなんとか、担任の先生が言っていた気がする。そんなところまで先鋭的でなくてもいいのに。
ここの生徒になってもうすぐ半年。いやでも慣れた。
縦長のロッカーから掃除用具を取り出した。今週はわたしの班が教室の掃除をすることになっている。
出席番号順につくられた班は、真面目と不真面目が極端に分かれている。わたしは当然、前者。後者の男女4人は、ホウキ片手にくっちゃべっている。学級委員として注意しても、同じところを永遠と掃くだけ。根はいい子たちなのだけれど。チャイムでリラックスしすぎてるなら、逆効果じゃないか。
少し、むかむかする。生理2日目なせいだ。
ガラガラッ!
オラウータン並のパワーで教室の扉がスライドされた。せっかく集めた埃が舞う。
犯人は担任の先生だ。ガタイがいいわりに手先が器用なことで有名な彼は、その器用さを微塵も感じさせずにゴミの塊を踏みつぶしていく。不真面目な4人のうちの1人、渡辺さんという女子に駆け寄ると、満面の笑みでとある用紙を見せた。
「渡辺! やったぞ! 例のコンテスト、金賞だ!」
「え……! うそ! まじ!?」
例の、というと、夏休み前に締め切りのあったアレだろうか。
全国規模で実施された、由緒正しいデザインコンテスト。ファッションデザイナーを志す20歳以下を対象とし、ここで受賞できれば確実に名を売ることができる。
被服科の生徒は課題として、半ば強制的に応募させられた。
先生の掲げる用紙には、その審査結果が刷られてある。その一番上の欄には、たしかに渡辺さんのデザイン画があった。1年生で金賞を得るのは快挙だ。
室内の温度が一気に上がる。教室に残っていたクラスメイトが、涙ぐむ渡辺さんを囲み、騒ぎ立てる。「すごいじゃん!」「おめでとう!」「金ってやべえ!」口々に喜色を表し、祝福した。
掃除のことなんか、きっと頭にない。
「あっ、そうだ!」
仕方なくゴミを集め直し、ちりとりに入れたと同時に、担任がこちらに振り向いた。
「冬至! おまえも選ばれてたぞ」
「え?」
ドク、と心臓が急速に膨らむ。
ほら、と審査結果の紙を見せられた。上からなぞる視線に、自分の名前が絡みついたのは、だいぶあとのことだ。
「佳作だ」
「……そう、ですか」
「入選にはあと一歩届かなかったが、1年生で選ばれたのはふたりだけだそうだ。よくやったな!」
そう言って、わたしと渡辺さんに紙を渡した。入賞作品と結果の一覧が載った裏には、自分の作品について審査員の評価がひとことふたこと書かれてある。
紙を四角くたたみ、スカートのポケットにしまった。ちりとりに放置していたゴミを捨て、掃除道具を片付ける。脈は、いまだ、乱れたまま。
ロッカーを閉めると、渡辺さんと目が合ってしまった。笑顔を作ったのは反射に近い。
「金賞、おめでとう」
「た、たまたまだよ。委員長も、すごいね! この前も入選してなかった!?」
「がんばったで賞みたいなものだよ。金賞のほうがずっとすごい。展示会、ぜひ観に行かせてね」
「もちろん! 来て来て!」
優秀な作品はプロが実際に制作し、展示される。心底うらやましかった。
今こそあの自然音を聴かせてほしい。
胸と胃の中間あたりがずっと、むかむかしている。
「冬至さん、佳作だって」
「やっぱエリートはちげえな」
「委員長やってるだけあるわ」
「あたしたちとは世界がちがうよね」
痛い。痛い。痛い。
周りからの邪気のない眼差しが、黒ずんだ心の内側に、グサグサ突き刺さる。汚いものをぎっしり詰められたゴミ箱が、わたしの心そのもののようで、笑顔が引きつった。
ゴミ捨てを言い訳に、にぎやかな場をあとにする。
全身がなんだかだるい。頭の中をガンガン、ガンガン、クラスメイトの声が打ちつけてくる。
佳作。
エリート。
委員長。
ちがう世界。
みんな、そう言う。そう、騙されている。
全部「冬至」という稀有な苗字のせいだ。
わたしは母子家庭の3人家族で育った。といっても、一般的な家庭よりはとても裕福な暮らしをしている。
クズだったという実父を自ら捨て、一介のアパレル店員だった母は成り上がった。
バツグンのセンスと情報能力の高さを駆使して立ち上げたアパレルブランド『mix』は、瞬く間に全国に店舗を拡大し、現在10代男女の利用率1位を獲得している。
必然的にわたしもファッションに興味を持った。
物心ついたころから、らくがき帳に見様見真似のデザインを描き、母や社員さんたちに「天才だね」とよくもてはやされたものだ。
それでこんなところまで来てしまった。
ゴミ集積所に着くと、ふと頭上から声がした。顔を上げれば、校舎の2階に見知った人物がいた。クラスメイトと楽しそうに喋っている。
双子の弟の、凰河だ。オーガという芸名で、テレビで歌ったり踊ったり、最近はドラマに出演したりもしている。ウチの芸能科のA組に在籍しているが、校内で会ったこともなければ、話したこともない。
わたしが、避けているのだ。
有名アパレルブランドのオーナーである母と、人気アイドルの弟。エリートと呼ばれるのも無理はない冬至家で、一番真面目なわたしが、一番、劣っている。
先ほどの用紙を開いてみる。佳作と記された下に、審査員のコメントが羅列されている。『型にはまりすぎている』『個性が感じられない』『上手い。それだけ』一貫として辛口評価。読む前からなんとなく予想できていた。
自分のことは誰よりも知っている。エリートなんかじゃない。すごいのは家族であって、自分じゃない。
この学校に入学できたのも奇跡のようなものだ。苗字に踊らされ、学級委員にまでなってしまったが、本当はごくふつうの16歳なのだ。
「冬至」の名に恥じないよう、これでもがんばってるつもりだ。成績は上位をキープし、周りには八方美人に振る舞い、評判を落とすことはしない。家族の肩書きと学級委員のプレッシャーに、毎日押しつぶされそうだった。
それでも、コンテストはいつも佳作どまり。この世界には、天才がうじゃうじゃいる。
紙をビリビリに破いた。ゴミ袋とともに焼却炉へ投げ捨てる。パチパチと炎が飛び散る。あっけなく塵となって消えていった。
凰河がこちらを見下ろしていた。いつから気づいていたのか。母親似の顔がわたしを追い詰める。駆け足で校内に戻った。
教室に帰る道中、大きな掲示板があった。公募の情報や、生徒の活躍が掲載されている。芸能科の割合がやはり多い。CDの発売や映画のポスターで埋め尽くされているなか、センターを陣取っていたのは新作コスメの広告だ。
映画のほうが圧倒的に優先度や注目度が高い。けれども、なぜか、目立つポジションに置かれたその広告に、まんまと目が離せなくなっている。
広告に――ひとりの少女に、誘われている。
甘やかな密に浸らせたような髪が、一方向になびいていた。口元にかかる一束を軽くつかみ、妖艶にほころぶ口角の片方だけを覗かせている。横にゆるく伸びた瞳の上で、真っ赤な星くずが輝きを放っていた。
最近新しく発売されたアイシャドウの宣伝のようだった。にしてはやけに目がチカチカしてしまう。
少女を邪魔しない程度に、黒字の明朝体が光った。
――わたしと、あそんでみる?
「……遊ぶなんて、どうやって」
・
翌日。
本校は繁忙期に入った。
秋、文化祭シーズンの到来だ。ウチでもいよいよその準備が始まる。
校舎からカリキュラムまで常軌を逸するウチは、文化祭も例外ではない。
よくある屋台やお化け屋敷などは出店しない。舞台一本で勝負している。
5つの学科がこれまでの集大成を表すことを目的に、グループごとにひとつの劇を完成させる。そのグループは、学年ごとに同じ組同士で構成される。たとえば、我がクラスは、各学科の1年A組と組むことになる。
演目のテーマは、学年別に設定されてある。
学び始めて間もない1年生は、すでに話がまとまっている“童話”。力のついてきた2年生は、実在する人物を題材とした“ノンフィクション”。卒業を控える3年生は、最高学年の実力を披露する“完全オリジナル作品”。
これらを学年順に、3日間に渡って公演する。
芸能・芸術分野に比重を置く校風ならではのこのお祭りは、文化祭と銘打つには大がかりで、学校レベルを超越している。前売りチケット制の客席は、毎年満員御礼。プロ同等のクオリティーに、大勢の芸能・メディア関係者が足を運ぶほどだ。スカウトされることもあったりなかったり。
行事ごとは原則参加が本校のルールではあるが、そんなものなくても全校生徒のやる気は計り知れない。これ目当てに入学を決めた人も少なくないくらいだ。
わたしたち1年A組のグループ――略して1AGも、今か今かと本格始動を待ちわびていた。
そのスタートを切る会合が、ついに本日開かれる。各クラスの学級委員が1名ずつ、多忙な芸能科のみ2名、放課後の会議室に招集された。
決めることは山ほどある。すぐにでも準備に取りかかれるよう、最低でも核となる部分は決めておかなければならない。
元より時間は限られているにもかかわらず、いっこうに始まらない。芸能科の学級委員待ちだ。
たしか、2人うちの1人が凰河だったはずだ。
会いたくない。けれど、はよ来いとも思う。気を抜いたら貧乏ゆすりをしてしまいそうだ。
「わあ、ごめんなさあい。遅くなりましたあ」
「失礼します。お待たせしてすみません」
テンション感の異なる声が、会議室に吹いた。
スカートの丈感まで異なる、2人の女子の登場に、その場の一同、呆気にとられる。
ホームルームが長引いちゃって、と困り眉になるのは、学級委員の集まりで何度か見かけたことのある女子だ。色素を抜いた髪色と細すぎる脚に、どうしても目がいく。
「自己紹介遅れました、芸能科の学級委員やってます、キョウカです。よろしくおねがいしまあす」
「今月『chay』で表紙飾ってましたよね?」
「あっ、そうですう! 知っててくれてうれしい~!」
隣に座る音楽科の女子が「ファンなんです」と握手を求める。キョウカさんは握手のついでに、大親友と感動の再会を果たしたようにハグをした。ふわりとバニラの香りがたゆたう。
その調子でなぜか全員と握手した彼女は、最後に、一緒にやって来たもうひとりの女子と腕を組んだ。バニラよりもチョコレートが似合いそうなその子は、確実に学級委員ではない、にもかかわらず初対面な気がしなかった。
「この子のことも紹介しますね! ひいちゃんってゆうんです。今日欠席してるオーガくんの代わりに来てくれましたあ」
「あ、あの、春日野さん、ですよね……!?」
「ほ、本物!?」
「はい、よくご存知ですね。ありがとうございます。代役ではありますが、今回はよろしくお願いします」
映像技術科と総合マネジメント科の男子2人が、顔を見合わせ、ハイになっている。それにドン引きすることなく、カスガノさんは会釈した。
そういえば、弟は今ツアー中だったっけ。弟の仕事を押しつけてしまう形になり申し訳なく思う。
カスガノさんといえば、校内で最も人気な人だ。それこそ、弟よりも多忙なはず。弟の活躍を見たくなくてテレビから離れていても、彼女の情報は耳に入ってくる。なのに、いやな顔ひとつせずここにいる。弟に代わってわたしがひれ伏したいくらいだ。その念がにじみ出ていたのだろう、彼女がわたしのほうを向き、やさしくほほえみかけてくれた。
つと、思い出す。
あぁ、アレだ。あの、アイシャドウの子だ。
たった1枚の広告にあれほど惹かれたのは、はじめてだった。
こうして対面してみると、思っていたより、ふつうの子だと思った。
でも……隠し切れないオーラがある。
生まれながらそっち側の人なんだろう。




